KING CRIMSON キング・クリムゾン

Written by ぴー&KEN


キング・クリムゾンの誕生〜70年代クリムゾンの軌跡
(Written by KEN)

 ピーター、マイケルのジャイルズ兄弟がセッション・ミュージシャンとして活動する中、自身のグループを作るべく「歌える鍵盤奏者募集」の告知をしたところ、やってきたのは「歌えないギタリスト」ロバート・フリップだった。しかしフリップはオーディションに合格、ここにキング・クリムゾンの前身となる「ジャイルズ、ジャイルズ&フリップ(以下GG&F)」が誕生する。
 GG&Fはジャイルズ兄弟が曲によってヴォーカルを交代し、ピーターはベース、マイケルはドラム、
そしてフリップはギターというトリオ編成を組み、デッカより唯一のオリジナル・アルバム『ジャイルズ、ジャイルズ&フリップの上機嫌な狂気』(68年)を発表する。しかし全世界で600枚程度というセールス失敗に終わる。以後、GG&Fはサックス、フルート、キーボード、ヴォーカルとマルチな才能を持つイアン・マクドナルドや、イアンの当時のガール・フレンド、ジュディ・ダイブル(ヴォーカル、「風に語りて」を残している)、そしてイアンの友人である詩人のピート・シンフィールド(詩作)を招き入れるなどして、短期間の活動を終える。後にGG&Fの67年から69年までのレコーディング活動をまとめた『ブロンデスベリー・テイプス』もリリースされた。
 そしてピーター・ジャイルズの離脱、グレッグ・レイクの加入により、ロバート・フリップ(ギタ
ー)、グレッグ・レイク(ベース、ヴォーカル)、イアン・マクドナルド(サックス、フルート、キーボード)、マイケル・ジャイルズ(ドラム)、ピート・シンフィールド(詩作、ステージング)の5人組となった彼らは、シンフィールドの提案で「キング・クリムゾン(以下KC)」と名乗ることになる。
 KCとなった彼らは、シンフィールドの詩作・コンセプトをもとにデビュー・アルバム『クリムゾン
・キングの宮殿』(69年)を発表。ベトナム戦争を受けた歌詞ですぐさま代表曲となった「21世紀の精神異常者」に始まり、荘厳かつ壮麗な表題曲で幕を閉じるアート・ロック的なこの作品は、あるチャートではザ・ビートルズの『アビイ・ロード』を蹴落としてナンバー・ワンに輝くなど、話題性も充分だった。発表後のライヴではザ・ローリング・ストーンズの前座として出ておきながら「ストーンズを食った」と言われるほどの完成度の高いステージで観客を魅了。特に後年の重要素となる即興演奏(インプロヴィゼイション)が既に行われており、混沌としながら先鋭的な演奏、ホルストの「火星」のカヴァーなど、デビュー間もないバンドとは思えないハイ・レヴェルな演奏をこなす。その模様は『エピタフ〜69年の記憶〜』『続・エピタフ』などで聴くことができる。
 しかしアメリカ・ツアーでマクドナルドとジャイルズが脱退を表明、彼らはデュオとして『マクド
ナルド・アンド・ジャイルズ』(70年)を発表、以後はセッション・ミュージシャンなどで活動していくことになる。ふたりの脱退を受けながら、ジャイルズをレコーディングに呼んだセカンド『ポセイドンのめざめ』(70年)を製作する頃には、グレッグ・レイクもレコーディング中にエマーソン、レイク&パーマー結成のため脱退を表明、ゴードン・ハスケルをベース、ヴォーカルに迎え、キース・ティペット(ピアノ)などもレコーディングに参加した、流動的なメンバーによる、前作の流れを汲んだ過渡期的作品となった。作品中でもシングル・カットされた「キャット・フード」はインプロヴィゼイション志向の布石となる佳曲であり、ティペットの才能が発揮された曲となった。
 KC史上最も過渡期的な作品は、前作と同年発表の『リザード』と言えるだろう。ハスケルのもった
りとしたヴォーカルを全面に出し、アンディ・マッカロックをドラムに迎え、キース・ティペット率いるキース・ティペット・グループをレコーディング・メンバーとして参加させた本作は、短編曲と長編曲「リザード」(イエスのジョン・アンダーソンが一部ヴォーカルとしてゲスト参加)で構成され、寓話的世界観を持ちながらハスケルの朴訥なヴォーカルがグループを地味な印象にさせた。ハスケルとマッカロックはこの一作で解雇され、また『ポセイドンのめざめ』『リザード』のラインナップではライヴも行われなかった。
