第14章 ロックの原点回帰現象(1990年代中期)

1.アイリッシュとケルト・ミュージック
 
古くは60年代末期〜70年代に活躍した熱血ギタリスト「ロリー・ギャラガー」、80年代には魂の叫びという表現がピッタリのボノ(vo)をフロントマンとする「U2」(左写真)の活躍などがあり、アイルランドというと昔から「情熱的」「熱血漢」「気骨」というイメージがあった。
 祖国アイルランドとアメリカとの関係(ロックや米ポピュラー・ミュージックを成立させた要素の1つがアイリッシュ・トラッドだったこと)に気づいたU2は、80年代半ばにロックのルーツを探すためアメリカへ旅立つ。そして、そこで得た成果をまとめたアルバム「ヨシュア・トゥリー」('87)は、全世界で1,500万枚を売り尽くすという圧倒的な支持を受けた。
 同じ頃、ケルト・ミュージックとクラシック音楽を融合させたエンヤ(右写真)も全世界規模の大ヒットを放ち、一挙にアイリッシュを含むケルト・ミュージック全体が注目されることとなる。
 90年代に入るとロック界でも、それまでブルースにばかり向いていたロックのルーツに、アイリッシュという選択肢が増える形で、多くのアーチスト達も積極的に取り入れるようになっていった。
 その後ケルト系バンドの世界規模での活躍も目覚ましく、90年代半ば頃までには、アイリッシュ・トラッドとパンクを融合したポーグスや、スコットランド出身のウォーターボーイズの他、ホット・ハウス・フラワーズブラック47ウルフストーンなどが注目されるようになった。

2.アンプラグド・ブーム
 89年、MTVの1つのコーナーとしてスタートし、当初は出演者といっしょに気楽なアコースティック・セッションを楽しむというものが「Unplugged(アンプラグド)」であったが、92年に出演したエリック・クラプトンによって、一躍アンプラグドは脚光を浴び、大ブームへと広がってゆく。
 クラプトンによるアンプラグドは、自身の往年の名曲「レイラ」を大胆なアレンジで聴かせたり、彼のルーツとも言うべきブルース・ナンバーをじっくりと聴かせる完璧な構成で、多くの人々に深い感動を与えた。この模様はMTVで放送されただけでなく、アルバムとしても発売され(左写真)1,400万枚ものセールスを記録。その後他のミュージシャンたちも競ってこの番組に出演し、たいへんな人気番組となる。中には便乗して、番組とは関係なく独自にアンプラグド・アルバムをリリースする姿も多く見られた。
 また、こういった形態は、生楽器の生演奏という性質上、エアロスミスやキッス、ロッド・スチュワート、ドン・ヘンリーなど、演奏や歌の上手いベテラン勢を際だたせ、再び注目を集める良い宣伝材料となった。キッスは95年、MTVアンプラグドでオリジナルメンバー4人が再会、そこでの好評さをきっかけに、翌年オリジナルメンバーでの再結成を果たしている。(右写真はMTVアンプラグドで再会を果たした素顔のKISS オリジナル・メンバー達)

3.ロー・ファイ・サウンド
 
デビュー当初から時代の逆を行くアナログ感覚で注目されていたレニー・クラヴィッツが、93年のアルバム「自由への疾走」で大ブレイクした。
 クラヴィッツは、マルチプレイヤーの上に、プロデュース、エンジニアまでをすべて1人でこなし、わざとヴォーカル音をレベル・オーバーにして音割れさせたり、ノイズを故意に後から入れるなど、彼独自の手法で古き良き時代のロック(60〜70年代)を再現した。
 こういった手法は、音を良くするHi-Fi (ハイ・ファイ)に対し、Lo-Fi (ロー・ファイ)と呼ばれ、後続のミュージシャン達にも多大なる影響を与えた。また、カート・コバーン(ニルヴァーナ/vo)亡き後ブームが崩壊し、言葉自体に意味を持たなくなってしまった「グランジ」に代わり、マスコミ・業界関係者たちはこぞって、次なるキーワードとしての「ロー・ファイ」という言葉をもてはやした。

