†クリムゾンワールドへの潜入
1977年、某都立高校に入学した私は、軽音楽倶楽部に入部し、ハードロック・バンドでボーカルを担当する事になる。そのころ私が聴いていたのは、自分達のバンドの音楽性に合致していた、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、キッス等のハード・ロック系のグループのサウンドばかりであった。そんな私が、プログレッシブ・ロックの世界に入り込み、抜けられなくなるという状況は、高校三年生の時に、友人の勧めでU.K.のアルバムを聴いた事に始まる。U.K.の奏でる、オリジナリティー溢れるハイレベルで荘厳なサウンドに打ちのめされ、また、彼等の超人的な演奏能力に脱帽してしまったのだ。そして、その時私は、彼等のプレイする音楽が、プログレッシブ・ロックと呼ばれるジャンルである事を知り、まずはリスナーとしてその道を極めようと試み始めるのである。(U.K.のページ参照)
U.K.の次に私が追いかけたのが、そのU.K.のジョン・ウェットンとビル・ブラッフォードが、かつて正メンバーであったキング・クリムゾンであり、それは私にとって未知の怪物であった。
1974年の解散によって、既に幻となってしまっていたキング・クリムゾンという巨大恐竜を捕獲する為に、私は、まるでタイムトリップし、彼等が産声をあげた1960年代末期に辿りつくような心境で、彼等のデビュー・アルバムである『クリムゾン・キングの宮殿 In The Court Of The Crimson King』を入手した。
まずサウンドを聴く前に、レコード店でそのジャケットを手に取って見た時、私は第一の衝撃に襲われてしまう。むろんその当時CDというものは存在せず、アルバムというと、アナログのLPレコードの時代であった。その約30cm四方の大きなジャケットに描かれていたのは、口を大開きにし、真っ赤な顔で何かに恐れおののくような表情をした、不気味な男のどアップだった。リアルに描写された、そいつの喉仏の奥の方から、今にもうめき声が聞こえてきそうな気がして、思わずぞっとしてしまった。ただジャケットを見ただけで、一種の恐怖心とその本編(楽曲)に対する、大きな期待とが入り混じる異常な興奮を覚えてしまった私は、数十分後、彼等のサウンドを聴き、生まれて始めて音楽によって人生観を変えられる程の大きな衝撃と感動を体験する事になるのである。
アルバムの1曲目“21世紀の精神異常者…ミラーズ”は、冒頭に不気味な効果音が収められており、それが、ぞくぞくする程の緊張感を生み出し、これから始まる特殊な音楽体験を私に予感させた。
そして、突然現れる大音響の攻撃的なイントロに導かれ、異様な音色のボーカルが過激な発声で意味不明ないくつかの単語を羅列する。その後曲は6/8拍子のリズムに乗せ、ハイテンションで印象的なテーマへと移行し、各楽器の斬新でフリーなソロの掛け合いを経て、メンバー全員による複雑かつ正確なユニゾンフレーズに突入する。その後再び先のテーマ〜イントロに戻り、またあのボーカルが登場し、やがて、曲はプレイヤー全員入り乱れてのフリー奏法による強烈なブレイクを向える。当然私は、このあまりにもセンセーショナルなオープニング・ナンバーによって、もう既に特異なクリムゾン・ワールドに引き込まれてしまっていた。
