PINK FLOYD ピンク・フロイド

Written by KEN 「KENの生悟り」


 1965年に、ロジャー・ウォーターズがリージェント・ストリート工芸学校で建築学を学ぶ仲間、ニック・メイスンとリック・ライト、そして高校時代からの友人のシド・バレットを誘ってバンドを始めたのが、ピンク・フロイドの始まり。ネーミングはふたりのブルースマンから名前を取って『ピンク・フロイド』としたのが通説である。

 4人が集まったこのバンドは、12月にロンドンの パレス・ゲイトにあるカウントダウン・クラブで初のステージを踏む。この頃から、簡単なコード進行に基づく即興演奏を始め初期フロイドの基盤ができあがってくる。

 67年のフロイドは英国EMI傘下のコロムビアとレコーディング契約を交わし、デビュー・シングル“Arnold Layne(アーノルド・レーン)”が録音される。「ミュージック・ウィーク」誌では初登場20位という快挙を成し遂げた。

 その後セカンド・シングル“See Emily Play(シー・エミリー・プレイ)”が誕生し、全英6位まで上昇。それらのレコーディングはまとめあげられ、アルバム・デビュー作となる“THE PIPER AT THE GATES OF DAWN(夜明けの口笛吹き)”の発表と続く。こちらも全英6位というヒットを飛ばし、新人バンドのスタートとしては大成功を収める。その頃のサウンドは、フィードバックをかけた大音響のサウンドと派手なライティング。この頃シドの精神は変調をきたし、バンド活動が危ぶまれてしまう。

 ギタリストが実質不在の状態となったため、バンドは、デヴィッド・ギルモアの参加を決定する。もともとバンドの各個人とも仲が良く、交流もあったため、スマートにことは進んだ。ややあって、シドが脱退。バンドはロジャーをリーダーとし、発売されたセカンド・アルバム“A SAUCERFUL OF SECRETS(神秘)”は第9位と好成績。

 アルバムを中心とした曲作りを展開し始めたフロイドは、独特の浮遊感を持つ世界を構築していくのだが、その間にバレエの音楽を手がけたり、ドキュメンタリーの音楽を担当したりと、音楽がイメージを掻き立てる側面を強化していく。その中でも代表的なものが映画のサウンドトラックだろう。69年6月に発売された初のサウンドトラック・アルバム“MORE(モア)”は、新鋭映画監督バルベ・シュローダーの同名映画を任されたものだった。

 またパート別に分かれた長い楽曲を構築するというアイディアが、さらに音楽の実験色を強めていく。今までの楽曲から部分部分を抽出、メドレー形式に繋ぎ合わせた組曲もライヴで披露されていた。ライヴとスタジオの2枚組アルバム“UMMAGUMMA(ウマグマ)”が作られ、効果音の多用やテープの逆回転操作など、これ以後のフロイドの各アルバムのアイディアが多数盛り込まれている。その一方で再び映画のサウンドトラックを担当したミケランジェロ・アントニオーニ監督の“ZABRISKIE POINT(砂丘)”が1月に公開され、同名のオムニバス・アルバムが3月に発売された。

 その後“ATOM HEART MOTHER(原子心母)”を発表。初の全英1位を飾った。タイトル曲は現代音楽家ロン・ギーシンとの共作になり、クラシカル・アレンジが成された、非常に実験性の高いアルバムになった。

 71年には“Echoes(エコーズ)”を含めた“MEDDLE(おせっかい)”を発表。それには、“One Of These Days(吹けよ風、呼べよ嵐)”も含んでいる。前作にあったインストゥルメンタル・パートに比重が置かれた作りを、より具体的に発展させた傑作となった。翌72年は1月から再びバルベ・シュローダー監督にサウンドトラックを依頼され、映画“LA VALLEE(谷)”に作った音楽を“OBSCURED BY CLOUDS(雲の影)”として発表。この頃すでに現代のビッグ・コンサートには欠かせない大がかりなセットや照明機材を用いた、それまでにない巨大規模の音楽ショーをコンサートにおいて実現した。

 73年、ロック音楽史を塗り変えた驚異のアルバム、“THE DARK SIDE OF THE MOON(狂気)”を発表。綿密に練られ、音響効果やテープ操作などを駆使したこのアルバムは、イギリスでこそ2位止まりだったものの、初の全米1位アルバムとなった。そしてリリース以後、アメリカのビルボード誌では741週(14年以上)連続で200位以内にランク・インされる、ギネス・ブック公認の怪物アルバムとなったのである。さらには日本でも当然のようにオリコン1位をさらい、アメリカでシングル・カットされた“Money(マネー)”も13位にランク・インするなど、あらゆるランクを席巻することになる。

 75年9月“WISH YOU WERE HERE(炎〜あなたがここにいてほしい)”を発表。全米1位、全英2位を飾った。シドへのオマージュであると一般に言われる“Shine On You Crazy Diamond(狂ったダイヤモンド)”と“Wish You Were Here(あなたがここにいてほしい)”を含む。レコーディング中に、そのシド自身が現れるという椿事も起こった。

 次のアルバム“ANIMALS(アニマルズ)”は、ジョージ・オーウェルの『動物農場』にインスパイアを得て、メッセージ性を前面に押し出した作品となった。

 79年11月アルバム“THE WALL(ザ・ウォール)”を発表。このアルバムは、パンク全盛の中でも全英3位 に食い込み、全米では1位に返り咲いた。2枚組のセットとなった楽曲は人間社会に存在する見えない「壁」を描いたロック・オペラ的な内容で、一本のストーリーにもなるそれは、後に映画化もされるなど、バンド自身にも多大な影響を及ぼしていった。80年にイギリスとアメリカ、また8月にイギリスにて行われた、実際に壁を作り上げ、また崩壊させてしまうという画期的なライヴを行った82年には“THE WALL(ザ・ウォール)”の映画版がアラン・パーカー監督、ボブ・ゲルドフ主演により上映される。“THE WALL(ザ・ウォール)”のアウトテイクを中心にして製作された“THE FINAL CUT(ファイナル・カット)”が3月に発売。

 その後、ロジャー・ウォーターズの脱退によりデヴィッド・ギルモア主導となった新たなピンク・フロイドは、87年9月に“A MOMENTARY LAPSE OF REASON(鬱)”を発表。3度目の来日も行われ、その光と音を駆使した演奏はコンサート史上類を見ないほどの迫力を持って会場に来た人々の度肝を抜かせた。この頃のライヴをおさめたライヴ・アルバム”DELICATE SOUND OF THUNDER(光〜パーフェクト・ライヴ!)”も好評を博した。

 94年アルバム“THE DIVISION BELL(対)”を発表。その後このツアー状況をまとめたライヴ・アルバム“P・U・L・S・E”を95年6月に発表。ワールド・ツアーを行なった後、バンド自体の活動は休止状態に入る。驚異のアルバム『狂気』が発売されて30年が過ぎた現在でも発掘映像やSACDのリリースなど、相変わらず話題を振り撒き続けている。また2005年7月には、アフリカ救済イベント「ライヴ・エイト」にて一夜限りの4人フロイド再結成も果たし、メンバー間の「壁」も取り除かれた。今後もその動向からは目が外せない。 (KEN) 2007.2

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