KANSAS カンサス


プログレを伝承したアメリカン・バンド

 カンサスの歴史は、「アメリカにもプログレを根付かせたい」という情熱と試行錯誤の中で生まれたプログレ・ハードの歴史でもある。
 70年代前半の米ロック界は、次々と新しいアイデアを繰り出し、強烈な個性を放つブリティッシュ勢の前に手も足も出ず、押されっぱなしの状況であった。
 しかし70年代半ば、アメリカからキッスとエアロスミスという2大スターが登場することによって、ハードロックに限っては形成を逆転させる。だが、誰もがアメリカでは良質のハードロック・バンドは生まれても、決してプログレッシヴ・ロックの大物が出現することはないだろうと思っていた。
 もともとがアメリカのブルースやジャズを手本にして生まれたハードロックとは異なり、プログレはヨーロッパの伝統音楽であるクラシックやブリティッシュ・トラッド、ヨーロッパ各地の民謡などをベースに作られた音楽というイメージが強いだからだ。
 カンサスはその名の通りアメリカのカンサス州で結成された6人組のバンドで、その名前からも風貌からも、アメリカの片田舎出身の荒くれ者、サウンド的にはサザン・ロックでもやりそうな雰囲気なのだが、これがとても繊細で、インテリジェンス漂う演奏をするのだから人は見かけに寄らない・・・。

 1970年、カンサス州ウェスト・トペカのハイスクール仲間だったケリー・リヴグレンとデイヴ・ホープ、フィル・イハートの3人が、フランク・ザッパに触発されて結成したバンドがカンサスの基になっている。71年にはカンサス大学の音楽教授の息子ロビイ・スタインハートが加わり、ホワイト・グローバーと名乗るようになったが、ロビイがまもなく脱退しバンドも解散してしまう。
 翌72年にはフィルが渡英。ちょうどイギリスではプログレッシヴ・ロックの全盛期で、その凄さを目の当たりにしたフィルは強い衝撃を受け4ヶ月後に帰国。すぐさまデイヴやロビイとホワイト・グローバーを再結成することになる。
 その後、ケリーや他のメンバーも加え6人編成となった彼らは、バンド名をカンサスに変え74年「Kansas」でアルバム・デビューした。
オリジナルメンバーは次の通り

Phil Ehart フィル・イハート/ドラムス、パーカッション
Steve Walsh スティーヴ・ウォルシュ/キーボード、リード・ヴォーカル
Kerry Livgren ケリー・リヴグレン/リード・ギター、ピアノ、クラヴィネット、ムーグ・シンセサイザー、ヴォーカル
Richard Willams リチャード(リッチ)・ウィリアムズ/アコースティック&エレクトリック・ギター
Robby Steinhardt ロビイ・スタインハート/ヴァイオリン、ヴィオラ、リード・ヴォーカル
Dave Hope デイヴ・ホープ/ベース・ギター、ヴォーカル

