ア〜オ

アート・ロック ART ROCK

サイケデリック・ムーブメントを体験したミュージシャン達は、68年頃よりクラシックやジャズなどあらゆる音楽を取り入れ、さらにプログレッシヴなサウンドを追究するようになっていった。その新しい音楽を日本のレコード会社がひとまとめにして“アートロック”として69年に大キャンペーンを行った。その面々は、ジミ・ヘンドリックスクリームジャニス・ジョップリンレッド・ツェッペリンヴァニラ・ファッジアイアン・バタフライBS&T(ブラッド・スエット&ティアーズ)、シカゴアル・クーパー等である。(HINE)



アシッド・サウンド ACID SOUND

サイケデリック・ムーブメントはロックだけでなく、他の音楽にも影響を及ぼした。例えば、ウッドストック・フェスティバルでも大活躍した、ファンク・アーチスト、スライ&ザ・ファミリーストーンなどは、ロックとソウルを融合させ、ファズギターを使うなど斬新なサウンドで、ジェームス・ブラウンが生み出したファンクを広く大衆に知らしめたが、ドラッグの力を借りていた部分が大きく、70年代以降はしだいにその影響で体ごと蝕まれていった。(HINE)



アンビエント・ハウス AMBIENT HOUSE→


アンプラグド UNPLUGGED

アメリカの音楽専門ケーブルTV番組「MTV」が1989年10月からスタートした、電気楽器を使わないスタジオ・ライヴのコーナー。提唱者は70年代にファンキー・キングスやジュールズ&ザ・ポーラー・ベアーズとして活動していた、ジュールズ・シアー。当初は同コーナーの司会を務めていたジュールズが、出演者と一緒に最後に生楽器を持ち寄り軽くセッションするというものだったが、しだいに人気コーナーとなり、92年エリック・クラプトンの出演によって大ブレイク。クラプトンの完璧なまでのステージはアルバムとしても発売され、1,400万枚ものセールスを記録した。(HINE)



イージー・リスニング EASY LISTENING

BGM(バック・グラウンド・ミュージック)として聞き流せるような、耳障りでない心地よい軽音楽。1968年にフランスのポール・モーリア楽団が「恋は水色」を全米No.1ヒットさせ、イージーリスニングというジャンルを確立。その後、レーモン・ルフェーブル、フランク・プールセル、リチャード・クレイダーマンなどのスターを輩出し、以降80年代初頭まで人気を維持する。(HINE)



インディーズ INDIES

Independent Record Labelsの略で、80年代以降に現れた、独立系マイナー・レーベルを指す。マイナー・レーベルとは本来販売網を持たないレコード会社のことで、メジャー・レーベルの傘下になることで販売は親会社に委託していた。しかしパンク以降、レコードの販売活動まで自前で行う独立系レーベルが数多く出現し、一部のマニアックなファン達の間だけに流通するマーケットを形成した。これらインディーズ・レーベルからデビューすることは、派手な広告などはしてもらえない代わりに自由な創作活動ができるといううま味もある。(HINE)



インストゥルメンタル INSTRUMENTAL

略称インスト。ヴォーカルのない楽器演奏のみの音楽。ロック界でインストものが時代の潮流になったことはないが、ビートルズ出現前夜のアメリカでは、ベンチャーズをはじめとするエレクトリック・ギターを中心としたグループが数多く存在した。ロック界で有名なインスト系アーチストには、ジェフ・ベック(クロス・オーヴァー)、フォーカス(プログレ)、タンジェリン・ドリーム(ジャーマン・ロック)などがいる。(HINE)



インプロビゼーション IMPROVISATION

「アドリブでプレイする」ことを指すが、日本語で表すと「即興演奏」という言葉があてはまる。60年代〜70年代初頭では、ライブでのインプロビゼーションがあたりまえのように行われていたが、これはブルースやジャズからの影響を受けたクリームの面々が、すさまじいインプロビゼーション・バトルを披露して有名になったことから、1つのロックの形式として定着したのだろう。(HINE)



ウインド・ミル WIND MILLモッシュ&ダイヴの項()参照


ウエスト・コースト・ロック WEST COAST ROCK

アメリカの西海岸を思わせるカントリー色の強いロックで、元は60年代後期に現れたバッファロー・スプリングフィールドを取り巻く一派と言われている。その後ポコ、ロギンス&メッシーナ、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)、リトル・フィート、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズなどが活躍し定着した。特に70年代半ば、イーグルスとドゥービー・ブラザーズの相次ぐ大ヒットにより人気が高まった。60年代半ばに活躍したママス&パパスなどのウエスト・コースト・サウンドも彼らのルーツ・サウンドである。実はウエスト・コーストの代表的バンドであるイーグルスのメンバーは、全員ウエスト・コースト出身ではなく、ロサンゼルスを拠点としたバンドであった。(HINE)



