SUPERTRAMP スーパートランプ


SOME THINGS NEVER CHANGE

冒頭見出しは、彼らの10枚目のスタジオ・アルバムのタイトルにも使われた「何も変わらない」という意味の言葉だが、これこそスーパートランプの歴史を言い表す最適な言葉でもある。
そう、彼らはデビュー当時から現在まで一貫したサウンドで、売れようが売れまいがおかまいなし、常にマイペースで活動してきたのだ。そのサウンドとは、一聴しただけでは非常にポップでとっつきやすいのだが、よく聴くとかなり高度で多彩な音楽性を持ち、ウィットに富んだ歌詞からは、とてもインテリジェンスを感じる。またユーモア・センスにもあふれ、これらの特徴はカンタベリー・ミュージックにも通じるものがある。
70年代初頭、プログレ・バンドはみな壮大なコンセプトのアルバムを作り、テクニックや難解な内容を競い合っていた。ところが、時代の流れと共にシングル向きのコンパクトな曲づくりを迫られ、ポップ化の道をたどるのだが、一部を除きそのほとんどが失敗し、衰退・消滅していった。
しかし、スーパートランプの場合、最初からそういったポップなサウンドだったため、すんなりと時代に受け入れられた。・・・というより、時代が彼らに追いついたとでも言った方が適切な表現だろうか!?

1968年英、ギルバート・オサリバンが在籍したことでも知られる、元リッグズ・ブルースのリチャード・デイヴィスが、ロジャー・ホジソンと出逢って結成したザ・ジョイントがスーパートランプの起源となる。そして69年ラッキーなことに、ドイツのミュンヘン公演で彼らのライヴを見たオランダの大富豪スタンレー・オーガスト・ミエセガエス(通称サム)が、彼らに資金援助し新しいバンドを結成するよう進言したことからスーパートランプが誕生する。
さっそくイギリスの音楽新聞にメンバー募集広告を出し、オーディションでバンド・メンバーを集めた彼らは、サムの強力な後押しもあってA&Mレコードとすんなり契約。70年にアルバム「スーパートランプ」でデビューする。スーパートランプという名前は、1910年に出版されたW.H.デイヴィスの小説「The Autobiography Of Supertramp」から取られたもので、良い環境の中、良い教育を受け育った主人公が、ある日突然放浪の旅に出るというストーリーらしい。Trampとは"放浪する人"という意味だ。
オリジナル・メンバーは、ホジソン(vo,b)とデイヴィス(vo,key)の他、
Richard Palmerリチャード・パーマー(g,vo)、Robert Millarロバート・ミラー(ds)、Dave Winthropデイヴ・ウインスロップ(flutes,sax,vo)の3人がいたが、ウインスロップはデビュー直前に加入したため、レコーディングには参加していない。このファースト・アルバムはまったく売れなかったが、すでにブルース、ジャズ、プログレなどを取り入れたバラエティに富む音楽性を持っていた。だが、まだまだそれらは消化不良で、方向性が定まっていない。
このデビュー・アルバム発表後、すぐにパーマーとミラーが相次いで脱退。その後も幾度かのメンバー・チェンジを繰り返したが、なんとか翌71年にセカンド・アルバム「消えない封印」を発表した。このアルバムではホジソンがリード・ギターにスイッチし、デイヴィスとウインスロップの他、新加入の
Frank Farrellフランク・ファレル(b,vo,piono)、Kevin Currieケヴィン・カリー(ds)が参加している。
このセカンドでは、ファーストでみせた多彩な音楽性にプラスしてポップな面も現れ、ほぼ以降のスーパートランプ・サウンドを確立したと言えるだろう。今聴くとなかなかいいアルバムだが、当時は見向きもされなかったようだ。
そして73年、またもや大幅なメンバーチェンジが起き、ホジソンとデイヴィス以外のメンバーが全員脱退。しかし、新たなメンバーは以降不動のラインナップとしてスーパートランプで活動していくことになる。

