名プレイヤー達に支えられたロック界随一のセクシー・ヴォイス
ヘヴィ・メタル全盛期、細くて金属的なハイトーン・ヴォイスが主流の中、太くセクシーなスウィート・ヴォイスで、大人のロック・ファン達を魅了した男がいた。
彼はかつて“ディープ・パープル”という大きな看板からの重圧をものともせず、バンド末期には逆に他のメンバー達を牽引する働きをした。
そして、パープル解散後は、その肩書きに負うことなく、自らの手で成功をつかみ取っていった。 その男デイヴィッド・カヴァーデイル。
80年代にはロニー・ジェイムスディオと共に、ハードロック・ヴォーカリストの最高峰と囁かれるまでになったが、ホワイトスネイクの解散とともに、ハードロッカーとしての自分にも一旦終止符を打った。
1976年のディープ・パープル解散後、他の歴代メンバー達と違い、カヴァーデイルだけは元ディープ・パープルという肩書きを利用しなかった。
ほとんどの場合、こういうビッグなバンドを経験したプレイヤー達は、有名バンドに入るか、知名度の高いメンバーを集めてニュー・バンドを結成するものだ。しかし、彼の場合はソロとなり、裸一貫からスタートしようと決意するのだった。 そして2枚のソロ・アルバムをリリースするが、あまり話題にもならないまま、いつしかロック・シーンのメイン・ストリームからカヴァーデイルの名は消えつつあった。
78年には、その2枚のソロ・アルバムに協力してくれたメンバーらとホワイトスネイクを結成。・・・静かなスタートであった。このホワイトスネイク結成に感心を持つものなど、ほとんどいなかったろう。メンバーもカヴァーデイルと元パープルのリーダー、ジョン・ロード以外ほとんど無名(腕利きではあるのだが)の6人組で、サウンドもブルースを基調とした地味なものだった。
ホワイトスネイクの場合、カヴァーデイルのソロ・プロジェクト的な面が強く、メンバーも流動的なため、“オルジナル・メンバー”といってもあまり意味のあるものではないが、一応記しておくと、
David Coverdale デイヴィッド・カヴァーデイル/ヴォーカル(第3期ディープ・パープルのヴォーカルに抜擢され一躍有名になった名シンガー)
Mickey Moody ミッキー・ムーディ/ギター(名ヴォーカリストのポール・ロジャースとは学友)
Bernie Marsden バーニー・マースデン/ギター(72年にUFOに加入したが、すぐにマイケル・シェンカーにメンバーの座を奪われた男)
Jon Lord ジョン・ロード/キーボード(言わずと知れたディープ・パープルのリーダー)
Neil Murray ニール・マーレイ/ベース・ギター(元コラシアムII、後ブラックサバスのメンバーとして活躍する名ベーシスト)
David Dowle デイヴィッド・ドウル/ドラムス(元Streetwalkers)
このメンバーで同78年、アルバム「トラブル」を発表し、ホワイトスネイクは正式デビューした。
翌79年には、シングル「Snakebite」を発表し、続いてセカンド・アルバム「ラヴ・ハンター」を発表するが、いずれもカヴァーデイルのルーツ・ミュージックであるブルースの影響を色濃く反映したソロ的な内容になっている。
しかし、この年の暮れ、元ディープ・パープルのIan
Paiceイアン・ペイス(ds)の加入によってディープ・パープルの再結成かと騒がれ出し、脚光を浴びるようになると、ホワイトスネイクもいよいよ正式なバンドとしての形態を整え、1つのバンドとして歩み始めるのである。
80年には、イアン・ペイス参加後初の話題アルバム「Ready An' Willing」をリリースして一気に知名度をあげると、日本ではこの中からのシングル「フール・フォー・ユア・ラヴィング」のヒットも生まれ、しだいに人気を博すようになっていった。その後もこのメンバーで、ライブ・アルバムとスタジオ・アルバム「カム・アンド・ゲット・イット」をリリースし、シングル「ドント・ブレーク・マイ・ハート・アゲイン」は81年全英1位の大ヒットを記録、同年来日公演も果たしている。このように日本とヨーロッパではすでにビッグ・ネームの仲間入りをし順調に活動していた。しかし82年、次のアルバム「セインツ・アンド・シナーズ」をめぐってミッキー・ムーディーがプロデューサーと衝突し脱退。ホワイトスネイクはバンド活動を休止せざるを得ないという初めてのピンチにたたされる。