エイト・ビート EIGHT BEAT

ロックの基本的なリズム・パターンで、4/4拍子で1小節を8分割した8つの8分音符がビートの基本単位となるリズム。普通2と4拍目にアクセントが来る。この言葉自体がロックを指す場合もあるが、これはまったくの和製英語である。(HINE)



オルタナティブ ALTERNATIVE

もともとはパンクやニュー・ウェイヴの流れから派生し、インディーズ・レーベルで細々と活動していたアーチスト達の総称であったが、その中からソニック・ユースやニルヴァーナがメジャー・レーベルと契約し大成功すると、商業ロックに対するもう1つの勢力として「オルタナティブ」という言葉が使われるようになった。彼らの特徴はメジャーとは単発の契約を結び、メジャーとインディーズ双方のレーベルからアルバムを出す自由度を保っている。また、音楽的にもジャンルにとらわれない自由な発想で、「売れようが売れまいがおかまいなし」「自分たちの好きなようにやる」「レコード会社の言いなりにはならない」といったスタンスでアルバム作りをする。(HINE)



カ〜コ

カンタベリー・ミュージック CANTERBURY MUSIC

66年に結成されたジャズ・ロックの祖ソフト・マシーンと、彼らを取り巻く、共通の音楽的要素を持ったミュージシャン達による音楽の総称。ソフト・マシーンのメンバー達がイギリスのカンタベリー出身であったことに由来する。彼らの共通項は、売れることよりも音楽至上主義で、いかに理想の音楽を創り上げるかが優先される。独特のジャズ・ロック・スタイル、ユーモラスな表現、一見解りやすいのに実はとても難解な語り口などでが特徴。主なミュージシャンには、ソフト・マシーン、キャラヴァン、ヘンリー・カウ、ゴング、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース、マイク・オールドフィールド、ロバート・ワイアット、ケヴィン・エアーズなどがいる。(HINE)



ギグ GIG

本来は公演、興行と言った意味だが、大きな会場でのコンサートと区別する意味で、小会場での演奏会に使う言葉。(HINE)



ギミック GIMMICK

いかさま。ごまかし。生演奏ではあり得ないような音を、最新のレコーディング技術や後加工によって実現させることへの軽蔑的な意味を込めて使う。(HINE)



クインシー・ジョーンズ QUINCY JONES

80年代には“大統領の次に忙しい男”と形容されたほどの売れっ子プロデューサーで、「フュージョン」の生みの親でもある。主にブラックミュージックやジャズアーチストを中心にプロデュースを手がけ、そのアルバムは次々と大ヒットした。
クインシー自身も50年代から活躍していた、ジャズ・ミュージシャンだったが、70年代あたりから他のブラック系アーチスト達のプロデュースを手がけるようになり、79年にはマイケル・ジャクソンのソロデビュー作「オフ・ザ・ウォール」を大ヒットさせ、一躍脚光を浴びる。その後、ジョージ・ベンソン、チャカ・カーン&ルーファス、ブラザース・ジョンソン、パティ・オースティンなども大ヒットさせ、アルバムの裏に“Q”マークが入っているだけで売れるという状態までつくりあげた。また、自らも「愛のコリーダ」などのヒットを放つ。
85年のアフリカ救済支援アルバム「USAフォー・アフリカ/ウィー・アー・ザ・ワールド」では、指揮者もこなし、その人望の厚さでロックやブラック・ミュージック、カントリーなど様々なジャンルを越えた有名アーチスト達をたくさん集めた。(HINE)



グラム・ロック GLAM ROCK

中性的イメージで、化粧やきらびやかな衣装を特徴とする70年代初期現れたアーチスト達。音楽的にもは演劇的なステージや物語的コンセプトアルバム作りなど、国籍不明のポップアート・アーチストという感じが強かった。今でいうビジュアル系アーチストの祖先とも言える。代表アーチストは、デビット・ボウイT・レックスロキシーミュージックなどだが、ここから進化した形ではルー・リードアリス・クーパーなどもいる。(HINE)



グランジ(グランジ・ロック) GRUNGY(GRUNGE ROCK)

80年代のヘヴィ・メタル全盛期を否定した、90年代のブーム。
それまではアメリカのLAメタルがアメリカンキッズの心をつかんでいたが、シアトルロックが登場し、それらのバンドをグランジと呼んだ。
その大きな差は、主にスタイルや衣装に違いを見せる。それまでのヘヴィ・ロックのハデハデしいボンテージ系衣装を一掃した。
現在ではジーパン等の衣装はめずらしくないが、グランジブームがその発端であった事は否定できない。要は衣装等の外見にとらわれずに、自由に音楽を表現した。今は死語に近い。(KK)



