80年代に蘇った天使
76年〜79年まで、キッス&エアロスミスの後続バンドとして活躍したアメリカン・ハード史上屈指の美形バンド「エンジェル」。そのリーダー格(本当のリーダーではないようだ)であったグレッグ・ジェフリア(key)は、エンジェル解散後はスタジオ・エンジニアとして地味に活動していた。
しかし、80年代半ば頃になると、イギリスで起こっていたNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)ブームがアメリカへも飛び火し、ロサンゼルスのヘヴィメタ・バンドを中心にLAメタル・ブームを巻き起こす。そのメンバー達が影響を受けたバンドとして、口々に「エンジェル」や「スターズ」の名をあげていたのだ。
また、84年にレコード・デビューしたヘヴィメタ・バンドのホワイト・シスターはグレッグ・ジェフリアにプロデュースを依頼。こういった流れは、グレッグ自身にもしだいに再起を考えさせるようになってゆくのだった。
そして、この84年、ついにグレッグはエンジェルを再結成させるべく、5人編成のバンドを組み活動を開始した。このバンド、当初はエンジェルと名のっていたが、バンド名使用権の問題からか、途中からジェフリアと名前を替えた。デモ・テープを制作した時点で、ベースのリック・ボゾ(元サブ/b)が脱退。急遽チャック・ライトをベースに迎えてレコーディングが開始される。
だが、LAメタル・ブームのまっただ中と言えども、彼らのようなほとんど無名のバンドがレコード会社と契約するのは難しく、なかなかデビューできなかったらしい。
やっとのことでキャメル・レコードと契約し、同年デビューを果たすと、意外にもシングル「コール・トゥ・ザ・ハート」がみるみる全米チャートを急上昇した。
この時のメンバーは、
Gregg Giuffria グレッグ・ジェフリア/キーボード
David Glen Eisley デイヴィッド・グレン・エイズレー/ヴォーカル
Craig Goldy クレイグ・ゴールディ/ギター
Chuck Wright チャック・ライト/ベース・ギター
Alan Krigger アラン・クリガー/ドラムス
「コール・トゥ・ザ・ハート」は、結局85年に全米15位まで上昇する大ヒットとなり、アルバムも好評で順調にセールスをのばしてが、一部ではこのシングル曲がジャーニーのサウンドによく似ていて、しかもヴォーカルのエイズレーの声がスティーヴ・ペリー(元ジャーニー/vo)にそっくりだったため、ジャーニーの亜流だという非難の声も囁かれていた。
確かに似てはいる。だが、アルバム全体を聴くと、随所にハイセンスなグレッグのキーボードがフューチャーされ、ニール・ショーン(ジャーニー/g)とスティーヴ・ペリーの持つブルース臭のようなものは、ジェフリアからは感じられない。シネマティックな効果音も新しい試みとして新鮮だった。
ちょうどこの頃、ジャーニーもメンバーがバラバラにソロ活動を始め、解散も危ぶまれていた時期だったので、ポスト・ジャーニーとしての資質を充分に持っていたジェフリアへの期待はかなり高まっていたはずだ。
しかし86年、メンバーチェンジ後に発表されたセカンドアルバム「シルク&スティール」は、ジャーニーに似ているどころか、完全にパクったサウンドで、あろうことか、ヴォーカルは独特の節まわしまでスティーヴ・ペリーのマネをしている。1曲目のイントロでヘリコプターの効果音がシネマっぽくてかっこよかった以外、はっきり言って聴いていて情けない。
もちろん、こういった物マネがアメリカン・マーケットで通用するわけもなく、このアルバムはまったく売れなかった。
それどころか、この年本家ジャーニーが3年ぶりにニュー・アルバムをリリースし大ヒットを記録。貫禄をまざまざと見せつけられた。尚、セカンド・アルバムでの新メンバーはベースが元アルド・ノヴァ・バンドのDavid Sikes デイヴィッド・サイクス、ギターがLanny Cordolaラニー・コードラ。前ベーシストのチャックはクワイエット・ライオットへ、前ギタリストのクレイグはDIOへと、それぞれメジャーどころへ収まった。
この後ジェフリアはしばらく沈黙していたが、そのまま解散。グレッグは以前から何かと面倒を見てくれるキッスのジーン・シモンズ(b,vo)の協力を得て、新たなバンド「ハウス・オブ・ローズ」を結成し88年にレコード・デビューする。このニュー・バンドへはラニー・コードラ(g)と出戻りのチャック・ライト(b)も参加した。
エイズレー(vo)はその後セッションを中心に活動するが、その中には日本のヘヴィメタ・バンド、ラウドネスでのバック・ヴォーカルも含まれている。
サイクス(b)は90年代のボストンのアルバム「ウォーク・オン」の中で、ベース、ヴォーカル、作曲と大活躍している。
このように、それぞれのメンバーのその後の活躍ぶりを見ると、ジェフリアは、潜在的にかなり実力をもったバンドであったことが分かる。ただし、その実力を発揮できないまま散っていった不遇のバンドでもあった。もっとプログレっぽさを強調し、独自のサウンドを築いていたなら、あるいは歴史に残る名バンドとなっていたかもしれない。今では80年代「産業ロック」の1つとみなされていることが何とも悲しい・・・。
彼らが残した2つのアルバムは、いずれも一度US盤でCD化されたようだが、現在は入手困難で、中古市場でも10,000円ぐらいの値が付けられていることもある。もし安価で見つけかるようなことがあれば即刻Getしよう。特にファーストは内容的にもお薦めだ。(HINE)2005.5更新
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