QUEEN クイーン

ブリティッシュ・ハード・ロック最後の大物
〜ビートルズと並ぶイギリスの代表的アーチストへ

Freddi Mercurry フレディ・マーキュリー/リード・ヴォーカル、キーボード
Braian May ブライアン・メイ/ギター、ヴォーカル
Roger Meddows Taylor ロジャー・テイラー/ドラムス、ヴォーカル
John Deacon ジョン・ディーコン/ベースギター

グラフィック・デザイナーであったフレディと天文学者ブライアン、歯科大学生ロジャーが1970年に巡り会ったことから、クイーンの軌跡は始まる。これに電子工学を学んだジョン・ディーコンが加わり、71年にクイーンはスタートした。
このインテリ集団クイーンは、サウンド面においても、当初からまったく新しいロックのスタイルを模索していた。そして、早くもセカンド・アルバムでは、その類希のないオペラ・ロックという音楽スタイルを打ち出し、3枚目からのシングル「キラー・クイーン」と「炎のロックンロール」を大ヒットさせた。
4枚目の「オペラ座の夜」ではついに“クイーン・サウンド”完成させ、その計算し尽くされた曲展開と幾重にも重なる完璧なハーモニーを最大の売り物にした。
この頃になると、デビュー当初はアイドル・グループ扱いしていた、評論家達も手のひらを返したように、こぞってブリティッシュ・ハード最後の大物だと絶賛していた。
また、パフォーマンスにおいても彼らは独創的で、あの例のフレディのタイツ姿や、ブライアンの100年近く暖炉に使われていた材料で、2年間かけて自作したシンセ・ギターの奏でる100通り以上の音のマジックや時折聞かせる、ドスのきいたハスキー・ヴォイスのロジャーのヴォーカルなど、まったく飽きさせることがなかった。
しかし、フレディのイメージする音楽コンセプトを一丸となって具現化してきた彼らにとって、「シアー・ハート・アタック」「オペラ座の夜」「華麗なるレース」の3枚で、ほぼ全てをやり終え、完成させてしまったことで、これ以降はサウンド的にも、迷いが生じていった。
この間、ジャズ、ファンク、ワールド・ミュージックなど、さなざまな実験的サウンドを試みるが、思うようにかみ合わず、しだいに昔からのファンは離れだし、クイーン自体も失速するかに見えた。
だが、このピンチを救ったのが、それまで影の薄かったジョンとロジャーの2人であった。
まず、中期クイーン最大のヒット曲「地獄へ道づれ」を80年にリリース。これがジョン・ディーコンの作品だったことに誰もが驚いた。この曲は、まったく今までのクイーンらしくはないのだが、逆にその昔のイメージを捨てたことで、新鮮でかっこいいサウンドに仕上がった。その後、映画フラッシュ・ゴードンのテーマやデヴィッド・ボウイとの共作「アンダー・プレッシャー」などをヒットさせるが、ディスコ・サウンドに身を売るなどフレディはこの間もまだ迷いを振り切れず、名曲は書くのだが、アーティスティックな面では精彩を欠いていたように思える。
しかし、そのフレディの目を覚まさせるべく(偶然かもしれないが)、84年今度はロジャー・テイラーの手によって“クイーンらしさ”を持ったポップ・サウンドの「RADIO・GA・GA」が大ヒット。この曲が「その後クイーンの向かうべき方向」を指し示したと言えるだろう。そして、翌85年に参加した、80年代最大のロックの祭典「ライヴ・エイド」での大成功。これで、本来のクイーンらしさも息を吹き返し、再び「カインド・オブ・マジック」「ザ・ミラクル」とヒット作を生むことになる。この時期フレディは、ソロ・アルバムからもヒットを放つなど、俄然やる気を取り戻した。
だが、この喜びもつかの間、フレディが病魔(エイズ)に侵されたことが発覚、86年頃より容態は急に悪化した。もちろん、ファン達はそんなことは知るよしもなく、フレディ生前最後のアルバム「インニュエンドゥ」での鬼気迫る熱唱を、往年の歌声が蘇ったと喜んだりしていた。そして、88年にバルセロナ・オリンピックで歌う筈だった名曲「バルセロナ」を残し、91年にフレディは突然この世を去った。オリンピックまで、あと1年のことだった・・・。
クイーンもこれにより解散したが、95年、フレディの遺言で死後に発表して欲しいと頼まれていた曲を含む「メイド・イン・ヘヴン」をラスト・アルバムとして発表。ここに収められていた曲達は紛れもない、クイーン・サウンドそのものであった。
フレディ渾身の歌声は、まるで最後に、やはり自分の目指してきたサウンドはこれだと再確認するかのように・・・。

