U. K. (ユーケー)

Written by ぴー


UK、そしてプログレとの出会い

 私が高校三年生だった1979年の5月の終わり頃、学校の休み時間に教室でくつろいでいると、同級生だが他のクラスのU君が、興奮気味に息を切らし、私のいるクラスに飛び込んで来た。U君とは、高校の軽音楽クラブでハードロック・バンドを組んでいて、私がボーカル、彼がギター担当という関係であった。
 彼は私を見つけるなり駆け寄ってきて、「おいっ、半端じゃなく物凄かったよ! しかも俺が見たライブが、アルバムになって近いうちに発売されるんだ!」と、絶叫した。そう言えば、彼は近々UKとかいうプログレッシブ・ロック・バンドのライブを見に行くと私に言っていたので、きっとその事だと思い確認すると案の定で、それが前日の事だったらしい。
 そこからは、U君の熱のこもったライブレポートが始まってしまう。彼のあまりの熱弁振りに、これはただ事で無い体験をしたのだなと思った。なぜなら、普段は冷静沈着でクールなU君だったからである。しかし、その時の彼には、まるで神様に偉大な奇跡の数々を見せつけられ、その偉業を、なるべく 多くの凡人達に伝える使命を担った預言者のような、異常なまでに強い説得力があった。要は、完全なトラスト状態になってしまっていたのだ。そして、その数時間後には、私もUKというユニットの持つ、崇高優美でダイナミックな独創的世界に誘われて行く1人になってしまうのである。
 その日の学校帰りに、通っていた高校から徒歩5分の場所にあり、普段からバンド仲間のタマリ場となっていたU君の家に直行し、U君がすでに入手していた、UKのファースト『UK』(憂国の四士)とセカンド『デンジャーマネー』を全曲立て続けに聴いた。2枚のアルバムを、全曲通して立て続けに 聴くというのは、普通はかなりしんどい事なのだが、UKの作品に関しては違っていた。それぞれのアルバムの完成度の高さ、一切無駄な部分の無い楽曲構成、そして、ファーストとセカンドの微妙なコンセプトの違い等によって、いつのまにか、完全に魅惑のUKワールドに引っ張り込まれてしまっていた私は、時間が流れている事すら忘れてしまっていたのだ。
 実は、私はこの体験を機に、生涯抜けられないプログレッシブ・ロックの複雑な迷路へと入り込んでしまうのである。
 時は1980年代を向かえようとしていた
頃、ロック界にはパンクやニューウェイブという新しい大型台風が直撃しようとしていた時期で、プログレは衰退の一途を辿っていた。しかし、私はUKというユニットの奏でる中毒性の高いサウンドによって、プログレの魔力にとりつかれ、そこからまるでタイムマシーンに乗って時代を逆行するように、過去の偉大なプログレ・グループを聴きあさるようになるのである。
 ハードロック一筋だった当時の私に、そこまでの感動と衝撃を与え、実際私の人生を狂わせてしまったUKとは一体どんなバンドだったのかというと、オリジナルメンバーは全員イギリス人で、
ジョン・ウェットン(ベース)、エディー・ジョブソン(キーボード、ヴァイオリン)、ビル・ブラッフォード(ドラム)、アラン・ホールズワース(ギター)という、知る人ぞ知る物凄いミュー ジシャン達であり、UKという大胆なグループ名が示す様に、彼等はまさにイギリスの誇りであった。
 1974年にキングクリムゾンが事実上の解散に至り、その後ソロ活動や他バンドに加入したりして演奏活動を続けていたジョン・ウェットンとビル・ブラッフォードが、キングクリムゾンを再結成 しようともくろむも、御大ロバート・フィリップの許可が下りずこの件を断念。そして次に考え たのが、元イエスのスーパースター、リック・ウェイクマンをキーボードに向かえ、トリオを組むという事であった。しかし、これもレコード会社との意見の食い違い等により幻の企画に終わる。リック・ウェイクマンの替りに白羽の矢を立てたのが、ジョンがロキシー・ミュージックで活動を共にした事があり、クリムゾンのUSA(ライブ)のオーバーダビングにも参加した事がある、若き天才エディー・ジョブソンであった。
 こうしてプログレッシブ・ロック最後の希望“UK”がスタート する。その後、リハーサルを重ねるうち、ギターの必要性を認識し、ビルの提案でアラン・ホールズワースという孤高の超人ギタリストを正式に加入させる。そして、1978年ファースト・アルバム『UK』 (憂国の四士)を発表し、その予想を遙かに上回るクオリティーの高さをファンに見せつけることになる。
 本来なら、プログレ・ドリームチームの正式参戦は、世界中をあっと言わせ、他のロック・グループに大差をつけ、確実に金メダルを獲得するはずであった。しかし、時はUKの奏でるプログレのような、重厚で、超大作の趣のある長い曲を求めておらず、世間ではパンクやニューウェイブが主流で、本人達が思っていた程のセールスをあげるまでには至らなかった。 そして、ファースト・アルバムのみの参加で、アランとビルが、自分達の理想の音楽を求めてUKを脱退してしまう。