 新たにベース、ヴォーカルにボズ・バレル(ボズはベース経験がなく、フリップに教わったという
)、ドラムにイアン・ウォーレス、サックスにメル・コリンズを加入させての『アイランズ』(71年)は、全作中もっとも静謐な感を与えるその音世界は、スウィートであり皮肉げでもあり、とヴァラエティに富んだものとなった。各楽曲のメロディも実にポップで、それでいてインストゥルメントも活き活きしている。名盤かどうかは判断しかねるが、KCの中で「2番めか3番めに好きな」アルバムに選ばれることの多い傑作となった。シンフィールドが在籍した最後の作品でもあり、彼の詩作世界が小さくながら花開いたと言えよう。このラインナップでは精力的にライヴ活動も行われ、インプロヴィゼイションも多く演奏された。その一部分をくり抜いたライヴ盤が、暴虐的にノイジーなことで知られる『アースバウンド』である。フリップの思惑と違ってブルージィな演奏をしたがるボズ、ウォーレス、コリンズの拮抗が音に見られる盤である。「まとまった」演奏を選出した『レディース・オブ・ザ・ロード〜ライヴ1971-1972』も後にリリースされた。
 ボズがバッド・カンパニー結成のため離脱、ウォーレス、コリンズも脱退し、シンフィールドを解
雇してひとりになったフリップ。彼は、元ファミリーのジョン・ウェットン(ベース、ヴォーカル)、元イエスのビル・ブラッフォード(ドラム)、デヴィッド・クロス(ヴァイオリン、キーボード)、ジェイミー・ミューア(パーカッション)というメンバーを集め、新たなるKCを一から作り始める。その結晶となったのが「構築7割、即興3割」という指針を打ち立てた『太陽と戦慄』(73年)という作品だった。シンフィールド的役割としてリチャード・パーマー=ジェイムスも詩作の準メンバーに招かれた。『太陽と戦慄』はインストゥルメンタルに比重を置き、即興演奏を重視した「プログレッシヴな」作品となり、中でも表題曲(パート1と2)は中期KCの代表曲となった。このラインナップでは若干のライヴ音源も残されており、30分を越える長いインプロヴィゼイションなど、ミューアの才を活かした前衛的なライヴ演奏となっている。
 ほどなくしてミューアが怪我から脱退、クァルテットとなったKCは『暗黒の世界』(74年)を発表
。ライヴでの即興演奏をスタジオ音源とミックスするなどした、混沌が売りとなった作品に仕上がった。この頃のKCは精力的なライヴ活動をしており、後に『グレイト・ディシーヴァー(ライヴ:1973-1974)』というライヴ4CDボックスなどにまとめられる、濃厚な熱いライヴを繰り返してきた。インプロヴィゼイションの演奏も多く、メンバーは毎日が音と音との拮抗だった。その模様は『ザ・ナイトウォッチ〜夜を支配した人々〜』『USA』などでも聴くことができる。
 その疲弊から、クロスが脱退、トリオとなったKCは、オーヴァー・ヒート寸前のUVメーターが作品
をよく表している後期作品『レッド』(74年)を発表。一時的にイアン・マクドナルドをカム・バックさせるなど、今後の展開が望まれたが、フリップの意志により解散が決定。これにて、KCは一時その歴史を閉じることになる。


●クリムゾンワールドへの潜入
(Witten by ぴー)

 1977年、某都立高校に入学した私は、軽音楽倶楽部に入部し、ハードロック・バンドでボーカルを担当する事になる。そのころ私が聴いていたのは、自分達のバンドの音楽性に合致していた、ディープ・パープルレッド・ツェッペリンキッス等のハード・ロック系のグループのサウンドばかりであった。そんな私が、プログレッシブ・ロックの世界に入り込み、抜けられなくなるという状況は、高校三年生の時に、友人の勧めでU.K.のアルバムを聴いた事に始まる。U.K.の奏でる、オリジナリティー溢れるハイレベルで荘厳なサウンドに打ちのめされ、また、彼等の超人的な演奏能力に脱帽してしまったのだ。そして、その時私は、彼等のプレイする音楽が、プログレッシブ・ロックと呼ばれるジャンルである事を知り、まずはリスナーとしてその道を極めようと試み始めるのである。(U.K.のページ参照)
 U.K.の次に私が追いかけたのが、そのU.K.のジョン・ウェットンとビル・ブラッフォードが、かつて正メンバーであったキング・クリムゾンであり、それは私にとって未知の怪物であった。
