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<ビートルズ対談> 〜ロック年表制作協力者5人それぞれによるビートルズ KK、FIXX、msg、とらふぐ、HINE 5人衆の紹介はこちら THE BEATLES HINE:そりゃ〜失礼(^_^;ヘヴィ・ロック好きなのでついそうかと・・・ msg:で、出会いというとYMOがカバーしたデイトリッパーが最初かな?その時にビートルズ好きの友達に適当にカセットテープに録音してもらってビートルズ=イエスタディ&レット・イット・ビーと思ってたので、へぇ〜こんな曲もやってたのかって感じでしたね。 とらふぐ:中学生(70年代後半)の頃って、年末になるとFMで特集やってたのでそこで FIXX:知らんな・・・(-_-; HINE:
ところで、ありきたりな質問だけど、ビートルズの最高傑作はどのアルバムだと思う? msg:買いだしたのはCDからですけど、先ほどの録音してもらったテープでホワイトアルバムの曲では「ヘルター〜」より「オブラディオブラダ」の方がショックでした。「おぉ!知ってるよこの曲、ビートルズだったのか〜」と思いましたよ。けど俺はホワイトアルバムはあまり気に入ってないです、自分の中では初期のサウンドが好きで1番は「ハードデイズナイト」です。 FIXX:ワシの場合は、う〜ん、やはり「アビイ・ロード」かな。ていうか、これしかまともに聞いてないので、なんとも(^^; HINE:聞け〜〜〜〜〜!!・・・って、強要できるものではないけど、聞いて損はないよホント!! FIXX:でも、HM/HR系アーティストは、こぞって「ホワイトアルバム」に影響受けたって人多いね。 HINE:3面4面なんかは特にそうだね。「バースデー」とか「レボリューション1」とかね。シンプルな構成の中に、ロック魂が宿るというか、破壊的エネルギーがつまってるというか!メチャメチャ本来ロックが持つエナジーとかパワーの初期衝動のようなものを感じる。う〜〜ん、これはある意味パンクだね! とらふぐ:旦那、そない力まんでも・・・ HINE:ビートルズの中では何かとジョン・レノンがクローズアップされることが多いけど、ポールの方が後期なんかは本気でやってたし、1人でソロも出さないで、ビートルズのために黙々と名曲を作ってたのに、なんでなんだろうね〜?アビイ・ロードなんかポールの独壇場のような気がするけど・・・。 2002.3 |
Please Please Me EMI/東芝EMI |
With The Beatles EMI/東芝EMI |
A Hard Days Night EMI/Capitol/東芝EMI |
Beatles For Sale EMI/Capitol/東芝EMI |
Help! EMI/Capitol/東芝EMI |
Revolver EMI/Capitol/東芝EMI |
Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band EMI/Capitol/東芝EMI |
ディスコグラフィー 1963年 Please Please Me(プリーズ・プリーズ・ミー)*わずか1日でレコーディングされたという公式デビュー・アルバム。全英29週連続1位 |
Magical Miytery Tour EMI/Capitol/東芝EMI |
Yellow Submarine EMI/Capitol/東芝EMI |
Let It Be EMI/Capitol/東芝EMI |
The Beatles 1962〜1966 EMI/Capitol/東芝EMI |
The Beatles 1967〜1970 EMI/Capitol/東芝EMI |
The Beatles Anthology EMI/Capitol/東芝EMI |
The Beatles 1 EMI/Capitol/東芝EMI |
Rubber Soul The Beatles |
SIDE-1 SIDE-2 |
このアルバムは前期ビートルズの総決算的作品で、ロックのポピュラー化に大きく貢献した。それというのも、曲がすばらしく良いからに他ならない。サウンドには初期の単なるブリティッシュ・ビートからフォーク・ロック寄りにシフトし、加えて様々なアイデアが盛り込まれている。 ほとんどがレノン=マッカートニー名義の曲だが、このアルバムあたりから徐々にジョン・レノンとポール・マッカートニーの音楽嗜好の違いが明確になってきて、どちらの曲なのかが、少し聞いただけで判別できる。もちろん唄っている方の曲だというのは承知の事実なのだが、そういうことではなく、曲調を聞いただけでという意味だ。 ジョージの曲もあるが、まだその才能は開花していないようだ。 