THE BABYS ベイビーズ


サヴァイヴァルに息絶えたブリティッシュ・ハードの化身

John Waite ジョン・ウェイト/リード・ヴォーカル、ベース・ギター
Mike Corby マイク・コービー/ギター、キーボード、ヴォーカル
Tony Brock トニー・ブロック/ドラムス、ピアノ、ヴォーカル
Walt Stocker ウォルト・ストッカー/ギター、ヴォーカル

彼らが登場した1970年代半ば、ブリティッシュ・ハードは全盛期を過ぎ、ロンドン・パンクの台頭で、さらに急激な衰退へと拍車がかかっていた。
ロンドンを拠点にイングランドというハードロック・バンドで活動していたジョン・ウェイトは、まったくレコード契約がとれず、アメリカへ渡り活路を見いだそうとする。しかし、そこで参加したボーイズというバンドでも状況は変わらず、2ヶ月後には失意のうちにイギリスへ帰国している。そこで出逢ったのが、友人に紹介されたマイク・コービーだった。コービーは、元ゴミの運搬人〜トイレ掃除夫という変わり種であったが、ウェイトとすぐに意気投合し、ニュー・バンド結成へと動き出すことになる。そして、行きつけのマーキー・クラブで見つけたストライダーのドラマー、トニー・ブロックをいたく気に入り、熱心にグループへの参加を説得した。当時ブロックのいたストライダーというバンドは、既にある程度成功を収めていたが、ちょうどキーボード・プレイヤーの骨折により、バンドが崩壊状態にあったため、ブロックもウェイト達の話にのることにした。またトニー・ブロックは、グレッグ・レイク(元キング・クリムゾン〜EL&P/b,vo)とは旧友であり、彼のプロデュースでアルバムをリリースしたこともある、業界ではかなりの顔利きだった。その後、彼らがスムーズにデビューを飾れたのも、彼の力によるところが大きい。
最後に加わったのは、いくつかのバンドを渡り歩いていたが、さしたる成功は収めていなかったウォルト・ストッカーで、なんでもロッカーらしい風貌が気に入ったので加入を要請したらしい。
こうして4人組のハードロック・バンドとして誕生したベイビーズは、76年トニーの顔利きもあり、なんなくクリサリス・レコードと契約を交わした。
同年暮れにはシングル「恋のチャンス」でデビューを果たすと、そのバンド名とルックスの良さ、ポップな曲調で、すぐに注目を浴び、特に日本(中でも女性ファンが多い)では大きな期待が寄せられた。
翌77年には、ファースト・アルバム「恋のチャンス〜ベイビーズ誕生!」もリリースされるが、この頃すでに日本ではかなりの人気を呼んでいて、その注目度はレコード・ライナーの豪華さを見ても明らかだった。伊藤政則氏の解説に加え、大貫憲章、八木誠、岡田三郎、大森庸雄といった当時人気の評論家達を集めた対談も載せている。加えて、プロデューサーもアリス・クーパーやキッスを成功に導いたボブ・エズリンとくれば、期待が高まらないわけがない。
しかし、意外にもこのファースト・アルバムの内容は、彼らのイメージからは想像できないような、どちらかというと地味でシブめの音だった。もちろんハードでスケールの大きいサウンドは、ブリティッシュ信奉者達を納得させるに充分なものであったが、真っ先に飛びついた女性ファン達は、かなり戸惑ったのではないだろうか。このへんのイメージ・ギャップが、彼らを後々まで苦しめることにもなる。
次いで同年中にリリースされたセカンド・アルバム「ブロークン・ハート」では、プロデューサーを、ツェッペリンUFO、バッド・カンパニーなどでお馴染みのロン・ネヴィソンに代え、少しポップでポール・ロジャース(元フリー〜バッド・カンパニー)ばりのウェイトのヴォーカルを大きくフューチャーしたものへと路線変更した。
ロン・ネヴィソンは多少大仰なぐらいストリングス(オーケストラ演奏)を使う事でも知られるが、それがベイビーズにはよくマッチし、ここからのシングル「愛の出発(Isn't It Time)」は全米でもスマッシュ・ヒットを記録する。(しかしこの邦題、完全にアイドルのりだ・・・)
彼らに転機が訪れたのは78年、サード・アルバムのレコーディング中のことだ。数曲レコーディングを終わったところで、デビュー前からウェイトと共にベイビーズを支えてきた中心人物、マイク・コービーが音楽的な食い違いから脱退してしまうのだ。残りの曲は3人とジョン・シンクレア(ヘヴィ・メタル・キッズユーライア・ヒープetc./key)などゲスト・ミュージシャンを加えなんとか完成させた。
このサード・アルバム「ヘッド・ファースト」は、さらにプロデューサーのロン・ネヴィソン色が強く出て、かなり大げさなオーケストレーション・アレンジが施されているが、ポール・ロジャースっぽさに磨きを掛けたウェイトのヴォーカルは、それに負けないくらいすばらしい。(特に1曲目はそっくり)
一時は主要メンバー、コービーの脱退で解散も危ぶまれたが、このアルバムからも、「ときめきの彼方へ
(Every Time I Think of You)」がスマッシュ・ヒットし、バンドは新メンバーを入れ続行させることにした。
新メンバーは
Jonathan Cainジョナサン・ケイン(key,vo)Ricky Phillipsリッキー・フィリップス(b,vo)の2人。共に作曲、ヴォーカルもこなす才人。
79年には、この新しい2人を入れワールド・ツアーに出かけた。途中初来日も果たしたが、来日中のメンバー達の乱行が帰った後に噂となったりもした。その後もアメリカでの彼らはなかなか堅調で、以降サウンド自体もかなりアメリカナイズされてゆく。
80年に発表したアルバム「ユニオン・ジャック」では、プロデューサーをフリートウッド・マックやパット・ベネターの仕事で知られるキース・オルセンに替え、それまでのブリティッシュっぽさをまったく感じさせない、AORに近い、良くも悪くも"売れ線"の音へと変貌を遂げた。
ベースにリッキーを加えたことで、ウェイトがヴォーカルに専念し余裕ができたのか、声に艶やかな張りや伸びやかさすら感じとれる。このアルバムからは「バック・オン・マイ・フィート・アゲイン」が全米33位のスマッシュ・ヒットを記録した。また、面白いことに、来日してすっかり日本が気に入ってしまったジョナサンは、「ターン・アラウンド・イン・トーキョー」という曲を書き、自らヴォーカルをとって、このアルバムの中に収めている。ちなみに80年にも再び彼らは来日している。
同80年、もう1枚彼らのラスト・アルバムとなる「オン・ジ・エッジ」をリリースしている。基本的にはこのアルバムも「ユニオン・ジャック」と同じ路線だが、よりストレートなサウンドへシフトしているように感じられる。
そして、この年ジャーニーのサポートでツアーをした際、ちょうど脱退したグレッグ・ローリー(key)の後任へと、ジョナサンがジャーニーへ引き抜かれてしまった。
ベイビーズ後期のほとんどの曲を手がけ、キーボードに、ヴォーカルにと大活躍していたジョナサンの脱退は、バンドに大きなダメージを与えた。ベイビーズはそのまま解散に追い込まれ、ウェイトはソロへ、ブロックはロッド・スチュワートのバックバンドへ、ストッカーはエア・サプライのツアー・バンドへ、リッキーはセッション・プレイヤーへと、それぞれの道へ別れていった。
しかしながら、ウェイトは確信していた。ベイビーズが試行錯誤しながらやっとたどり着いた、ポップでハイ・センスなAORサウンドは絶対に売れるサウンドだと・・・。ただ活動時期が悪かったのと、チャンスに恵まれなかっただけだ。
その後、ウェイトはソロで全米No.1ヒットをとばし、ジョナサンはジャーニーで大成功を収めた後、ジョナサンの呼びかけでリッキーと彼らは2人は再び終結し、バッド・イングリッシュと名前を変え、ベイビーズそのままのサウンドで見事全米制覇をなしとげるのだ。
ハードロック衰退期に果敢にそのサヴァイヴァル戦へ立ち向かい、結果は消え去る運命にあったものの、彼らの歩んだ軌跡は、ハードロッカー達が80年代を生き抜くための大きなヒントになったことは間違いない。(HINE)
2005.5更新