そしてそのまま2年の月日が流れたが、その間にカヴァーデイル、ミッキー・ムーディ、ジョン・ロードの他はメンバーが入れ替えられ、新たにアメリカのゲフィン・レコードと契約した。これはかねてからの悲願であったアメリカ進出を目論んでのことでもあったのだ。(ちなみに「セイント・アンド・シナーズ」には、名曲「Here
I Go Again」のオリジナル・ヴァージョンが入っている。)
80年代最も輝いていた古典的ハードロック・バンド
そして84年、アルバム「スライド・イット・イン」をまずヨーロッパと日本でリリース。この時のメンバーにはロック界の風来坊という異名をとる強力な助っ人Cozy Powellコージー・パウエル(元JBG〜レインボー〜MSG/ds)やMel Galleyメル・ギャレー(元トラピーズ/g)、Colin Hodgkinsonコリン・ホッジキンソン(元アレクシス・コーナー/b)を加えていたが、レコーディング途中でミッキー・ムーディーがJohn Sykesジョン・サイクス(元タイガース・オブ・パンタン〜シンリジィ/g)に交代、ホッジキンソンが解雇されニール・マーレイ(b)が復帰していたことから、ゲフィン・レコード側はレコーディングのやり直しを要請。それを受けてギターとベースのパートだけ入れ替えられたものをアメリカで後からリリースした。
このアルバムではダイナミックでヘヴィなサウンドへと変貌を遂げ、大ヒット・シングルこそでなかったものの、全米でロング・セラーとなり、後にはプラチナディスクに輝く成功を収めた。だが、いよいよこれからというときに、次々と問題が発生する。
まず、この年メル・ギャレーが腕を骨折して脱退。ジョン・ロードがディープ・パープル再結成のため離脱。85年にはコージー・パウエルが脱退したため代わりにAynsley Dunbarエインズレー・ダンバー(元ブルース・ブレイカーズ〜JBG〜フランク・ザッパ&マザーズ〜ジャーニー〜ジェファーソン・スターシップ/ds)を迎え次作のレコーディングを開始した。尚、ギターはサイクスが1人で演奏し、キーボードにはDon Aireyドン・エイリー(元コラシアムII〜レインボー〜ジェスロ・タル)を迎えている。
ところが、途中カヴァーデイルが重症の副鼻腔炎で再起不能かもしれないという状況に陥り、このレコーディングは一時中断し、完成までに1年以上もかかってしまう。その間にカヴァーデイルはメンバー全員を解雇し、87年に3年ぶりのニュー・アルバムを発表する頃には、すでに別バンドと化していた。
この新生ホワイトスネイクの顔ぶれは、
David Coverdale デイヴィッド・カヴァーデイル/ヴォーカル
Adrian Vandenberg エイドリアン・ヴァンデンバーグ/リード・ギター(元ヴァンデンバーグ)
Vivian Campbell ヴィヴィアン・キャンベル/ギター(元DIO)
Rudy Sarzo ルディ・サーゾ/ベース・ギター(元クワイエット・ライオット)
Tommy Aldridge トミー・アルドリッヂ/ドラムス(元パット・トラヴァース・バンド〜ゲイリー・ムーア・バンド)
実はこのメンバー、シングル「スティル・オブ・ザ・ナイト」のビデオ・クリップ撮影用のために集められたプレイヤー達で、実際にはこのニュー・アルバム「サーペンス・アルバス〜白蛇の紋章」では演奏していない。だが、この曲を含むニューアルバムからのビデオ・クリップは素晴らしい出来映えで、MTVでひっきりなしに放映され、セカンド・シングルの「Is This Love」が全米2位の大ヒットを記録。セルフ・カヴァー曲のサード・シングル「Here I Go Again」は見事全米No.1に輝く大成功を収めるのだった。(注・実はこのシングル用テイクは「サーペンス・アルバス〜」とは違うヴァージョンで、演奏自体も前のメンバーでも新しいメンバーでもなく、ダン・ハフ(g)、マーク・アンデス(b)、アラン・パスクワ(kb)、Denny Carmassiデニー・カ-マッシ(元モントローズ/ds)が起用され、後のグレイテストヒッツに収録されている)