曲を個々に見ていくと、3拍子の一風変わった名曲「ノー・ウェジアン・ウッド」、イントロがコーラスから始まる「ひとりぼっちのあいつ」、息づかいまで歌詞にしてしまった「ガール」、クラシカルなキーボード・ソロで、トラッド音楽を想わせる「イン・マイ・ライフ」など、アイデアに満ちあふれている曲はすべてジョンの曲で、全体の中でもひときわ光っている。それにひき換えポールは、「ミッシェル」という不朽の名曲は残しているものの、ポップなメロディに適当なラヴ・ソングの歌詞を付け、少し安易な曲作りをしているようにも思える。当時ジョンが「おまえのは歌じゃない!」とポールに批判の言葉を浴びせていたのも頷ける。 しかし、そのメロディの良さは1曲たりとも外すことはなく、その点では充分評価されるべきものだろう。 ここで一つの音楽的ピークを迎えたビートルズ。並のバンドならこの後は守りに入り、飽きられるまでこの路線で突き進むはずだ。しかし、ビートルズはこの後も変化しつづけた。 ストーンズのように、ずっと変化しないまま人気を保つのも大変なことだが、変化しながら常にトップでありつづけるのはもっと難しい。 次なるアルバム「リボルバー」が新しい技術と手法・楽器などを大胆に取り入れた未知の作品であったのに対し、このアルバムでは既存の音楽の範疇で考えられ得る最大限のアイデアを駆使した、「素」のビートルズの最高傑作として位置づけたい。(HINE) |
(通称ホワイト・アルバム) The Beatles The Beatles |
SIDE-1 SIDE-2 SIDE-4 |
2枚組のアルバムとしては音楽史上初のヒット・チャートNo.1を記録したこのアルバムは、サイケデリックを通過後、初心に返ろうとしたのか、真っ白なジャケットにTHE
BEATLESというロゴが型押しされただけのシンプルな体裁でリリースされた。 これはある種「実験」がテーマのコンセプト・アルバムなのだが、実はメンバーもレコーディング期間もバラバラで、一部にエリック・クラプトンなどの外部ミュージシャンも起用しながら制作された。それにも関わらず、まとまるとこの通りの完成度。後からこの事実を知って、改めて彼らの非凡な才能に驚かされた。 当時ロック界では「ギターの神様」と崇め奉られていたエリック・クラプトンをしても、世界のスーパースターであるビートルズのアルバムへ参加するのは気が引けるとして一度は断ったらしい。しかし、ジョージの強力な要請により、名前をたしかエディ・クレイトン(?)という偽名でクレジットして参加していたらしい。 そのクラプトンが参加しているジョージの曲「ホワイル・マイ・ギター〜」では、自身のアルバムでも聞かせたことがないようなすばらしい泣きのギターを披露。発表後はすぐに「いったいこのすごいギターを弾く奴は誰だ!」と話題になり、あっという間にバレてしまったようだ。 アルバム全体に言えることは、ポールがジョンに迫るぐらいの実験的な曲を作り始め、2人の音楽性のバランスが同レベルになった。またジョージもやっと本来の持ち味を出した曲を作り始めたため、その曲たちも違和感がなく全体の中にとけ込み、2枚組でありながら1曲も棄て曲がないすばらしい仕上がりになったということだ。 SIDE-1から聴いていくと、この面は「つかみ」的な名曲が勢揃いしているが、同時にポールの完成度の高い実験曲も3曲収められている。飛行機の音を入れるという斬新なアイデアの「バック・イン・ザ・USSR」、カリプソのリズムを取り入れた「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」、またアドリブで1人で作ったというユーモア・センスのあふれる「ワイルド・ハニー・パイ」がそうだ。他の曲も秀作揃いで、曲順、曲構成ともに絶妙。あっという間に終わってしまう。 「ホワイル・マイ〜」は、ギターは泣いているという歌詞の通り、ジョージが泣きのギターを弾こうとしたが、うまくいかずクラプトンに助けを要請したもの。このアルバムには各面1曲づつ計4曲ジョージの曲が入っているが、どの曲も圭作で、レノン=マッカートニーの曲に少しも引けを取らない。おそらくインドで精神力を鍛錬したことで、自信がついたのではなかろうか。 SIDE-2は小作品的な曲がつづく。注目はポールの曲「ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ〜」で、一説にはストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」への返答歌とも言われている。ジョンもお気に入りの曲らしく、録音に間に合わなかったため、後で悔しそうにこの曲を口ずさんでいたという。 SIDE-3に入ると、がぜんハードさが増してくる。ストレートでシンプルなポールの曲「バースデイ」は理屈抜きに楽しめるタテのりロックの代表ソング。