VANDENBERG ヴァンデンバーグ

Written by Newk


 かつてあのリッチー・ブラックモアが、”好きなロックグループは?”の質問に対しレッド・ツェッペリンと並んでヴァンデンバーグの名を挙げた。
 オランダから '82年彗星の如くシーンに登場し、'80年代における新世代の登場をファンに印象づけたバンドであった。バート・ヒーリンクのシャウトを控えてじっくりブルージーに歌い込む歌唱、エイドリアン・ヴァンデンバーグの巧みで斬新なギターワークにより、'70年代ハードロックテイストを持ったカラフルなサウンドを提供してくれた。
 しかしシステム化されたロック産業に翻弄され、'86年には夢破れて解散した。活動期間は短かったが、4年の間に素晴らしい楽曲と演奏を残し、シーンを去っていったヴァンデンバーグとは如何なバンドだったのだろう。

ヴァンデンバーグ誕生

 バンドリーダーであるエイドリアン・ヴァンデンバーグは、国内で数多くのスタジオワークやセッションでキャリアを伸ばす一方、「ティーザー」というバンドを結成し活動していた。やがてこのバンドでは物足りず、国内の優秀なプレイヤーを集めてバンドを結成した。バンド名はヴァン・ヘイレンにあやかり、自らのファミリーネームである「ヴァンデンバーグ」と命名した。
 ヴァンデンバーグのメンバーは以下の通りである。
Adrian Vandenberg エイドリアン・ヴァンデンバーグ (g) *上の写真右から2番目
Bert Heerink バート・ヒーリンク (vo) 
*左から2番目
Dick Kemper ディック・ケンパー (b) 
*左端
Jos Zoomer ジョス・ズーマー (ds) 
*右端
 バンド名が示す通り、実質A.ヴァンデンバーグ(g)のバンドであり、彼のギターワークがサウンドの中心である。
 バンドはまずデモテープを作成し、オランダ国内で有名なロックジャーナリトであるキーズ・バーズにデモテープを渡す。バーズは楽曲の素晴らしさに感銘を受け、ロックジャーナリトを辞め、バンドのマネージャーとしてサポートすることを決意する。また、バンドのギグが偶然にも大手のアトランティックレーベルの目に留まり、契約を交わすことになった。
 こうして彼らはデビューアルバムを世界規模でリリースできる幸運を手に入れ、まずは順風なスタートを切ったのだった。

デビュー、そしてアメリカでのヒット

 バンドは1982年に1stアルバムをジミー・ペイジ・スタジオでセルフ・プロデュースにより録音した。新人バンドがデビューでセルフ・プロデュースを行うのは稀であるが、これはアトランティックが外部のプロデューサーを立てるより、バンドのオリジナリティを優先させた為である。1stアルバムは「ネザーランドの神話」(邦題)と題されリリース。ブルージーなロックやメロディアスなヨーロッパ的ハードロックが混在したサウンドを持ってシーンに登場してきた。当時のハードロックシーンは、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデン等によって、ヘヴィ・メタルへの転換が行われていた時代である。'70年代ハードロックが遠ざかっていった時期に、その香りを持ったサウンドは、ヘヴィ・メタルに追従できないリスナーにとって待望のサウンドであった。もちろん '70年代ハードロックの模倣ではなく、あくまでテイストを残しつつ、'80年代サウンドで再構築された新しいサウンドでもあった。また楽曲の素晴らしさが際立っており、A.ヴァンデンバーグの作曲センスの高さが伺える。
 リリースされた時代がアナログであるため、サイドごとに違った構成も施されている。A面はオープニングにレイジーかつ楽しげなブルースロック「Love Is Vain」を置き、軽快な「Back On My Street」と続き、重厚な「Wait」、A面のクライマックスにアコースティックバラードの名曲「Burning Heart」で締めるドラマチックな展開が楽しめる。B面はよりハードでメロディアスな曲を並べてたたみかける。一枚のアルバムがまるでライブショウのような仕上がりである。本作はアメリカ南部を中心にスマッシュヒットし、短期間ながらアメリカツアーを行い、認知度を上げていった。
 またデビューした1982年という年は、アメリカロック界はランディ・ローズというカリスマ的なギターリストを失ったばかりである。R.ローズと入れ替わるようにシーンに登場したA.ヴァンデンバーグは、一躍新世代のギターヒーローとして迎えられた。

