JEFF BECK GROUP ジェフ・ベック・グループ

第1期ジェフ・ベック・グループ(JBG)

今思えば、滅茶苦茶スーパーなグループだった・・・・・。まず、メンバーを見てビックリする。
Jeff Beck ジェフ・ベック/ギター
Rod Stewart ロッド・スチュワート/ヴォーカル
Ron Wood ロン・ウッド/ベース・ギター
Aynsley Dunber エインズレー・ダンバー/ドラムス
これがオリジナル・メンバーで、1967年にデビューを果たしている。そして翌68年にはドラムがMick Wallerミック・ウォーラーに代わり、ファースト・アルバム「トゥルース」をリリース。
このアルバムには、ジェフ・ベックとヤードバーズ、それにプロデューサーのミッキー・モストまで絡んだゴタゴタを連想させる多くの痕跡が残されている。
メンバー以外に参加しているアーチストとして、ジョン・ポール・ジョーンズ(後レッド・ツェッペリン/b)、
Nicky Hopkinsニッキー・ホプキンス(後JBGの正式メンバー〜クイックシルバー・メッセンジャー・サービス/piano)、そしてコンポーザーにはジミー・ペイジ(当時ヤードバーズ/g)の名前もある。
何故このような事態になったかというと、ジェフ・ベックがヤードバーズ在籍中に病気で倒れた時、ジミー・ペイジが代役に担ぎ出され、そのままツインリードギターになってしまったことと、その時期にミッキー・モストとベックがソロのプロデューサー契約を結んだことが関係している。
ヤードバーズでのツインリードギター状態を嫌って、同バンドを出たり入ったりするようになったベックは、ミッキー・モスト・セッションとして、ソロでこのアルバムにも収録されている「ベックス・ボレロ」をレコーディングした。
この曲を作ったペイジは以前からかなりベックに対して好意的で、もともとヤードバーズにベックを紹介したのも彼だし、ヤードバーズ加入後も最初はベーシストとしてベックをサポートした。このセッションにもギターで参加している。他にはジョン・ポール・ジョーンズ(b)、キース・ムーン(ザ・フー/ds)、ニッキー・ホプキンス(p)という凄いメンバーがセッションに参加している。そしてこのセッション・メンバーにスティーヴ・ウインウッド(トラフィック、後ブラインド・フェイス/vo)を加えニュー・バンドを結成しようという話まで持ち上がっていたようだ。ちなみにこの幻のバンドが付ける筈だった名前が、なんと「レッド・ツェッペリン」だったということだ。
少し話はそれたが、こういった関連でJBGのファースト・アルバムにはJBGと言いながら、違うメンバーも顔を出しているわけだ。

JBGのメンバーの話に戻るが、ロッド・スチュワートはベック曰く“世界最高の白人ソウル・シンガー”として、ベックにかなり気に入られていた。極端に言えば、ベックにとってこの1期JBGはロッドと共演するためだけに存続していて、他のメンバーはどうでもいいという感じだった。
ベースやドラムは次々と入れ替えられ、ロン・ウッドに至っては、彼の脱退後加入したダグラス・ブレイク(b)をベックがコンサート1回でクビにして、再びバンドに呼び戻した。もともとはギタリストであるロン・ウッドが、自分勝手でわがままなベックについてきたのは、やはりその天才的なギタリストとしての才能に惚れてしまったのだろう。ペイジもまたその1人だが・・・。
しかし、この凄いメンバーだったにも関わらず、第1期JBGのデビューはそれほど華々しいものではなかった。最初はスモール・フェイセズの前座だったらしい。
それは、ベックが3大ロック・ギタリストと崇められながら、いまいちクラプトンやペイジほどセールス的に成功を収めていなかったためだ。
ロッドにしても、ロンにしても当時はまだ無名で、このJBGをきっかけに大スターへと躍進していった。
1969年、彼らはセカンド・アルバム「ベック・オラ」をリリース。このアルバムでは、ドラムが
Tony Newmanトニー・ニューマンに代わり、前作から参加していたニッキー・ホプキンスも正式メンバーとして迎えられている。
この第1期JBGの2枚のアルバムは、共に全米15位のヒットとなるが、クラプトン率いるクリームやペイジ率いるツェッペリンの大活躍にはとうてい及ぶものではなかった。
そうした彼らに訪れた願ってもないチャンスがこの69年に行われる大イベント、ウッドストック・フェスティバルだった。
だが、その前にホプキンスが脱退してしまい、なかなか自分の構想通りにいかないことに苛立ったベックは、ウッドストック直前の米でのコンサートではアンプを壊すなど大荒れで、その場で解散宣言をしてウッド・ストックをキャンセルし、さっさと帰国してしまった。
こういったベックの傍若無人な振る舞いによって、ビッグ・スターになり損ねた第1期JBGだったが、妥協を許さないベックの音楽姿勢や人の才能を見抜く千里眼的能力によって、優れたサウンドを次々と生みだした。やはりこれだけのメンバーが集まって、凄くないわけはない。基本的にはロッドのヴォーカルを生かすR&BやR&R基調の曲が目立つが、2枚目のベック・オラではメンバー全員の曲を採用するなど、グループとしてのまとまりも重視した音作りがなされている。

