確かな実力をもったビジュアル系バンド
イギリスでは70年代初期にグラム・ロックが誕生し、その当時はパフォーマンスとビジュアルだけで唄や演奏が下手なアーチストもかなりいたが、70年代半ばにさしかかる頃には、さすがにこの手のビジュアル系バンド達もかなりの演奏技術を持つようになっていた。クイーンやスイート、キッスなどがよい例だ。いまだに下手な演奏をビジュアルで補おうとする日本のアイドル・バンドとは大違いで、上手いだけでは売れないので、プラス・アルファのためのビジュアルに走るといった状況であった。アメリカのロック界も70年代半ばにはやっとイギリスに追いつき、状況は同じような感じになっていた。(下手な連中もいなくなったわけではないが、そのほとんどはパンク・バンドとしてアンダーグラウンドで活動していた)
75年アメリカのワシントンで結成されたこのエンジェルも、かなりの実力をもったビジュアル系バンドで、アメリカ版クイーンともいえるような、真っ白いコスチュームを纏って登場した。もっとも彼らはみな以前にバンド経験があり、上手いのは当然といえば当然なのだが、キッスのジーン・シモンズに見いだされ、彼らと同じカサブランカ・レーベルからデビューしたため、キッスが身につけていた悪魔的イメージの黒いレザー・コスチュームに対する形で、天使の白いイメージで売り出された。
さらにカサブランカ・レーベルは、キッスがイースト・コーストに拠点を置いて活動していたのに対し、エンジェルの活動拠点ををウエスト・コーストに置かせ、よきライバルに押し上げようと画策していた。
この後急ごしらえでファースト・アルバム「天使の美学」作り、75年中にエンジェルはデビューを果たした。
その時のメンバーは、
Frank Dimino フランツ・ディミノ/リード・ヴォーカル
Mickey Jones ミッキー・ジョーンズ/ベース・ギター、ヴォーカル
Barry Brandt バリー・ブラント/ドラムス、パーカッション
Greg Giuffria グレッグ・ジェフリア(当時はギフリアと表記されていた)/キーボード
Edwin Lionel“Punky” Meadows パンキー・メドウズ/ギター
こうしたレーベル会社のもくろみと努力に反し、デビュー直後の彼らにいち早く目を付けたのは日本の女性ファン達だった。クイーンやチープ・トリックの時もそうであったが、日本の女性ファン達はこういったビジュアル的に美しいバンドにはめっぽう弱く、曲を聞く前からすでに目がハート状態で、すぐにファンになってしまう。しかし、それはあながち悪いことばかりでもなく、この後現れるボン・ジョヴィも含め、素晴らしい実力を持つバンドを次々と発掘してきた実績もある。
エンジェルもまた、そういった実力のあるバンドの1つで、有名になるのに日本のファン達も一役買ったわけだが、どうも最後まで作られたイメージが先行してアイドル扱いされたまま、正当評価を受けることなく苦しんだ。
デビュー・アルバムと翌76年リリースされたセカンド・アルバム「華麗なる貴公子」のサウンドは同一線上のもので、グレッグ・ジェフリアのキーボード・プレイを大きくフューチャーした、ユーライア・ヒープ以来のキーボード中心のハードロックという感じだった。
グレッグはピアノ、オルガン、メロトロン、ハープシコード、クラヴィネットなどを自在に操り、バンドのメンバーの中でも特に卓越したプレイヤーだったので、それも当然のことだが・・・。
この2枚のアルバムが日本で異常な人気だったのとは裏腹に、本国アメリカではカサブランカ・レーベルの努力むなしく、彼らは鳴かず飛ばずでここまで苦戦を強いられていた。
しかし、77年サウンド・スタイルをポップでコンパクトなものに変え、プロデュースもキッスやツェッペリンを手がけてきたエディ・クレイマーに依頼してのサード・アルバム「舞踏への誘い」の発表で、やっとそれまでの苦労が報われることになる。
このアルバムはとにかく軽快で良い曲が多く、個人的にも彼らの最高傑作と思えるほどの出来映えだ。さすがにアメリカでも評判を呼び、ここからのシングル「幻想の美学」(Can
You Feel It)もスマッシュ・ヒットを記録した。
またこの年来日も果たしているのだが、その来日公演でトラブルが発生したらしい・・・。
残念ながら個人的にエンジェルをきちんと聴きだしたのはこの後になってからのことだし、詳しい資料が残っていないので何とも言えないが、当時を知っている方の話では「プロモーター持ち逃げ事件」が発生したとのことだ。詳細はわからないのだが、どうもそれだけでもなく、ライブ自体の評判もあまり良くなかったようだ。コンディションが悪かったのだろうか? 加えて直後にベース担当のミッキーが音楽的な意見の対立から脱退というニュースも伝わり、これを境に日本での人気は下降の一途をたどってしまう。