 1974年の解散によって、既に幻となってしまっていたキング・クリムゾンという巨大恐竜を捕獲する為に、私は、まるでタイムトリップし、彼等が産声をあげた1960年代末期に辿りつくような心境で、彼等のデビュー・アルバムである『クリムゾン・キングの宮殿 In The Court Of The Crimson King』を入手した。
 まずサウンドを聴く前に、レコード店でそのジャケットを手に取って見た時、私は第一の衝撃に襲われてしまう。むろんその当時CDというものは存在せず、アルバムというと、アナログのLPレコードの時代であった。その約30cm四方の大きなジャケットに描かれていたのは、口を大開きにし、真っ赤な顔で何かに恐れおののくような表情をした、不気味な男のどアップだった。リアルに描写された、そいつの喉仏の奥の方から、今にもうめき声が聞こえてきそうな気がして、思わずぞっとしてしまった。ただジャケットを見ただけで、一種の恐怖心とその本編(楽曲)に対する、大きな期待とが入り混じる異常な興奮を覚えてしまった私は、数十分後、彼等のサウンドを聴き、生まれて始めて音楽によって人生観を変えられる程の大きな衝撃と感動を体験する事になるのである。
 アルバムの1曲目“21世紀の精神異常者…ミラーズ”は、冒頭に不気味な効果音が収められており、それが、ぞくぞくする程の緊張感を生み出し、これから始まる特殊な音楽体験を私に予感させた。
 そして、突然現れる大音響の攻撃的なイントロに導かれ、異様な音色のボーカルが過激な発声で意味不明ないくつかの単語を羅列する。その後曲は6/8拍子のリズムに乗せ、ハイテンションで印象的なテーマへと移行し、各楽器の斬新でフリーなソロの掛け合いを経て、メンバー全員による複雑かつ正確なユニゾンフレーズに突入する。その後再び先のテーマ〜イントロに戻り、またあのボーカルが登場し、やがて、曲はプレイヤー全員入り乱れてのフリー奏法による強烈なブレイクを向える。当然私は、このあまりにもセンセーショナルなオープニング・ナンバーによって、もう既に特異なクリムゾン・ワールドに引き込まれてしまっていた。
 1曲目のエンディングから、間髪いれずに次の曲が始まるのだが、意外な事に2曲目の“風に語りて”は、1曲目とは正反対の雰囲気を持つ、爽やかでとても綺麗な曲だった。実は、このアルバムに収められている曲は、全てそれぞれの違うニュアンスを持っている。狂気、清涼感、絶望感、幻想、華麗・・・。そして、このアルバムを聴くと、一曲ごとに異なる種類の感覚が呼び起こされるのだ。しかもその全ての曲が、他に類を見ないクリムゾンだけのオリジナリィティーに満ちた世界なのである。
 『クリムゾン・キングの宮殿』を聴いて、たちまちクリムゾンの虜になってしまった私は、その当時既に発売されていた彼等の作品を、短期間で、リリースされた順に、全て聴いてしまう事になる。しかし正直言って、ファースト・アルバムと同レベルの鮮烈な衝撃を与えてくれる作品は、彼等の5枚目のアルバムである『太陽と戦慄 Larks`Tongues In Aspic』まで現れなかった。だがそれは、当時の私が、他のアルバムにもファースト・アルバムと同レベルの強烈なインパクトばかりを望んでしまっていた結果の盲目的で馬鹿げた見解であり、今冷静にそれぞれのアルバムのサウンドに触れてみると、1つの作品としての完成度は、どのアルバムも優れていて、彼等の演奏能力の高さと楽曲の素晴らしさに、深い感動を覚えることが出来る。
 「宮殿をレベルダウンさせた」と評論家にこき下ろされた、セカンド・アルバムの『ポセイドンのめざめ In The Wake Of Poseidon』も、クリムゾン的コンセプトは決して間違っていない。ただ、ファーストとセカンドには、次の決定的な違いがあることは私も認める。ファースト・アルバムにおいては、当時新進気鋭だったミュージシャン達の並々ならぬ勢いと、その桁外れの独自性を体感できた。そこには、バンドとして精神統一された上での凄みがあったのだ。ところが『ポセイドンのめざめ』では、臨時採用のメンバーが多かった事や、内部分裂等による精神のばらつきがサウンドににじみ出てしまっていて、アルバム全体が何処となくちぐはぐな仕上りになってしまっている。例えば、ファーストでは緻密なまでに音色に気を使い、ある時はアグレッシブに、ある時は優雅に、見事に楽曲にマッチしたドラムを叩いていたマイケル・ジャイルズが、セカンドでは、まるで別人の様に投げやりなドラミングをしているのだ。オカズもワンパターン、音色も雑なのである。『宮殿』でのジャイルズのドラムを聴いて、私は「ドラムという楽器もこんなに雄弁になれるんだ!」と、感激したものなのに。(地味かもしれないが、“ムーンチャイルド”における、タムの入れ方の絶妙さは、何度聴いても感心してしまう。)