1曲目のエンディングから、間髪いれずに次の曲が始まるのだが、意外な事に2曲目の“風に語りて”は、1曲目とは正反対の雰囲気を持つ、爽やかでとても綺麗な曲だった。実は、このアルバムに収められている曲は、全てそれぞれの違うニュアンスを持っている。狂気、清涼感、絶望感、幻想、華麗・・・。そして、このアルバムを聴くと、一曲ごとに異なる種類の感覚が呼び起こされるのだ。しかもその全ての曲が、他に類を見ないクリムゾンだけのオリジナリィティーに満ちた世界なのである。
『クリムゾン・キングの宮殿』を聴いて、たちまちクリムゾンの虜になってしまった私は、その当時既に発売されていた彼等の作品を、短期間で、リリースされた順に、全て聴いてしまう事になる。しかし正直言って、ファースト・アルバムと同レベルの鮮烈な衝撃を与えてくれる作品は、彼等の5枚目のアルバムである『太陽と戦慄 Larks`Tongues In Aspic』まで現れなかった。だがそれは、当時の私が、他のアルバムにもファースト・アルバムと同レベルの強烈なインパクトばかりを望んでしまっていた結果の盲目的で馬鹿げた見解であり、今冷静にそれぞれのアルバムのサウンドに触れてみると、1つの作品としての完成度は、どのアルバムも優れていて、彼等の演奏能力の高さと楽曲の素晴らしさに、深い感動を覚えることが出来る。
「宮殿をレベルダウンさせた」と評論家にこき下ろされた、セカンド・アルバムの『ポセイドンのめざめ In The Wake Of Poseidon』も、クリムゾン的コンセプトは決して間違っていない。ただ、ファーストとセカンドには、次の決定的な違いがあることは私も認める。ファースト・アルバムにおいては、当時新進気鋭だったミュージシャン達の並々ならぬ勢いと、その桁外れの独自性を体感できた。そこには、バンドとして精神統一された上での凄みがあったのだ。ところが『ポセイドンのめざめ』では、臨時採用のメンバーが多かった事や、内部分裂等による精神のばらつきがサウンドににじみ出てしまっていて、アルバム全体が何処となくちぐはぐな仕上りになってしまっている。例えば、ファーストでは緻密なまでに音色に気を使い、ある時はアグレッシブに、ある時は優雅に、見事に楽曲にマッチしたドラムを叩いていたマイケル・ジャイルズが、セカンドでは、まるで別人の様に投げやりなドラミングをしているのだ。オカズもワンパターン、音色も雑なのである。『宮殿』でのジャイルズのドラムを聴いて、私は「ドラムという楽器もこんなに雄弁になれるんだ!」と、感激したものなのに。(地味かもしれないが、“ムーンチャイルド”における、タムの入れ方の絶妙さは、何度聴いても感心してしまう。)
そんな訳で、セカンドアルバム『ポセイドンのめざめ』は、ロバート・フリップとピート・シンフィールドによる素晴らしい名曲と、しっかりとしたコンセプトを持ちながら、バンド・メンバーの意思統一の欠如によって、作品のメッセージが聴く者に上手く伝わらないという、惜しい結果を残してしまった作品なのである。現に、1976年にリリースされたクリムゾン初のベスト『新世代への啓示 A Young Person's Guide to King Crimson』の選曲において、ロバート・フリップは、全15曲の中に3曲も『ポセイドンのめざめ』からセレクトしている。ファーストの“21世紀の精神異常者…ミラーズ”を外し、“キャットフード”を選んでいるのだ。この事からも、『ポセイドンのめざめ』は名曲の宝庫だった事が解かる。尚、グレッグ・レイクも、『ポセイドンのめざめ』がリリースされる頃には、もうあのスーパー・グループ、EL&Pを正式に結成している。やはりアルバム収録中は、心ここにあらずだったのだろうか?