 その後、ビルの穴を埋めるべく向かえたドラマーはイギリス人ではなかった。彼はアメリカ人で、ジャズ、フュージョン畑出身、エディーとはフランク・ザッパ・グループで顔を合わせた事がある、
テリィー・ボジオという若きドラマーであった。そして、エディー、ジョン、テリィーの3人でセカンドアルバムの製作に入る。
 ビルがもっとジャズよりのサウンドの創造を求め脱退したのに対し、テリィ ーはジャズ畑にいながら、ロックのテンションに自分の可能性を求め、このロック界最高のスーパーユニットに参加したのだ。当時ビルほど有名でなかったテリィーのドラムに、そしてギターが抜け3人になってしまったバンドのサウンドに、不安を抱いていたファーストからのファン達は、1979年発売のセカンドアルバム『デンジャーマネー』を聴いてその不安を一瞬で吹き飛ばした事だろう。 (先に言った様に、私はU君のおかげで立て続けにファースト、セカンドと聴けたので、不安は40秒間も続かなかった。もちろんリアルタイムで聴ける方が幸せには違いないが・・・。)
 賛否両論があるとは思うが、私の素直な意見を言わせてもらえれば、スーパースターの集合体だったファーストでは、比類無き4人のアーティスト達のばらばらの個性が、テクニック志向を垣間見せながらもなんとかバランスを取り、結果的にはオリジナリィティー溢れる壮大なアンサンブルを構築していたのに対し、テリィー参加後のセカンドでは、楽曲の完成度に重きを置いたアルバムのコンセプトと、タイトになったバンド自体に、“UK”という唯一無二の崇高な音楽ユニットの完成体を見ることができた。結果的にはポップ性が増し、『太陽と戦慄』や『レッド』というキング・クリムゾンの残した傑作アルバムのような破壊的で奇抜なサウンドに刺激を求めていたリスナーには、ある意味後退に思えたかもしれないが・・・。
 そして、1979年5月の末に、UKは世界中で最も自分達を認めてくれた、東の果ての“日いずる国” での公演を行う。そう、U君が見に行ったライブである。
 さて、冒頭のエピソードの数ヶ月後、またU君がある日の休み時間、血相を変えて我教室に飛込んで来た。「おいっ、ついに俺が見に行ったUKのライブ・アルバムが出た! 今日学校帰りに買いに行くから付き合え!」と言う。今度の私は、彼がその日、教室に飛び込んで来るのを予測していた。あのUKの2枚のアルバムを聴かされた時から、この日を楽しみにしていたからだ。私の財布の中には、ニュー・アルバムの代金分がいつもより余分に入っていたのだ。
 その日、学校の授業が終了すると、私達は真っ先にレコード店に直行し、2人仲良くお目当ての同じレコードを購入。その待望のアルバムを聴く為に、はやる気持を抑えつつU君の家へと足早に向かった。
 本当の事を言うと、まだその時、私はUKがトリオになってしまった事に不安を抱いていた。セカンドの『デンジャーマネー』を聴いて、ファーストよりタイトになり、音楽水準も上がったと判断していた私だったが、そこはスタジオ録音のこと、いかようにでも手を加えられるし、悪く言うと、薄くなったサウンドにごまかしを効かせられる。そして、その頃の私の洞察力では、それを判断する事が出来なかったので、U君が発した、「物凄いライブだった!」という言葉も半信半疑に受け止めたまま、ライブ盤の発売日を待っていたのだ。要は、ライブでこそ、トリオになってしまった彼らの、本当の姿(音)を確認できると思っていたという事だ。
 そして、レコード盤に下ろした針が、少し埃をはじき、プチパチと言う音を出すのをプロローグとして聴きながら、ドキドキして本編が始まるのを待っていた私は、その数十秒後、全ての不安を吹き飛ばす事になる。
 ギターがいなくなってしまったバンドのサウンドを補うかのような、テリィーの過激な程アグレッシブでいてテクニカルなドラミングは、スタジオ盤以上の迫力を感じさせた。かなり複雑なキメが随所に散りばめられ、変拍子も多用しまくるUKの楽曲を、とてつもなくヘビーでジャストに叩いているのだ。ビルが叩く変拍子は、「いかにも難しい事をやっていますよ」というのが 伝わってきて、それはそれでスリリングで心地良いのだが、テリィーの場合は、まるで超過激なヘビメタのナンバーを叩くがごときテンションとパフォーマンスで、高度な変拍子を叩きこなしている。さらに、そのテリィーの分厚いドラミングとジョン・ウェットンの堅実で少し歪んだ重低音のベースが絡むことで、ギター無しのロック・トリオというハンデをまったく感じさせない。
 そして、キーボードとバイオリンを操るエディー・ジョブソンの、超絶テクとコンポーザーとしてのセンスにはもう脱帽。永遠の絶対服従を誓いたくなってしまったものだ。“冷静なのに熱い”そんな印象のライブ だった。
 このライブアルバムを聴いて、私は、セカンド・アルバム『デンジャーマネー』のサウンドには 、全くごまかしが無かった事を確認出来たのである。


