元祖スーパー・グループ
1969年、ブラインド・フェイスの誕生したこの年は、ロック界の最重要年度として、いろいろとその後も語り継がれている。
年表を見ていただけば分かる通り、イエス、キング・クリムゾン、グランド・ファンク・レイルロード、サンタナ、ジェネシス、シカゴ、シン・リジィ、フリー、マウンテン、モット・ザ・フープルなどの大物が続々とデビューし、8月15日〜17日には、あの伝説的なウッドストック・フェスティバルも行われた。そして、既にデビューを果たしていた超大物グループ、ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、ディープ・パープルなども、メンバーチェンジや、音楽的方向転換をはかり、着々と、来るべき70年代ロック黄金期に向けて地固めをしていた。
そして、キング・クリムゾンやレッド・ツェッペリンが60年代の主役ビートルズをヒットチャートで抜き去り、いよいよロック界の新旧交代も急加速してきた頃でもあった。
そんな中、ロックの新興勢力であったハード路線とプログレ路線の立て役者でもある、クリームとトラフィックの合体という夢の組み合わせが実現した。
この2グループは、この60年代後半の時点では、ある意味でビートルズをも上回る影響力を持っていた。それは、当時ギタリストを目指す者なら誰しもがあこがれ、“ギターの神様”とまで呼ばれていたエリック・クラプトンと天才キーボード・プレイヤーとして、18歳ですでにトラフィックのリーダーになっていた、スティーヴ・ウインウッドの他のプレイヤーに対する影響力の大きさを物語るものでもあった。
例えは悪いかもしれないが、70年代であれば、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジとジョン・ボーナムがEL&Pのキース・エマーソンとバンドを組んでしまったぐらい凄いスーパー・グループなのだ。(このメンツも古いかな(^_^;)
しかし、この手のバンドには宿命的な“短命”という常識を乗り越えることなく、1枚のアルバムと1年間の公演活動のみで、あえなく解散してしまった。
メンバーは、
ERIC CLAPTON エリック・クラプトン/ギター
STEVE WINWOOD スティーヴ・ウインウッド/キーボード、ヴォーカル
GINGER BAKER ジンジャー・ベイカー/ドラムス
RICK GRECH リック・グレッチ/ベース・ギター
クラプトンは、言わずと知れた、ヤードバーズ〜ブルース・ブレイカーズ〜クリームを渡り歩き、「スローハンド」「ギターの神様」などの異名をもつ、この当時24歳の天才ギタリスト。(現在ではヴォーカリストとしての方が有名だが・・・)
ウインウッドは、6歳からピアノを弾き、14歳でスペンサー・デイビス・グループへ加入、18歳でトラフィックを結成するという、これまた天才キーボード・プレイヤー。この当時21歳。
一番年上の29歳ベイカーは、ジャズ・バンドからグラハムボンド・オーガニゼーションを経てクリームへ。長時間ノン・ストップ・ドラミングの世界No.1記録をもつ男でもある。
グレッチは当時23歳。ファミリーというローカル・バンドにいたが、ベースだけでなく、エレクトリック・ヴァイオリンの名手でもある。
この凄い4人が生み出すサウンドはどんなものか、当時はファンでなくても期待したことだろう。
盲目的信念(ブラインド・フェイス)サウンド
はっきり言って、当時期待に胸を膨らませていた人達にとっては、「アレッ?どうしちゃったの」というサウンドかもしれない。
この4人、まったくかみ合ってないと言おうか、合わせようにもどうにもならなかったのかも・・・。ブルースを基調とした泥臭い感じが好きなクラプトンは、フォークっぽく弾くことで、なんとか合わせようと努力の跡はみられるものの、他の前衛ジャズ寄りの3人とはまったく噛み合わず、1人浮いてしまっている。
しかし、曲自体の出来は良く、ほとんどがウインウッドの曲だが、唯一のクラプトン作曲の「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」もかなりの名曲。クラプトン自身も気に入ってるらしく、その後のコンサートでもいつもレパートリーに加えている。
2001年、1枚しかなかった彼らのアルバムをリマスターするとともに、レコーディング時のセッション音源を加えたデラックス・ヴァージョンがCD2枚組で登場!「やはりあったか」という感じだが、素直にこれはうれしい。
しかもその追加された内容を聴いてみると、オリジナルLPで出ていた音源よりカッコイイ!!このバンドもクリーム同様、ライブの方が数倍かっこよかったのだろう。
クラプトンのギターもこちらの方が自然で、無理に周りに合わせていないところがよい結果を生んでいる。もともとジャズもブルースもアメリカの黒人発祥の音楽で、ブレンドしてもよく合うのだ。こういったアプローチはサザンロック系のバンド達が初期によく演っていた。
クラプトンがそれにもっと早く気づいていれば、こういった演奏の方をメインにアルバムに収め、バンド自体も違った展開をしていたに違いない。だが、クラプトンはこの時点では純粋なブルースに固執するあまり、このサウンドは何か自分の求めているもの違うと感じ、アメリカへ渡ってしまった。
恐るべきスティーヴィー・ウインウッドの才能を理解するには、クラプトンでさえあと5年は必要だったのだ・・・。
その後の4人
クラプトンは、またもや自己の求めるブルース・ロックの追求を果たせなかったことに落胆し、ツアー後にはバンドを脱退して、ブラインド・フェイス自体も解散に追い込まれた。
その後クラプトンは、ブルースの故郷アメリカ南部へと傾倒していき、ツアーの前座バンドであった、デラニー&ボニーと合流。ソロ・アルバムをリリース後、デレク・アンド・ドミノスを結成し、またまた大成功を収める。ソロになってからも現在に至るまで常に第一線で活躍中なのはご承知の通り。
他の3人はジンジャー・ベイカーズ・エアー・フォースを結成するが、すぐにスティーブは脱退して、トラフィックを再結成する。その後、リック・グレッチもトラフィックへ加入し、全米で大ヒットを記録している。スティーブは80年代にもソロで「ハイヤー・ラヴ」などの大ヒットを放ち今も健在。リック・グレッチはトラフィックの後、KGBへ参加して1枚のアルバムを残し、再びベイカーと組むことになる。しかし90年代に入り残念ながら他界した。
ベイカーは、その後ベイカー・ガーミッツ・アーミーを結成するが、成功するにはいたらず、セッション・ドラマーやツアー・メンバーとして地味に活動。アトミック・ルースターなどで名前を見かけた。80年に入るとサイケデリックのラスト・ヒーローと言われるホークウインドに1年間のみ加入、またPILのアルバム「アルバム」への参加や再びリック・グレッチとダニー・ペイロネル(元ヘヴィ・メタル・キッズ、UFO)といっしょにBANZAIというバンドを結成したりと、再び活動を活発化。最近では93年クリーム殿堂入りのライブ中継で他のメンバーと共に元気な姿を見せたり、ジャック・ブルース(元クリーム/b)、ゲーリー・ムーア(元シンリジィ/g)と共にBBMとしてアルバムもリリースしている。
(HINE) 2001.10更新
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