VANILLA FUDGE ヴァニラ・ファッジ


アメリカン・アートロックの精鋭

マーク、ヴィンス、ティムにJoey Brennanジョーイ・ブレナン(ds)を加えた4人編成グループ“ピジョンズ”が1966年に改名し、ヴァニラ・ファッジは生まれた。その後ジョーイは脱退し、カーマインが加入した。
彼らの正式デビューは、1967年、のちのフィルモア・イーストでのコンサートで、既にニューヨークのアンダー・グラウンドでは評判だったことから、デビュー・コンサートとしては異例の客入りだったらしい。
時代はまさにサイケデリックの全盛期に突入しようというところ、その中でも彼らの生み出すサウンドは、さらに1歩踏み出した存在として、“アート・ロック”と呼ばれた。正式メンバーは、
Mark Stein マーク・ステイン/キーボード
Vince Martell ヴィンス・マーテル/ギター
Tim Bogert ティム・ボガート/ベース・ギター
Carmine Appice カーマイン・アピス/ドラムス
すぐにアトコ・レーベルと契約した彼らは、この年ファースト・アルバム「キープ・ミー・ハンギング・オン」をリリース。
シュープリームスの「キープ・ミー・ハンギング・オン」、ビートルズの「涙の乗車券」「エリナー・リグビー」、ゾンビーズの「シーズ・ノットゼア」などカヴァー曲が多かったこのアルバムだが、その大胆なアレンジと豪快なロック・サウンドに皆が度肝を抜かれた。特にシングル・カットされたタイトル曲「キープ・ミー〜」はオリジナルも素晴らしいのだが、それを上回る完成度で全米6位の大ヒットとなる(アルバム自体も全米6位)。
つづく68年リリースのセカンド・アルバムでも、カヴァー曲を多く取り入れ、全米17位のヒットを記録。同年発表のほとんどがオリジナル曲のサード・アルバムも20位と、彼らの人気はとどまるところを知らなかった。
しかし、常にフル・パワーでエキサイティングな演奏をみせていただけに分裂も早く、同時代のスーパー・グループ“クリーム”同様、花火のようにパッと散ってしまうのだった。
69年にもう1枚のオリジナル・アルバムを発表し、ツアー終了後の70年早々に解散。
ヴァニラ・ファッジ解散後ティムとカーマインは、以前ギターのヴィンスが休んでいたときライブで代役を演じてくれたジェフ・ベックにとても気に入られ、ジェフ・ベック・グループへ加入する予定であったが、当のベックが交通事故で重傷を負い、この話は実現しなかった。
当時ベックはロッド・スチュワート(vo)と引き続きバンドを組む構想を持っており、これにティムとカーマインが加わっていたら・・・考えるだけでも凄いスーパー・グループになっていたことだろう・・・。(カクタスのファースト・アルバムでベックとロッドとの共演は実現している)
その後2人はカクタスを結成し、4枚のアルバムをリリースした後、第2期ジェフ・ベック・グループを解散させたベックと共にBB&A(ベック・ボガート&アピス)として、1枚のスタジオ・アルバムを残し来日もしている。カーマインはまたロッド・スチュワート・バンドやKGBのメンバーとしても活躍していった。
一方マークはトミー・ボーリン(後ディープ・パープル/g)やアリス・クーパーと仕事をこなし、ヴィンスはグッド・ラッツというバンドで活動し出した。
そんな彼らは82年ヴァニラ・ファッジのベスト盤が発表されたのをきっかけに、再びオリジナル・メンバーのまま結集し再結成を果たすのだった。
彼らはそのままツアーを敢行した後、84年にはジェフ・ベックをゲストにアルバム「ミステリー」も発表している。
だが、それを最後に再結成ヴァニラ・ファッジも活動を終えてしまう。
さらに88年にはアトランティック・レコード創立40周年記念コンサートでツェッペリンなどと共に一時的に復活を果たすが、それも単発なものでしかなかった。
だが、カーマインだけは再結成にとても乗り気で、翌89年にはデレク・セント・ホルムス(元MSG/vo,g)、マーティン・ガーシュウィッツ(kb)、トム・クロウシャー(b)と共に新生ヴァニラ・ファッジを結成して、全米ツアーのみ行った。その模様は「ザ・ベスト・オブ・ヴァニラ・ファッジ・ライヴ」として、91年にライヴ・アルバムとなって発表されている。
そして、99年ティムとカーマインはなんと、日本のCharと共にCBA(チャー・ボガート&アピス)として日本ツアーを行ったのだ!この時のライブ・アルバムもリリースされている。