ちょっとひねりを加え、当時のイギリスのブルース・ブームを茶化した「ヤー・ブルース」はジョンらしい皮肉の効いた圭作。 そしてこの面最大のハイライトは、ヘヴィ・メタルの原型とも思えるハード&ヘヴィなポールの曲「ヘルター・スケルター」。ザ・フーに対抗して、最高にやかましくてダーティーなロックンロールを目指してやろうという狙いどおり、本当にやかましい(笑)。実際、後にLAメタルの代表バンド、モトリー・クルーにもカヴァーされていた。また、最後のリンゴの叫び声がカッコイイと前々から思っていたのだが、実は「指にまめができちまったよ」と叫んでいたのだと最近知り、かなり笑えた。 SIDE-4はジョンの独壇場。パンクの原型かと思わせる社会的メッセージソング「レボリューション1」から始まり、5曲目の「レボリューション9」ではプログレにも挑戦。まだキング・クリムゾンもデビューする前のことだ。すでにピンク・フロイドやフランク・ザッパに目を付け、そのサウンドを取り入れていたというのは驚きだ。 このようにSIDE-2の6のリング・スター作の曲も含め、全員で曲作りし、演奏も曲によっては入っていないメンバーがいたにも関わらず(ちなみに付け加えておくと、このアルバムのレコーディング中、リンゴは一度脱退し、すぐに3人に説得され引き戻されている)、同一のクオリティと方向性を持っていることには感服する。しかも2枚組というボリューム。ビートルズとしての最高作にして、今後2度と現れない奇跡の名盤といえるだろう。(HINE) |
Abbey Road The Beatles |
SIDE-1 SIDE-2 |
ホワイト・アルバム以降、メンバーはバラバラにソロ活動を始め、メンバー間の関係も収拾のつかないほど険悪なムードが漂っていた。もういつ解散してもおかしくないという状況の中、ポールの呼びかけで、ゲット・バック・セッション(TV用にビルの屋上で行ったセッション)と呼ばれるライブ音源をレコーディングしたが、そのまま放置した状態で、メンバー関係が修復されることもなく、また各自ソロ活動へと戻ってしまった。 その後ついに大きな決断を心に秘めたポールは、スタジオ・アルバムの制作を皆に呼びかけた。 ジャケットは、それまでずっとレコーディングに使っていたアビイ・ロード・スタジオに背を向け歩いて行くという4人の姿が写し出された。これはポールのアイデアらしい。メンバー達は誰もがこれで終わりだと悟っていたようで、わずかの期間ながら、4人全員が久しぶりに揃った。プロデュースにはジョージ・マーティン、セカンド・エンジニアにはアラン・パーソンズという布陣でポール主導のもとレコーディングは開始されている。 全体を通して、ヴォーカルはジョンが5曲、ポールが8曲と、明らかにポールが多く曲を提供し、しかも全体的なバランスをみながら的確な作品を作ってフォローしていることが分かる。それほどまでに、ポールはビートルズというバンドに執着心があり、好きだったのだろう。 各曲を聞いてみると、まず1曲目にいきなりインパクトのあるジョンの曲「カム・トゥゲザー」が入っている。これ1曲で充分自分の存在感をアピールできるほどのすごい曲だ。まさに天才という言葉が相応しい。 ジョージは「サムシング」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」という2曲の名曲を提供。こんなにいい曲を作れるのに、なぜ今まで・・・という感じだが、きっとメンバーの中では年下であったこと、ジョンとポールという偉大な作曲家を前に萎縮または遠慮があったのだろう。 ポールもまた「オー!ダーリン」という今や盗作されまくって、ほとんどロックンロールのスタンダードに近い名曲を生みだしている。リンゴも1曲提供し、SIDE-1ではソロの寄せ集め的な感じは否めない。 だが、SIDE-2はメドレー形式になった統一感のある大作で、ほとんどポールの独壇場だ。途中にジョンの曲も入っているが、それをうまくつなぐようにポールが編曲していると思われる。ビートルズとしての真のエンディング曲、「ジ・エンド」では、リンゴのドラム・ソロと他の3人のギター・ソロがポール→ジョージ→ジョンの順に入って、すべてを出し尽くしたという感じだ。10曲目のおまけトラックは余った曲をテープの最後に付けておいたら面白かったので、そのままユーモアで残したということだ。 このアルバムは素晴らしい出来で、傑作中の傑作には違いないが、ビートルズの・・・ということになると疑問が残る。 ポールの涙ぐましい努力があったからこそ完成した傑作なのだ。 この後、ジョンやジョージはすぐに次々とソロでヒットを生み出してゆくが、ポールはしばらく抜け殻のようになっていたことを考えると、このアルバムとビートルズのためにポールは全力を注ぎ、全てを出し切ったことが分かる。(HINE) |