HEAVY METAL KIDS ヘヴィ・メタル・キッズ


ロンドン・パンク爆発前夜

Gary Halton ゲーリー・ホルトン/ヴォーカル
Mickey Waller ミッキー・ウォーラー/ギター
(*ジェフ・ベック・グループの同姓同名ドラマーとは別人)
Ronnie(Ron) Thomas ロニー(ロン)・トーマス/ベース・ギター
Danny Peyronel ダニー・ペイロネル/キーボード、ヴォーカル
Keith Boyce キース・ボイス/ドラムス

1973年イギリス、ロンドンで結成された彼らは、たいしたヒット曲こそないものの、へんな小細工は使わないシンプルでハードなサウンドが、後日パンク・ブームを支えたロンドンのミュージシャン達に多大な影響を与えた。
デビュー直後からロンドン周辺のクラブでは、すでに有名だった彼らはAtlantaレーベルと難なく契約を交わし、1974年に「ヘヴィ・メタル・キッズ登場」でレコード・デビューを飾る。
そのサウンドは、当時全盛を極めていたハード・ロックやプログレ、はたまたグラム・ロックとも違う、覚えやすいメロディーをシンプルでハードに演奏する、いわゆるハード・ポップ的なものであった。ゲーリーのハスキーヴォイスも含め、同じイギリス出身の“スレイド”とも少し似ているが、決定的に違うのは、ニッキー・ホプキンス(元JBGクイックシルバーMS/p)の再来と囁かれたダニーのメロディアスなピアノの音と、演劇出身のゲーリーによるドラマティックな曲構成にあった。
大ヒット・シングルこそ生まれなかったが、アルバム自体はヨーロッパで高評価を受け、日本でも発売されて当時はけっこうレコード店で見かけることができた。
その後、ギターが
Cosmoコスモに代わっているが、75年にはPhill Kenzie(ロッド・スチュワート・バンド/sax)やMadeline Bell(vo)もゲスト参加したセカンド・アルバム「Anvil Chorus」も順調にリリース。
しかし、ヴォーカルのゲーリーはドラッグに溺れていたのに加え、性格ももかなりハチャメチャだったらしく、たびたびそれがもとでメンバーやレコード会社とトラブルを引き起こしていた。75年にはアメリカ・ツアーへ出かけるが、ここでもゲーリーの自分勝手な行動が爆発、おかげでアメリカツアーは失敗に終わり、愛想を尽かしたダニーはさっさとUFOへ加入してしまうのであった。(ダニーはUFOでもマイケルによって酷い目に逢うのだが・・・(^_^;)
同年バンドはダニーの代わりに
John Sinclairジョン・シンクレア(後ユーライア・ヒープ、オジー・オズボーン・バンド/kb)を入れ、サード・アルバムを製作するが、発売未定のままAtlantaレーベルから契約を解消されてしまう。
このアルバムは77年になって、やっとRAKレコードから「Kitsch」としてリリースされたが、直後にバンドは解散。
しかし皮肉なことに、このアルバムからのシングル「シーズ・ノー・エンジェル」は解散後UKチャートで初のヒットを記録するのだった。

バンド解散後ゲーリーはミュージカルなどでも活躍するが、ドラッグの過剰摂取により短い一生を終えた。
ダニーは、UFOでもマイケル・シェンカー(g)の精神病についていけずアルバム1枚で脱退。その後THE BLUE MAXを経たあと、79年にはピンク・フロイドのニック・メイスン(ds)と10ccのリック・フェン(g)のプロジェクトTHE POPEの「プロフィールズ」というアルバムへ参加。84年にはリック・グレッチ(元ブラインド・フェイス、トラフィック、KGB/b)やジンジャー・ベイカー(元クリームホーク・ウインド/ds)と共にBANZAIというバンドを結成したが短命に終わっている。その後TARZANというバンドを結成し活動した後、元スターズのギタリスト、リッチー・ラノーのバンド(RRB)〜ソロとなる。

今はヨーロッパのファン達が血眼になって探しているというダニー在籍時代の2枚のアルバムは、日本では中古でも入手困難だが、家には彼らのファースト・アルバムの帯(左の写真)だけが、ずっとレコード棚の中で静かに眠っていた(^_^; レコード盤本体は、もう10年ぐらい前に中古市場へと消えていったのだが、彼らのメロディアスな曲だけは頭に残っていて、ときどきふと思い出していた。それだけ印象的だったということだろう。
ところが、先日セカンド・アルバムを発見したという情報をいただき、さっそく入手。しかもそれは日本盤で、ライナーは渋谷陽一氏によるもの。ちなみに、この日本盤ジャケットにはHEAVY METAL KIDSとフルネームで入っているが、海外盤ではTHE KIDSとだけ印刷されているようだ。内容はファーストよりもダニーがピアノ以外の鍵盤をたくさん弾いていて、音に広がりが出たような印象を受ける。しかし、曲の良さではやはりファースト・アルバムに一歩譲るところだろう。
またこの直後、ファーストアルバムを持っている方から連絡をいただき、MDへ録音という形で音源を入手!
なんと懐かしいメロディー達だろう〜♪ピアノ主体のシンプルなハード・ポップは、今聞いても素晴らしい!やはりこのファーストアルバムこそが彼らの全ての魅力を内包している。間違いなくこれは名盤といえるだろう。
尚、サード・アルバムだけはアメリカ盤CDで手に入る。きっとアメリカで成功したユーライア・ヒープやオジーの影響(シンクレアが在籍)だろう。
このサードもなかなか良い仕上がりで、新加入のシンクレアがダニーのイメージを壊さずにうまくキーボードを引き継ぎ、ゲーリーのミュージカルっぽい独自の世界が組曲のように広がっている。
そう、彼らはナザレススティックスなどより早い時点で、こういったロック組曲を完成していたのだ。