エイドリアン・ヴァンデンバーグのギターワーク

 ヴァンデンバーグを語るとき、サウンドの要であり、リーダー兼ギターリストのA.ヴァンデンバーグの才能について言及しないわけにはいかない。
 A.ヴァンデンバーグはマイケル・シェンカーの強い影響を受けたギターヒーローと言えるだろう。(当人はレズリー・ウエスト(マウンテン)の影響と言い、否定しているが) M.シェンカーの影響は、
(1)ペダルワウをブースターとして使用した中音域が豊かなトーン
(2)フレージングとその構成(シェンカーの手癖的フレーズも聴いて取れる)
(3)ミスタッチの少なさ、クラシック音楽のようにきっちり符割されたフレーズを正確に弾くテクニック

に表れている。どの曲のソロもM.シェンカー同様にメロディアスなフレーズでよく唄い、構成美と即興性のバランスの良い融合を持ち、豊かな才能を持って聴き手を魅了する。
 また本作では唯一ライトハンド奏法を用いているが、「Too Late」ではギターソロでテーマリフをライトハンドで再度提示するというアイディアを見せる。ライトハンド奏法自体がありきたりなトリックにしか感じられなくなった時代に、この発想とテクニックには少なからぬ衝撃を受けた。しかも、低音で重いテーマリフを、高音で甘いトーンのライトハンド奏法で対比させるという効果も見事である。
 さらに彼は、バンドロゴのイラスト、アルバムジャケットのデザインも手掛けており、音楽だけでなく、芸術全般に広く才能を持っている。
 A.ヴァンデンバーグの影に隠れがちだが、タイトで緩急自在なD.ケンパー、J.ズーマーのリズム、そして熱いサウンドに乗ってブルージーに唄い上げるB.ヒーリンクのヴォーカルによって多彩なヴァンデンバーグサウンドが形成されている。

2ndアルバムリリース

 アメリカで好評を得た1stアルバムに続き、'84年には2ndアルバム「Heading For Storm〜誘惑の炎〜」がリリースされる。前作のようにブルージーな曲を中心に構成されるかと思われたが、ヒットチャートを意識したポップでキャッチーなメロディを持つ楽曲で構成した内容に変わった。この変化はレコードレーベル側から、“西海岸、東海岸の、より大きな市場にアピールするように”との介入があったらしい。とは言え、その要求に見事に答え、素晴らしい楽曲で構成されたアルバムを作り出した。オープニングは、よりポップな「Friday Night」、コミカルな曲調の「Welcome To The Club」と続き、A面ラストは「Burning Heart」と並ぶ名バラード「Different World」で締めるという前回と同様の演出である。B面は、オープニングに当時のギターキッズが挙って練習したエキサイティングな「This Is War」で始まり、ミディアムテンポナンバーを3曲挟み、ラストにはマイナーメロディの美しい旋律を持つアップテンポナンバー「Waiting For The Night」で締めている。
 M.シェンカーの影響を色濃く見せていたA.ヴァンデンバーグも、本作からペダルワウの使用を止め、ストレートなギターサウンドに変化させた(この辺はM.シェンカーの影響を常に言われ続けた反動もあるだろう)。また当時の流行になりつつあったリフ(コードのあい間を、基音を8分音符、3連符で連打して埋める手法)を真っ先に取り入れたり、フレーズも
ダイアトニック・スケール注1)を多用したり、更には短3度進行スケール注2)の使用にもトライし、シェンカー色を一掃し、進化を遂げたオリジナルスタイルを披露している。音域の拡大により更に豊かなメロディ表現を身に付けただけでなく、「Welcome To The Club」のギターソロでは斬新な即興性も披露している。予想外の音の飛ばし方、次の展開が読めないスリルがあり、まるで真っ白なキャンバスに原色の絵の具を殴りつけるように描く絵画アートのような雄大さを持つこのギターソロは、彼の最も傑出した名演である。
 バンドとしての一体感も申し分なく、彼らにとってもリスナーにとっても傑作である。にもかかわらず、アメリカでのセールスは彼らの予想を裏切り不振であった。当時チャートを席巻していたのは、MTVに露出し易いヴィジュアル系ニューウェーブ・アーティストや、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー等のブラックミュージックであった。結局彼らのような '70年代ハードロックの香りを持ったサウンドでは、そのトレンドを覆すことはできなかった。