クイーン・サウンド分析

クイーンのサウンドは前期、中期、後期、それぞれにおいて変化しているので、一概にどれがクイーンだとは言えないが、大きく分けて2つに分けられる。1つはフレディのもつイメージ・コンセプトをメンバー全員で構築していった結果生まれた、オペラ・ロックとも呼ばれるサウンドで、もう1つは他のメンバーを中心とした、ポップ志向の強いサウンドだ。
前期クイーンはドラマティックな曲調とオーヴァーダビングによるコーラスや楽器の完璧なハーモニーが特徴で、ほとんどの曲をフレディとブライアンで書き上げ、時折スパイス的に、ロジャーのハードなナンバーが、ハスキーヴォイスと共に聞ける。これは、セカンド・アルバム〜5作目の「華麗なるレース」あたりまでつづき、そのすべてがトータル・コンセプト・アルバムとなっている。
中期は迷いが生じたフレディに対し、着実に実力を付けてきた他のメンバーが曲作りでも台頭し、ジョン作曲の「地獄へ道づれ」をはじめ、ポップなシングル向きの曲が増えていく。フレディもそれに合わせるように、ポップス調の曲を作ったりもしたが、リーダーシップはしだいに薄れていった。
そして、フレディが再び目覚めた後期クイーンでは、他のメンバーと自分の音楽を自然な形で融合させていくことに成功する。いわば、前期と中期のサウンドを合体させたものが、後期のサウンドだと言えるだろう。
しかし、やはりクイーンとして一番輝いていた時期は前期であり、最高傑作は?と聞かれれば、間違いなく「シアー・ハート・アタック」と「オペラ座の夜」をあげるだろう。そして「ボヘミアン・ラプソディ」は時を越えて永遠に聴き継がれる名作でありつづけることだろう。
(HINE)2004.10更新



Queen
Hollywood/東芝EMI

Queen II
Hollywood/東芝EMI

Sheer Heart Attck
Hollywood/東芝EMI

A Day At The Races
Hollywood/東芝EMI

New Of The World
Hollywood/東芝EMI

Jazz
Hollywood/東芝EMI

The Game
Hollywood/東芝EMI

ディスコ・グラフィー

1973年 QUEEN(戦慄の王女)*ブリティッシュ・ハードの後継者ここにありといった内容
1974年 QUEEN II(クイーンII-ホワイトクイーンとブラッククイーンの啓示)
*早くもオペラ・ロックの基礎を確立
1974年 SHEER HEART ATTACK(シアー・ハート・アタック)
*「キラークイーン」と「誘惑ののロックンロール」が大ヒット
1975年 A NIGHT AT THE OPERA(オペラ座の夜)
*クイーンの最高傑作。名作「ボヘミアン・ラプソディ」収録
1976年 A DAY AT THE RACES(華麗なるレース)
*前作からキープ・コンセプト的なアルバムだが、完成度はいまひとつ...
1977年 NEWS OF THE WORLD(世界に捧ぐ)
*名曲「伝説のチャンピオン」収録した、オペラ・ロック3部作最後の作品
1978年 JAZZ(ジャズ)*ワールド・ミュージックにもチャレンジし大きな変貌を遂げたアルバム。賛否両論でした
1979年 LIVE KILLERS(ライブ・キラーズ)
*少々フレディの声に難あり。彼らのライブは本物の方が良かったらしい。2枚組LP
1980年 THE GAME(ザ・ゲーム)
*ジョンの曲「地獄へ道連れ」が大ヒット。デジタル・サウンドを大胆に導入
1980年 FLASH GORDON original soundttack(フラッシュゴードン)
*TVコマーシャルでもお馴染み、フラッシュ・ゴードンのテーマ収録
1981年 GREATEST HITS(グレイテスト・ヒッツ)
*前期クイーンの集大成的ベスト
1982年 HOT SPACE(ホット・スペース)
*いったいどうしたのか、FUNKYなクイーンに変貌
1984年 THE WORKS(ザ・ワークス)*ロジャーからもついに大ヒット曲「ラジオ・ガ・ガ」が生まれる
1986年 A KIND OF MAGIC(カインド・オブ・マジック)
*ライブ・エイドで再び燃えだしたクイーンがまた本気になった圭作アルバム
1986年 LIVE MAGIC(ライブ・マジック)
*やはり彼らのライブは音だけでは・・・
1989年 THE MIRACLE(ザ・ミラクル)
*後期クイーンの傑作。メンバーが再びいっしょになって作り上げた
1989年 QUEEN AT THE BEEB
1991年 INNUENDO(イニュエンドゥ)
*フレディ生前最後の作品。なかなかの力作
1991年 GREATEST HITS II(グレイテスト・ヒッツII)
*81年以降の後期クイーン・ベスト
1992年 CLASSIC QUEEN 
*初期のベスト
1992年 LIVE AT WEMBLEY '86(クイーン・ライヴ!! ウェンブリー1986)
CD2枚組でたっぷり28曲も入っているライブ盤
1995年 MADE IN HEAVEN(メイド・イン・ヘヴン)
*フレディの遺言で死後に発売された最終章
1997年 QUEEN ROCKS〜GREATEST ROCK HITS(クイーン・ロックス〜グレイテスト・ロック・ヒッツ)
1999年 GREATEST HITS III(グレイテスト・ヒッツIII 〜フレディ・マーキュリーに捧ぐ〜)
2000年 IN VISION(イン・ヴィジョン)
*TVコマーシャルや映画で使われたクイーン音源ベスト。日本盤のみ