結局このアルバムは全米2位まで上昇し、80年代においてのこういったブルース・ベースの古典的ハードロック・バンドとしては空前の1000万枚を越えるセールスを記録した。もちろん、彼らの実力が伴ってのことだが、MTVを始めとする映像による宣伝効果や、レコード会社の適切な判断、カヴァーデイルの良い人材を見極める才能などがうまく噛み合っての成功であったとも言えよう。
翌88年には来日も果たし、そのまま全米ツアーへと向かうが、ツアー終了後ヴィヴィアンが脱退。後任のギタリストを捜しつつも、もともとリード・ギターであったエイドリアンがいたことから、次作のレコーディングを開始する。
しかし、ここでまた問題が発生する。エイドリアンが腕を痛めて演奏不能となってしまったのだ。そこで代わりに、超人イングヴェイ・マルムスティーン(g)の後任としてアルカトラスで大活躍し、いきなり時の人となっていたSteve Vaiスティーヴ・ヴァイ(元フランク・ザッパ&マザーズ/g)にギター・パートを任せ、89年中にアルバム「スリップ・オブ・ザ・タング」を完成させた。
このアルバムでは、スティーヴ・ヴァイが見事期待に応え・・・いや応えすぎて、すさまじいギター・プレイを炸裂。その結果ギター・ファンには好意的に受け取られたものの、昔からのファンやカヴァーデイルのファンからは避難を浴び、賛否両論を巻き起こした。注目されたという点ではこのアルバムも成功であったというべきなのだろう。全米トップ10にチャートインしたことが、それを物語る。
ヴァイはその後のツアーも正式メンバーとして行動を共にし、復帰したエイドリアンと激しいツイン・リード・バトルを披露した。
しかし90年大規模なワールド・ツアーの後、カヴァーデイルの夢のプロジェクト実現のため、ホワイトスネイクの歴史はいったん幕を閉じる。
ホワイトスネイク解散または脱退後、メンバーたちは各方面へと散っていったわけだが、その主な動向では、まず92年カヴァーデイルは、あの大物ギタリスト、ジミーペイジとプロジェクトを組み「カヴァーデイル・ペイジ」として活動を開始した。元・ディープ・パープルのヴォーカリストと元レッド・ツェッペリンのギタリストが手を組んだということで、大いに話題になったこのプロジェクトではあったが、ふたを開けてみれば、往年のプレイを惜しげもなく披露するペイジの気迫の前に、カヴァーデイルは萎縮したのか、自分本来の歌唱法を見失い、ペイジのかつてのパートナーであったロバート・プラントを大きく意識したダミー人形のようであった。
ペイジとしては、これが引き金となり、ロバート・プラントとのコンビを復活させることになるのだから、このプロジェクトも大きな意味を持つものであったが、カヴァーデイルの方は、あのままホワイトスネイクで活動していれば、少なくてもそこそこの成功は約束されていたはずだったものをフイにし、今まで築き上げてきた評価を一気に落としてしまったのだから、“大きな失態”と言わざるを得ない。
他のメンバーでは、エイドリアン、トミー、ルディの3人は、93年マニック・エデンを結成し活動を始めた。 ヴァイはホワイトスネイクでの活躍などで、一躍ギター界のニュー・ヒーローとなり、ソロ・アルバムをリリースする傍ら、様々なセッションで引っ張りだこになっていた。
その他では、イアン・ペイスとニール・マーレイはゲーリー・ムーア・バンドへ移った後、ペイスはブラック・サバスへ、マーレイはホワイトスネイクへ一度出戻り、その後日本が誇るハードロック・バンド、バウワウへ加入し話題となった。
コージ・パウエルはエマーソン・レイク&パウエル(EL&P)を結成し1枚アルバムを残した後、ブラック・サバスへ、その後も“風来坊”のあだ名どおりいくつものバンドを転々とするが、98年自動車で高速道路を運転中事故を起こし、帰らぬ人となってしまった。
元祖風来坊的なエインズレー・ダンバーも、あちこちのバンドを渡り歩き、最近では再結成UFOで、相変わらず元気なところをみせていた。