そして、3枚目『リザード Lizard』、4枚目『アイランド Islands』では、さらに衝撃度はダウンしていて、アルバムを出すごとにサウンドがおとなしくなっていった感があるのは確かである。しかし、明らかにこれらのアルバムも、比類無きキング・クリムゾンの世界であることは間違いない。
ここで私は、ロバート・フリップが追い求め、実践し続けていた、大きな2つの試みがあることに注目したい。1つは、ロック・ミュージックにおける究極の即興演奏へのチャレンジである。このことは、アルバム製作にあたり、キース・ティペットをはじめとするジャズ・ミュージシャン達をゲストとして起用している事でも証明される。クリムゾンは、ライブにおいては、デビュー当時よりインプロビゼーションにかなりの比重を置いていたという事実がある。しかし、世に残す“ロック・アルバムというコンセプトの完成体”の中で、彼等のように、あそこまで延々とジャズ的ニュアンスも含めたインプロビゼーションを投入するというのは、正に実験的な事であった。そして、このインプロビゼーションにおけるメンバー間の精神の融合、統一というテーマは、1974年の解散直前にリリースされるアルバム、『レッド Red』まで引き継がれることとなる。
そしてもう一つの試みは、崇高な精神から醸し出される、あるいは地球の、自然界の、はたまた宇宙空間に存在する“美”の追究である。そう言えば『リザード』のなかで、イエスのボーカリスト、ジョン・アンダーソンが唄う“ルーパート王子のめざめ”は、「クリムゾン・サウンドに彼の歌は合わない。」と酷評されたが、私は実に良くできたメルヘンティックで美しい曲だと思う。イエスのナンバーと比べると、明らかに低いキーで歌うアンダーソンの声は、ある意味ミステリアスで、おとぎ話のオープニング・テーマのようなこの曲の雰囲気をうまく印象づけているし、学校の教科書に載ってもおかしくないくらい、メロディアスで華麗な旋律は、うっとりしてしまうほどの素晴らしい出来映えだと思う。この曲の美しさが理解できなかった評論家達は、「イエスのボーカリストが、イエス・ミュージックの正反対に位置するような、クリムゾンの世界にマッチするはずがない。」という、真実を妨げる愚かな固定観念を持っていたのだろう。
さて、今から書く事は全くの余談だが、実にマニアックで面白い逸話なので、『リザード』の事に触れているタイミングの中で無理やり記しておく。西洋の古い童話のブック・カバーのような、美しいデザインの『リザード』のアルバム・ジャケットには、明らかにビートルズの4人と思われる人物が描かれていて、このアルバムの“ハッピー・ファミリー”という曲の中でも、別名で彼等の事が歌われているのだそうだ。この曲の作詞をしたピート・シンフィールド自身が、「ビートルズの解散に関した詞だ。」と言っているらしい。尚、ジャケットの絵の中でジョン・レノンらしき人物が持っている壷から顔を出しているのは、オノ・ヨーコらしい。歌詞の内容等も詳しく紹介したいところだか、そうすると余談の域を出てしまうので、それは又の機会に・・・。
では、話を戻そう。“美”の追究というテーマについてだが、彼等の4枚目のアルバム『アイランド』において、その楽曲はついに極限まで優美に、そして、癒し系音楽とも呼べるまでのスタイルに変化している。このアルバム中の何曲かは、既成概念から見たロックの定義としての最低限必要な骨組みすら無くなってしまっていたのだ。そして、それがクリムゾン・ミュージックにおける“美”の追求の到達点であったからこそ、次のアルバム『太陽と戦慄』において“21世紀の精神異常者”級のセンセーショナルな楽曲を世に送り出すことができたのではないか?毎回同じレベルのテンションのアルバムを出し続ける事も凄いだろうが、ある過程を経て、再度そのレベルに回帰できるというのも物凄い事だと思う。しかも、数年を経た結果の時代の移り変りというものを背景とし、確実に進化を遂げた姿で…。
『太陽と戦慄』の世界は、クリムゾン史上最強のメンバーによって創造された。特に、パーカッションのジェイミー・ミューアの存在感は計り知れず、リスナーを、時としてエキゾチックな、時として奇怪な、時として破壊的な彼独特のサウンド・ワールドに誘ってしまう。デビッド・クロスが奏でる、哀愁に満ち、枯れた音色のヴァイオリンも、この頃のクリムゾン・サウンドの特色となっているし、ジョン・ウェットンの重厚なベースや叙情的な歌声も素晴らしい。そして、イエスからやって来たビル・ブラッフォードは、複雑な変拍子も独自の解釈で表現し、完璧なまでに楽曲にマッチしたフレーズと音色で素晴らしいドラミングを披露している。ブラッフォードのクリムゾンにおけるドラムを聴くと、「彼はこのバンドでドラムを叩く為に生まれて来たのではないか?」と思ってしまうほどである。もちろん、サウンドの要は、御大ロバート・フリップのテクニカルで冷静かつアグレッシブなギターのサウンドである。