Roger Hodgson ロジャー・ホジソン/ヴォーカル、ギター、ピアノ
Richard Davies リチャード(リック)・デイヴィス/ヴォーカル、キーボード
Bob C. Benberg ボブ・C・ベンバーグ/ドラムス、パーカッション
John Anthony Helliwell ジョン・ヘリウェル/サックス、クラリネット、ヴォーカル
Dougie Thomson ダギー・トムソン/ベース・ギター

このメンバーでじっくり時間をかけリハーサルした彼らは、74年、プロデューサーにデヴィッド・ボウイやディーヴォなど異色アーチストを手がける大物、ケン・スコットを迎え、サード・アルバム「クライム・オブ・ザ・センチュリー」を完成させた。
このアルバムでは、それまであまり表に出なかったホジソンのヴォーカルを大きくフューチャー。これが彼らの軽妙なサウンドにピッタリとはまり、これまで以上に楽しく聞きやすいサウンドになった。特にデイヴィスのブルージーな野太い声と、ホジソンの対照的にポキッと折れそうなほどか細い声は、交互に唄うことでとても面白い効果を生んだ。アルバムは全英4位/全米38位の大ヒットとなり、ホジソンが唄った「ドリーマー」は全英13位と初めてのシングルヒットも記録。全米でもデイヴィスが唄うシングル「ブラッディ・ウェル・ライト」が35位まで上昇した。
翌75年には全英・全米ツアーも行い、間髪を空けずに4作目のアルバム「危機への招待」もリリース。このアルバムも全英20位/全米44位と好評を呼び、さらに人気を不動のものにした。
彼らは、これを足がかりに全米進出を果たすべく76年の初めにアメリカへと移住。その甲斐あって、77年発表の移住後初のアルバム「蒼い序曲」は全英12位/全米16位の大成功を収めた。また、ここからのシングル「少しは愛をください」(Give A Little Bit)は、全米で15位まで上昇する大ヒットとなった。
この頃日本国内では、スーパートランプの存在はまだ一部のプログレ・ファンにのみ知られる程度で、かなり知名度は低かった。元来日本人は「伝統」や「様式美」などを重んじるタイプのため、あるジャンルやカテゴリーに属さないバンドは理解不能で、あまり人気がでない。スーパートランプの場合もプログレのコーナーに種分けされてはいたものの、いまひとつプログレっぽくはないし、かといってハードロックでもなし、ブルースでもなし、はたまたフュージョンでもない。言わば、あらゆる音楽をミックスしたコンテンポラリー・ポップ・ロックというような、訳の分からない、表現不能のオリジナル・サウンドなのだ。
しかし、彼らの次作「ブレックファスト・イン・アメリカ」は、そんな問題をも吹き飛ばしてしまうほどの驚異的ビッグ・ヒットを記録する。
79年にリリースしたこの6th.アルバムは、なんと全米で6週間連続No.1(全英は3位)という金字塔を打ち立てる。シングルでも「ブレックファスト・イン・アメリカ」(全英9位)、「ロジカル・ソング」(全英7位/全米9位)などを次々とヒットさせ、世界各国、もちろん日本でも大ブレイクした。
この年の暮れから80年にかけては、全米とヨーロッパで大規模なツアーを敢行。その模様は「ライヴ・イン・パリ」として80年のうちにリリースされた(全英7位/全米8位)。
その後あまりの多忙さに疲れたのか、しばらく沈黙し、82年になってようやくニュー・アルバム「フェイマス・ラスト・ワーズ」を発表した。このアルバムには、ハートのナンシー姉妹がバック・コーラスで参加したことも話題となり、全英6位/全米5位まで上昇。シングル「イッツ・レイニング・アゲイン」も全英26位/全米11位と、まずまずのヒットとなった。
ところが、この年まさかのホジソン脱退が伝えられた。ホジソンは脱退後84年と87年にソロ・アルバムを発表するものの、精力的にソロ活動するでもなく、いったい何故脱退したのか真相はまったく不明だった。90年代に入り、一時イエスに入るのでは?と噂されたこともあり、実際レコーディングは行われていたが(94年発表のイエスのアルバム「トーク」で1曲のみホジソンがリードヴォーカルをとる曲を聴くことが出来る)、ジョン・アンダーソン(vo)がイエスに戻ってきたことで、その話は立ち消えになったらしい。その後またソロに戻り、実の息子アンドリューと共に行動していた。
スーパートランプに話を戻すと、残った4人のメンバーは85年になって活動を再開。デイヴ・ギルモア(g/ピンクフロイド)やスコット・ゴーハム(g/元シンリジィ)ら豪華ゲストを迎えたアルバム「フロンティアへの旅立ち」を発表したが、往年の輝きを取り戻すことはなく、全英20位/全米21位を記録するのがやっとだった。87年にもアルバム「フリー・アズ・ア・バード」、88年にライヴ・アルバム「ライヴ88」をリリースするが、共にヒットするには至っていない。
そして、約10年の月日が流れ、レーベルも移籍してのニュー・アルバム「永遠(とわ)への贈り物」(Some Things Never Change)を97年ついに発表。この英文タイトル通り、10年経ってもまったく変わりないスーパートランプ・サウンドを聴かせてくれたが、やはりホジソンの抜けた穴は大きく、はっきり言ってしまえばデイヴィスの唸っているような低音ヴォイスばかりで眠くなってしまう。曲は決して悪くないのだが・・・。
その後は、2000年に突然76年の未発表ライヴをリリースしたが、これはすでにブートものが以前から出回っていたものだ。そして2002年、5年ぶりとなるスタジオ・アルバム「Slow Motion」をリリースしたが、もはや日本では発売もされなかった。
最近改めてスーパートランプのファーストから「永遠の贈り物」までをずっと聞き返してみたが、彼らが目指しているサウンドは、今も昔もまったく変わっていないことに気づかされる。だが、ホジソンが唄っていないと、どうもスーパートランプらしくない。それほどホジソンのヴォーカルは強烈なインパクトを我々ファン達に植え付けたのだろう。だが、今では皮肉にもその個性の強さがホジソン自身とスーパートランプ双方を苦しめる原因ともなっている。(HINE)
 2003.5