メンバーについて


John Wetton

ジョン・ウェットンは、キング・クリムゾンユーライア・ヒープ等に在籍、常に堅実かつハイセンスなベースラインを刻み、クリムゾンでのライブのインプロビゼーションなどでは、鷹が隠していた爪のごときハイレベルなテクニックをも披露する。また、ボーカリストとしても超一流で、テクニック志向で冷たい印象が否めないUKのサウンドの中にあっても、彼の歌声が唯一人間の体温を感じさせていた。複雑で変拍子だらけの曲でも、正確にベースラインを刻みながら、情感溢れるボーカルを表現できるあたりは、さすがの一言。かなりの日本びいきであるが、エイジア日本公演には同行せず、代役をグレック・レイクが務めていた。
Eddie Jobson

エディー・ジョブソンは、カーヴド・エアーフランク・ザッパ・グループ、ロキシー・ミュージック等に在籍。オンコードを多用する彼の楽曲構成は、信じられぬ程の宇宙的なサウンドの広がりを表現する。キーボード・ソロにおいては、世界トップレベルのテクニックとセンスを確認でき、彼の奏でるヴァイオリンの調べも、ソフトでメロディアスなうえ、リズミカルで心地良い。UKサウンドの中では、エディーの音楽性が占める比率が最も高いと私は思っている。綺麗なブロンドヘアーをなびかせて、エレクトリック・ヴァイオリンを奏でる姿は、来日時女性ファンのハートをつかんで放さなかった。実は彼はUKで始めて、それまで未知数であった才能と実力を開花させた感がある。
Allan Holdsworth

