FRANK ZAPPA フランク・ザッパ


とらふぐ&HINEのザッパ対談

H:はっきり言ってオレの場合、昔はどちらかというとザッパはあんまり聴いてなかったんだよね。まだまだ子供だったんで、ザッパの音楽性にはぜんぜんついていけなかったし・・・トッド・ラングレンの方がよく聞いたかな(^_^;
ただ、「アポストロフィ」だけは、面白くてよく聞いてたな〜。でもあのアルバムの本当の良さを知ったのはつい最近だけどね。今聞いてもすばらしい内容だよ、あれは!!
トラさんのザッパとの出逢いはどのへんから?

T:ギターを弾いてるもので、中学生の頃「ブラック・ナプキン」(虚飾がど〜のこ〜のに入ってる)を聴いてから・・・当時は「この人、凄ぇ上手ぇ〜!!!」なんて感動しまくってましたね・・・(遠い目)

H:ロック界の奇才というと、すぐに名前があがるのがザッパだけど、デヴィッド・ボウイとかブライアン・イーノとか、ラングレンみたいな、いわゆるミュージシャンズミュージシャンではないよね。今ではそうかもしれないけど、当時では最先端を通り越して異次元の世界だったからね・・・(^_^;
それでも、初期にはビートルズがマネしてて、それに怒ったザッパはサージェント・ペパー〜のパロディ・アルバムも作ってたけど、あれもよくわからんアルバムだった(笑)理解できる?あれ?

T:ありゃ〜只の駄作でしょう・・・持ってるけどただそれだけ・・・

H:うはは、オレと同じだ(^_^;
ギタリストとしてのザッパはどう思う?後期にはいろいろギター・アルバムも出てるけど。

T:「工期」(ぐは〜・・・)「後期」がどのあたりを指しているか解りませんが、「虚飾・・・」は1976、「雷舞」は1978、「パ」は1982と、結構弾きまくってますね。「パ」は凄いですね。しかし、全体的にこの人のGtは平べったいんすよね・・
「老い新保」の「ドライBEER」でのクダリで「スプーンを舌に乗せた云々」みたいな感覚かな〜なんてね・・・

H:オレにはうまいのか下手なのかよくわからんけどね(笑)ハチャメチャなようでもあり、わざとハチャメチャ風にやっているようでもあり・・・う〜〜ん、オレもギターやってたんだけどな〜・・・ (^_^;
ザッパのギターソロばかりを集めたアルバムも聞いたけど、よけいわけわからん・・・
でも、それを譜面に起こす作業をしてた、スティーヴ・ヴァイってのはすごい!! おかげであんなにギター上手くなっちゃって(爆)
そういえば、とらさん、ヴァイも好きなんだよね〜!?

T:「倍」は上手いですよ〜、なんせ「教授」ですからね〜、多分「フィンガ〜」で弾かせても世界レベルで通用しますよ。但し「悟り兄」*には負けますけどね(藁)

H:「悟り兄」とはうまい!!あの方はホント悟っちゃってる感じね、頭もボウズだし(^_^;
でも、やっぱりジョージ・デューク(kb)とかテリー・ホジオ(ds)がいた頃のメンバーが最高だったのかな!?
エインズレー・ダンバー(元
ブルース・ブレイカーズジェフ・ベック・グループ、後ジャーニーUFO/ds)とかもいたけど、あの人は、コージー・パウエル(ds)の兄みたいな人だから(笑)この間までUFOにいたけど、今度はどこへ行くのやら!?
メンバーの話ついでに言うと、エディ・ジョブソン(後UK/kb)もいたんだよね、短期間だったけど。
こういう名プレイヤー達を発掘する力は、どこかジェフ・ベック(g)とも通じるところがあるね。やはり類は友を呼ぶと言おうか、名プレイヤーは名プレイヤーを呼ぶのかね〜?まあ、J・ベックにしてもザッパにしても、あれだけの才能を持つ人達には、並のプレイヤーではついていけないということだねきっと。そういえば、テリー・ホジオって、J・ベックとも演ってたな・・・。

T:「ボジオ」はどちらかとゆうと「リ〜ダ〜アルバムを出したいけどそれほどのセンスが無くて外部からの刺激にインスパイアされて叩きまくるスタジオ・ミュ〜ジシャン」なのでしょう。音楽を志す殆どの人がこれにアテハマリマス・・・特に「ワシ」

H:またまた謙遜しちゃって!まあロイ・ブキャナン(g)みたいに、おじさんになってから突然売れ出すこともあるし・・・とらさん、頭部はサトリアーニに似てるし・・・(^_^;
プロデューサーとしてのザッパはどう?
グランド・ファンクの最後になってしまったアルバム「熱い激突」をプロデュースした時、レコーディング終了後ザッパがマスター・テープを持ち帰り、ミックスダウン作業に半年以上もかけたため、次のアルバムが先に出ちゃったって話知ってる?
そのアルバムは解散宣言後になってやっと出たらしい。もしあのアルバムが先に出ていれば、グランド・ファンクも解散しなくてすんだかもしれないのに・・・って、ほとんどコレ知ったかぶりね。このアルバムって聞いたことさえ無いからね!