 このファースト・アルバムは、イエスキング・クリムゾンといったプログレの王道サウンドを吸収し、ロビイのヴァイオリンを大きくフューチャーしたもので、すでにかなりの完成度を示していたが、アメリカではまったく話題にもならなかった。しかし、名曲「栄光への旅路」や9分44秒にも渡る大作「Arercu」、またエリック・クラプトンのヒット曲「アフター・ミッドナイト」や「コカイン」を作曲したレイド・バック・サウンドの父J.J.ケールの曲「Bringing It Back」をプログレ風にアレンジしてカヴァーするなど、なかなかの意欲作で聞き所も多い。
 翌75年に発表したつづくセカンド・アルバム「ソング・フォー・アメリカ」は、基本的にはファーストと同一路線の大作志向ながら、よりハード・ロック寄りなアプローチをみせ、全米57位のスマッシュ・ヒットを記録する。このサウンド変化の一因に、以降黄金期のアルバムをすべて手がけるプロデューサー
Jeff Glixmanジェフ・グリックスマンの存在も見逃せない。このアルバムでは、約10分のタイトル・ソングをはじめ、12分以上もある「Incomudro-Hymy To The Atman」、8分11秒の「Lamplight Symphony」といった大作が収められているが、間にブルース・ナンバーを入れるなどして、飽きさせない作りになっている。
 このセカンドの成功で気をよくした彼らは、1年もたたないうちにサード・アルバム「仮面劇」をリリース。ここでは、セカンドでみせたハード・サウンドとプログレ・サウンドを完全に一体化させ、独自のプログレ・ハードサウンドを完成させるとともに、曲をコンパクトにしようとの努力がうかがえる。しかしながら、妙なところで尻切れフェイド・アウトになっていたり、まだ曲が展開途中なのに終わってしまったりと、中途半端な感じは否めなかった。その結果は前作より低い全米70位というチャート・ランキングとなって評価がくだっている。
 ところが、これは彼らにとって単なる通過点に過ぎなかった。次なる76年発表のアルバム「永遠の序曲」では、ついにコンパクトな曲の中に、彼らのオリジナリティーあふれるプログレ・ハード・サウンドを凝縮することに成功。加えて、ケリーの書く曲も以前よりポップなものになり、ウォルシュのヴォーカルや他のパートの演奏力も格段にスケールアップ、4人がヴォーカルをとれることの強みを生かしたきれいなハーモニーなど、どこをとってもスキが無い、すばらしいアルバムに仕上げてきたのだ。当然のごとくこのアルバムは全米で大ブレイクし、ここからのシングル「伝承」(Carry On Wayward Son)は11位、アルバム自体は5位という大成功を収めた。ちなみに日本ではこのアルバムがデビュー作となる。
 翌77年リリースのアルバム「暗黒への曳航」は、さらに上の全米4位まで上昇したが、音楽的には少し煮詰まってしまった感じもあり、内容的に前作を上回るものではなかった。しかし、この中には名曲「すべては風の中に(Dust In The Wind)」(全米6位)も含まれ、ヴォーカリストとしてのウォルシュを大きくクローズアップする結果となった。同時に、良くも悪くも「産業ロック」の代表バンドとしての人気を不動のものとした。
 78年には、彼らが一番のっていたこの時期のライヴを収録した2枚組アルバム「偉大なる聴衆へ」も発表。このライヴ盤は過去にリリースした5枚のアルバムからまんべんなく選曲され、しかもオリジナル以上の名演が光る名盤だ。初期のベスト盤として揃えても損はないだろう。
 さらに同年、初のセルフ・プロデュース・アルバム「モノリスの謎」もリリースしたが、これまで、共に試行錯誤を繰り返し、彼らを大スターへと導いた名プロデューサー、ジェフ・グリックスマンを欠いたことは、サウンド面にも大きく影響し、結果的に守りのサウンドにハマリ込んでしまった。次のアルバム「オーディオ・ヴィジョン」(80年)も同様で、しだいにセールスも落ち込み、バンド自体の勢いをも失ってゆく。だが、今聞くとこの2枚も決して悪くはない。珍しくロビーがリード・ヴォーカルをとる名曲「Hold On」や「Loner」なども含まれ、聞き所も多い。
 また同じ頃、ウォルシュとケリーのソロ・アルバムも次々発表され、メンバー間にも不穏な空気が流れ始めた。結局、ヴォーカリストとして自信をつけたウォルシュはソロとなることを決意し81年に脱退。新たにオーディションで選んだゴスペル歌手
John Elefanteジョン・エレファンテ(vo,kb)が迎えられることとなった。
 エレファンテ加入直後の81年6月、彼らはユニセフ初の音楽親善大使に任命されるというニュースが舞い込んだ。このことは、もはやカンサスがアメリカだけでなく世界中から愛されるバンドになっていることを意味するものでもあった。
 82年満を持して、このメンバーでのニュー・アルバム「ビニール・コンフェッション」を発表。それまでのカンサスとは明らかに違うサウンド・アプローチで、どちらかというと、フォリナーやTOTOにも近いポップな雰囲気に変化していた。エレファンテが加入し積極的に曲作りにも参加していることや、プロデュースにスーパートランプを成功へ導いたケン・スコットを迎えたことも原因のと考えられるが、ケリーの曲作りにもまた意識的に「変わろう」とする姿勢が感じられる。またエレファンテが作曲した「Right Away」や「Chasing Shadows」は特にすばらしい出来だ。このアルバムは全米16位、シングル・カットされた「Play The Game Tonight」も17位とまずまずの結果を残したが、やはりウォルシュの声が聞けないのはとても寂しい。
 続いて同メンバーで83年に発表したアルバム「ドラスティック・メジャース」では、ますますエレファンテ色が強くなり、なんと3曲以外はすべてエレファンテのペンによる、インドやアフリカあたりのスパイスを効かせたドラマティックな曲だ。このアルバムも新しい試みを盛り込んだなかなかの意欲作で、「カンサス」という名前でなければ、きっと高い評価を受けていたはずだが、結果は最高位41位と低迷してしまう。カンサスというバンドの中で、スティーヴ・ウォルシュという人物が如何に大きな存在であったかを改めて思い知らされるような結果でもあった。
 また、このサウンド変化であまり活躍する機会がなくなってしまったロビイも、いたたまれなくなったのか同年脱退を決意した。
 その後、バンドはベスト盤をリリースしたのみでほとんど活動停止状態にあったが、84年にはフィル・イハートとリッチ・ウイリアムズまでが脱退し、ついにカンサスは解散に追い込まれた。

