YARDBIRDS ヤードバーズ


3大ロック・ギタリストを生んだカリスマバンド

ヤードバーズは、当時セールス面ではさほど好結果を出していないにも関わらず、エリック・クラプトンジェフ・ベックジミー・ペイジ3大ギタリストを排出したのはもちろんのこと、プロデュサーとして活躍したポール・サミュエル・スミスや、ルネッサンスハルマゲドンイリュージョンなど次々と名バンドを生み出していった、キース・レルフが在籍し、ロックの発展にとって大きな影響力を残したバンドとして、むしろ解散後に有名になっていった。
デビュー時のオリジナル・メンバーは
ERIC CLAPTON エリック・クラプトン/ギター
KEITH RELF キース・レルフ/ヴォーカル
CHRIS DREJA クリス・ドレア/ギター
PAUL SAMWELL-SMITH ポール・サミュエル・スミス/ベース・ギター
JIM McCARTY ジム・マッカーティー/ドラムス

だが、当初はギターがクラプトンではなくアンソニー“トップ”トッパムで、1963年に結成されている。
結成後すぐにトッパムは脱退し、キースの学友であったクラプトンが後任として加入して、1964年「アイ・ウイッシュ・ユー・ウッド」でデビューを果たす。
その後、ライブ盤の「ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ」をリリースし人気が出てくると、プロデューサーのゴメルスキーから、よりポップ志向の強い曲「フォー・ユア・ラヴ」のレコーディングを強要され、なんとか吹き込み終わるものの、ブルース志向の強かったエリック・クラプトンは、これに反発して直後に脱退してしまう。
後任には当時売れっ子セッションマンで、クラプトンから紹介された
JIMMY PAGEジミー・ペイジ(g)に依頼するが、多忙のため断られ、代わりにペイジから紹介された、JEFF BECKジェフ・ベック(g)を起用することとなった。
すでにフィード・バック奏法などをマスターしていたベックは、これを機に一躍有名になり、ヤードバーズ自体も、先の「フォー・ユア・ラヴ」とベック加入後の「ハートせつなく」のスマッシュヒットにより、全米での人気もつかむに至った。
しかし、ベックは病気がちで、ライブではたびたびジミー・ペイジが代役でステージに立っていた。
66年ベースのポール・サミュエル・スミスが脱退すると、クリスをベースに回し、ペイジを正式に迎え入れて、ベックとのツイン・リード・ギターとした。だが、これも長続きせず、健康状態の悪化(という理由だったが、真相は違うようだ)から、同年ジェフ・ベックは脱退。残されたメンバーでラスト・アルバムとなる「リトル・ゲームス」を録音するが、イギリスではリリースされず、68年には解散に追い込まれてしまうのであった。
余談だが、このラストアルバムは本国で発売されなかったことから、後に廉価版のレコードが出される80年代半ばまでの間、一時は20万円で取引されるなど、幻の名盤として有名であった。
また、解散後は3大ギタリストを生んだ名バンドとして再評価され、彼らの曲はスティル・アイム・サッド/レインボー、トレンケプト・ア・ローリン(ストロール・オン)/エアロスミス、幻の10年/トッド・ラングレンなど、数々のアーチスト達にカヴァーされている。

解散後のメンバーの行方

エリック・クラプトンはブルースの追求をめざし、これまた3人の名ギタリストを排出した名門グループ、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズへ加入し、“ギターの神様”とまで言われるようになるが、ジョン・メイオールとの意見の食い違いからすぐに脱退。後はクリームブラインド・フェイス、デレク&ドミノスからソロの現在に至るまで常に第一線で活躍しつづける大スターであるのは周知の通り。
ジェフ・ベックはこの後もジェフ・ベック・グループベック・ボガート&アピスなど名バンドを作り上げるも、交通事故など不運に見舞われ、今ひとつパッとしなかったが、1970年代半ばになって、ようやく独自のクロス・オーヴァー・サウンドを開花させてビッグ・ヒットを放ち、名実共に大スターへの仲間入りを果たした。
ジミー・ペイジはヤードバーズ解散後、自己のバンドをニュー・ヤードバーズとして名乗り、しばらく活動していたが、後にレッド・ツェッペリンと改名し、再スタートを切り大成功をおさめた。
ポール・サミュエル・スミスはキャット・スティーブンスやカーリー・サイモンのプロデューサーとして活躍し、83年ジム・マッカーティーと、カメラマンに転向していたクリス・ドレアと共に、ボックス・オブ・フロッグスを結成している。
キース・レルフはジム・マッカーティーと共にトゥゲザー、ルネッサンス(キース脱退後成功をおさめるプログレ・バンド)、レインを経た後、単独でメディシン・ヘッド、ハルマゲドン(キャプテン・ビヨンドのボビー・コールドウェルも加入していたスーパーバンド)を結成するが、成功には至らず、再びマーカーティーと共にNOWを結成。しかし、その直後76年に自宅でエレキ・ギターによる感電事故を起こし他界している。NOWはキース・レルフ亡き後、マッカ−ティーとレルフの妹ジェーンを中心に、その意志を継ぎイリュージョンと名を変え、2枚のアルバムをリリースしている。(HINE)
 2001.9更新




Five Live Yardbieds
1965年 EMI/ジムコ

For Your Love
1965年 Epic/ジムコ

The Yardbirds
1966年 EMI/東芝EMI

Having A Rave Up
1966年 Epic/ジムコ

Little Games
1967年 EMI/東芝EMI

主なディスコ・グラフィー

1965年 FIVE LIVE YARDBIRDS/ファイブ・ライヴ・ヤードバーズ *クラプトン在籍時唯一のアルバム
1965年 FOR YOUR LOVE/フォー・ユア・ラヴ *タイトル同名曲のみクラプトンがギターを弾いているが、後は全てJ・ベック加入後のもの
1966年 SONNY BOY WILLIAMSON & YARDBIRDS/ソニー・ボーイ・ウイリアムソン&ヤードバーズ *63年正式デビュー前に録音されたもの
1966年 THE YARDBIRDS/ジェフ・ベック&ヤードバーズ *名曲「ジェフズ・ブギー」入りの通称Rogerといわれるアルバム
1966年 HAVING A RAVE UP/ハヴィング・ア・レイヴ・アップ *シングル「アイム・ア・マン」に以前のアルバムからのピックアップを加えた米独自のアルバム
1967年 LITTLE GAMES/リトル・ゲームス *ジミー・ペイジ時代唯一のアルバムだが、本国イギリスでは未発売だったため長い間幻の名盤として高額で取引されていた