ARMAGEDDON ハルマゲドン



Armageddon
(Armageddon)
1975年 A&M Record

SIDE-A
1.Buzzard
2.Silver Tightrope
3.Paths and Planes and Future Gains

SIDE-B
Last Stand Before Basking in the White of the Midnight Sun
a) Warning Comin' On
b) Basking in the White of the Midnight Sun
c) Brother Ego
d) Basking in the White of the Midnight Sun (Reprise)


悲運な有能アーチスト達の出逢い

“ハルマゲドン”、確か国内盤レコードの帯にはそう書いてあった。子供心にへんな名前だな〜と思ったものだが、古い英和辞典にも“Armageddon”で引くとハルマゲドンと出てくる。しかし、発音記号で調べると、どう見ても“アーマゲドン”が正しい発音だ。そもそも頭のarは武装のような意味でArmy(アーミー)などと同じ語源なのだ。たとえ武装した動物armadillo(アルマジロ)と同じ読みだとしても“アルマゲドン”なのだが・・・。ヨーロッパのどこかの国の発音なのだろうか?
そんなことはともかく、このバンドArmageddonは元ヤードバーズルネッサンスのリーダーであったキース・レルフを中心に結成されたスーパー・グループであった。メンバーは、
Keith Relf/ヴォーカル、ハーモニカ
Martin Pugh/ギター
Louis Cennamo/ベース・ギター
Bobby Caldwell/ドラムス、ヴォーカル
キース・レルフという人は、どうもいま一つ知名度のわりに、セールス的には恵まれなかった苦労人で、最後も自宅で感電死という悲運の人生を送った人であった。
ヤードバーズもルネッサンスも、評価されたのは彼が去った後のことだ・・・。
Armageddon結成の経緯は、ヤードバーズが解散して一時Togetherというフォークロック・バンド(ヤードバーズのラスト・アルバム「リトル・ゲームス」のCD盤にボーナス・トラックとしてこの時の録音が入っている)で活動した後、ルネッサンスを結成するキース・レルフが、ベースのルイスと出逢ったことから始まった。
ルイスは69〜70年ルネッサンスに在籍したが、その後一時コロシアムへ加入したあとロッド・スチュワートのバック・バンドにいたギタリストのマーティンと共にSteamhammerというバンドを結成している。
そういった関係もあり、Steamhammerのラストアルバムをキースがプロデュースすることになった。そして、そのレコーディング中、セッションなどをして彼らと意気投合してしまったレルフは、いっしょにバンドを組もうという話を持ちかけるのであった。
ところがその直後Steamhammerのドラマーが急逝してしまい、話は振り出しに戻るかと思われた。だが、彼らの意志は固かったのだ。
その後オーディションをしてドラマーを捜すが、イギリスでは彼のドラムの代わりになる腕前のプレイヤーはいないと悟った彼らは、アメリカのロスへ渡り、エインズレー・ダンバー(ds/のちジャーニー、現UFO)の紹介で1人の凄腕ドラマーと出逢う。その凄腕ドラマーとは、元スーパー・グループ“キャプテン・ビヨンド”のドラマー、ボビー・コールドウェルだが、彼は同バンドで後世に残る名盤を出し評論家達からは絶賛を受けながらも、まったくセールス的には恵まれず、失意のうちにファーストアルバムのみでこのバンドを脱退していた。
こうして1974年Armageddonは結成され、さっそく彼らはセッションを繰り返し行い、かなりの期間を割いてバンド練習を重ねた。
翌75年一時的にロンドンへ渡りレコーディングした彼らは、満を持してアルバム「Armageddon」をリリース。
内容は完成度が高く、ほとんどの曲をキースとボビーで作り、特にボビー色が強いスペース的な広がりを持つプログレハードっぽいトータル・アルバムに仕上がっていた。・・・実質的にはキャプテン・ビヨンドのセカンドアルバムと言ってもいいような内容だ。それにも関わらず、周囲の反応はとても厳しいものだった。
折しもその頃ニューヨークではパティ・スミスがデビュー、ロンドンではセックス・ピストルズが結成され、ロック界には大異変が起きようとしていて、マスコミやロック・ファン達は皆これらのパンク・ロックの方へ興味が集中していた。そのため既にビッグスターとなっていたバンド以外、パンクっぽいアレンジを効かさなくては注目されないという状況であったのも影響したのだろう。
さらにエリック・クラプトンと共に回るツアーの計画も、契約問題などの関係から中止になったのも痛手だった。

メンバー達のそれから・・・

その後セカンド・アルバムの話もあったが、76年キースはロンドンへ戻ってしまい、実質上Armageddonは解散状態となる。そして、キースは次なるバンド構想をすでに考えていて、ルイスやキースの妹ジェーン・レルフ、元ヤードバーズのジム・マッカーティを含む初期ルネッサンスのメンバーと共にNowというバンドを結成するが、その直後自宅でギターを弾いている時に感電し、その短く波乱に満ちた人生にピリオドを打った。
しかし、キースの意志をついで、その後ルイスらはこのバンドをイリュージョンと名を変えて活動していく。
一方、ボビーは77年に一度再結成キャプテン・ビヨンドで元気な姿を見せるが、その後はまったく消息もつかめていなかった。だが、99年に再びスウェーデンでキャプテン・ビヨンドを再結成させ、現在ツアーを中心に活動中。
マーティンはLAでスタジオ・ミュージシャンとして活動後、現在はStan Ruffoというブルース・バンドで活動中。

尚、たった1枚のこのArmageddonのアルバムは、まったく売れないまま廃盤になってしまっていたが、近年になってようやく再評価され1993年にCD化(ドイツ盤)された。
そしてついに日本でも、2004年に紙ジャケ、デジタル・リマスターとなって再リリースされるという嬉しいニュースが届けられた。(HINE)
 2004.4更新