日本での好評価、そして来日公演

 アメリカとは裏腹に、ここ日本では2ndアルバムは高い評価を受けた。特に「Friday Night」に代表されるポップなテイストは、あまりヘヴィ・メタルを聴かない女性リスナーをも取り込む結果となった。'84年に待望の初来日を果たし、素晴らしいパフォーマンスを残していった。その時の模様は「Live In Japan」と題してVTR化され(日本のみ発売:廃盤)、ステージでもレコードのサウンドを完璧に再現するバンドの演奏レベルの高さと、オーディエンスに熱狂を持って受け入れられている姿が記録されている。
 ライブでのA.ヴァンデンバーグは、テーマリフ、バッキング、ソロ、オブリガードを完璧にこなし大活躍。そのフル回転のギターワークはJ.ペイジやE.ヴァン・ヘイレンにも匹敵する。また各人のソロも披露されているが、技術レベルの高さを披露し、バンドサウンドに多大な貢献をしていることを再認識させてくれる。A.ヴァンデンバーグのソロパートでは、豊かな即興演奏を披露し、ギターヒーローとしての存在感を大いに示している。彼は公称6ft-7inch(200cm !)の長身で、手も大きく長い指の持ち主である。この大きな手により、常人では困難な運指を易々とこなし、斬新なフレーズを生み出している。
 このVTRを見ていると、辛口で知られるR.ブラックモアのハートを捕らえたのは、楽曲の完成度、バンドの一体感ではないかと想像するに容易い。

3rdアルバムのリリース、そして解散

 2ndアルバムのセールス不振により窮地に立たされた中、3rdアルバム「Alibi」がリリースされる。前作とは違い、外部のプロデューサーを立てて2ndアルバムのマーケット戦略失敗の挽回を図った。マネージャーのK.バーグは“アトランティックの指示があった”と回述している。大手と契約したが故に、販売戦略で有利になった反面、このような状況になると、サウンド作りにまで介入される結果を生み出てしまった。
 本作でのサウンドはアダルトで落ち着いたものに変わり、更にサウンドの要であるA.ヴァンデンバーグのギターワークは控えめになった(とは言っても短くなったギターソロでも素晴らしいフレーズを聴かせてくれる)せいもあり、全体的に地味な印象を受ける。しかしながら他のメンバーの成長により、バンドエクスプレッションが更に良くなり、A.ヴァンデンバーグ一人だけのバンドではなくなった。楽曲に関しては申し分なく、特にB.ヒーリンクのヴォーカルは表現力が増し、より楽曲の良さを引き立てている。コアなファンの間では「楽曲の良さは3作中最高」とも言われる出来である。オープニングの「All The Way」、タイトル曲「Alibi」、彼らの十八番であるバラード(「Once In A Life Time」、「How Long」)ではB.ヒーリンクの成長した渋いヴォーカルが堪能できるし、前作の「This Is War」を彷彿させる「Fighting Against The World」やインストナンバー「Kamikaze」(M.シェンカーの「Into The Area」に構成が酷似したドラマチックなナンバー)ではA.ヴァンデンバーグが気を吐く。「Kamikaze」は日本公演でも披露していたが、自分たちを受け入れてくれた日本のファンへの感謝の気持ちが込められている。ここでのA.ヴァンデンバーグのプレイは、
短3度進行スケール注2)を加えた緊張感の高いフレーズを紡ぎ出し、更に表現の幅が広がったことを示している。
 しかしながらこの時期、今度はモトリークルー、ドッケン、ラット等のロスアンゼルス・メタル勢がシーンを賑わし始めていた。皮肉にも好セールスを期待して落ち着いたサウンドに変えたことが裏目に出てしまった。
 間もなくして、B.ヒーリンクが脱退。後任をオーディションで探したが、ヴァンデンバーグサウンドで重要な役割を担ってきたヒーリンクの代替は簡単ではなく難航した。ちょうどそのとき、A.ヴァンデンバーグはデヴィッド・カヴァーデイルからホワイトスネイク参加を打診され、これを受諾。ヴァンデンバーグはあっけなく解散した。
 しかし、その '86年にはヨーロッパの「ファイナル・カウント・ダウン」が大ヒット。A.ヴァンデンバーグが加入したホワイトスネイクも '87年に「白蛇の紋章」をアメリカで大ヒット(但しアルバム録音にはA.ヴァンデンバーグは「Here I Go Again」のギターソロのみ参加)させるなど、ヴァンデンバーグ同様の '70年代テイストを持つこれらの楽曲が、解散後に次々ヒットするとは皮肉なものである。
 3枚の秀作とライブVTR 1本を残し、記憶の中の存在となってしまったヴァンデンバーグではあるが、彼らの功績は '70年代ハードロックを '80年代的ニューサウンドに再生したこと、後にメロディック・メタルと呼ばれるサウンドの胚芽を作り出したことと言えるのではないだろうか。