25年ぶりに帰ってきたHEAVY METAL KIDS!

 2002年、このHPを偶然見つけたオリジナル・メンバーのダニーが、とんでもないニュースをメールで伝えてくれた。それは自身のソロ・アルバムのリリース情報と、なんとヘヴィメタルキッズを再結成するというものだった。しかも、もうニュー・アルバムのレコーディングは始めているとのこと。さっそくダニーの個人サイトとリンクをはらせていただき、状況をずっと見守ってきた。この年の暮れまでには、ほぼ曲は出来上がったいたようで、2003年の年明けには新たなヘヴィメタルキッズの公式サイトに新曲の視聴コーナーが設置された。
実はダニーから再結成の話を聞いたときに、いちまつの不安がよぎっていた。あの個性的なゲーリーの代わりはいるのか?という問題だ。曲はもともとロニーやダニーもかいていたので心配ないにしても、ヴォーカルは誰になるのかがとても気になるところだった。後日ダニーがキーボードとヴォーカルを兼ねることがわかった時も、失礼ながら「本当にだいじょうぶなの?」と内心思っていた。
しかし、視聴コーナーで聞く限り、そんな心配は無用、なかなか堂々たる唄いっぷりだ。それから待つこと半年、予定より1ヶ月遅れたものの、ついにニュー・アルバムが発売された!
これは文句なくいい!特に曲が全曲素晴らしく、サウンド的にはオリジナルHMKのポップさは残しつつ、よりハード&ヘヴィなものに仕上がっている。若いギタリスト2人が最近の流行であるヘヴィなギター・リフを取り入れている影響もあるのだろう。再結成のメンバーも紹介しておくと、
Ronnie Thomas ロニー・トーマス/ベース・ギター、ヴォーカル(写真中央)
Danny Peyronel ダニー・ペイロネル/キーボード、リード・ヴォーカル
(右端)
Keith Boyce キース・ボイス/ドラムス
(左から2番目)
Marco Guarnerio マルコ・ジュアンエリオ(?)/ギター、ヴォーカル
(右から2番目)
Marco Barusso マルコ・バルッソ/ギター、ヴォーカル
(左端)
3人のオリジナルメンバーとイタリア人の若いギタリスト2人という構成だ。新しいメンバーのうち、Guarnerioはすでにイタリア国内でギタリスト、シンガー、キーボード・プレーヤー、エンジニアおよびプロデューサーとして実績をあげてきた人物で、イタリアの伝説と化すのも時間の問題と言われている逸材だ。もう一方のBarussoは、バンドでは最年少だが、ロックとR&Bの生き字引と思えるほど知識が豊富だ。イタリア国内でセッションマンとして数々のTVやレコーディングに参加し、ブルースバンドのツアーなどにもサポート・メンバーとして参加していた。また彼はミキサーとしても有能であり、自宅にミキシング用設備も備えているらしい。今回の再結成第一弾アルバムでも彼はプロデュースとミキサーとしてもクレジットされている。2003年現在、このニュー・アルバムのリリースと同時に、いくつかのツアーをこなし順調に活動している。日本へ来る日もそう遠くない将来に実現しそうだ。今後の動向注目しよう!(HINE) 2003.6更新

資料提供協力:MIZOさん  Special Thanks to DANNY PEYRONEL



Heavy Metal Kids
Atlanta

Anvil Chorus
Atlanta

Kitsch
Zoom Club

Hit The Right Button
Heavy Metal Records

ディスコ・グラフィー

1974年 Heavy Metal Kids(ヘヴィ・メタル・キッズ登場)*当時としては異彩を放っていた彼らのデビュー・アルバム
1975年 Anvil Chorus(ヘヴィ・メタル・キッズ)*Phill Kenzie(sax)やMadeline Bell(vo)をゲストに迎えたセカンド
1977年 Kitsch *ここからのシングル「She's No Angel」がスマッシュ・ヒット。ジョン・シンクレア(kb)が加入
2003年 Hit The Right Button *なんと26年ぶりのニュー・アルバム。ダニーがヴォーカルをとり、かなりの力作です!