パワフル・カンサス〜プログレ・メタル系アーチストへの伝承

 日本では、実質上ウォルシュが抜けたあたりから、カンサスの存在自体が忘れかけられていたが、ちょうどヘヴィメタル・ブームが日本にも上陸した頃、突然ラジオからあの懐かしいウォルシュの歌声が聞こえてきた。この曲は再結成第1弾アルバム「パワー」のタイトル曲なのだが、どこか若返ったかのような、爽やかなサウンドに好感を持ち、さっそく当時できたばかりのレンタル・ショップへとCDを借りに急いだ。さっそく聞いてみると、もう1曲目からあまりのかっこよさにノック・アウトされ、すっかり気に入ってしまった。
 この再結成カンサスは、85年にウォルシュが中心となって結成され、86年にアルバムデビューしているのだが、なんといっても目玉はウォルシュが連れてきたスーパー・ギタリストのスティーヴ・モーズ(元デキシー・ドレッグス)の存在だろう。モーズは以前ウォルシュのソロ・アルバムに参加しており、その関係から誘われたのだと思われる。もう1人新たにメンバーが加わっているプレイヤーがいるが、彼ビリーはウォルシュがカンサス脱退後に結成したバンド、Streetsのベーシストだった。再結成メンバーを整理しておくと、

Phil Ehart フィル・イハート/ドラムス、パーカッション
Steve Walsh スティーヴ・ウォルシュ/キーボード、リード・ヴォーカル
Richard Willams リチャード(リッチ)・ウィリアムズ/ギター
Steve Morse スティーヴ・モーズ/ギター、ヴォーカル
Billy Greer ビリー・グリアー/ベース・ギター、ヴォーカル