次のアルバム『暗黒の世界 Starless And Bible Black』では、もうジェイミー・ミューアの名前はクレジットされていない。彼は、クリムゾンのようなマンモスビジネスを手掛けるバンドの動向に嫌気がさし、きっぱりと音楽活動から足を洗い、庭師になってしまったのだ。しかし、彼の残した影響力は大きく、『暗黒の世界』におけるビル・ブラッフォードのドラミングに、はっきりとジェイミー・ミューアの面影を認識することができる。ブラッフォード自身、最も影響を受けたミュージシャンの1人にミューアの名前を挙げているという事実もある。
『暗黒の世界』は、ライブ音源によるインプロビゼーション中心の曲がほぼ半分を占めていたせいか、トータルバランスと言う点で、やや纏まりに欠ける感が有る。だが、このアルバムに収められている“突破口 Fracture”は、プログレ史上屈指の名曲である。冷ややかで、破滅感すら感じてしまう独特なギターの旋律がとてもスリリングで、「よくもこんな難解なフレーズを、ここまで正確に弾きこなせるものだ。」と感心してしまう。前作から始まっている、この時期のクリムゾンのコンセプトが、明確に表現された傑作である。そして同年、ついに正メンバーが、フリップ、ウェットン、ブラッフォードの3人になってしまったキング・クリムゾンは、クリムゾン作品の中で確実に3本指に入り、最高傑作に挙げるファンも多い『レッド』をリリースする。聴く度に気持が高揚してしまうタイトルチューンの“レッド”をはじめ、名曲ばかりがぎっしり詰まった完璧なアルバムであった。しかし、この作品で、まさに音楽水準のレベルメーターが、レッドゾーンを越え、完全に振りきってしまったためか、1974年11月、キング・クリムゾンは、長い冬眠に入ってしまう。そう、私にとって運命の1981年まで・・・。
†1981年〜クリムゾン・リアルタイム体験
あれは1981年、世間の色がクリスマスカラーの赤と緑ばかりになってしまっていた季節、ハタチの私は、生まれて始めて浅草という土地を訪れた。東京の中野区で生まれたものの、物心がついた頃には、家の窓の外に見える高尾山から、山猿や狸が遊びに来そうな、東京の西の端っこで暮らしていた私は、東京都民でありながら、浅草には全く縁がなかった。というのも、場所が遠かったという理由以外に、私には浅草は“高年齢層の街”という先入観がずっとあり、頭に思い浮かぶのも、雷門、浅草寺、雷おこし、といったところで、街中に線香の香りが漂っているというイメージを勝手に抱いていたからだ。それこそ自分が老人になるまでは、訪れる機会など絶対にないだろうと思っていた土地なのである。当時、ロック・バンドでボーカルを担当していたため、長髪にパーマをかけ、派手な赤いジャケットを羽織り、スリムなジーンズにピカピカのブーツという装いの私は、何故に生まれて始めて自分に最もそぐわないと思っていたこの渋い街を訪れたのか?それは、私が神として崇めていた“キング・クリムゾン”という、プログレッシブ・ロック界最高峰のスーパー・グループが待望の初来日を果たし、その日、今はなき浅草国際ホールでコンサートを行う事になっていたからで、しかも私は、普段よりの善行(夜、蜘蛛を殺さないとか、電車で老人に席を譲るとか、哀れな野良猫に煮干をやるとか)の報いとして、かなり入手困難とされていたその公演のチケットを奇跡的にゲットしていたのだ。余談だが、浅草国際ホールという場所は、私が幼少の頃テレビ放映されていた喜劇『でんすけ劇場』の公演会場であり、まさに東京下町の大衆演芸のお披露目の場であった。キング・クリムゾン・クラスの超有名外国人ロック・グループが、そのような地味な会場でコンサートを行うというのは、とても珍しい事だったし、その当時、外タレのライブを見まくっていた私にとっても、実に例外的な場所であった。奇抜で難解な楽曲を奏でるグループだから、公演に選んだ場所も意外性に富んでいたのであろうか?ともかく、私はその夜、ついにプログレのカリスマが日本のリスナーの目の前で、その偉大なる神業を披露するという、歴史的出来事を最高の感激を持って体験することになる・・・。はずであった。
私の数メートル先で、神様ロバート・フリップが、人間シーケンサーと呼べるような揺ぎなき技術を駆使し、独特で、複雑で、奇抜で、難解なギター・フレーズを奏で、そのバックでは、エレクトリック・ドラムを加え、ますます表現力が増したビル・ブラッフォードが、ハイセンスなドラミングを披露し、ステージ中央にいるエイドリアン・ブリューのギターが猛獣の鳴き声のごとく唸りまくり、かつて、この浅草国際ホールの同じステージで演じられていた、『でんすけ劇場』の主役“でんすけ”のハゲ頭を思い起こさせる、ぴかぴかのスキンヘッドのトニー・レヴィンが、スティックという未知の魅力的な楽器を操っていた。その日、彼等のサウンドを聴きながら、不謹慎にも、“でんすけ”を思い出していたのは、私だけだったであろう。