クロスオーヴァー CROSSOVER

ジャズ・ロックがロックの楽器を使ったジャズ演奏であったのに対し、ジェフ・ベック(g)は70年代初頭より、ロック・ビートのままジャズやソウル的アプローチをロックに持ち込み、ジャズとのクロスオーヴァー・サウンドを模索していた。そして75年、ついに「ギター殺人者の凱旋」というアルバム発表によって、独自のサウンドを確立させた。
もっとも、それ以前からジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスらがジャズ側からのクロスオーバー・サウンドを模索しており、70年代にはいると、その門下の一派達が続々とロック的アプローチを示しはじめいた。中でもチック・コリア(kb)/アル・ディメオラ(g)/スタンリー・クラーク(b)によるスーパーバンド“リターン・トゥー・フォーエバー”や“ウェザー・リポート”“ジョン・マクラフリン&マハビヌシュ・オーケストラ”などがジャズ側からのクロスオーヴァー・サウンドを同時期に完成させ人気を得ていた。そしてこれらのサウンドを総称して「クロスオーヴァー」と呼ぶようになっていたが、後にクインシー・ジョーンズらが押しすすめるフュージョン・サウンドといっしょにされ「フュージョン」と呼ばれるようになっていった。(HINE)



ゴールド・ディスク GOLD DISC

50万枚以上のセールスをあげたシングルおよびアルバムに対し、アメリカ・レコード工業会(RIAA)公認で贈られる金メッキのレコード。ちなみに日本のゴールドディスク大賞の場合は、邦楽100万枚以上、洋楽50万枚以上となっている。(HINE)



コンポーザー COMPOSER

Composeとは作曲の意味で、コンポーザーは作曲者のこと。ロックの基本は自作自演であり、たいていの場合はバンド内にいるメンバー、もしくはソロ・アーチスト本人がコンポーザーであることが多いが、中には専門に他のアーチストのために作曲する人もいる。ケニー・ロギンス、ブライアン・アダムス、シェリル・ウロウなどは当初そういった仕事をしていた。(HINE)



サ〜ソ

サイケデリック PSYCHEDELIC

精神科医のH・オズモンドが、LSD(1943年スイスの製薬会社によって発見された合成幻覚剤)の大量投与を人格解放療法だとして考案し、これをサイケデリック・セラピーと名付けたのが語源。1963年LSDの虜になってしまった名門ハーバード大学の心理学助手、ティモシー・メアリーは大学を追放され、メキシコにサイケデリック研究センターが建てると、自らサイケデリック運動の教祖として芸術家達へ想像力を高める薬としてLSDを薦めた。しだいにそこへヒッピー達が集まるようになり、あっという間に若者の間にLSDとサイケデリック運動が広まっていった。60年代後半、このヒッピー発祥の地サンフランシスコを中心に、サイケデリック文化は全米を席巻する。アシッド・サウンド、サイケデリック・ロック(アシッド・ロック)もこの時生まれ、相互関連のない複数のモチーフが脈絡なく現れたり、音を異常に歪めたり増幅したりした。また歌詞も内的で破壊的で色彩的、時には意味不明な状態であった。
サイケデリック文化の1つとして、ヒッピー/フラワームーブメントがあるが、当時のロックの世界もサウンドのみならず、レコードジャケットなどにもその影響が残されている。また、この時代の真っ只中に開催された、伝説のウッドストックフェスティバルはヒッピー達とロック・アーチスト達の最も象徴的なサイケの祭典であった。
代表的アーチストは、グレイトフル・デッドジェファーソン・エアプレインジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンドアーズ、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス等だが、少なからずこの時代を通過したアーチスト達は一時期アシッド・サウンドを体験している。ビートルズクリームピンクフロイド等もそうだ。(HINE)



サザン・ロック SOUTHERN ROCK

アメリカ流ブルース・ロックはイギリスのそれとは異なり、もう少し泥臭いカントリー/フォーク色の強いものであったが、70年代に入ると南部黒人音楽独特のルーズでシンプルなサウンドをより強調し、独特なサウンドに発展させたミュージシャンも現れだした。その中でも、70年にエリック・クラプトン率いるデレク&ドミノスの大ヒット曲「いとしのレイラ」へデュアン・オールマンがギターソロで参加して、当時ギターの神様と呼ばれていたクラプトンと対等に渡り合ったことから、一躍オールマン・ブラザーズ・バンドが脚光を浴びるようになった。しかしデュアンは翌年バイクで事故死、ベースのベリー・オークレーも2年後に他界と不運に見舞われ、急激に同バンドのカリスマ性は失われた。つづいて人気を誇ったのが73年結成のレーナード・スキナードであったが、こちらも77年、飛行機事故によりメンバー3人が他界するという不運に見舞われる。しかし、80年代にはZZトップの大活躍により再び、サザン・ロック健在を示した。(HINE)