ジョン・サイクスはブルー・マーダーへ移ったあと、シンリジィへ出戻り、その後自らのバンド、サイクスを結成している。
ヴィヴィアン・キャンベルはその後、新生デフ・レパードにその名前を見つけることができる。
また、ホワイトスネイクのオリジナル・メンバーであった、バーニ・マースデンとミッキー・ムーディーは、97年にザ・スネイクスというバンドを結成。その後ドン・エイリーやニール・マーレイまで加え、カヴァーデイル似(?)のヴォーカルを立て、カンパニー・オブ・スネイクスとバンド名に改名して活動中らしい。(ドン・エイリーは2000年に脱退したようだ)
息づかいまで唄に換えてしまう素晴らしいヴォーカル
一方、本家ホワイトスネイクの方は、カヴァーデイルがペイジとのプロジェクトに失敗した後、94年にエイドリアンとルディを呼び戻し、「Here I Go Again」のシングル録音やカヴァーデイル・ペイジにも参加したデニー・カーマッシ(ds)やWarren De Martiniウォーレン・デ・マルティーニ(元ラット/g)も加えて活動を再開。この再結成ホワイトスネイクは、ツアーを中心に活動し(94年日本公演も果たす)3年間オリジナル・アルバムをリリースしなかったが、それまでバンドに多くの貢献をしながらも、一度もレコーディングに参加できなかったエイドリアンへの気づかいとレコード会社の勧めによって、97年に1枚だけのスタジオ・アルバム「レストレス・ハート」を発表した。
このアルバムは、ほとんどカヴァーデイルのソロといっても差し支えないような内容で、ブルースを原点としたカヴァーデイルのロッカーとしての集大成をみせるものであった。おそらくカヴァーデイルの最高傑作と呼んでもよいぐらい、艶やかでしっとりしたヴォーカル。しかも自信に満ちあふれている。
まるで、カヴァーデイル・ペイジでの失敗を自ら笑いとばし、「これが本当のオレさ」と言わんばかりに・・・。
その後、カヴァーデイルとエイドリアン2人で来日して、ホワイトスネイクを初期の頃より支えてくれた日本のファン達に感謝を表す意味で、東芝EMIの要請に応え小規模なアコースティック・ライブを行った。(この模様はライブ・アルバム「スターカーズ・イン・トーキョー」として後に発売)
しかし、これを最後にあっさりとホワイトスネイクでの活動にピリオドを打ち、カヴァーデイルはソロ活動へと転換していった。このことについて、カヴァーデイル自身、インタビューで自らの限界を悟ったというようなことを語っていた。
非常に残念なことではあるが、もともとパワーや音域に頼るタイプのヴォーカルではないので、まだまだこれからも充分我々を楽しませてくれるはずだ。むしろこれからは違うフィールドで、もっと活躍するような気がする。
ホワイトスネイクの残したものは、ヘヴィメタルしか知らない80年代リアルタイム世代に、70年代以前の本物のハードロックを伝えたという意味でたいへん貴重だ。言い換えれば、ヘヴィ・メタルのルーツであるハードロックが、ブルースとロックとの結びつきの中から生まれてきたことを、身をもって体現し、本物の素晴らしさを教えてくれた大人のロッカー集団がホワイトスネイクと言えよう。
追記:2002年暮れにホワイトスネイクがデビュー25周年を記念して翌2003年から再結成ツアーを行うと発表、その途中日本へも来日。その時のメンバーは以下の通り
DAVID COVERDALE (Vo)
DOUG ALDRICH (G)ex-LION BadMoonRising DIO
REB BEACH (G)ex-WINGER DOKKEN AliceCooper
MARCO MENDOZA (B)ex-TedNugent JohnSykes ThinLizzy
TOMMY ALDRIDGE (Dr)ex-OzzyOsbourne WHITESNAKE
TIMOTHY DRURY (Key)EAGLES DonHenry
(HINE) 2005.6更新
協力:JUNさん、FIXX
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