ハード・ショック!アメリカン・ハードの夜明け
古くはヴァン・モリソン、ボズ・スキャッグスなどのセッション・プレイヤーとして登用され、エドガー・ウインター・グループのリック・デリンジャー(g)の後釜として頭角を現したロニー・モントローズは、73年頃にはすでにアメリカ西海岸では評判の腕利きギタリストであった。そのロニーが、当時すでにビッグ・ネームであったモット・ザ・フープルへの参加要請(ミック・ラルフスの代わりとして)を断ってまで結成したバンドが、このモントローズだ。
また、途中参加のフィッツジェラルド(b,key)も含め、蒼々たるメンバーが集まっていたことでもモントローズは有名で、今もなお、ファンのみならず同業のミュージシャン達の間でもカリスマ的な人気がある。
しかしながら、今ひとつ当時パッとしなかった理由は、その主役であるロニーの目指す音楽スタイルが1つの固定したものでなく、次々と変化しながら進化してゆくのに対し、デビュー当時のストレートで強烈なハード・サウンドをファンがいつまでも忘れられなかったからであろう。それくらいデビュー当時のモントローズは鮮烈でかっこよかったのだ!自分なども最初に聞いた1曲「ロック・ザ・ネイション」だけで完全に打ちのめされてしまった1人だ。
ロニーは、しばしばジェフ・ベックのギター・スタイルに似ていると指摘されるが、そのギター・フレーズだけでなく、ミュージシャンとしてのあり方までよく似ている。セールスのことなどおかまいなし、自分がやりたいことをやり、自分がその時必要としているメンバーだけを選択する。このモントローズのメンバー捜しにおいても、理想のサウンドを追求すべく、それを具現化するために必要な腕利きミュージシャンだけを選び抜いたのだろう。その結果、たまたま後で有名になっていっただけのこと、当時はメンバー全員が無名なミュージシャンであったのだ。オリジナル・メンバーは、
Ronnie Montrose ロニー・モントローズ/ギター
Sammy Hagar サミー・ヘイガー/ヴォーカル(ソロを経て後にヴァン・ヘイレンへ加入)
Bill Church ビル・チャーチ/ベース・ギター(後サミー・ヘイガーと共に行動)
Denny Carmassi デニー・カーマッシ/ドラムス(後にハートへ加入)
1973年に結成されたモントローズは、さっそくその年のうちにデビュー・アルバム「Montrose」をリリース。このアルバムは邦題に「ハード★ショック!」と付けられているが、まさにその通りの衝撃的なデビュー作だ。プロデュースには、すでにドゥービー・ブラザーズを大成功へと導き、後にはヴァン・ヘイレンも手がける大物テッド・テンプルマンが当たっている。そのことでも、如何に彼らが期待されて登場したかが想像できる。
全編ロニーのドライヴの効いたギターがうなりをあげ、サミーの脳天直撃シャウトとカーマッシのパワフルなドラミングが、これぞアメリカン・ハードだと言わんばかりの痛快なハード・サウンドを生み出す。とにかく1曲目のイントロを聞いただけでノックアウトされ、ロック魂を揺さぶられることだろう。2曲目の「バッド・モーター・スクーター」では、ドライヴ感はそのままに、今度はスライド・ギターでバイクの音真似をするという面白いアイデアも盛り込んでいる。その他にも「スペイス・ステイション#5」は元デュラン・デュランのアンディ・テイラー(g,vo)がソロ・アルバムでカヴァーしたり、「ロック・キャンディ」はカナダの女性ヘヴィメタ・シンガー、リー・アローンがカヴァーしたりと、このアルバムはモントローズのアルバム中もっとも好まれるハードロック一直線アルバムだ。しかし、このイメージがあまりにも強すぎて、その後ファンは戸惑うことになるのだが・・・。
74年にはベース・ギターでキーボードもこなすAlan
Fitzgeraldアラン・フィッツジェラルド(後にナイト・レンジャー結成)が加入し、セカンド・アルバム「ペーパー・マネー」を発表。全体的にハードさが押さえられ、アコースティックなナンバーやストーンズのカヴァー曲「Connection」を取り上げるなどサウンドの幅を広げた。またメロトロンや各種サウンド・エフェクトも使用され、1st.アルバムとはまた一味違ったスペイシーなサウンドの方向性を示しはじめていた。このアルバムにも、後にアイアン・メイデンがカヴァーする「灼熱の大彗星(I Got The Fire)」などの名曲が収録され、1st.アルバム同様評価は高かった。日本ではこちらのセカンドが先にリリースされ、1st.が後からの発売となっている。
尚、このセカンド・アルバム発表後のツアー中に、サミ・ヘイガーの脱退も伝えられたが、まだサミーは無名だったこともあり、バンド自体にダメージを与えるような影響はなかった。