産業ロック CO-OPERATE ROCK

70年代中盤以降ピーター・フランプトンの「フランプトン・カムズ・アライブ」やフリートウッド・マックの「噂」などが、ロックアルバムとしては桁違いの売れ行きを見せ、他のベテラン・アーチスト達もこぞって、ポップでキャッチーな曲調で、シングルヒット狙いの曲を出し始めた。80年代に入ると、巨大化した欧米の音楽産業界はこうしたアーチスト達を使って、緻密なマーケティングと徹底したプロモーションで効率よくヒットを量産しだした。批評家達は軽蔑の意味を込めてこれらを「産業ロック」と呼んだ。よく批評家達の標的にされたのは、ジャーニーボストンスティックスカンサスボンジョヴィ達で、その元祖はグランド・ファンクということになっているらしい・・・。(HINE)



ジャズ・ロック JAZZ ROCK

65年頃よりジャズのポップ化も始まり、通常ヒットチャートなど無縁なジャズ・ミュージシャンがスマッシュヒットを放つなどの現象が起きてきた。しかし、その動きとは別に、ロック・ミュージシャンの側からのジャズ的エッセンスを加味したサウンドも60年代末頃には現れだした。そのジャズ的エッセンスとは、主にホーンセクションを多用するということで、“ブラスロック”というイメージが強い。後に出現するフュージョンとは少し異質のもの。ブラッド・スエット&ティアーズなどはその最も成功した例だ。しかし、中には完全にジャズを電子楽器で演奏している感じのソフトマシーンなどもいた。(HINE)



ジャングル JUNGLE

90年代にイギリスのレイヴ・シーンから登場した、ハードコアやテクノなどが混在してできたオリジナル・ダンス・ビート。ブレイク・ビーツに焦点を絞り、それを中心に再構成させた音楽。ドラムン・ベースも同義語。(HINE)



タ〜ト

デルタ・ブルース DELTA BLUES

1930年代にフォークソングやダンスナンバーをレパートリーにしていた黒人達が、白人に強制された「教会」での宗教歌「ゴスペル」の影響を受けて、それまでの「ワーク・ソング」を発展させた音。ミシシッピー・デルタが発祥の地と言われることから「デルタ・ブルース」と言われる。
特徴としてビンの口や鉄棒を左手のセ〜ハ〜の変わりに使い弦の共鳴を得るスライド奏法がよく使われる。曲調は暗く重くドロドロ!!
クリームが「Stop&Listen」「Cross road」でコピーしているのが有名。他にもジミ・ヘンドリックスジョニー・ウインターキース・リチャードなどに影響を与えている。
また、86年に公開された映画「クロスロード」(クラシック・ギターを学ぶ少年が「ブルース」に憧れハープ吹きのお爺さんとアメリカ南部を旅して「本物のブルース」に出会うといった内容)では、スティーブ・ヴァイや(自身もラストに登場して弾きまくり!)ライ・クーダー(主にスライド・ギターのリフ担当)が挿入歌やリフを弾いて再び注目をあつめた。
<お奨め>:ロバート・ジョンソン「コンプリート・レコーディングス」SONY SRCS-9457、サン・ハウス「ファーザー・オブ・ザ・デルタ・ブルース」SONY SRCS-5958 (とらふぐ)



ドゥーワップ DOO-WOP

50年代から60年代初頭にかけて人気を博した1ジャンルで、R&Bをベースにしたヴォーカル・グループの歌唱スタイル。アカペラのコーラスをより洗練させたようなサウンドでもあり、通常4〜5人のメンバーでハイ・テナー、セカンド・テナー、バリトン、バスというように分かれて、アコースティック・ピアノなどに合わせて唄われる。
流行末期には、白人グループも数多く現れ、ロックンロールのバック・コーラスへも影響を与えた。(HINE)



ドラムン・ベース DRUM & BASS

ドラム&ベースの略称。ジャングル(→)とも同義語。(HINE)



ナ〜ノ

ニュー・ウェイヴ NEW WAVE

ポスト・パンクを宣言したジョン・ライドン(元ピストルズ/vo)がPILを結成して以来、レゲエやダブ(音に奥行きをもたせるイコライジング効果)の導入やリズム重視、サウンドスタイルの実験性などを追求したバンドが現れた。あの初期衝動的な破壊と叫び(パンク)の後の知性と美学とも言うべきスタイルのこれらのアーチスト達は、高度な音楽性をシンプルなサウンドの中に隠蔽した。このパンク以降の先進ロックをニューウェイヴと呼んだ。その最も代表的なバンドが、スティング率いるポリスブロンディだった。(HINE)



ニュー・スクール NEW SCHOOL

90年代になって盛んに使われだした言葉で、ハード・コア/パンクの中でも、特にメタル寄りのハードなサウンドのものを指す。SCHOOLとは「群れ」のような意味で使われ、「新しい一派」といった感じなのだろう。(HINE)