 そんな訳で、セカンドアルバム『ポセイドンのめざめ』は、ロバート・フリップとピート・シンフィールドによる素晴らしい名曲と、しっかりとしたコンセプトを持ちながら、バンド・メンバーの意思統一の欠如によって、作品のメッセージが聴く者に上手く伝わらないという、惜しい結果を残してしまった作品なのである。現に、1976年にリリースされたクリムゾン初のベスト『新世代への啓示 A Young Person's Guide to King Crimson』の選曲において、ロバート・フリップは、全15曲の中に3曲も『ポセイドンのめざめ』からセレクトしている。ファーストの“21世紀の精神異常者…ミラーズ”を外し、“キャットフード”を選んでいるのだ。この事からも、『ポセイドンのめざめ』は名曲の宝庫だった事が解かる。尚、グレッグ・レイクも、『ポセイドンのめざめ』がリリースされる頃には、もうあのスーパー・グループ、EL&Pを正式に結成している。やはりアルバム収録中は、心ここにあらずだったのだろうか?
 そして、3枚目『リザード Lizard』、4枚目『アイランド Islands』では、さらに衝撃度はダウンしていて、アルバムを出すごとにサウンドがおとなしくなっていった感があるのは確かである。しかし、明らかにこれらのアルバムも、比類無きキング・クリムゾンの世界であることは間違いない。
 ここで私は、ロバート・フリップが追い求め、実践し続けていた、大きな2つの試みがあることに注目したい。1つは、ロック・ミュージックにおける究極の即興演奏へのチャレンジである。このことは、アルバム製作にあたり、キース・ティペットをはじめとするジャズ・ミュージシャン達をゲストとして起用している事でも証明される。クリムゾンは、ライブにおいては、デビュー当時よりインプロビゼーションにかなりの比重を置いていたという事実がある。しかし、世に残す“ロック・アルバムというコンセプトの完成体”の中で、彼等のように、あそこまで延々とジャズ的ニュアンスも含めたインプロビゼーションを投入するというのは、正に実験的な事であった。そして、このインプロビゼーションにおけるメンバー間の精神の融合、統一というテーマは、1974年の解散直前にリリースされるアルバム、『レッド Red』まで引き継がれることとなる。
 そしてもう一つの試みは、崇高な精神から醸し出される、あるいは地球の、自然界の、はたまた宇宙空間に存在する“美”の追究である。そう言えば『リザード』のなかで、イエスのボーカリスト、ジョン・アンダーソンが唄う“ルーパート王子のめざめ”は、「クリムゾン・サウンドに彼の歌は合わない。」と酷評されたが、私は実に良くできたメルヘンティックで美しい曲だと思う。イエスのナンバーと比べると、明らかに低いキーで歌うアンダーソンの声は、ある意味ミステリアスで、おとぎ話のオープニング・テーマのようなこの曲の雰囲気をうまく印象づけているし、学校の教科書に載ってもおかしくないくらい、メロディアスで華麗な旋律は、うっとりしてしまうほどの素晴らしい出来映えだと思う。この曲の美しさが理解できなかった評論家達は、「イエスのボーカリストが、イエス・ミュージックの正反対に位置するような、クリムゾンの世界にマッチするはずがない。」という、真実を妨げる愚かな固定観念を持っていたのだろう。
 さて、今から書く事は全くの余談だが、実にマニアックで面白い逸話なので、『リザード』の事に触れているタイミングの中で無理やり記しておく。西洋の古い童話のブック・カバーのような、美しいデザインの『リザード』のアルバム・ジャケットには、明らかにビートルズの4人と思われる人物が描かれていて、このアルバムの“ハッピー・ファミリー”という曲の中でも、別名で彼等の事が歌われているのだそうだ。この曲の作詞をしたピート・シンフィールド自身が、「ビートルズの解散に関した詞だ。」と言っているらしい。尚、ジャケットの絵の中でジョン・レノンらしき人物が持っている壷から顔を出しているのは、オノ・ヨーコらしい。歌詞の内容等も詳しく紹介したいところだか、そうすると余談の域を出てしまうので、それは又の機会に・・・。