T:・・・・・・・・って、それって「何?」・・・はは

H:それはともかく、やっぱりザッパにも先に大成功を収めたトッド・ラングレンに対する強烈なライバル心があったのかな〜?

T:「ユ〜トピア!なんぼのもんじゃい!」って言ってたらしいっす、「高野 寛」は大嫌いらしいっす・・・

H:やっぱり・・・。
しかし、ザッパってすごい数のアルバムが出してるよね〜。きっと常に創作意欲がフツフツと沸き上がってたんだろうね〜。あんなハイペースでアルバムを出してたのに、そのどれもがあの完成度でしょ!普通じゃないよ(^_^;
ちょっと全部聞くのは無理だけど、とらさんのお薦めは?

T:ハッキリ言って どれもお勧めできません!って言うか、まず「車内」や勿論「社内」では聴けません。ステレオの前で膝を抱えつつ貪るように聴く姿勢がまず必要ですね。一日を暗い気持ちで過ごしたい時には最高のチョイス!・・・否「キンクリ」よりはマシか!
も〜既に「現代音楽」ですね。その意味で「目的」のある方には最高かも。

H:目的?・・・変態趣味とか?この世の音楽に飽きてしまったとか?(核爆)
ザッパが癌を宣告されてから、自ら自分の全アルバムをリマスターしたって話だけど、あれは「他のわけわからんやつらにオレの音をいじくられてたまるか」みたいなとこがあったんじゃないのかね〜。
発売当時問題があるとされて、ジャケットを内ジャケと差し替えられた「We're Only In itFor The Money」(例のサージェントペパーのパロディ・アルバム)も、ちゃんと元に戻してるし・・・自分のやってきたことにかなり自信があるんだろうね。どの作品も真面目にコンセプトを持って作られていたことが分かるよ。(このアルバム、最終的にはまたジャケットを元に戻しているそうです)

T:本当に「コンセプト」があったかど〜か、今となっては怪しい部分がかなりあります。多分、「ジミッペ」**と同類と思われます・・・変な意味で・・はは

H:ということは、既存の音楽概念をうち破るというコンセプトがあったんだよ、きっと・・・売れた、売れないは別にしてね。そこはペイジと共通だったんだ・・・と、オレはあくまでコンセプトあり論を主張。
だって、そうじゃなきゃ、「アポストロフィ」でのジャック・ブルース(元
クリーム/b)との共演で、ジャックが往年を想わせる名演を聞かせたあと、あんなクリームのイメージをぶち壊すようなギター・ソロを弾かないでしょ(笑)
でも、あれがザッパの魅力なんだよね。奇想天外というのか、何が飛び出すかわからないというドキドキ感、すべてを打ち壊すパワー。今のロックが忘れてしまった根本的なロック・スピリットを感じるね。

T:それは感じますね、この人のライブでは「最初から総立ち」なんて失礼な事はしたくないっすね・・・クイイルように見つめ返してあげたいですね、しかもアンコール無しで。

H:(無言でうなずく)

(とらふぐ&HINE)2001.9 (注)*ジョー・サトリアーニ(g)、**ジミー・ペイジ(g)