だが逆に本国アメリカでの人気は日増しに高まり、特に本拠地としていたウエスト・コーストよりもキッスと同じイースト・コースで人気が盛り上がり、78年前作と同一のポップ路線を押し進めたアルバム「天使たちの反逆」が、全米50位に入る彼ら最大のヒット作となった。ここからのシングル「マイ・ハート・エニモア」と「ウインター・ソング」もスマッシュ・ヒットしている。また、このアルバムからはミッキーの代わりにFelix Robinsonフェリックス・ロビンソン(b,vo)が加入している。彼はルックスも良く、以前からメンバー達と面識があったことから、すんなりとバンドにとけ込んだようだ。
その後日本ではすっかり彼らの人気がなくなっていた79年にもアルバム「蘇った天使たち」を発表し、アメリカではかなりのセールスを記録したらしいが、日本ではほとんど話題にもならなかった。このアルバムではさらにポップ化が進み、今聞くとけっこう音の厚みもあり、貫禄を感じさせるサウンドに仕上がっている。
80年にはライブ・アルバムがリリースされるが、販売元であるポリグラム・レコードと何らかの法的トラブルがあり、それがバンドの解散を早めた要因の1つでもあるという情報もある。
そして81年突然エンジェルは解散してしまうのだが、このへんの事情も残念ながら、既に彼らの存在自体を忘れてしまった日本には伝わってこなかったので、解散したことすらも知らなかったというありさまだ。
だが、アメリカではかなり惜しまれて解散したことは確かなようで、その後もヘヴィメタ系のアーチスト達から影響を受けたバンドの1つに挙げられたり、未発表曲集やベスト盤などが幾度もリリースされていることからも、その事実は確認できる。
解散後、1番の出世頭はグレッグ・ジェフリアで、84年頃になってエンジェル再結成を画策するも、他のメンバーたちが話にのってこなかったので、しかたなく自己のバンド、ジェフリアを結成したのだが、これが大当たり!今ではこちらでの活躍の方が有名なぐらいだ。その後もクワイエット・ライオットやアリス・クーパーのメンバーらとハウス・オブ・ローズというスーパー・バンドを結成し、話題をふりまいた。
フェリックス・ロビンソンは初期のホワイト・ライオンに参加したが、惜しくもバンドが成功を収める前に辞めている。
他のメンバー達の目立った活動記録はないが、99年にリリースされたエンジェルの「In The Biginning」(日本未発売)というアルバムには、昔の未発表音源の他に、Richard Marcelloリチャード・マーセロというギタリストを迎えてのニュー・トラックが入っているらしい。
そして、2000年ついにエンジェルが再始動。
この新生エンジェルはフランツ・ディミノ、バリー・ブラントのオリジナル・メンバーに加え、Steve Blaze(g)、Gordon G.G.Gebert(kb)、Randy Gregg(b)というメンバーで構成されているが、ギターのブレイズは他のバンドと掛け持ちなため流動的であり、パンキー・メドウズが元気でいてくれれば戻ってくる可能性も無きにしもあらずだ。だが、エンジェルの看板プレイヤーでもあったグレッグ・ジェフリアは、2002年にハウス・オブ・ローズを再編成することが決定しており、戻る可能性はほとんどないのが惜しまれる。
この新メンバー達によるエンジェルがまた新しい魅力を引き出し、活躍してくれることを切に願う。そのためにはどうしても中心人物であったグレッグに代わるキーボード・プレイヤー、ゴードンへの期待が高まる。
既にライブ・アルバム用の音源を録り終えているという彼らの今後の動きが気になるところだ。 NEWS!!
この度、新メンバーのGordon G.G.Gebertさんご本人より、スエーデン・ロック・フェスティバルへ出演した時の貴重な画像(ページの一番上)とセント・ルイスでのライブ(上)の画像を送っていただいた。Thank
you very much ! 本当にこれからの大活躍を祈りつつ、みんなで応援しよう!そして一日も早い来日公演を実現させて欲しい。
I hope you will be successful.(HINE)2001.12更新
画像提供協力:Gordon G.G.Gebert
音源&資料協力:凡象さん
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