 では、話を戻そう。“美”の追究というテーマについてだが、彼等の4枚目のアルバム『アイランド』において、その楽曲はついに極限まで優美に、そして、癒し系音楽とも呼べるまでのスタイルに変化している。このアルバム中の何曲かは、既成概念から見たロックの定義としての最低限必要な骨組みすら無くなってしまっていたのだ。そして、それがクリムゾン・ミュージックにおける“美”の追求の到達点であったからこそ、次のアルバム『太陽と戦慄』において“21世紀の精神異常者”級のセンセーショナルな楽曲を世に送り出すことができたのではないか?毎回同じレベルのテンションのアルバムを出し続ける事も凄いだろうが、ある過程を経て、再度そのレベルに回帰できるというのも物凄い事だと思う。しかも、数年を経た結果の時代の移り変りというものを背景とし、確実に進化を遂げた姿で…。
 『太陽と戦慄』の世界は、クリムゾン史上最強のメンバーによって創造された。特に、パーカッションのジェイミー・ミューアの存在感は計り知れず、リスナーを、時としてエキゾチックな、時として奇怪な、時として破壊的な彼独特のサウンド・ワールドに誘ってしまう。デビッド・クロスが奏でる、哀愁に満ち、枯れた音色のヴァイオリンも、この頃のクリムゾン・サウンドの特色となっているし、ジョン・ウェットンの重厚なベースや叙情的な歌声も素晴らしい。そして、イエスからやって来たビル・ブラッフォードは、複雑な変拍子も独自の解釈で表現し、完璧なまでに楽曲にマッチしたフレーズと音色で素晴らしいドラミングを披露している。ブラッフォードのクリムゾンにおけるドラムを聴くと、「彼はこのバンドでドラムを叩く為に生まれて来たのではないか?」と思ってしまうほどである。もちろん、サウンドの要は、御大ロバート・フリップのテクニカルで冷静かつアグレッシブなギターのサウンドである。
 次のアルバム『暗黒の世界 Starless And Bible Black』では、もうジェイミー・ミューアの名前はクレジットされていない。彼は、クリムゾンのようなマンモスビジネスを手掛けるバンドの動向に嫌気がさし、きっぱりと音楽活動から足を洗い、庭師になってしまったのだ。しかし、彼の残した影響力は大きく、『暗黒の世界』におけるビル・ブラッフォードのドラミングに、はっきりとジェイミー・ミューアの面影を認識することができる。ブラッフォード自身、最も影響を受けたミュージシャンの1人にミューアの名前を挙げているという事実もある。
 『暗黒の世界』は、ライブ音源によるインプロビゼーション中心の曲がほぼ半分を占めていたせいか、トータルバランスと言う点で、やや纏まりに欠ける感が有る。だが、このアルバムに収められている“突破口 Fracture”は、プログレ史上屈指の名曲である。冷ややかで、破滅感すら感じてしまう独特なギターの旋律がとてもスリリングで、「よくもこんな難解なフレーズを、ここまで正確に弾きこなせるものだ。」と感心してしまう。前作から始まっている、この時期のクリムゾンのコンセプトが、明確に表現された傑作である。そして同年、ついに正メンバーが、フリップ、ウェットン、ブラッフォードの3人になってしまったキング・クリムゾンは、クリムゾン作品の中で確実に3本指に入り、最高傑作に挙げるファンも多い『レッド』をリリースする。聴く度に気持が高揚してしまうタイトルチューンの“レッド”をはじめ、名曲ばかりがぎっしり詰まった完璧なアルバムであった。しかし、この作品で、まさに音楽水準のレベルメーターが、レッドゾーンを越え、完全に振りきってしまったためか、1974年11月、キング・クリムゾンは、長い冬眠に入ってしまう。そう、私にとって運命の1981年まで・・・。


80年代、ディシプリン・クリムゾン
(Written by KEN)