アラン・ホールズワースは、テンペスト、ゴング、ソフト・マシーン等のロック系グループの他に、 トニー・ウィリアム、ジャン・リュック・ポンティーといったアメリカの一流ジャズメンとも活動を共にしてきた。いわばプロ好みの職人気質ギタリストで、一流ミュージシャンの間でひっぱりだこであり、実際、数多くのグループを渡り歩いて来た。しかし、何処に行っても自分のプレーと音楽性に満足せず、ついには、マイナーレーベルより、自主製作のアルバムを出すに至る。UKにおいては、アメリカのジャズ畑でのレコーディングを経験しているからか、ギターパートだけを後から個別に録音する方法などに疑問を持ち、また、商業的にビッグ・セールスを狙う姿勢にも同意できず、ファースト・アルバムのみの参加で脱退してしまう。彼のソロ・フレーズは、ホールトーン・スケールを程好く絡めた、独特で不思議なサウンドで、後に彼がフリージャズを極めていくうえでも効果的な音使いであったといえる。余談だが、某音楽雑誌が世界一の早弾きギタリストは誰か?というテーマで色々と分析した結果、フレーズの難しさや正確さ等を加味すると、アラン・ホールズワースこそがギタリストの早弾き世界一であると確定した。エドワード・ヴァンヘイレン、ジョージ・ベンソンといったロック界、ジャズ界、屈指のトップギタリストが、尊敬する同業者としてホールズワースの名を挙げている事でも、その実力を窺い知る事ができる。
Bill Bruford

ビル・ブラッフォードは、創世期のイエス、円熟期のキング・クリムゾン等に在籍。プログレ界、いや、ロック界ナンバーワンの重鎮である。彼のドラムという楽器に対する取り組みは実に素晴らしく、常に新しい試みを加えようとする姿勢がある。まさにプログレッシブ(進歩的)ドラマーである。彼のドラミングの醍醐味は、これでもかというくらい複雑で奇抜な変拍子を多用する所。空気を切り裂くようにスコーン、スコーンと決まり、快感さえも覚えてしまうスネアの音、リズム・パターンを明示し、聴くものを複雑な変拍子であるにも関わらず、のせてしまおうとナビゲートするバスドラム。そして、ここぞという時に聴かせる、独特で鳥肌が立つくらい絶妙なタイミングのハイテクニックなフィルイン。彼は、よりジャズ志向の強い音楽性を求め、ホールズワースと共にファースト・アルバムのみの参加でUKを去ってしまう。
彼等4人がUKのオリジナルメンバーである。
ファースト・アルバムのみの参加で脱退したアランとビルは、UK参加前に立ち上げかけ、ビルのソロ・アルバムという形で作品も出していた『ブラッフォード』というグループを正式に結成するも、ここでもアランは長続きせず、更なる音楽の進歩を求めグループを離れる。
Terry Bozzio

テリィー・ボジオは、セカンドアルバムより参加。もともとは本場アメリカのジャズ、フュージョン畑で活躍していた。UKに参加する少し前に発売されたブレッカー・ブラザースの『ヘビーメタル・ビ ィ・バップ』というアルバムは、私の超お勧めであり、彼の壮絶なドラミングを全編で聴く事ができるファンキーなフュージョン・アルバムである。ビルのドラムが空気を切り裂く心地良さを与えてくれるなら、テリィーのそれは、まさに大地を揺るがすような、重厚さによる興奮を与えてくれる。フランク・ザッパ・グループに在籍していたこともあり、譜面に滅法強いドラマーでもある。楽曲のコンセプトに対する理解力が抜群で、全てのコンビネーションやオカズが作品の一部として成り立っている。まるで歌を唄うかのようなドラムフレーズなのだ。また、タムとスネアを行き交う連打のスピードと正確さは世界一であろう。UK解散後は、ミッシング・パーソンズという、自分のワイフがリード・ボーカルを務めるニューウェーブ系のバンドを結成し活動していた期間もある。現在は、一流ミュージシャン達のプロジェクトに次々と参加する等、世界ナンバーワンのセッション・ドラマーであり、依頼主のニーズに確実に応えられる世界一の職人でもあろう。実際にUKのライブを生で見たU君は、あまりにドラムが凄いので、ついついテリィーに目がいってしまったという。あの複雑でテクニカルなドラム技を繰り広げながら、物凄いオーバーアクションで見る者を惹きつけるのだそうだ。彼は本物のエンターテイナーである。


