ブリティッシュ・ブルースの父
飽くなきブルース音楽の追求。これこそがジョン・メイオールのミュージシャンとしての永遠のテーマだ。
デビュー当時から一貫してこの課題に取り組んできた彼の周りには、たくさんの名プレイヤーが集まり、また育って行った。その副産物としてブルースロックというロック・ミュージックの新しいカテゴリーも生み出した。
しかし、他のアーチスト達がこれをサウンド・ベースにしながら、ロックを発展させていったにも関わらず、彼はブルース自体にこだわり続ける。そして今も尚その探求心が衰えることはない。
ブルース・ブレイカーズ誕生から現在
1933年11月29日、イギリスのマンチェスターで生を受けたジョン・メイオールは、子供の頃から父親の影響でマディ・ウォータースやソニー・ボーイ・ウィリアムソン等のジャズ・プレイヤーの音楽を聞かされて育ち、ハイスクールの頃にはギターを覚え、ジャズやブルースを弾いていたという。
そして1955年にはマンチェスターのアート・カレッジで“パワーハウス・フォー”というバンドを作り、活動を始めたのだった。
1962年になるとバンド名を“ブルース・ブレイカーズ”に改名し、活動の場をマンチェスターからロンドンへ移した。当初のメンバーは、
JOHN MAYALL ジョン・メイオール(vo,kb)
BERNIE WATSON バーニー・ワトソン(g)
JOHN McVIE ジョン・マクヴィー(b)
KEITH ROBERTSON キース・ロバートソン(ds)
で、アメリカのブルース・ミュージシャン達のバックで演奏していた。
1965年長年の下積み生活がやっと実を結び、アルバム「John Mayall Plays John Mayall」でレコード・デビュー。シングル「Crawlimg
Up A Hill」もリリースした。
初期の彼らはアレクシス・コーナー、グラハム・ボンド達と共にブリティッシュR&Bのパイオニアとして注目を浴びたが、一躍有名になったのは、やはり1965年ヤードバーズを抜けたERIC CLAPTONエリック・クラプトン(g)の加入によってだろう。
すでに天才ギタリストとして注目を集めていたクラプトンは、ヤードバーズがポップ路線に進むのに嫌気がさし、自らの求めるブルース・ギターの神髄を追い求めて彷徨いここへやってきた。しかし、96年に1枚のアルバムを残したものの、ここでもクラプトンは腰を落ち着けることがなく、バンドを出たり入ったりしていて、ライブにも来なかったりすることもあったそうだ。だが、この間にもクラプトンはさらに腕をあげ、ついには“ギターの神様”というニックネームが付くほどに成長し、ブレイカーズの知名度をあげるにはかなり貢献した。
そんなある日、クラプトンが急にライブに姿を見せずにメンバー達が困っていたところ、ライブに来ていた1人の少年が自分に弾かせてくれと頼みにきたそうだ。そして、その少年は飛び入りでライブのステージに立つと、クラプトンのパートをまるごと完璧にコピーして弾いて見せ、観客のみならずメンバー達も驚かされたという。これが後にバンドへ加入することになる、ミック・テイラーである。
66年クラプトンの後釜として、ブレイカーズのギタリストには元ショットガン・エキスプレスのPETER GREENピーター・グリーンが加入した。
しかし、すぐ後に加入してきたMICK FREETWOODミック・フリートウッド(ds)が昔のバンドの同僚であったことから2人は意気投合し、67年にはフリートウッド・マックを結成するためブレイカーズを脱退してしまった。さらに同年ジョン・マクヴィーも脱退し、後にフリートウッド・マックに加入している。
2人の名ギタリストを相次いで失ったメイオールは、彼らのような凄腕のブルース・ギタリストを捜そうとオーディションを行ったが、そう簡単に見つかるはずもなく困り果てていたところ、以前飛び入りで共演したあの凄腕の少年のことを思いだし、町中にポスターを貼ってついに彼を捜し当てたのだった。
こうして新たにMICK TAYLORミック・テイラー(g)を加え、他のメンバーも一新して順調再スタートを切ったブレイカーズだったが、2年後の69年には、ミックまでも超ビッグ・グループであったローリング・ストーンズに持って行かれてしまい、メイオールは途方に暮れる。
さすがに、こういったスター・プレイヤーに振り回されるのに疲れ切ったメイオールはブレイカーズを解散してしまった。そしてドラムまで排除したアコースティック・バンドを率いてライブ・ツアーの出た。
同年この時のライブをアルバムにした「ザ・ターニング・ポイント」をリリースしたが、ここでメイオールは素晴らしいハーモニカの演奏を聞かせ、シングル「Boom
To Move」がUKチャートでトップ10に入る彼最大のヒットを記録した。
その後、さらにブルースの発祥地であるアメリカへ渡ったメイオールは、カリフォルニアを拠点に深くブルースにのめり込む。
しかし、しだいにこの音楽ビジネス自体に疲れ切ったメイオールは75年の女性ヴォーカリストDEE McKINNIEをフューチャーしたアルバム「ニューイヤー,ニューバンド,ニューカンパニー」を最後に、しばらくスタジオ・レコーディングすることを止めてしまった。
この間、82年には旧バンド・メンバーのジョン・マクヴィー(b)とストーンズを脱退したミック・テイラー(g)と共に往年のブルースブレイカーズを再結成してツアーも行っている。
だが、その頃ブルース・ギタリストCOCO
MONTOYAと出逢い、メイオールは再び本当の“やる気”を出すのだった。
Montoyaは初めアルバート・コリンズのバック・バンドでドラムを担当しながらギターの練習を積んだ後、ギタリストとして独立しチャンスをうかがっていた。そして、あるクラブで演奏しているところをメイオールが立ち聞きし、とても気に入って84年ブレイカーズに誘われるままに加入した。
これをきっかけにして、メイオールは60年代に相次ぐ3人の名ギタリスト脱退によって断念させられた当時の構想を実現するため再び積極的に活動を開始した。
その後93年Montoyaは脱退したが、ブレイカーズは今も健在でメイオールは精力的に活動を続けている。現在のメンバーは、
JOHN MAYALL(vo,kb,ハーモニカ)
BUDDY WHITTINGTON(g)
HANK VAN SICKLE(b)*2000年より加入
JOE YUELE(ds)
“The John Mayall School”が生んだ名プレイヤー達
多くの名プレイヤーを排出したジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに対し、かのミック・ジャガーも以前“The
John Mayall School”と呼んでいた。
3人の名ギタリストの他にも、JOHN McVIE(後フリートウッド・マック)、HUGHIE FLINT,
MICK FLEETWOOD(後フリートウッド・マック)、ROGER DEAN、DAVEY GRAHAM、JACK
BRUCE(後クリーム)、AYNSLEY DUNBAR(後ジェフ・ベック・グループ、ジャーニー、UFO)、DICK
HECKSTALL-SMITH、KEEF HARTLY、ANDY FRASER、HENRY
LOWTHER、TONY REEVES、CHRIS MERCER、JOHN HISEMAN、STEVE
THOMPSON、COLIN ALLEN、JOHN MARK、JOHNNY ALMOND、HARVEY
MANDEL、LARRY TAYLOR、DON HARRISなどの名プレイヤーが在籍していた。
このグループがいなければ、きっとイギリスのロッカー達が70年代に大ブレイクして、世界を揺るがすことはなかったことだろう。そのブリティッシュ・ロックの基礎であるブルース・ロックを築いた男ジョン・メイオールは、これからも永遠にブルースと共に生きてゆくに違いない。(HINE) 2000.11
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