 フリップは、ニュー・ウェイヴの波を受けながらプロジェクトやソロなどで活動し、やがて80年代に入って「ディシプリン」というバンドを組む。メンバーはフリップ(ギター)、エイドリアン・ブリュー(ギター、ヴォーカル)、トニー・レヴィン(ベース)、ビル・ブラッフォード(ドラム)の4人。ディシプリンは何度かステージを踏んだ後、フリップがこの4人での可能性を信じたのか、突如「キング・クリムゾン」を名乗ることになる。
 KCとしての復活作は、グループの名前でもあった『ディシプリン』(81年)。ここには前期KCの幻想性もなく、中期KCの暴虐さもなく、後期KCのオーヴァー・ヒート寸前の演奏もない。そこにあるのはミニマリズムに基づいた、ギターによるシーケンス演奏。一般的には打ち込みなどで行われるシーケンスを、KCは人力演奏で行った。それだけでも高度な演奏であるのに、KC初のアメリカ人メンバーとなったブリューによるポップなヴォーカルは失われていない。まさに「規律(ディシプリン)」のもと行動していた。
 史上初の固定メンバーによる『ビート』(82年)、『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』(84年)は『ディシプリン』の方法論を踏襲、押し進めたものとなった。ポリ・リズムの導入や、フリップの発明したフリッパートロニクス、この時代なりの即興演奏など、見るべきところは数多くある。後にこの時期のライヴが『アブセント・ラヴァーズ』としてリリースされた。しかし残念なことに、この時期のKCはニュー・ウェイヴの影響も強く、信者からはなじられることも多い。
 そうしてニュー・ウェイヴの荒波にも負けず3作を放ったKCは、再び沈黙を保つこととなる。


1981年〜クリムゾン・リアルタイム体験
(Written by ぴー)

 あれは1981年、世間の色がクリスマスカラーの赤と緑ばかりになってしまっていた季節、ハタチの私は、生まれて始めて浅草という土地を訪れた。東京の中野区で生まれたものの、物心がついた頃には、家の窓の外に見える高尾山から、山猿や狸が遊びに来そうな、東京の西の端っこで暮らしていた私は、東京都民でありながら、浅草には全く縁がなかった。というのも、場所が遠かったという理由以外に、私には浅草は“高年齢層の街”という先入観がずっとあり、頭に思い浮かぶのも、雷門、浅草寺、雷おこし、といったところで、街中に線香の香りが漂っているというイメージを勝手に抱いていたからだ。それこそ自分が老人になるまでは、訪れる機会など絶対にないだろうと思っていた土地なのである。当時、ロック・バンドでボーカルを担当していたため、長髪にパーマをかけ、派手な赤いジャケットを羽織り、スリムなジーンズにピカピカのブーツという装いの私は、何故に生まれて始めて自分に最もそぐわないと思っていたこの渋い街を訪れたのか?それは、私が神として崇めていた“キング・クリムゾン”という、プログレッシブ・ロック界最高峰のスーパー・グループが待望の初来日を果たし、その日、今はなき浅草国際ホールでコンサートを行う事になっていたからで、しかも私は、普段よりの善行(夜、蜘蛛を殺さないとか、電車で老人に席を譲るとか、哀れな野良猫に煮干をやるとか)の報いとして、かなり入手困難とされていたその公演のチケットを奇跡的にゲットしていたのだ。余談だが、浅草国際ホールという場所は、私が幼少の頃テレビ放映されていた喜劇『でんすけ劇場』の公演会場であり、まさに東京下町の大衆演芸のお披露目の場であった。キング・クリムゾン・クラスの超有名外国人ロック・グループが、そのような地味な会場でコンサートを行うというのは、とても珍しい事だったし、その当時、外タレのライブを見まくっていた私にとっても、実に例外的な場所であった。奇抜で難解な楽曲を奏でるグループだから、公演に選んだ場所も意外性に富んでいたのであろうか?ともかく、私はその夜、ついにプログレのカリスマが日本のリスナーの目の前で、その偉大なる神業を披露するという、歴史的出来事を最高の感激を持って体験することになる・・・。はずであった。
 私の数メートル先で、神様ロバート・フリップが、人間シーケンサーと呼べるような揺ぎなき技術を駆使し、独特で、複雑で、奇抜で、難解なギター・フレーズを奏で、そのバックでは、エレクトリック・ドラムを加え、ますます表現力が増したビル・ブラッフォードが、ハイセンスなドラミングを披露し、ステージ中央にいるエイドリアン・ブリューのギターが猛獣の鳴き声のごとく唸りまくり、かつて、この浅草国際ホールの同じステージで演じられていた、『でんすけ劇場』の主役“でんすけ”のハゲ頭を思い起こさせる、ぴかぴかのスキンヘッドのトニー・レヴィンが、スティックという未知の魅力的な楽器を操っていた。その日、彼等のサウンドを聴きながら、不謹慎にも、“でんすけ”を思い出していたのは、私だけだったであろう。