Supertramp
A&M/ポリドール

Indelibly Stamped
A&M/ポリドール

Crime Of The Century
A&M/ポリドール

Crisis? What Crisis?
A&M/ポリドール

Even In The Quietest Moments
A&M/ポリドール

Paris
A&M/ポリドール

ディスコ・グラフィー

1970年 Supertramp(スーパートランプ)*すでにブルース、ジャズ、プログレなどを取り入れたバラエティに富む内容。
1971年 Indelibly Stamped(消えない封印)*サックス奏者も加わり、彼ら独自のサウンドが完成。
1974年 Crime Of The Century(クライム・オブ・ザ・センチュリー)*メンバーも落ち着き、初の大ヒットを記録した。
1975年 Crisis? What Crisis?(危機への招待)*シングル・ヒットこそなかったが、名曲「Two Of Us」などを収録。
1977年 Even In The Quietest Moments(蒼い序曲)*アコースティックな名曲「Give A Little Bit」が全米でも大ヒット。
1979年 Breakfast In America(ブレックファスト・イン・アメリカ)*全世界で大ヒットした彼らの最高傑作。
1980年 Paris(ライヴ・イン・パリ)
*一番のっている時のライヴを収めた2枚組CD
1982年 Famous Last Words(フェイマス・ラスト・ワーズ)
*ハートのナンシー姉妹も参加。「イッツ・レイニング・アゲイン」収録
1985年 Brother Where You Bound(フロンティアへの旅立ち)*ホジソンが抜け、豪華ゲストが参加した。
1986年 Biography Of Supertramp *初のベスト・アルバム。全英9位を記録した。
1987年 Free As A Bird(フリー・アズ・ア・バード)
*全英93位/全米101位と低迷
1988年 Live '88(ライヴ'88)*メンバー8人編成によるライヴ。
1992年 Very Best of Supertramp *突然「Give A Little Bit」がリヴァイバル・ヒット頃リリースされたベスト盤
1997年 Some Things Never Change(永久への贈り物)
*10年ぶりの新作だったが、まったくサウンド変化はない。
1999年 It Was The Best Of Time(スーパーマニア・ライブ・ベスト)*日本独自の企画物らしい
2000年 Very Best of Supertramp, Vol. 2
2001年 Is Everybody Listening? 
*ブートで出ていた76年のライヴを正式リリース。
2002年 Slow Motion *5年ぶりの新作