参考サイト:70's Rock Avenue 音源提供協力:Shinさん(Rock Avenue)、大国さん




The Babys
Crysalis/東芝EMI

Broken Heart
Crysalis/東芝EMI

Head First
Crysalis/東芝EMI

Union Jacks
Crysalis/東芝EMI

On The Edge
Crysalis/東芝EMI

ディスコ・グラフィー

1977年 The Babys(恋のチャンス〜ベイビーズ誕生!)*いかにもアイドルっぽいジャケットだが、中身はけっこうシブめのハードロック
1977年 Broken Heart(ブロークン・ハート)
*シングル「愛の出発」がスマッシュ・ヒット。ジャケット写真はさらにアイドルのり
1978年 Head First(ヘッド・ファースト)
*コービーが途中で抜けピンチを迎えたのとは裏腹に、このアルバムの出来は彼らの最高傑作
1980年 Union Jacks(ユニオン・ジャック)
*ジョナサンとリッキーが加わりサウンドが大きく変化。「バック・オン・マイ・フィート・アゲイン」収録
1980年 On The Edge(オン・ジ・エッジ)
*ついに「売れる音」を完成させながら、結局はラスト・アルバムとなってしまった
1981年 Anthology(アンソロジー)
*惜しまれつつ解散した直後に出されたベスト盤
1997年 The Best Of Babys(ベスト/ベイビーズ)
*近年再評価され、再び出されたベスト
2001年 The Babys/Broken Heart 
*ファーストとセカンドの2 in 1
2001年 Valentine Baby 
*突如リリースされた80年のライブ音源