75年には、続くサードアルバム「ワーナー・ブラザーズ・プレゼンツ」をリリース。ちょうど日本でも彼らの存在がかなり話題になり始めたこともあり、この怪獣が暴れているイラストのジャケットは店頭でもよく見かけた。新たなヴォーカルにBob Jamesボブ・ジェームス(右写真)、キーボードにも専任のJim Alcivarジム・アルシヴァーが迎えられた(フィッツジェラルドはベース専任へ)。このサード・アルバムは、一転してブリティッシュっぽい音づくりに変化している。1曲目の「デーモン・クイーン」からさっそくキーボードを大きくフューチャーし、何やらツェッペリン風の曲やレインボー風の曲まで飛び出す。個人的にはファーストに劣らず好きなアルバムなのだが、どうもアメリカン・ハードっぽくないということで、多くのファンからは評価が低いようだ。確かにサミーのヴォーカルと比べるとボブの声にはパンチがないかもしれないが、2曲目のアコースティックな部分とヘヴィな部分が混在しているような曲では、逆に声に表情のあるボブの方が適任であるし、サウンドのスケールという点でも格段に大きくなっているはずだ。むしろアルバムの完成度としては、こちらの方が上だとも思える。
ここまでのモントローズは、実力があり評価は高いながらも、それがセールスにはどうも結びつかないという状況で、当時のロック・ファンなら誰もが知っていたが、ヒット・チャートなどには無縁の存在だった。その状況をを打破するためか、ラストとなる次のアルバムでは、ジャケットをかのヒプノシスが手がけ、プロデュースはエアロスミスやチープ・トリックを育てた超大物ジャック・ダグラスに任せるという力の入れようで、レコード会社は万全のサポート体制をとった。しかしながら、ロニーはそんな状況にもまったく無関心で、マイペースにどんどん初期のサウンドを突き崩してゆく。
76年にリリースされたラスト・アルバム「反逆のジャンプ」では、フィッツジェラルドが脱退し、代わりにRandy Jo Hobbsランディ・ジョー・ホップス(b)が加入。キーボードのジム・アルシヴァーはゲスト扱いとなっていた。サウンドはそれまでに比べると地味で、はっきり言ってモントローズらしさがまるでない。実験的要素も多くみられ、それがどうも完成しきっていない感じで、全体的に中途半端な印象を受ける。ストリングス・アレンジを加えた壮大な曲もあるのだが、もはやロニーの幅広い音楽性にはバンドが付いていけず、対応できなくなっていたのではないだろうか。結局このアルバムも、物議を醸しだしたジャケットだけが有名になったのみで、セールス・アップにはつながらなかった。
このアルバムを最後にモントローズは解散。ロニーはしばらく沈黙した後、78年に初のソロ・アルバム「Open Fire」を発表している。このアルバムやその後結成したGAMMA(ガンマ)のサウンド(79年カーマッシやフッツジェラルド、アルシヴァー達ととにも結成し3枚のアルバムを残しているが、いずれも成功には至っていない)を聞くと、ロニーの中では、モントローズも自己の理想とする音楽追究のための一部に過ぎなかったことが分かる。 ガンマ解散後、再びソロへ戻ったはずのロニーは、86年にモントローズ・バンドとして、バンドでのライヴ活動を開始。メンバーは多少変動するが、そのままの勢いで87年に再びモントローズとしてのアルバムを発表した。この再結成モントローズのアルバム「ミーン」は、ロニーがこれまで積極的に取り組んできたエレクトロニクス・テクノロジーと決別し、裸の「ロニー・モントローズ」をもう1度見直そうとするような、シンプルなハード・サウンドに仕上がっていた。再結成モントローズのメンバーは次の通り、
Ronnie Montrose ロニー・モントローズ/ギター
Glenn Letsch グレン・レッチ/ベース・ギター(元ガンマ)
James Kottak ジェームス・コタック/ドラムス(後キングダム・カム〜MSG〜スコーピオンズ)
Johnny Edwards ジョニー・エドワーズ/ヴォーカル(後フォリナー)
またまた蒼々たるメンツだが、80年代半ばの時点で、このシンプルなサウンドが通用するはずもなく、彼らはまったく話題にもならなかった。真意は明かではないが、このアルバムはセールスを狙ったものではなく、ロニー自身の原点回帰を目的として作ったと思われる。それが証拠に再結成モントローズは、この1枚のアルバムだけで解散。ロニーは再びソロ活動へと戻っていった。
それにしても、あの鮮烈なデビュー作は今聞いても鳥肌が立つほどかっこいい!もしアメリカン・ハードというサウンドを1曲だけで説明するとしたら、GFRでもエアロでもキッスでもなく、間違いなくこのモントローズのデビュー作1曲目の「ロック・ザ・ネイション」を聞かせるだろう。(HINE)2003.3
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