★ザッパをもっと詳しく知りたい方は=推薦サイト:The DOG BREATH REVENGE



BIOGRAPHY

1940年 アメリカのメリーランド州ボルチモアで生誕
195?年 ハイスクール時代南カリフォルニアのランカスターで音楽活動を開始。キャプテン・ビハーフ(vo)と出逢う
1963年 ウエスタン映画「Run Home Slow」のサウンド・トラックを手がける
1964年 母の日に自身のバンドを“マザーズ・”に改名
1966年 マザーズ・オブ・インヴェンションがアルバム「フリーク・アウト」でデビュー。ザッパ2度目の結婚
1967年 イアン・アンダーウッド(p)、マザーズに加入
1969年 キャプテン・ビハーフの2枚組アルバム「トラウト・マスク・レプリカ」をプロデュース。ローウェル・ジョージ(g)、マザーズに加入
1970年 ジョージ・デューク(kb)、エインズレー・ダンバー(元ブルース・ブレイカーズ〜JBG、後ジャーニー〜UFO/ds)がマザーズに加入
1971年 マザーズを脱退したローウェル・ジョージ(g)とロイ・エストラルダ(b)がリトル・フィート結成。ザッパ制作の映画「200モーテルズ」発表
1972年 LAで活躍する一流スタジオ・ミュージシャン約20人を率いてヨーロッパとアメリカでツアーを行い、興行的に大失敗する。イアン・アンダーウッド脱退
1973年 エインズレー・ダンバー脱退
1974年 アルバム「’(アポストロフィ)」が突如ヒット・チャートを駆け上り全米10位を記録
1975年 テリー・ホジオ(ds)がバンドに加入
1976年 初来日公演を果たす。グランド・ファンクのアルバム「熱い激突」をプロデュース
1978年 エディ・ジョブソン(後UK/kb)がバンドに加入
1979年 “ザッパ・レコーズ”設立。ジョージ・デューク、エディ・ジョブソン脱退
1981年 新レーベル“ベイキング・パンプキン・レコード”設立。ザッパ・バンドの写譜係りだったスティーヴ・ヴァイ(後ホワイトスネイク〜ソロ/g)がステージ・デビュー
1982年 娘のムーン・ザッパが参加したシングル「バリー・ガール」が全米32位のスマッシュ・ヒット
1983年 ザッパが作編曲した曲をロンドン・シンフォニー・オーケストラが演奏
1984年 クラシック界の名作曲家&指揮者ピエール・ブレーズがザッパに作品を依頼。20年目のマザーズ・ツアーにジョージ・デューク、スティーヴ・ヴァイ等が参加
1985年 ロック・ミュージックの青少年への悪影響に対し法律規制しようという運動にザッパが表現の自由を奪うものだと反発して法廷へ立つ
1986年 息子のドゥイージル・ザッパの初ソロ・アルバムをプロデュース
1988年 “癌”を宣告される。大規模なワールド・ツアーを敢行し最後に「もうロックはやらない」宣言をする
1991年 自ら“癌”であることを公表し、病魔と闘うことを誓う
1993年 12月4日、52歳の若さで永眠

1995年 ツェッペリン、ジャニス・ジョップリン、オールマン・ブラザーズ・バンドらとともにロックンロール殿堂入り(ルー・リードがスピーチ)




Freak Out
RYKO/イマジカ

We're Only In it For The Money
RYKO/イマジカ

Uncle Meat
RYKO/イマジカ

Hot Rats
RYKO/イマジカ

Weasels Ripped My Flesh
RYKO/イマジカ

The Grand Wazoo
RYKO/イマジカ

Studio Tan
RYKO/イマジカ

DISCOGRAPHY

1966年 Freak Out(フリーク・アウト)
1967年 Absolutely Free(アブソリュートリー・フリー)
1967年 We're Only In it For The Money(俺たちは金のために演ってるだけさ)
1968年 Lumpy Gravy(ランピー・グレイビー)
1968年 Cruising With Ruben And The Jets(クルージング・ウィズ・ルーベン&ザ・ジェッツ)
1969年 Uncle Meat(アンクル・ミート)
1969年 Hot Rats(ホット・ラッツ)
1969年 Burnt Weenie Sandwitch(バーント。ウィーニー・サンドウィッチ)
1970年 Weasels Ripped My Flesh(いたち野郎)
1970年 Chunga's Revenge(チャンガの復讐)
1971年 Fillmore East-Jun 1971(フィルモアのマザーズ)
1971年 200 Motels
1972年 Waka-Jawaka(ワカ・ジャワカ)
1972年 Just Another Band From LA(LAから来たバンド)
1972年 The Grand Wazoo(グランド・ワズー)
1973年 Overnight Sensation(オーヴァーナイト・センセ−ション)
1974年 APOSTROPHE(')(アポストロフィ)
1974年 Roxy And Elsewere(10年目のマザーズ=ロキシー・ライヴ)
1975年 One Size Fits All(万物同サイズの法則)
1975年 Bongo Fury(狂気のボンゴ)
1976年 Zoot Allures(虚飾の魅惑)
1977年 Baby Snakes(ベイビー・スネイクス)
1978年 Zappa In New York(ザッパ“雷舞”イン・ニューヨーク)
1978年 Studio Tan(スタジオ・タン)
1979年 Sleep Dirt(スリープ・ダート)
1979年 Orchestra Favorites(オーケストラ・フェイヴァリッツ)
1979年 Shiek Yerbouti(シーク・ヤブーティ)
1979年 Joe's Garage Act I(ジョーのガレージ Act I)
1979年 Joe's Garage Act II&III(ジョーのガレージ Act II&III)
1981年 Tinsel Town Rebellion(ティンゼル・タウンの暴動)
1981年 Shut Up 'N Play Yer Guitar(黙ってギターを弾いてくれ〜ギタリスト・パ)
1981年 You Are What You Is(ユー・アー・ホワット・ユー・イズ)
1982年 Ship Arriving To Late To Save Drowing Witch(たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船)
1983年 The Man From Utopia(ザ・マン・フロム・ユートピア〜ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパ・パ)
1983年 The London Symphony Orchestra(ロンドン・シンフォニー・オーケストラ)
1984年 Them Or Us(奴らか?俺たちか?〜ゼム・オア・アス)
1984年 Francesco Zappa(フランシスコ・ザッパ)
1984年 The Perfect Stranger(パーフェクト・ストレンジャー)
1984年 Thing Fish(シング・フィッシュ)
1985年 Meets The Mothers Of Prevention(ザッパ・ミーツ・ザ・マザーズ・オブ・プリヴェンション)
1986年 Does Humor Belong In Music?(ダズ・ヒューモア・ビロング・イン・ミュージック?)
1986年 Jazz From Hell(ジャズ・フロム・ヘル)
1988年 Guitar(ギター)
1989年 Brodway The Hard Way(ブロードウェイ・ザ・ハード・ウェイ)
1991年 The Best Band You Never Heard In Your Life(ザ・ベスト・バンド)
1991年 Make A Jazz Noise Here(メイク・ア・ジャズ・ノイズ)
1992年 Playground Psychotics(プレイグラウンドサイコティックス)
1993年 Ahead Of Their Time(アヘッド・オブ・ゼア・タイム)
1993年 Yellow Shark(イエローシャーク)