 そのライブの数ヶ月前、長年の冬眠から目覚め『ディシプリン Descipline』というニューアルバムを引っ提げ活動を再開したキング・クリムゾンに対し、かつてのファン達は狂喜し、大きな期待感に胸を膨らませていた。当時、ブートも含め過去のクリムゾン作品を聴きまくっていた私も、クリムゾン再結成のニュースを聞き、「奇跡が起こった。」と思い、無宗教なのに何処かにいるはずの神様に深く感謝した。実を言うと、この瞬間からが、私のクリムゾン・リアルタイム体験の始まりだっだ。そして、ニューアルバムが発売されると、私は即それを購入し、彼等のサウンドを楽しんだ。そう、正直言って、『ディシプリン』に関しては、ただ楽しんだだけなのだ。1974年に解散する以前の彼等の作品は、私に衝撃に近い感動を与えてくれた。しかし、新生クリムゾンは、『ディシプリン』を聴いて、そのノリの良さや一種のユーモアを効かせた楽曲の数々を心から楽しめはしたものの、感動と呼べるレベルの贈り物を私にくれなかった。
 楽曲を分析すると、変拍子も駆使しているし、ツインギターによる難解な複合フレーズという新しい試みも取り入れていた。ブラッフォードのドラムにも、かつては無かった音色が加わっているし、ブリューの表情豊かなギターも斬新で、レヴィンのスティックも実に画期的な楽器だったと思う。そして、クリムゾン休止中、ブライアン・イーノとのプロジェクト等で、ギター・サウンドにおける無限の可能性を追究していたという御大フリップの超人技には、さらに磨きが掛かっていた。ただ、時代性も影響していたのだろうが、全体的にこじんまりと纏まり過ぎてしまった楽曲は、衝撃や感動を与えてくれる類の物ではなかったのだ。事実、新作『ディシプリン』の曲ばかり演奏していたその日のライブでも、
“憧れのフリップとブラッフォードのプレイを生で見ている。”という感激はあったのだが、ニューアルバムの曲そのものに対しては、やはり楽しむだけというレベルであった。そして、(たしか)アンコールで彼等が過去の名曲“太陽と戦慄パート2”と“レッド”を演奏した時、初めて本物の興奮と感激が、落雷の様に私の心身を直撃したのである。もちろん、この2曲に対する既存の思い入れも大きかったとは思うが、新曲と比べると、やはりそのスケールの大きさに格段の違いがあった。
 このプロジェクトは、その後さらに『ビート Beat』、『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー Three Of A Perfect Pair』という2枚のアルバムを発表するが、その音楽性は『ディシプリン』と同じ路線で、3枚目の『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』において、ややパワーアップした感はあったが、あくまでその域であった。実は、後で知った事なのだか、1981年に始動した新生クリムゾンは、当初は【ディシプリン】というグループ名を予定していたそうだ。今思うと、ロバート・フリップ本人が、キング・クリムゾンとしての要素を、そのニュー・ユニットには求めていなかったのかもしれない。やはりあれは、キング・クリムゾンではなかったのだ。もし彼等が【ディシプリン】という名前のままデビューしていたら、私は彼等を世界最高のニューウェイブ・ロック・グループとして、大絶賛していた事であろう。
 『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を最後の作品として、この1980年代の【ディシプリン:クリムゾン】は、さらに長い冬眠に入る。
(ぴー) 2004.10


90年代クリムゾン〜分裂と再生〜現在
(Written by KEN)

 KCが再び復活したのは、突然のことだった。95年、11年ぶりの復活作『ヴルーム』は、トレイ・ガ