UKのサウンドと作品

 ドラマーが叩き出す複雑で高度な変拍子を多用した、スピード感と緊張感がみなぎるリズム・パターン。重低音を帯びたベースラインは常に適切で、心地良くサウンドの骨格を形作る。 そこに、キーボードの分厚い膨らみのあるファンタスティックな和音がかぶさり、まるで宇宙の果てまで広がって行ってしまうような、荘厳なスケールのアンサンブルを構築する。そして、情感溢れ、温かみの有る歌声が、一見すると無機質で冷ややかな感のある空間をタイミング良く和らげ、人の体温と息吹を与える。
 4人組の頃は、奇抜な音階と軽く歪んだ程好い音色の超高速ギターが時折顔を見せ、快感に近いスリルを与えてくれていた。ファースト・アルバムの『UK』(憂国の四士)においては、驚異のスーパーミュージシャン4人により、比類無き音楽性と高度なテクニックを駆使して、その方向性と無限の可能性を示し、セカンドアルバム『デンジャーマネー』では、楽曲の完成度を高め、さらにバンドのサウンドをタイトにした。そして、集大成である『ナイト・アフター・ナイト』では、ライブにおけるその紛い無き実力を証明し、スタジオ盤以上の迫力を聴く者に体感させた。しかし、それを最後のアルバムとして、この夢のスーパーユニットは惜しまれつつも解散してしまう。
 ジョン・ウェットンが、その後結成したエイジアは、それこそスーパースターの寄せ集め(こんな言い方になってしまうのだ。)で、念願の世界的大ヒットまで記録するが、そのサウンドは、もはやプログレッシブ・ロックと呼べる代物ではなかった。時代がUKを受け入れなかったというのは事実だが、商業的にうんぬんは二の次として、彼等が残した世紀の名盤3枚は永遠に聴き継がれ、感動できる者の心を打てば良いのだと思う。


UK(1978)


Polydor/東芝EMI/EG

1.In The Dead Of Night 5:36
2.By The Light Of Day 4:40
3.Presto Vivace And Reprise 3:06
4.Thirty Years 8:02
5.Alaska 4:38
6.Time To Kill 5:00
7.Evermore 8:09
8.Mental Medication 7:24
1曲目から3曲目までは組曲となっている。1曲目のIn The Dead Of Nightは、4人組みUKの代表作と言ってもいい曲で、プログレ的なテクニカルな部分と、軽快ではつらつとしたポップ的要素が同居している。これがUKだ!と言える名曲である。7/8拍子を基本としているが、リズムセクションもリフもメロディーも、違和感無くスムーズに流れていく。彼等の作曲センスは桁外れである。
Presto Vivaceはスーパーテクニカル集団の本領発揮とも言える曲で、複雑なドラムパターン、ポイントを的確に極めるべース、そして、エディーとアランの超ハイスピードのユニゾン。思わずため息が出てしまう超絶プレイだ。
Alaskaはエディーの真骨頂とも言うべき曲で、重厚で荘厳かつハイセンスな、サウンドの芸術であり、彼の音作りに対する優れた才能を確信できる。
そして、Alaskaから勇壮なTime To Killへとなだれ込んでいくのだが、まさに4人の勇猛果敢なミュージシャン(憂国の四士)が挑む、懇親のスペクタクルである。

DANGER MONEY(1979)