4.ブリストル・サウンド
 ブリストル・サウンドの起源は、ほとんど楽器など手にしたことのない、英ブリストル出身の3人の高校生が中心となったバンド「ポップ・グループ」が放った、1979年のファースト・アルバム「 Y (最後の警告)」だと言われている。サウンド的には、パンクとダブとファンクのミクスチャーのようなノイジーな音の固まりで、その後この地では、ロンドンのシーンとはまったく異なった、このような複雑な音楽が進化を遂げた。
 88年にはブリストル出身のDJユニット、スミス&マイティがファースト・シングル「Anyone」をリリースし、現在のブリストル・サウンドの原型とも言える音を作り上げると、91年には同郷のマッシヴ・アタックがデビューし、同様のサウンドをさらに進化させて大成功を収めた。
 また、これに続き、ポーティス・ヘッドトリッキーといった同郷出身バンドもマッシヴ・アタックのサウンドを踏襲して活躍し始めたため、同様のブリストル独自の音楽をブリストル・サウンドと呼ぶようになった。(右上はマッシヴ・アタックのデビュー作「ブルー・ラインズ」)

5.再結成ブーム
 オルタナティヴやグランジと共に再び注目を集めるルーツ・ロック。アンプラグドやロー・ファイ・サウンドにみられる原点回帰現象。こういった時代の気分の中で、「本物」であるロックのオリジネーターたちが、再び息を吹き返し蘇っても何の不思議もなかった。だが、その数は予想以上に多く、明らかに金儲けの話題作りのためだけに再結成するバンドもかなりいた。
 90年代半ばには、その再結成ブームもピークに達し、オリジナルメンバーでの再編成も含め有名どころだけでも、イエス('92)、EL&P('92)、ヴェルヴェット・アンダー・グラウンド('93)、スティーリー・ダン('93)、キング・クリムゾン('94)、イーグルス('94)、トラフィック('94)、UFO('94)、ホワイトスネイク('94)、スイート('95)、クォターマスII('95)、キャラヴァン('95)、Y&T('95)、ジャーニー('96)、キッス('96)、セックス・ピストルズ('96)、グランド・ファンク・レイルロード('96)、ザ・パワーステーション('96)、スティクス('96)、フリートウッド・マック('97)、ブラック・サバス('97)、クラウデッド・ハウス('97)、ナック('97)などなど・・・といった蒼々たる顔ぶれが揃った。(左上はオリジナル・メンバーでの再結成で一稼ぎしたブラック・サバス)

6.トリビュート・アルバム・ブーム
 古くからトリビュート・アルバムというのは存在していたが、その対象は、故人もしくは相当古くに活躍したアーチストで、個人や1つのバンド単位でリリースする場合がほとんどであった。
 しかし、80年代半ば頃からその対象はより身近になり、現役のミュージシャンに対し、多くのプレイヤーやシンガー達が集まって作る形態が広まった。90年代に入る頃には、有名ミュージシャンたちによる有名ミュージシャンへのトリビュート・アルバムが制作されるに至り、もはや誰へのトリビュートなのかという事よりも、如何にたくさんの有名ミュージシャンが集まっているかという競争のような状態になっていった。
 92年にボブ・ディランのデビュー30周年を記念したトリビュート・コンサートが行われ、その模様を収めたライヴ盤がリリース('93)されたことで、さらにそのブームは激化した。(右上は94年に超豪華な顔ぶれにグレン・ヒューズ本人まで参加し話題になったディープ・パープルのトリビュート盤「Smoke On The Water〜A Tribute To Deep Purple」)

7.ブリット・ポップ
 
90年代に入ってからのイギリスでは、テクノ、アンビエント、アシッド・ジャズなどが全盛。ロックに至ってはオルタナティヴやグランジ系のアメリカ勢に押されっぱなしで、ブリティッシュ勢の付けいる隙もない状態であった。
 そこへちょうどタイミングよく現れた、2つの懐古的なサウンドを持つバンドを中心に、業界がらみでムーヴメントを起こそうと画策した。
 まず、91年のデビュー当初からモッズ・カルチャーの90年代版的な装いで現れたブラーが、94年のアルバム「パーク・ライフ」で、ポップなサウンドにひねくれたアレンジという、往年のキンクス的サウンドでブレイクすると、ビートルズ的なメロディを持つオアシスが、同年デビュー直後に大ブレイク。これを契機に英音楽業界は「ブリット・ポップ」の名のもと、イギリス的なものの復権を叫び、同様の新人バンド達を強力にバックアップし始めた。(左写真は94年にリリースし大ヒットしたオアシスのデビュー作「Definitely Maybe」)
 しかし、先の2バンド以外に大きく成功するものもなく、実態のないブームは2年あまりで沈静化する。ただし、イギリスのヒットチャートへロックを引き戻したという点では、このムーヴメントも意味のある出来事であった。