 このアルバムは、鍛冶屋(?)がギターのネックを鍛えているイラストのジャケットを見ても分かる通り、ギターを前面に押し出した内容になっている。モーズはいきなり全曲を共作し、スーパープレイを随所で披露。それでいて、カンサスの名に恥じない、プログレチックな構成力を持ったすばらしい内容でもある。そしてウォルシュの情感あふれるパワフルな声が全編で聴けることが何よりうれしい。シングル・カットした「オール・アイ・ウォンテッド」も全米19位まで上昇し、まずは順調なスタートを切ることができた。余談だが、6曲目の「Musicatto」のイントロを聴いてお気づきの方もいる通り、この頃の彼らは日本のゲーム・ミュージックにもたいへんな影響を与えている。
 この成功で周囲が期待する中、88年復活第2弾となるアルバム「イン・ザ・スピリット・オブ・シングス」を発表。ジャケットは元ヒプノシスストーム・トーガソン、プロデュースはキッスの大ヒット作「地獄の軍団」で知られるボブ・エズリン、しかもエズリンは数曲を共作し、パーカッションやバック・ボーカルとしても参加するという力の入れようだった。
 だが、そういった話題性とは裏腹に、ジャケットも内容も少々地味で、セールス的にもあまりのびず低迷してしまうことになる。聴き込むとなかなか良いアルバムなのだが、モーズのギターもかなり前作より押さえられ、ヒット・シングルも出なかったことも影響しているのだろう。翌89年のツアー終了後にはモーズが脱退、彼らは再び沈黙してしまうことになる。モーズは脱退後、トライアンフレーナード・スキナードのアルバムへゲスト参加したあと、自らのバンド、スティーヴ・モーズ・バンドを結成。その後リッチー・ブラックモアの後釜としてディープ・パープルへ加入し現在も活躍中だ。
 カンサスの方は、92年からヴァイオリン&ギターの
David Ragsdaleデヴィッド・ラグスデール(スマッシング・パンプキンのアルバムへも参加)とキーボード&ヴォーカルのGreg Robertグレッグ・ロバートを加え再び初期と同じ6人編成に戻していた。このメンバーでなんとアラン・パーソンズがプロデュースするニュー・アルバムを制作中との噂が流れたが、95年にできあがったニュー・アルバム「フリークス・オブ・ネイチャー」には、アラン・パーソンズの名前はなく、代わりにカンサスの黄金期を支えた名プロデューサー、ジェフ・グリックスマンの名前がクレジットされていた。
 このアルバムは、まったく1曲目から素晴らしい! 後輩ドリーム・シアターばりの変則バリバリのリズムとヴァイオリンを前面に出したサウンドは、往年のカンサス・サウンドを想わせる。旧メンバーのケリー・リヴグレンも1曲提供し話題を添えた。このアルバムは隠れた名盤と言えるほど個人的にはお薦めだ。
 ようやくバンドも軌道に乗り、このまま行くかと思われたが、96年にはラグスデールとロバートが相次いで脱退。しかし他のメンバー達のやる気はまったく失せていなかった。
 98年にはロビイ・スタインハートがバンドに復帰し、念願のフルオーケストラ(ロンドン・シンフォニー・オーケストラ)との共演を実現させた。彼らの原点とも言えるクラシックとの融合サウンドを見つめ直したことで、カンサス本来の持ち味も取り戻し、この時点で完全復活を遂げたとも言えよう。さらに次のアルバムではケリー・リヴグレンが曲を提供したいと申し出てきたのだ。このオリジナル・メンバーの集結は、ただの金稼ぎのためのものではなく、それぞれがお互いの良さをを再認識し合い、初期の志をもう1度取り戻して再出発しようというものであった。それはオリジナルメンバー全員が揃って製作された2000年発表のアルバム「サムホエア・トゥ・エルスホエア」を聴けば一聴瞭然だ。プロデュースにジェフの名前がないのは残念だが、このアルバムは紛れもないあのカンサス・サウンドそのもの。サード・アルバムに入っていた「Icarus」の続編だという「イカルスII」や「永遠の序曲」に入っていた「超大作」のイントロがワンフレーズだけ挿入されている曲もあり、オールド・ファンを思わずニヤリとさせるニクイ演出もある。ただし、それが単なる昔のリバイバル・サウンドに終わってはおらず、新しいチャレンジだという決意も随所に感じ取ることができる。曲はすべてケリーに任せ、ウォルシュはヴォーカルに専念していることも、お互いの良さを再認識した表れであろう。そして、今回それまでにはあまり見られなかったような(一部デビュー・アルバムにはある)、ブルースやジャズといった音楽からのエッセンスも加えていることが特筆される。どうやら彼らは「本気」だ!
 99年には久しぶりの来日公演も果たし、2002年にはCD2枚組のライヴ・アルバム「ディヴァイス・ヴォイス・ドラム
もリリースした。それを聞く限りパワーはまったく衰えていない。まだまだカンサスはやってくれそうだ!(HINE) 2004.7