Famous Last Words
A&M/ポリドール

Brother Where You Bound
A&M/ポリドール

Free As A Bird
A&M/ポリドール

Some Things Never Change
EMI/Chrysalis/東芝EMI

Is Everybody Listening?
EMI/東芝EMI

Slow Motion
EMI/東芝EMI


◆◆◆名盤PICK UP◆◆◆

ブレックファスト・イン・アメリカ
Breakfast In America

スーパートランプ
Supertramp



1979年 A&M/ポリドール

SIDE-A

1.あこがれのハリウッド
 Gone Hollywood

2.ロジカル・ソング
 The Logical Song

3.グッドバイ・ストレンジャー
 Goodbye Stranger

4..ブレックファスト・イン・アメリカ
 Breakfast In America

5.オー、ダーリン
 Oh Darling

SIDE-B

1.ロング・ウェイ・ホーム
 Take The Long Way Home

2.すべては闇の中
 Lord Is It Mine

3.神経衰弱を吹き飛ばせ
 Just Another Nervous Wreck

4.退屈な会話
 Casual Covnersations

5.チャイルド・オブ・ヴィジョン
 Child Of Vision

スーパートランプが本当の意味で世界的に認められたのは、このアルバムが全米1位に輝いた瞬間だろう。それまでどちらかというと、イギリスやヨーロッパでのみ人気があり、日本やアメリカではほとんど話題にもならなかった。それがチャート1位となり、しかも、その1位を6週間もキープしたと聞けば、全米はもとより、日本や諸外国でも騒がれないはずはない。ちなみにこのアルバムのチャート記録は、79年度のベスト3(1位はイーグルスのロングラン、2位はZEP.のインスルージアウトドア)に入るもので、70年代全体でも22位(ZEP.のフィジカルグラフィティやドゥービーブラザーズのミニットバイミニットを上回る)に入る快挙であった。また、シングルでも「ブレックファスト・イン・アメリカ」(全英9位)、「ロジカル・ソング」(全英7位/全米9位)、「グッバイ・ストレンジャー」(全米15位)、「ロング・ウェイ・ホーム」(全米10位)などが連続で大ヒットし、彼らはあっという間に世界的なビッグ・スターとなっていた。
そして、そのアルバムの内容は一般リスナーからコアなファンまでが楽しめる、期待を裏切らない名盤だ。やっていることは基本的に以前からさほど大きく変わったところはないのだが、よりポップでライトな感じを強調したサウンド作りをしたため、非常にわかりやすい印象を受ける。これがアメリカ人好みのサウンドであろうことは、彼らもよく研究したのだろう。名盤というのは、何故かジャケットもまた名作であることが多い。その例に漏れず、このミック・ハガティがデザインしたアートワークも、グラミー賞を受賞したほどすばらしい。一度見たら二度と忘れない強烈なインパクトを放ち、内容と同じようにとてもポップでユーモラスなものに仕上がっている。
また、コアなファンをも納得させる、さらに広がりをみせた音楽性と歌詞。このアルバムでは、彼ら独自の視点でイギリス人から見たアメリカの姿をユーモラスに描き出している。曲のタイトルを見ただけでも、何やら面白そうだというのはお分かりいただけよう。
特にすばらしいのは、LPではA面に当たる1曲目〜5曲目の流れ。それまで以上にホジソンとデイヴィスのボーカルの掛け合いが増え、さまざまな楽器や小道具的SEがこれでもかと飛び出す。まるでミュージカルでも見ているようだ。
一方、B面はじっくりと聴かせる曲が多く、聴き込むほどに味が出る。リリースされた当時聞き逃したロック・ファンも、愛聴していた・スーパートランプ・ファンにも、ぜひ現在のリマスターされた良い音で、もう1度このアルバムをじっくり聞き直していただきたい。(HINE)