ニュー・ロマンティックス NEW ROMANTICS

ニューウェイヴが80年代に入ると大衆化し、アイドル系グループも数多く登場した。彼らのファッションスタイルは80年代版グラムロックとも言うべきものだったが、その化粧やスタイルは、以前のグラムとは違って、ゲイ文化の影響によるものが大きかった。サウンド的にはポップでテクノのりのものが多いので、誰にでも聞き易く、一挙に産業化していった。ジャパンウルトラボックスデュランデュランカジャ・グーグー等がその代表。もっとポップ寄りのところでは、カルチャークラブやスパンダーバレエ等がいた。(HINE)



ノイズ・ミュージック NOISE MUSIC

1970年代後半ドイツから発生したロックで、ジャーマン・ロックのニューウェイヴ版とも言える実験的な要素が強い音楽。金属的な破壊音やノイジーな電子音が延々と続き、工事現場を思わせることからインダストリアル・ミュージック、ファクトリー・サウンドなどとも呼ばれることがある。(HINE)



ハ〜ホ



ハウス HOUSE

現在のハウスの流れは大きく2つに分類できるが、1つは、80年代半ばから流行した歌ものリミックスを中心とした、シカゴハウス。もう1つは、それらがイギリスへ飛び火してユーロビートなどと結びつきテクノサウンドになったものだ。これをテクノと呼ぶ(ポップは付かない)。(HINE)



ハード・ロック HARD ROCK

60年代後半にイギリスを中心に、ブルースロックを基礎とした、より音が大きくディストーションがかかり、ヘヴィーなリフの繰り返しと長めのギターソロを特徴としたロックが出現した。70年代初頭ハードロック御三家と呼ばれるレッド・ツェッペリン、第2期ディープ・パープルブラック・サバスが大ヒットを放つと、急激にハードロック人気は加速し、70年代中期には全盛を極めていった。そして、78年デビューのヴァン・ヘイレンを最後に急失速していった。ハードロックの歴史は優れたロック・ギタリスト達の歴史でもあり、この全盛期はギタリスト花形時代とも言われた。その最後の大物エディ・ヴァンヘイレン以降、オリジナリティのある優れたギタリストが出現しなかった(イングヴェイなど、うまい人はいます)ことも、ハードロック人気衰退の要因になった。全盛期に活躍したアーチストは、この御三家の他、ユーライア・ヒープマウンテングランドファンクカクタススージークワトロUFOPARISスコーピオンズレインボーBBAクイーンエアロスミスキッスブルー・オイスター・カルトAC/DCジャーニーシンリジィミスターBIGテッド・ニュージェントランナウェイズ、そして初期のヴァンヘイレン達だ。その後、ハードロックは、その様式美だけを追求したヘヴィメタルに取って代わられることとなる。(HINE)



ハードロック御三家

69年にレッド・ツェッペリンがデビューし、その大音量と重低音のサウンドが話題になると、70年には、それまでプログレ的なサウンドを目指していたディープ・パープルも突然、大音量でスピード感のあるサウンドへと方向転換して大ヒットした。同年、大音量ロックで悪魔や黒魔術などをテーマにしたブラック・サバスもセンセーショナル・デビューを果たし、ハードロックの確立に大きく貢献した。その後70年代後半まで、この3つのバンドは、ハードロックの王者として君臨し、大人気を保ちつづけたのだった。
また、80年代に出現するヘヴィ・メタル・ブームでは、この3バンドが手本とされた。(HINE)



バブルガム・ロック BUBBLE GUM ROCK

バブルガムとは風船ガムのことで、「分かりやすい」「楽しい」「低年齢層向け」などの形容として使われる。ロックだけでなく、これらの共通したサウンドのことをバブルガム・サウンドと言い、ソウルではバブルガム・ソウル、ポップスではバブルガム・ポップ、ロックではバブルガム・ロックといった風に使われる。(HINE)



パンク・ロック PUNK ROCK

70年代半ば頃、ニューヨークのアンダーグラウンドでは一種の反社会的芸術運動のようなものが起きていて、そんな中にパティ・スミストーキング・ヘッズもいた。当時ロンドンで“SEX”というブティックを経営していたマルコム・マクラーレンは、アメリカへ渡った際、そういう彼らに興味を持ち、一時ニューヨーク・ドールズのマネージャーとなる。
マルコムは75年テレヴィジョンを脱退した、リチャード・ヘルをロンドンでデビューさせようと画策するが失敗。代わりに自分の店の店員や客を集めて“セックス・ピストルズ”を結成させ、彼の破れたシャツ、逆立てた短髪、安全ピンルックなどを真似をさせた。そして、76年自らもマネージャーとなり「アナーキー・イン・ザ・UK」で、そのバンドをデビューさせた。
ピストルズは瞬く間に、その安全ピン・ファッションや破壊的言動&行動で有名になり、産業化とともに保守化したロック界に大きな衝撃を与えた。
当のピストルズはアルバム1枚のみを残し、アメリカツアー途中で早々に解散してしまったが、この影響からニューヨークとロンドンを中心に、続々とシンプルなロックンロールサウンドに反社会・反ロック的メッセージをのせたバンドがデビューし、一大ブームとなった。ストラングラーズクラッシュザ・ジャムエルヴィス・コステロラモーンズなどがその代表。(HINE)