Kansas
Kirshner/Sony

Song For America
Kirshner/Sony

Masque
Kirshner/Sony

Point Of Know Return
Kirshner/Sony

Two For The Show
Kirshner/Sony

Monolith
Kirshner/Sony

Audio Vision
Kirshner/Sony

ディスコグラフィー

1974年 Kansas(カンサス・ファースト・アルバム)*プログレッシヴ・ロックとアメリカン・サウンドのミックスを模索するデビュー・アルバム
1975年 Song For America(ソング・フォー・アメリカ)
*よりハードなサウンドになりアメリカでスマッシュヒット
1975年 Masque(仮面劇)
*曲をコンパクトにしようという試みから中途半端な仕上がりになる
1976年 Leftoverture(永遠の序曲)
*ついに独自のプログレ・ハード・サウンドを完成させ全米で大ヒット
1977年 Point Of Know Return(暗黒への曳航)*名曲「すべては風の中に」収録。全米4位の大ヒット
1978年 Two For The Show(偉大なる聴衆へ)
*全盛期のカンサスを真空パックしたようなライヴ・アルバム
1978年 Monolith(モノリスの謎)
*初のセルフ・プロデュース・アルバム。全盛期最後のアルバム
1980年 Audio Vision(オーディオ・ヴィジョン)
*メンバー間の対立が表面化。これを最後にウォルシュ脱退
1982年 Vinyl Confession(ビニール・コンフェッション)
*エレファンテ(vo)を加えポップ路線になった
1983年 Drastic Measures(ドラスティック・メジャース)
*エスニック・テイストも感じられる異色作
1984年 The Best Of Kansas(ベスト・オブ・カンサス)
*未発表曲を含むドラスティック・メジャースまでのベスト
1986年 Power(パワー)*スーパー・ギタリスト、スティーヴ・モーズと共にカンサスが蘇った。80年代の傑作アルバム
1988年 In The Spirit Of Things(イン・ザ・スピリット・オブ・シングス)
*プロデューサーにボブ・エズリンを迎えるが地味な仕上がり
1992年 Live At The Whiskey(ライヴ・アット・ザ・ウイスキー)*ラグスデールとロバートを加えケリーがゲスト参加したライヴ
1995年 Freaks Of Nature(フリークス・オブ・ネイチャー)*6人編成に戻し、カンサス本来の演奏が蘇る
1998年 Always Never The Same(オールウェイズ・ネバー・ザ・セイム)
*オーケストラとの共演。ロビーが復帰
1999年 King Biscuit Flower Hour Presents(キング・ビスケット・ライブ)
*89年モーズ時代のライヴ
2000年 Somewhere To Elsewhere(サムホエア・トゥ・エルスホエア)
*オリジナル・メンバーでの完全復活アルバム
2002年 Device-Voice-Drum(ディヴァイス・ヴォイス・ドラム )*Point Of Return25周年記念ライヴを収めた2枚組CD



Vinyl Confessions
Kirshner/Sony

Drastic Measures
Kirshner/Sony

Power
MCA/MCA

In The Spirit Of Things
MCA/MCA

Freaks Of Nature
Intersound/Sony

Always Never The Same
River North/Victor

Somewhere To Elsewhere
Magna Carta/Victor


★★★名盤PICK UP★★★

永遠の序曲
Leftoverture

カンサス
Kansas



1976年 Kirshner/CBS/Sony

SIDE-A

1.伝承
 Carry On Wayward Son

2.壁
 The Wall

3.深層心理
 What's On My Mind

4.奇跡
 Miracles Out Of Nowhere

SIDE-B

1.挿入曲
 Opus Insert

2.少年時代の謎
 Questiones Of My Childhood

3.黙示録
 Cheyenne Anthem

4.超大作
 Magnum Opus

a.ファーザー・パディラと完全なるブヨの対面
 Father Padilla Meets The Perfect Gnat
b.月に吠える
 Howling At The Moon
c.船から落ちた男
 Man Overboard
d.メカニック総出演
 Industry On Parade
e.ビーバーを自由に
 Release The Beavers
f.ブヨの襲撃
 Gnat Attack