Flash Gordon
Hollywood/東芝EMI

Hot Space
Hollywood/東芝EMI

The Works
Hollywood/東芝EMI

Kind Of Magic
Hollywood/東芝EMI

The Miracle
Hollywood/東芝EMI

Innuendo
Hollywood/東芝EMI

Made In Heaven
Hollywood/東芝EMI


◆◆◆名盤PICK UP◆◆◆

オペラ座の夜
A NIGHT AT THE OPERA

クイーン
QUEEN

1975年 Hollywood/東芝EMI

SIDE-A

1. デス・オン・トゥー・レッグス
 
DEATH ON TWO LEGS (Dedicated To...) (Mercury)
2. うつろな日曜日
 
LAZING ON A SUNDAY AFTERNOON (Mercury)
3. アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー
 
I'M IN LOVE WITH MY CAR (Taylor)
4. マイ・ベスト・フレンド
 
YOU'RE MY BEST FRIEND (Deacon)
5. '39
 
'39 (May)
6. スウィート・レディ
 
SWEET LADY (May)
7. シーサイド・ランデヴー
 
SEASIDE RENDEZVOUS (Mercury)

SIDE-B

1. 預言者の唄
 
THE PROPHET'S SONG (May)
2. ラヴ・オブ・マイ・ライフ
 
LOVE OF MY LIFE (Mercury)
3.グッド・カンパニー
 
GOOD COMPANY (May)
4.ボヘミアン・ラプソディ
 
BOHEMIAN RHAPSODY (Mercury)
5.ゴッド・セイブ・ザ・クイーン
 
GOD SAVE THE QUEEN (Trad. arrange by May)

日本の女性ファンに支えられながら人気を保っていた。しばらくはその状態がつづき、一般的に認められ出したのはサード・アルバムからのシングル「キラー・クイーン」および「誘惑のロックンロール(ナウ・アイム・ヒア)」が大ヒットしてからのことだ。したがって、この「オペラ座の夜」がリリースされた時、初めて彼らのアルバムを聴いた人も少なくなかったはずだ。
そういったことが、突然現れたブリティッシュ・ハードの救世主的イメージをクイーンの中に植え付けたのだろう。このアルバムではフレディ・マーキュリー(vo)が完全にサウンドの主導権を握っており、そのイメージをメンバーが一丸となって再現してゆくという手法がとられている。曲の作者を見ると、メンバー全員が参加していることがわかるが、そのどれもが1つのコンセプトのもとに作られ、不必要な曲は1曲たりともない。ロジャー・テイラー(ds)のヴォーカルも含め、演奏技術も一級のすばらしい内容だ。
メンバー全員が唄えて、作曲もできるという強みを最大限に生かし、なおかつバラバラにならずに、1つのコンセプトのもとに集結された恐ろしく感動的なドラマがこのアルバムを通して聴くと伝わってくる。
こういった奇跡的なアルバムが誕生したのも、他のメンバーに有無を言わさぬフレディ・マーキュリーの恐るべき才能と、ヴォーカリストとしての巧さがあったからに他ならない。
もちろん、名曲「ボヘミアン・ラプソディ」はこのアルバムを凝縮したようなすばらしい曲だが、アルバムすべてを聴くと、他のすべての曲がこの曲のためのプロローグのように感じられ、また格別な感動を覚える。そして最後に大英帝国万歳というようなゴッド・セイブ・ザ・クイーンで余韻を楽しみながら幕は閉じる。まさに完璧なアルバムといえよう。
こんなすばらしい感動を与えてくれるアルバムを残してくれた、フレディとクイーンのメンバーに、今でも聞くたびに素直な感謝の気持ちを伝えたくなる。
フレディ、ブライアン、ロジャーそしてジョンありがとう!!(HINE)