ヒップ・ホップ HIP HOP→


ファンク FUNK

ジェームス・ブラウンらが1960年代半ばに完成させたリズム&ブルースの新しいスタイル。リズムに最大の特徴があり、曲構成やコード進行は単純。黒人特有の跳ねるビートを前面に出したサウンド。その後このスタイルは白人達の間にも広まり、白人達が演るファンクをホワイト・ファンク、黒人のファンクをブラック・ファンクと呼び分ける場合もある。90年代初頭には、ジャミロクワイがファンクとロックを結合させ現代風にアレンジしたエレクトロ・ファンク・ロックという独自サウンドを完成させた。(HINE)



フォーク・ロック FOLK ROCK

アメリカのC&W(カントリー&ウエスタン)から派生したフォーク・ミュージックに、ボブ・ディランがエレクトリック・ギターを持ち込み(65年)、ロックのリズムで唄いだした時から、フォークロックの歴史は始まった。ブルースロックがハードロックを誕生させるのに大きく貢献したように、フォークロックは、これ以降のソフト系ロックやアメリカの泥臭いサウンドのロックへ多大な影響を与えている。フォークロック全盛期の60年代前半当時ヒットしていたのは、ボブ・ディランの他、バーズママス&パパス、タートルズ、サイモン&ガーファンクルなどがいる。(HINE)



ブギ(ブギウギ) BOOGIE WOOGIE

もともとは1920年代頃、黒人たちの間で広まったブルース・ピアノの奏法。右手で旋律を弾き、左手でビートを刻み、ビートは原則として8分音符。しかし、しだいにノリのよいアップテンポのR&Bもブギと呼ぶようになってゆき、ロック界では、R&Bベースでなくても8部音符のノリのよいサウンド全体をブギと呼ぶようになっている。代表的な例ではエルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」、チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」、クイーンの「愛という名の欲望」まどがある。また、ハードロックと組み合わされたハード・ブギは、ステイタス・クオーが得意とし、他にもフォガットなどが追従している。(HINE)



フュージョン FUSION

60年代末にジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスがジャズにロックやファンク、アフリカン・ビートを取り入れ新しいサウンドの模索をはじめたのがフュージョン・サウンドの発端といわれている。その後マイルス一派の“リターン・トゥ・フォーエバー”“ウェザー・リポート”“ジョン・マクラフリン&マハビヌシュ・オーケストラ”などがそのサウンドを完成させ、ロック側からもジャズやR&Bとのクロスオーヴァー・サウンドを完成させたジェフ・ベックの「ギター殺人者の凱旋」「ワイアード」や、スティーリー・ダンの「幻想の摩天楼」「Aja」などが立て続けに全米で大ヒットしたことにより、一挙にフュージョン・サウンドはメジャー化した。またもう1つの動きとして、クインシー・ジョーンズ一派が押し進めるジャズ、R&B、ファンク、ポップスなどの融合サウンドもほぼ同時期に完成し、その一門であるジョージ・ベンソンの「ブリージン」が全米No.1に輝くなど、めざましい活躍ぶりを示しはじめていた。当初はマイルス一派やロック界の融合サウンドを「クロスオーヴァー」、クインシー一派を「フュージョン」と分けて呼んでいたが、しだいにこのカテゴリーのマーケットが強大なものになると、「フュージョン」という名前に統一され、1つのジャンルとして認知されるようになった。(HINE)



フラワー・ムーブメント FLOWER MOVEMENT

ヒッピー・ムーブメントの中から出てきた平和主義的な運動で、頭に花を飾ったり、ビーズをあしらった服を着たり、裸足で歩いたりして、原始的な生活を送ることにより、現代文明を批判し、平和運動を実現しようというムーブメント。これがサイケデリックと結びつき、当時の代表的文化となって、アーチスト達のアルバムジャケット・デザインなどにも大きく影響した。(HINE)



プラチナ・ディスク PLATINUM DISC

アメリカ・レコード工業会(RIAA)公認で100万枚以上のセールスを記録したミュージシャンに対し、レコード会社から贈られるプラチナ貼りのレコード。さらに、200万枚のセールスを記録したものはダブル・プラチナム、300万枚を記録したものはトリプル・プラチナムと呼び、それらを総称してマルチ・プラチナムと言う。(HINE)