そのライブの数ヶ月前、長年の冬眠から目覚め『ディシプリン Descipline』というニューアルバムを引っ提げ活動を再開したキング・クリムゾンに対し、かつてのファン達は狂喜し、大きな期待感に胸を膨らませていた。当時、ブートも含め過去のクリムゾン作品を聴きまくっていた私も、クリムゾン再結成のニュースを聞き、「奇跡が起こった。」と思い、無宗教なのに何処かにいるはずの神様に深く感謝した。実を言うと、この瞬間からが、私のクリムゾン・リアルタイム体験の始まりだっだ。そして、ニューアルバムが発売されると、私は即それを購入し、彼等のサウンドを楽しんだ。そう、正直言って、『ディシプリン』に関しては、ただ楽しんだだけなのだ。1974年に解散する以前の彼等の作品は、私に衝撃に近い感動を与えてくれた。しかし、新生クリムゾンは、『ディシプリン』を聴いて、そのノリの良さや一種のユーモアを効かせた楽曲の数々を心から楽しめはしたものの、感動と呼べるレベルの贈り物を私にくれなかった。
楽曲を分析すると、変拍子も駆使しているし、ツインギターによる難解な複合フレーズという新しい試みも取り入れていた。ブラッフォードのドラムにも、かつては無かった音色が加わっているし、ブリューの表情豊かなギターも斬新で、レヴィンのスティックも実に画期的な楽器だったと思う。そして、クリムゾン休止中、ブライアン・イーノとのプロジェクト等で、ギター・サウンドにおける無限の可能性を追究していたという御大フリップの超人技には、さらに磨きが掛かっていた。ただ、時代性も影響していたのだろうが、全体的にこじんまりと纏まり過ぎてしまった楽曲は、衝撃や感動を与えてくれる類の物ではなかったのだ。事実、新作『ディシプリン』の曲ばかり演奏していたその日のライブでも、
“憧れのフリップとブラッフォードのプレイを生で見ている。”という感激はあったのだが、ニューアルバムの曲そのものに対しては、やはり楽しむだけというレベルであった。そして、(たしか)アンコールで彼等が過去の名曲“太陽と戦慄パート2”と“レッド”を演奏した時、初めて本物の興奮と感激が、落雷の様に私の心身を直撃したのである。もちろん、この2曲に対する既存の思い入れも大きかったとは思うが、新曲と比べると、やはりそのスケールの大きさに格段の違いがあった。
このプロジェクトは、その後さらに『ビート Beat』、『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー Three Of A Perfect Pair』という2枚のアルバムを発表するが、その音楽性は『ディシプリン』と同じ路線で、3枚目の『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』において、ややパワーアップした感はあったが、あくまでその域であった。実は、後で知った事なのだか、1981年に始動した新生クリムゾンは、当初は【ディシプリン】というグループ名を予定していたそうだ。今思うと、ロバート・フリップ本人が、キング・クリムゾンとしての要素を、そのニュー・ユニットには求めていなかったのかもしれない。やはりあれは、キング・クリムゾンではなかったのだ。もし彼等が【ディシプリン】という名前のままデビューしていたら、私は彼等を世界最高のニューウェイブ・ロック・グループとして、大絶賛していた事であろう。
『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を最後の作品として、この1980年代の【ディシプリン:クリムゾン】は、さらに長い冬眠に入る。
そして、またしても1994年に活動を始める、KING CRIMSONを名乗るグループのサウンドを、私は今日まで聴こうとしていない。
†キング・クリムゾン、そのメンバーの移り変わり
1960年代も終わりを告げようという頃、当時連勝街道を突き進んでいた横綱ビートルズは、物凄い勢いでのし上がって来たキング・クリムゾンと名乗る関脇に、ついに土をつけられてしまう。『アビーロード』という大技で新参者を迎え撃ったビートルズだったが、気が付いてみると、キング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』という、見た事のない変則技を多用した複合戦法により、土俵の外に投げ出されていたのだ。そう、1969年、キング・クリムゾンのデビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、あのビートルズの名作『アビーロード』を押さえ、全英ヒット・チャートの頂点に君臨していたのである。そして、そこからキング・クリムゾンは、プログレッシブ・ロックと呼ばれる新しいジャンルの名横綱として、その長い道のりを歩み始めることになる。