テクニカル系プログレ・ファンとハードロック・ファン待望のサウンド。こういうバンドの出現を待っていた!過去にもキャプテン・ビヨンドやユーライア・ヒープなど、かなりプログレ寄りのハードロック・バンドは存在していたが、ここまで大胆にプログレの特徴をデフォルメしたハードロック・バンドは記憶にない。哀愁漂う綺麗なメロディーと、転調、変則リズムの連続。あるときは激しく、あるときは優しく、緩急自在にそれらは奏でられる。プログレには必須のアナログ楽器(バイオリンなど)も頻繁に使用され、レコード・ジャケットも中世風のイラストと、完璧にプログレ・ファンの心を捉えている。しかも彼らはみなアメリカ人だというから驚いた。失礼ながら、それまでアメリカ人にはハードロックは真似できてもプログレは無理だと思っていた。それは、歴史的な文化の違いもあるだろうし、陽気で大ざっぱなアメリカ人(あくまでも一般論)には、こういう繊細で緻密な音楽は似合わないというイメージがあったからだ。しかしながら、カンサスの出現で、アメリカにもプログレが1つの音楽として、もうすっかり定着していることを思い知らされた。
このカンサスの名作は70年代も終盤にさしかかろうかという、オールド・ウェイヴ衰退期にリリースされた。彼らはアメリカのバンドらしく、あくまでもドライで暗くなり過ぎず、このアルバムではさらに、大作も含め全曲がシングル・カットできるほどのポップさを持ち、時代性にもよくマッチしていた。当然大ヒットし、全米5位に輝いている。
1曲目、いきなりビシッときまった気持ちのいいハーモニーで始まる。一聴してポップでキャッチーなメロディーだが、途中から突然ハードロック調になり、変則リズムが炸裂。なんともカッコイイ!この曲はシングルにもなり、全米11位を記録している。
2.は美しいバラード調の佳作。メロディーの良さが際だっている。4.はバイオリンを大きくフューチャーしたクラシカルで複雑な曲だが、終盤またもやディープ・パープルを想わせるハードロック調へと変化する。
次の曲からがLPではB面にあたり、CDで聴くと急に明るくポップなナンバーになるので違和感がある。というのも、このアルバム中、B面の1.と2.だけが少々毛色の違うモダン・ポップ・ナンバーになっているため、わざと面が変わり心機一転したところへもってきているという曲構成になっているからだ。このタイプの曲はその後のカンサスにも多くみられるものだ。B-3からはまたA面と同じようなタイプの古典プログレ風に戻る。この曲は、途中からイエスを想わせる転調の嵐、クラシック・ミュージックのフレーズも飛び出し、ユーモアもたっぷりだ。最後のB-4は8分半にも及ぶ大作。「Magnum Opus」とは直訳すれば「大作」ということになるのだろうが、この「超大作」という邦題はあまりにも安易で何とかならなかったのだろうか・・・。この曲は、もうほとんど起承転結のある音楽のドラマだ。ブヨの大群をバイオリンやビブラートを効かせたキーボードの音で表現しているのがとても面白い。ヴォーカルをほとんど使わず、楽器演奏だけで情景を連想させるテクニックは、タイプは異なるが、まるで往年のキャメル(70年代半ばに活躍した英プログレ・バンド)を彷彿とさせる。
メンバー6人という大人数がダテではない分厚いサウンド。しかもどのパートも計算しつくされ、完全に統制がとれている。まったくスキのない、限りなく完璧に近い秀作アルバムだ。アメリカ人で当時これだけの緻密な構成の曲が作れたのは、他にフランク・ザッパぐらいしか思い当たらない。彼らがこのアルバムで後続のプログレ・メタル系のバンド達に「伝承」したものは計り知れないほど多い。(HINE)