第2期ジェフ・ベック・グループ

第1期JBG解散後、ベックはロッドをヴォーカルにして、ヴァニラ・ファッジの2人ティム・ボガート(b)とカーマイン・アピス(ds)を加えたメンバーでニュー・バンドを結成する構想を立てていたが、ロッドはロン・ウッドと共にスモール・フェイセズへ加入してしまう。さらにこの直後不運にもベックは自ら自動車を運転中、犬を避けようとして大クラッシュを起こし、数ヶ月の絶対安静を余儀なくされるのだった。
この間に、ティムとカーマインはハードロック・バンド、カクタスを結成。ロッドとロンの活躍も目覚ましく、ベックのニュー・バンド構想はもろくも崩れ去るのだった。ちなみにロッドとロンは、ほとんどスモール・フェイセズを乗っ取るような形で、フェイセズハンブルパイに分裂させ、ロッドはそのフェイセズのリード・ヴォーカルとしても、その後ソロとしても大成功、再びギタリストとなったロンもフェイセズの方に残り、75にはローリング・ストーンズのギタリストへと大抜擢された。
ベックの方は、この機会にじっくりと静養し、2年もの間ほとんどセッション以外の活動はしなかったが、1971年やっとニュー・メンバーを引き連れてロック・シーンに戻ってきた。そのニュー・メンバーとは
Jeff Beck ジェフ・ベック/ギター
Bob Tench ボブ・テンチ/ヴォーカル
Max Middleton マックス・ミドルトン/ピアノ
Clive Chaman クライヴ・チェイマン/ベース・ギター
Cozy Powell コージー・パウエル/ドラムス
才能が才能を呼ぶのだろうか!?またもやベックは凄いプレイヤー達を発掘してきた。
これまでのブラックっぽいサウンドは残しつつ、この2期JBGでは全体的にフュージョンっぽいアダルト・テイストのサウンドへと変化している。コージーといえば、その後のハードロック・イメージが強いが、実はこんなにJAZZYなドラミングもできる、素晴らしいプレイヤーだったのだ。
また、名ヴォーカリストのロッドを失ってしまったせいか、全体的にヴォーカルより、インストゥルメンタル部分に重点が置かれ、完全なインストゥルメンタル曲も数曲演っている。
71年にリリースされた「ラフ・アンド・レディ」ではベック自らがプロデュースも行い、共作1曲を含む全曲を作曲という力の入れようであったが、仕上がりには彼自身満足できなかったようだ。つづくスティーブ・クロッパーがプロデュースした72年リリースの「ジェフ・ベック・グループ」はとても完成度が高く、この数年後に大ヒットする「ギター殺人者の凱旋」に通じる音楽性をもつ傑作だ。しかしリリースするタイミングが早すぎたのか、2枚のアルバムとも、セールス的にはパッとしなかった(とは言っても全英46位と19位なので普通なら大ヒットと言われるだろう)。今、特にこの2枚目のアルバムを聞き直して見ると、背筋がゾクゾクするほどカッコイイ!
この第2期JBGも短命で、72年暮れにコージーが脱退したのを機に、ボブ・テンチとクライヴ・チェイマンも次々と脱退。そこで、かねてよりベックお気に入りのドラマー、カーマイン・アピスとティム・ボガート(b)を迎え、バンドを続行させようとしたが、結局マックスも辞めたためバンド解散を余儀なくされた。その後コージー・パウエルはロック界の風来坊とあだ名されるとおり、レインボー、MSG、EL&P、ホワイトスネイク、ブラック・サバスと超ビッグ・バンドを渡り歩いたが、1998年交通事故を起こし、帰らぬ人となってしまった。また79年代にリリースしたコージーのソロ・アルバム「オーヴァー・ザ・トップ」では、ベックのために書いてボツにされたマックス・ミドルトンのバラード曲を取り上げ、マックス自身とともに共演している。これはけっこう名曲。(HINE)
 2002.3更新