ブリストル・サウンド BRISTOL SOUND


ブリット・ポップ BRIT POP

ブリットとはBritainまたはBritishの意味で、90年代半ばに出現したイギリス的なポップスの総称。しかし、この言葉はグランジなどアメリカン・ロックに押されていたイギリス音楽業界が生み出した苦し紛れの呼称で、ほとんど実体はない。たまたま94〜96年ぐらいにかけて大活躍したブラーとオアシスがビートルズ的なメロディをもっていただけで、音楽的新しさはない。(HINE)



ブリティッシュ・インヴェイジョン BRITISH INVASION

イギリス系アーチストが全米チャートを独占してしまった時期、ブリティッシュ人気爆発現象を指す。
第1次ブリティッシュ・インヴェイジョンは1964年〜66年、ビートルズがアメリカ進出を開始した頃から始まり、ローリング・ストーンズザ・フーアニマルズキンクス、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ハーマンズ・ハーミッツなど、おびただしい数のブリティッシュ系アーチスト達がアメリカで成功を収めた。
これにより、当時ロックンロール全盛だったアメリカへ、ロックのもつ無限の可能性を指し示し、今日のようなロックを世界的に一般化させた。
また、その14〜5年後の80年代初頭にも、今度はユーロビートを持ち込み、当時流行し出したばかりのケーブルTV番組「MTV」でのヴィジアル効果も最大限に利用して、イギリス系アーチスト(デュランデュラン、カルチャークラブ、ハワードジョーンズ等)が大ブームを巻き起こした。これを第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼んでいる。
この現象の後、純粋な古典的ハードロックは衰退の一途をたどり、大物アーチスト(クイーン、デビッド・ボウイ、キッス等)までもが、ディスコティック・サウンドに犯されていくのであった・・・。(HINE)



ブルース・ロック BLUES ROCK

ブルース自体は1900年代初頭、アメリカ南部の黒人の間で生まれたものだが、エレクトリック・ギターの出現とともに、R&Bやソウル、ファンクへと進化をとげていった。
いっぽう60年代になると白人もブルースに興味を持ち、白人ブルースバンドも出現するようになっていったが、折しもその頃、白人の間ではロックンロールが流行しており、ロックンロールとブルースの結びつきは当然の成り行きだったといえる。ビートルズ登場と時を同じくして(62年)、このブルースロックの流れも活発化していき、その後68年のクリーム解散あたりまでエリック・クラプトンを核にして、大きく広まっていった。
また、その後のロックが発展していくのに、大まかに分けると2系統の道筋があり、その一つが、このブルースロックを経ていくもので、もう1方がフォーク・ロックを経ていったものであったと考えられる。ハードロックギタリストのほとんどの場合、ブルースロックの方に影響を受けている。
ブルースロックで成功したアーチストとしては、どっぷりつかったポール・バターフィールド・ブルース・バンドジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズスペンサー・デイビス・グループや、ブルースロックとハードロックの橋渡しをしたクリーム、テンイヤーズアフター、初期のフリートウッド・マックなどがいる。もちろん、その後もずっと変わらずにブルースロックを演奏しつづける、ジョニー・ウインタークライマックス・ブルース・バンドなどもいた。(HINE)



プログレ四天王

69年キングクリムゾンのヒットは、それまで、サイケデリック・サウンドを引きずりながら、混沌としていたプログレ系バンドの方向性を一気に変貌させた。中でも、クリムゾンを脱退したグレッグ・レイクらが結成したエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)、デイヴ・ギルモアの加入により、息を吹き返したピンク・フロイド、ジョン・アンダーソン率いるテクニカル集団イエスらが、いち早く音楽性を確立させ、プログレ界では先のクリムゾンと合わせて、プログレ四天王と呼ばれ絶大な人気を誇るようになった。(HINE)



プログレッシヴ・ロック PROGRESSIVE ROCK

69年にキング・クリムゾンの衝撃デビュー・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」が、全英チャートで同じ時期にチャートインしていたビートルズの「アビーロード」を抜き1位になった時から、それまで幅広いジャンルの音楽をクロスオーヴァーして実験的手法を繰り返し、細々と活動つづけていたイエスやキャラバンなども一挙にメジャーへとのし上がった。それまである程度の成功を収めていたピンク・フロイドも他のサイケデリック・バンド同様、その後の方向性を模索しているところだった。キング・クリムゾンの登場は、そういった迷えるサイケバンド達の行くべき道を方向付たとも言える。
70年代に入ると、いわゆるプログレ御三家と言われるイエス、デイヴ・ギルモアが加入したピンク・フロイドEL&P(エマーソン・レイク&パーマー)が大活躍し、70年中期頃まで全盛を極めた。(注)キング・クリムゾンを加え、プログレ四天王とも言う。
また、プログレには音楽的性質上インストゥルメンタル部分が多いこともあり、発祥の地イギリス以外からも世界規模で活躍するバンドが数多くいた。これらをユーロ・ロックといって別にジャンル分ける場合もある。
主なバンドは、キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、EL&P、ジェネシスキャラバンキャメルムーディ・ブルース等。ユーロ系ではフォーカスPFMタンジェリン・ドリームなどがいた。初期のディープ・パープルやジェスロ・タル、中期のホークウインドなどもかなりプログレに近い。
70年代末期には、これらのグループのほとんどが全てのアプローチを出し尽くしてしまい、解散もしくは失速、ポップなどへ方向転換して行くが、80年代中期には、ネオ・プログレッシヴを掲げ新たなグループ達も誕生する。(HINE)