Shiek Yerbouti
RYKO/イマジカ

You Are What You Is
RYKO/イマジカ

Ship Arriving To Late To Save Drowing Witch
RYKO/イマジカ

Shut Up 'N Play Yer Guitar
RYKO/イマジカ

The London Symphony Orchestra
RYKO/イマジカ

Them Or Us
RYKO/イマジカ

Jazz From Hell
RYKO/イマジカ


◆◆◆名盤PIC UP◆◆◆

アポストロフィ( ’)
APOSTROPE ( ’)

フランク・ザッパ
FRANK ZAPPA



1974年 RYKO/イマジカ

1.ドント・イート・ジ・イエロー
 Don't Eat The Yellow Snow

2.ナヌーク・ラブズ・イット
 Nanook Rubs It

3.セント・アルフォンゾズ・パンケイク・ブレックファスト
 St. Alphonzo's Pancake Breakfast

4.ファーザー・オブリヴィオン
 Father O'blivion

5.コズミック・デブリス
 Cosmik Debris

6.エキセントリフューガル・フォルツ
 Excentrifugal Forz

7.アポストロフィ(’)
 Apostrophe'

8.アンクル・リーマス
 Uncle Remus

9.スティンク・フット
 Stink-Foot

デビュー当時から、その高度な音楽性と独特のキャラクターで常に話題を振りまいてきたザッパであったが、セールスのことなどまったく考えていない彼に、ヒット・チャートは無縁であった。それがどうしたことか、このアルバムは突然全米ヒットチャートを駆け上り、ザッパのアルバム史上最高の10位を記録してしまった。真相は、あるラジオ局のDJがこのアルバムを気に入って何度もひつこく流しているうちに、ジワジワとヒットし始め、気が付いたら10位になっていたということらしい。何か特別に宣伝したわけでもないし、映画やTVがらみでもない。それどころかシングル・カットできそうな曲もない・・・。
しかし、このアルバムの完成度の高さは素晴らしく、大ヒットも当然と言えば当然なのだが、もしそのDJがラジオで流さなかったら、おそらくはこんなに売れていなかっただろう。
アルバムの全体構成は、まるでサーカスを音にしたようなバラエティーに富むもので、それがメドレーとなって一体化している。
ジャズありブルースありロックンロールありプログレあり、アジアンテイスト、戯曲風、ミュージカル風なんでもありありの、あらゆる音楽を吸収した高度な音楽性が、自らの優秀なバックバンド・プレイヤーであるジョージ・デューク(ds)、エインズレー・ダンバー(ds)などに加え、ジャック・ブルース(元クリーム/b)、ジム・ゴードン(元デレク&ドミノス/ds)などの一流プレイヤーをゲストにした高度な演奏技術によって、さらに研ぎ澄まされ、どうにも手の付けられないほどの素晴らしさを生んでいる。加えて、各楽曲のメロディー・ラインもポップで親しみやすく、ザッパの入門編としても充分推薦できる内容だ。
7曲目のインストゥルメンタル・ナンバーは、前半の往年のクリームを想わせるジャック・ブルースのスーパー・プレイにつづき、後半意外にもザッパのギターはあえてクラプトン風にせず、変なフレーズをひつこく何回も繰り返す。このわけのわからなさが、いかにもザッパらしくて面白い。(HINE)