キング・クリムゾンほど、マーケットのニーズを無視し、独自の音楽性を追及して来たのにもかかわらず、このような空前のビッグセールスを生んだグループは他に無いであろう。その後、アルバムを出す毎にメンバーチェンジが発生し、その都度コンセプトや曲調も異なるため、多くの評論家達から、「クリムゾンとしては、駄作である。」等と酷評された作品も残しているが、クリムゾンのリーダーであり、全アルバムのイニシアティブを取ってきたロバート・フリップ自身は、常に妥協無き姿勢で作品を創造してきたわけで、そんな世間の雑音には一切耳を貸さない姿勢が見うけられた。
キング・クリムゾンの母体は、【ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ】である。ベースのピーター・ジャイルズが、都合により活動を共にする事ができなくなってしまい、ドラムのマイケル・ジャイルズとギター&メロトロンのロバート・フリップの2人が中心となり、1968年の11月にキング・クリムゾンは結成される。ベース&ボーカルに元ゴッズのグレッグ・レイク、サックス、フルート等にイアン・マクドナルド、そして、(4枚目のアルバム『アイランド』まで)作詞を始め、クリムゾンワールドのアート全般を手掛ける影の重要人物、ピート・シンフィールドというメンバーで活動を開始する。1969年の7月、ローリング・ストーンズが行った、有名なハイドパークでのコンサートに共演し、その評判を一気に上げる事となり、同年10月10日にデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』をリリースし、大ヒットを記録する。
1970年に、セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』を発表するが、その時には既にマイケル・ジャイルズとイアン・マクドナルドが、新バンド結成という目的のため脱退してしまっており、このアルバムでマイケル・ジャイルズは、実質的にはゲストという形でドラムを叩いている。イアン・マクドナルドの後釜にはメル・コリンズがおさまり、ボーカルに専念するグレッグ・レイクの代わりにベースを弾くのは、マイケルの兄弟であり、助っ人として参加のピーター・ジャイルズで、前衛ジャズの名ピアニスト、キース・ティペットも、その独創的な調べを聴かせてくれている。そして、一曲だけフリップの幼なじみのゴードン・ハスケルがボーカルを担当している。
セカンドリリースの同年に、サードアルバム『リザード』を発表。ゴードン・ハスケルがベース&ボーカルに、ドラムがアンディー・マックローチに替わっている。ゲストとして、キース・ティペットが再び参加、その他に数名のジャズ・ミュージシャンがホーンセクションを担当している。このアルバムで特筆すべきは、もう一つのプログレッシブ・ロックバンドの雄“イエス”のボーカリスト、ジョン・アンダーソンが、一曲のみの参加ではあるが、その磨きかけのダイヤモンドのような、神秘的な歌声を聴かせている事であろう。
翌1971年、4枚目『アイランド』をリリース、ベース&ボーカルを、クリムゾン加入後にフリップからベースの弾き方を教わったというボズ・バレルが担当。ドラムはイアン・ウォーリスにチェンジしている。また、このアルバムにもキース・ティペット始め、数名がゲストとして参加している。
そして、この『アイランド』発表後に、デビューからロバート・フリップと共にクリムゾンの根底を支え続けてきた、ピート・シンフィールドが脱退を表明する。さらに、バンドのメンバー間の不仲説が巷にまで流れてくるようになり、ついに、キング・クリムゾンは、『宮殿』を越えるインパクトのある作品を出さずに、その活動に終止符を打つのではないか?と思ったファンも多かったはずである。
しかし、ロバート・フリップの自己の音楽への飽くなき追究心と熱意は、クリムゾンの歴史上最強と言えるミュージシャン達を呼び寄せ、1973年に発表した『太陽と戦慄』は、ついに『宮殿』と同レベルの、いや、ある意味それを超えるインパクトと感動をリスナーに与えた。ドラムがビル・ブラッフォード、ベース&ボーカルがジョン・ウェットン、パーカッションがジェイミー・ミューア、そして、ヴァイオリンがデビッド・クロスという顔ぶれであった。