ヴァニラ・サウンドの魅力

なんと言っても、まずベックも惚れ込んだカーマインの卓越したドラミングが光るこのバンドは、ギターと互角に張り合うティムのベースと相まって、強力なリズム・セクションを生み出している。
そこにハードなギター・リフとキーボードが絡み合い、ファンキーでハードな独特のサウンドを醸し出している。
しかも、ポップなカヴァー曲が多いため、非常に分かりやすいキャッチーさも兼ね備え、単純明快に楽しめるハード・ロックであった。そういったことが、デビューしたての彼らをすぐにスターダムへ押し上げる結果となったのだろう。
そして、彼ら個人個人の演奏技術の高さとセンスのよさが、単純明快なサウンドを飽きさせないものにし、今日までファンの心をずっと掴んで放さない。
彼らの代表曲「キープ・ミー・ハンギング・オン」は今聞いても充分カッコよく、日本でも時々TVのCMなどに使われ、その都度また新鮮な輝きを放つ。
ニューヨーク出身ということもあるのだろうか・・・同時代に活躍したアメリカの他のサイケデリック・バンド達がみな泥臭く野性的だったのに対し、ハード・ロッカーでありながら彼らは実に都会的で品があるバンドだった。この手のアメリカン・バンドは後にも先にも非常に少ない。
尚、カーマインの腕前については、この後数多くのアーチスト達から引っ張りだこだったことでも伺い知れる。
最後にその一部を紹介しておこう。
ロッド・スチュワート、テッド・ニュージェント、ヤン・アッカーマン(元フォーカス)、トミー・ボーリン、エリック・カルメン、スタンリー・クラーク、レス・デューディック、ピンク・フロイドポール・スタンレー(キッス)、エディ・マネー、ロン・ウッド etc. (HINE)
 2001.1




Vanilla Fudge
Atlantic/イーストウエスト

The Beat Goes On
Repertoire/ワーナー

Renaissance
Atco/MSI

Near The Beginning
Repertoire/ワーナー

Rock & Roll
Repertoire/ワーナー

Best Of Vanilla Fudge Live
Rhino

ディスコ・グラフィー

1967年 Vanilla Fudge(キープ・ミー・ハンギング・オン)*デビュー・アルバムにして彼らの代表作となった傑作
1968年 The Beat Goes On(ザ・ビート・ゴーズ・オン)*ファーストにつづき好セールスを記録したセカンド。全米17位
1968年 Renaissance(ルネッサンス)*ここからのシングル、ドノヴァンのカヴァー曲「魔女の季節」がヒット
1969年 Near The Beginning(ニア・ザ・ビギニング)*シングル・ヴァージョンや別テイクを寄せ集めた編集盤
1969年 Rock & Roll(ロックンロール)*彼らのラスト・アルバム
1982年 Best Of Vanilla Fudge(ベスト・オブ・ヴァニラ・ファッジ)*このアルバムをきっかけにオリジナル・メンバーで再結成
1984年 Mystery(ミステリー)*ジェフ・ベック(g)をゲストに迎え再結成されたオリジナル・メンバーで録音
1991年 Best Of Vanilla Fudge Live(ベスト・オブ・ヴァニラ・ファッジ・ライブ)*新生ヴァニラ・ファッジの全米ツアーを収録