Truth
1968年 東芝EMI

Beck-ola
1969年 東芝EMI

Rough And Ready
1971年 CBS/EPIC SONY

ディスコ・グラフィー

1968年 Truth(トゥルース)*ベックにプレゼントした曲を自分でもヒットさせたスティービー・ワンダーを批判する「迷信嫌い」も収録
1969年 Beck-Ola(ベック・オラ)
*ニッキー・ホプキンスを正式メンバーに加えた秀作。
1971年 Best Of Jeff Beck 
*1期JBGの2枚のアルバムからとベックのソロ・シングルを加えたベスト盤
1971年 Rough And Ready(ラフ・アンド・レディ)*ベック自らプロデュースや全曲を作曲した力作
1972年 Jeff Beck Group(ジェフ・ベック・グループ)
*非常に完成度の高い名盤中の名盤
98年(?) Shapes Of Things (シェイプス・オブ・シングス)*1期、2期を通してのベスト盤



★★★名盤PICK UP!★★★

JEFF BECK GROUP
(JEFF BECK GROUP)

1972年
CBS/EPIC SONY ECPN-36
1. アイス・クリーム・ケーキ 
 Ice Cream Cakes
2. グラッド・オール・オーヴァー 
 Grad All
3. 今宵はきみと 
 Tonight I'll Be Staying Here With
4. シュガー・ケイン 
 Sugar Cane
5. 帰らぬ愛 
 I Can't Give Back The Love I Feel For You
6. ゴーイング・ダウン 
 Going Down
7. アイ・ゴット・トゥ・ハヴ・ア・ソング
 I Got To Have A Song
8. ハイウェイズ 
 Highways
9. デフィニットリー・メイビー
 Definitely Maybe
ファンならご存じのとおり、第1期ベックグループ解散後、ベックは車で走行中、再起不能かと騒がれる大事故が起こし、カーマイン・アピス(ds)らとのバンド構想を断念した。非常に残念な事故ではあったが、しかし、そのお陰でこんなすばらしいアルバムが誕生したわけだ。
コージーパウエルを除く3人はどう見てもジャズ&ソウル系で、経歴などは残念ながら分からないが確かな腕を持っておりベックの創造するサウンドを見事に具現化している。逆にこのあと結成したBBAは各人の技量はすばらしいバンドだったが、このアルバムと比較するとサウンド的に平凡だったと言わざるを得ない。
このメンバーとしては2作目のこの作品は、前作がベックのプロデュース、マネジメント、バンドリーダー、全曲の作曲とワンマンショーアルバムだったのと違い、プロデューサーにスティーブ・クロッパー(g)を迎え、曲もスティービー・ワンダー、アシュフォード&シンプソン、ボブ・ディランなどを取り上げるなど、バラエティーに富んだ内容で、なによりベックがのびのびとプレイしているのがわかる。溢れ出るフレーズ、あらゆるテクニックを駆使し、かた時もじっとしていることのないプレイスタイル。ここでのベックのプレイはスタジオ録音にも関わらず、ライブそのもの!
話はそれるが、このアルバムが出た当時、レコードは4チャンネル(今のサラウンドとは基本的に違うもの)が流行っていて、このアルバムも4チャンネル盤が出ていた。専用アンプがあれば4本のスピーカーからまったく別々の音を拾い出すことができる。このアルバム最後のデフィニットリー・メイビーは4本のギターを別々に録音してあり、4チャンネルで聞くとすばらしい効果が得られたが、今ではもう再生できる機械がないのは残念だ。
このアルバムがリリースされた1972年といえば、ツェッペリンやパープルによって、やっとハードロックが確立され、プログレも頭角を現し始めた頃だ。3大ギタリストと呼ばれる他の2人が、まだブルースを引きずりながらプレイしていたことを考えても、すでにジャズやソウルとのクロスオーヴァーを平然とやってのけていたベックの先進性は恐ろしいほどだ。
今、聞いてみると、その後の「ギター殺人者の凱旋」や「ワイアード」のサウンドは既にこの時できあがっていたことが分かる。確かにその後のアルバムはデジタル楽器の進歩やレコーディング技術などによって、音自体は良くなってはいるが、サウンドそのものはインストゥルメンタルになった以外変わっていない。
ジェフベックという人はギターの腕も並はずれているが、サウンドクリエーターとしても当時としてはズバ抜けて先進的であったことが伺える。このアルバムは、その後のベック・サウンドを決定づけた名盤中の名盤に他ならない。(HINE)