ン(ベース、スティック)とパット・マステロット(ドラム)を含めた「ダブル・トリオ」という大胆な発想で録音された。傑作曲となったそれを「リハーサル・テープ」と呼んだKCは、すぐさま同年に『スラック』を放った。ギター+ベース(スティック)+ドラム(×2)という、「ダブル・トリオ」なる発想による音像が、決して無視できない圧倒的存在感を放つ傑作となった。そして死にかけたプログレなるものを一夜にして復活させ、続々とプログレ・バンドの復活とリヴァイヴァル・プログレ・ブームを呼んだ。この頃の実験的な音源がブートレッグ業者への怒りともとれる「オフィシャル・ブートレッグ」なる『B'ブーム〜オフォシャル・ブートレッグ−ライヴ・イン・アルゼンチン1994〜』というライヴ盤に残された。また、この時期のKCは即興演奏も盛んに行っており、『スラックアタック』という即興演奏のみで編まれたライヴ盤もリリースされた。さらには、久し振りに「21世紀の精神異常者」が演奏された『ヴルーム・ヴルーム』も後に発表された。
 やがてきたるべきニュー・クリムゾンに向けて、KCは内部フラクタル分裂を起こす。それが1〜4ま
である「プロジェクト(ProjeKct)」だ。ここでは、バンド内のメンバーがフリップを筆頭に数名ずつ選出され、それぞれに即興演奏をライヴで繰り広げていた。その即興の嵐の中から、彼らは「ザ・ディセプション・オブ・ザ・スラッシュ」という傑作曲を生み出すことに成功した。
 再集結後、ダブル・トリオを解消、その中からの4人組(フリップ、ブリュー、ガン、マステロット
)で再出発した2000年作『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』では「80'sクリムゾンの逆襲」と言わんばかりのミニマル・フレーズが複雑に、しかしヘヴィ・メタリックに展開する。一聴では聴き入れやすいフレーズも実際には超人的な変拍子で構成されており、その極北が表題曲と「太陽と戦慄(パート IV)」と位置できる。厳しい音の規律に守られ、中心人物フリップの自信が垣間見える、その後の彼らの方向性を決定した一作となった。この頃のステージをまとめたものには『ヘヴィ・コンストラクション』があり、そのディスク3はインプロヴィゼイションのみで構成されるなど、KCはまだまだ攻撃的だった。
 2003年、前作の路線を踏襲した『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』を発表。ヘヴィ・メタリックなが
らミニマリスティックな楽曲が数多く収録されている。そこへフラクタル分裂した「プロジェクト」の方法論も持ち込み、内容は即興、コンセプト、ミニマル、ヘヴィとさまざまなものを含むものとなった。まるでアメリカ同時多発テロを予言したかのような、近未来的な終末観も漂っている。この時期のライヴは『エレクトリック』というライヴ盤で味わうことができる。
 その後KCは、ガンが離脱してレヴィンが復帰、またもクァルテット編成に落ち着いている。この4人での新作発表が待たれる。
 KCは、これからもプログレッシヴ・ロックの最先端を歩んでいくバンドだ。そしてロバート・フリ
ップは、その中心人物であり、常に動向が気にかけられる人物である。

 KCは編集盤も多い。75年までの音源で編まれた初ベスト『新世代への啓示』に、80年代の音源と当時は初出だったライヴ音源で編まれた『紅伝説』、その縮小版『スリープレス〜コンサイス・キング・クリムゾン』、プロジェクトの導入盤『ア・ビギナーズ・ガイド・トゥ・プロジェクツ〜ザ・ディセプション・オブ・ザ・スラッシュ』、ライヴ音源のベスト盤『サーカス〜ザ・ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・キング・クリムゾン<ライヴ>』、2セットある4CDボックス『真・紅伝説』、その縮小版にして最新ベスト・アルバムである『濃縮キング・クリムゾン』……他にも、ミニ・アルバムやシングルなど多数ある。中でも、Vol.1からVol.10まである、限定発売された発掘ライヴ音源ボックス『ザ・コレクターズ・キング・クリムゾン』はマニアなら必携のことだろう。(KEN) 2007.1


† KING CRIMSON メンバー (ぴー) † KING KRIMSON ディスコグラフィー