Polydor/東芝EMI/EG

1.Danger Money 8:15
2.Rendezvous 6:02 5:02
3.The Only Thing She Needs 7:56
4.Caesar's Palace Blues 4:46
5.Nothing To Lose 3:56
6.Carrying No Cross 12:23
前作に比べるとポップ性が増したのは間違い無い。ただ、楽曲の完成度とクオリィティーの高さは、 確実にアップしている。 タイトルチューンのDanger Moneyは、広がりまくるキーボードの和音と重低音のベース、正確にビートを刻むドラムのイントロから始まり、比較的ポップなボーカルの主題へと移行し、中間部では、あのクリムゾンの「レッド」を彷彿させる、コントラバスの音色のような重厚なベース・フレーズを聴くことができる。実に計算されたドラマティックな楽曲構成である。
Rendezvous 6:02とNothing To Loseは、このアルバムの中でも特にポップだが、どちらもまとまりのある秀作である。
Caesar's Palace Bluesは、ツインバスを駆使した手足のコンビネーションが凄まじい、ヘビーでいてスピード感をも併せ持つテリィーのドラム、そしてエディーのバイオリンのテクニックと音使いのセンスを堪能できる曲。
The Only Thing She Needsは、私がUKで最も好きな曲である。とにかく3人全員が凄まじすぎる。こんなにも難解で複雑な曲を、良くもまあこうも攻撃的に、クールに、完璧に演奏できるものだ。

NIGHT AFTER NIGHT(1979)


Polydor/東芝EMI/EG

1. Night After Night 4:48
2. Rendezvous 6:02 5:12
3. Nothing To Lose 5:05
4. As Long As You Want Me Here 5:00
5. Alaska 4:15
6. Time To Kill 4:07
7. Presto Vivace 1:03
8. In The Dead Of Night 5:59
9. Caesar's Palace Blues 4:18
UKのあのハイレベルな楽曲の数々は、ライブにおいて臨場感とスピード感が加味され、全てがスタジオ盤を越えるレベルに達していた。このライブを聴くと、3人の演奏能力の高さに感服せざるを得ない。
Presto Vivaceも、「よくこの“ブッ叩き方”でビルのリズムパターンをこなせるものだ」と感心してしまう。オープニングのNight After Nightと4曲目のAs Long As You Want Me Hereは、このツアーに合わせて作られた新曲であり、特にNight After Nightは名曲である。いきなり壮絶なドラムの連打とキーボードの早弾きのユニゾンによるイントロからはじまる。エディーのフレーズは、きらめく宝石のごとく、一粒一粒の音が輝いているし、テリィーの連打も高性能のマシンガンのごときスピードと正確さで、タムからタムへと移動する。びしっと要所を締めるジョンのベースも心地良い。
イントロの後はミディアムテンポの本編へと移行していくが、実に都会的で洗練されたUKの到達点を思わせる優れたナンバーだと思う。
この日本でのライブアルバムを最後として、UKは解散してしまう。今、このアルバムの中の「キミタチ、サイコダヨ」と言うジョンの言葉を聞くと、つい熱いものがこみ上げてくる。

Concert Classics, Vol. 4
(1999)


Renaissance

1.Alaska, Pt. 1 1:33
2.Alaska, Pt. 2 7:16
3.Time to Kill 7:21
4.Carrying No Cross 9:56
5.Thirty Years 10:05
6.In the Dead of Night 7:50
7.Caesar's Palace Blues 4:23
はっきり言ってブートレベル、それも中の下ぐらいのブートだ。ライン録音ということで、客席にてカセットレコーダーで録音したブートよりはもちろん音は良いが、彼等の“アルバム”としては評価しない方が良いだろう。演奏面では、ホールズワースのミストーンが多く、ブラッフォードは身体の具合でも悪いのか、リズムもメタメタでキメも外すし、何より全体的なテンションが低すぎる。ウェットンのボーカルも出だしからボリュームがオフ気味で、ミキサーが途中あわてて調節し、バランスを合わせるみたいな部分もある。発売権のいざこざで廃盤になったようだし、この作品?のリリースはメンバーの本意では無いのだろう。
だが、4人組U.K.のライブが、いつもこのレベルなわけではない。このCDと一緒に入手することができた、同メンバーによる同時期のブート作品に収められているプレイは、凄まじい程のハイレベルで、4人の実力が充分に発揮されているものであった。ブートということで、100%無修正の彼等の極上のステージを満喫できるうえ、それはナイト・アフター・ナイトと同格の演奏クオリティーなのである。こちらを、正規のライブ・アルバムとしてリリースできたら、ファンは大喜びであろうに。

2004.9. (ぴー) *2005.2更新