プログレッシヴ・ハード(プログレ・ハード) PROGRESSIVE HARD

70年代終盤になると、クラシックベースのサウンドゆえにヨーロッパでしか流行しないだろうと思われていたクラシック系プログレッシヴ・ロックも、しっかりとアメリカに根付いていった。しかしアメリカでは、よりハードなものが好まれ、思想や内面的なものよりも形式的なものやテクニックが重要であった。そうしたところから、ハードロックとプログレ双方の様式美を併せ持つ、プログレ・ハードへと変化した形で受け入れられていった。初期の代表アーチストでは、カンサスラッシュあたりが有名だが、80年代以降の技巧派スラッシュ・メタルから進化した形では、ドリームシアタークイーンズ・ライチなどが登場した。これらはプログレ・メタルとも呼ばれる(HINE)



ヘヴィ・メタル HEAVY METAL

ヘヴィ・メタルとは、ロックの形式の中で、激しさ、重厚感、スピード、荘厳性などの雰囲気を、いくつかの典型的な様式によって特に強調して表現するスタイルである。その表現とは、歪んでよく延びるエレクトリック・ギター・サウンド、基音に5度上の音を加えた2つの音によって構成されるパワーコードを効果的に使って組み立てたヘヴィさをうまく醸しだすリフなどである・・・(200ロック語事典/立風書房)
また、評論家の渋谷陽一氏が好きなのがハードロックで伊藤政則氏が好きなのがヘヴィ・メタルだという笑い話もある。いずれにしろ、明確な定義はないのだが、80年代前後から現れ、80年代中期〜末期に黄金期を築いた古典的ブリティッシュ・ハードロックの後継者達だ。その手本とされているのは、ハードロック御三家と呼ばれたツェッペリン、パープル、サバスやユーライアヒープあたりだが、その模倣にとどまらず、情緒性を極力排除した独特のスタイルで、新しい美学様式を形成していった。
「ヘヴィ・メタル」という言葉は、そもそも米国作家ウイリアム・バロウズによって初めて使われたが、ロック界では、映画「イージーライダー」のテーマ曲ステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう!Born to be Wild」(68年)の中に出てくるのが最初。
ヘヴィメタ黄金期を支えた面々は、ハードロックからの過渡期に現れたヴァン・ヘイレンスコーピオンズジューダス・プリーストMSGに始まり、アイアン・メイデンデフ・レパードサクソンホワイトスネイクイングヴェイ・マルムスティーンジョー・サトリアーニスティーヴ・ヴァイパンテラなどである。そして、80年代後半には速度を売りにするスラッシュ・メタル(メタリカ等)、悪魔崇拝や死の世界を表現するデス・メタル(デス等)、終末感を表現するドゥーム・メタル(カテドラル等)などへとサブ・ジャンル化していった。(HINE)



ボトルネック BOTTLENECK

昔スライド・ギター奏法を行う際、瓶の首を切ってスライド・バーとしていたことから、指にはめるスライド・バーのことをボトル・ネックと呼ぶようになり、デュアン・オールマンが出現した頃(70年代初頭)より、スライド・ギター奏法自体もボトル・ネック奏法と呼ぶようになった。(HINE)



ポンプ・ロック POMP ROCK

プログレッシヴ・ロック・スタイルのロマン主義的な踏襲。80年代初頭にイギリスから起こったプログレッシヴ・リヴァイヴァル・ブームは、当初ネオ・プログレッシヴと呼ばれていたが、もはや「プログレッシヴ」という言葉自体を疑問視する声から、しだいに「華麗、盛儀(大仰)」という意味のPOMPと呼ばれるようになっていった。ブームの発端となったのは、ジェネシスに似たサウンドで一躍注目を浴び、ヒットを連発した英のバンド、マリリオンの出現だった。その後ペンドラゴン、パラス、IQ、イッツ・バイツ、CASTなどがつづき、世界各国へと宗教的な広がりを見せていった。彼らはただ70年代のプログレ・サウンドの焼き直しをしただけではなく、新しい要素もどんどん取り入れ、結果プログレのさらに進化形的サウンドにまでたどり着く。そうした彼らのサウンド=ポンプ・ロックとは、プログレのニュー・ウェイヴとも言えるものだ。(HINE)