翌1974年に、『暗黒の世界』をリリース、このアルバムにはもう既にジェイミー・ミューアの名前はない。そして同年、デビッド・クロスまでもが脱退してしまう事になる。
正式メンバーがフリップ、ブラッフォード、ウェットンの3人だけとなったキング・クリムゾンは、イアン・マクドナルド、メル・コリンズといった懐かしい顔も含む数名のゲストを向え、これまた最高傑作の呼び声が高い『レッド』を懇親のパワーを振り絞り最後に完成させた。そして、このクリムゾン・ミュージックの到達点を思わせる究極のサウンドを残し、1974年11月、ついに解散してしまう。
その後1976年に、彼ら初のベスト『新世代への啓示 A Young Person's Guide to King Crimson』がリリースされる。
ちなみに、1970年代に出した彼等のライブ盤は、“アイランド”のメンバーによる『アースバウンド Earthbound』と“暗黒の世界”のメンバープラス、オーバーダビングでエディー・ジョブソンが参加している『U.S.A.』の2枚である。
そして、約6年の沈黙を破り、ロバート・フリップ(ギター)、ビル・ブラッフォード(ドラム)、エイドリアン・ブリュー(ギター、ボーカル)、トニー・レヴィン(ベース、スティック)というメンバーで、1981年、そのキング・クリムゾンという名のグループは、再び動き始め、同メンバーで1981年『ディシプリン』、1982年『 ビート 』、1984年『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』という80年代のクリムゾン3部作を世に残し、再び活動を休止する。
そして、さらに長い冬眠期間を経て、
1994年、ミニアルバム『VROOOM』を、
Robert Fripp (guitar)、Adrian Belew (guitar, voice, words)、Trey Gunn (stick)、Tony Levin (basses and stick)、Pat Mastelotto (acoustic and electronic percussions)、Bill Bruford (acoustic and electronic percussions)でリリース 。
1995年、『THRAK』を、
Robert Fripp (guitars, soundscapes, mellotron)、Adrian Belew (guitar, voice, words)、Bill Bruford (acoustic & electric percussions)、Tony Levin (upright & electric basses, backing vocals)、Trey Gunn (stick, backing vocals)、Pat Mastelotto (acoustic & electric percussions)でリリース。
2000年、『The ConstruKction Of Light』を、
Robert Fripp (guitar)、Adrian Belew (guitar, vocals)、Trey Gunn (bass touch guitar, baritone guitar)、 Pat Mastelotto (drumming) でリリース。
2002年、ミニアルバム『ShoGaNai (Happy With What You Have To Be Happy With)』を、
Robert Fripp (guitar)、Adrian Belew (guitar, vocals)、Trey Gunn (bass)、Pat Mastelotto (drums)で、リリース。
2003年、『The Power To Believe』を、
Robert Fripp(guitar)、Adrian Belew (guitar, vocals)、Trey Gunn(warr guitar,retless warr guitar)、 Pat Mastelotto(traps,buttons)でリリース。
尚、ロバート・フリップは、1980代より今日まで、ベスト盤と未発表のライブ盤を多数リリースしているが、ここでは紹介しきれないので割愛する。
最後に、この執筆にあたり貴重な情報提供をして下さいました“三段腹さん”と“せいいちさん”に、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(ぴー) 2004.10
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