解散後から現在

 A.ヴァンデンバーグはホワイトスネイクに加入し10年以上活動するが、度重なるアクシデントに見舞われ、本来の才能を発揮できたとは言い難い。途中「ManicEden」を結成するものの、さしたる成果を上げずに終わっている。2005年現在はソロ活動開始に備え、作編曲、デモ作りを行っている。D.ケンパーはプロデューサーに転身し、オランダ国内で活躍している。J.ズーマーは音楽業界から引退し花火工房で働いていたが、現在は復帰に向けてトレーニングを再開している。B.ヒーリンクはしばらく活動が伝えられなかったが、現在は「Kayak」なるバンドにクレジットを見ることができる。
 2005年2月にドイツで '84に日本のみ発売されたライブVTRがDVD化され、本国でリリースされた。ボーナストラックとして2004年にTV出演した再会セッションでの「Burning Heart〜2004〜」が収録されている。本トラックを見ると、メンバー全員20年の歳月を感じさせる渋い風貌となってしまったが、演奏自体は円熟した魅力を発揮しており、衰えは感じさせない。再結成は望むべくもないが、全員枯れて朽ち果てるにはまだ若い。もう一度シーンに登場して活躍することを願って止まない。

注1)
ダイアトニック・スケール…8音階のこと、長音階(メジャー・スケール)と短音階(マイナー・スケール)がある。一般的なロックギターリストはペンタトニック・スケール(5音階)+チョーキングを多用している。
注2)
短3度進行スケール…ディミニッシュスケールとも言い、全ての音列が1音半の間隔で並んだ音階。通常の短音階と比較すると5th→♭5th、7th→♭7thの他、2nd、4th、6thの省略により、不安定な響きの音階になる。その為うまく使用するとメロディに緊張感を持たせる効果を得られる。

(Newk) 2005.5




Vandenberg
Atco/Atlantic
Warner Music Japan

Heading For Storm
Atco/Atlantic
Warner Music Japan

Alibi
Atco/Atlantic
Warner Music Japan

The Best Of Vandenberg
Atco/Atlantic
East West Japan

The Difinitive Vandenberg
Warner Strategic Marketing

Discography

1982年 Vandenberg(ネザーランドの神話)
1983年 Heading For Storm(誘惑の炎)
1984年 Alibi(アリバイ)

1985年 The Best Of Vandenberg(ベスト・オブ・ヴァンデンバーグ)

2004年 The Definitive Vandenberg 
*1st〜3rdからのベストと未発表デモ音源やライヴ音源で構成された2枚組コンピレーション