Written by ぴー

RAINBOW RISING 1976年5月発売
虹を翔る覇者/ブラックモアズ・レインボー

Ronnie James Dio(vo), Ritchie Blackmore(g), Tony Carey(Key), Jimmy Bain(b), Cozy Powell(ds)

Produced By Martin Birch

 このセカンド・アルバムにおいて、すでにリッチーとロニー以外のメンバーは全員チェンジしている。
 そう、妥協無き独裁者リッチー・ブラックモアの本領発揮である。私は、このアルバムを始めて聴いた時、クラッシック音楽にも引けを取らない芸術性を備えた作品の完成度に、完全にノックアウトされてしまった。その当時、ロック・アーティストの創り出す作品に、これほどまでの芸術性を感じたのは、クイーンの『オペラ座の夜』を初体験した時だけであった。もちろん、素晴らしい芸術性を備えているとは言え、ロックの特権である、攻撃性や破壊感は過激なまでに存在しているのでご安心あれ。そのサウンドは、ディープ・パープルとも、エルフとも、はたまた既存のどのロック・グループとも異を成す、ハイレベルな独自性を持っているのだ。ロニーのボーカルは、前作での少しルーズでブルージーな感じが失せ、正にヘビメタ唱法に徹している。そして、リッチーのプレイは、前作をはるかに上回るテンションを持っており、ギターソロにおいても、感動的なまでの素晴らしいフレーズを聴かせてくれている。
 このアルバムのジャケットには、虹のアーチを掴む大きな拳が描かれているのだが、とても迫力のあるこの構図は、ダイナミックなレインボー・サウンドそのものに対するイメージであり、また彼等が、ついにロック界の王座を掴み取ったことを表現しているのであろう。この作品は、パープル時代からリッチーを追いかけ続けてきたハード・ロック信者達をついに納得させ、その当時ロックを聴き始めたばかりの、新世代の人々をもそのサウンドの虜にしてしまった。このアルバムの発売の約1年前、音楽性の不一致から、ディープ・パープルを後にしたリッチーの答えが、この頃のレインボーであったとしたら、彼の有言実行ぶりと、その作品の水準の高さに、心よりの拍手喝采をせざるを得ない。
 さて、このアルバムにおける、ロック的荒々しさと芸術性を兼ね備えた、オリジナリティー溢れるサウンドは、どのように構築されているのであろうか?レインボー・サウンドは、リッチーが創り出す印象的でハイセンスなリフと、クラッシック・ギター、スパニッシュ・ギターに根ざし、中近東風のミステリアスな音階を絡めた、リッチー独特のソロ・フレーズが核となっている。そして、そのリッチー・サウンドに合わせた歌を唄うために生まれてきたような声質のロニーが、理想的なボーカル・フレーズを乗せるのだ。ジミーも控え目ではあるが、ロック・ベースの真髄を捉えた安定感のあるべースを弾いているし、トニーもリッチーの癇に障らぬ程度にシンセサイザー・サウンドを駆使し、幻想的でスペイシーな音の広がりを演出している。そして何と言っても、このアルバムの完成度を前作とは比べ物にならないまでに高めた最大の要因は、コージー・パウエルという偉大なロック・ドラマーの加入により、バンドのサウンドが抜群にタイトになった事である。

<偉大なるロック・ドラマー、コージー>
 コージーが叩くドラムを聴くと、ロック・ドラマーには、小手先のテクニックよりも天性のリズム感とフィーリングが最重要である事を思い知らされる。彼はまさにロック・ドラマーのお手本なのだ。
 ハード・ロックの創世記は、ジャズ畑出身のドラマーが多かった事から、少しスイングするようなエイトビート・ドラミングが主流の時代であった。スイング感と言うと聞えが良いが、悪く言うと、のれるアバウト・リズムである。初期組には、ジンジャー・ベイカー(ex.Cream)、ミッチ・ミッチェル(ex.Jimi Hendrix & Experience)等がいる。そして、ジョン・ボーナム(Led Zeppelin)、イアン・ペイス(Deep Purple)等は、その後のハード・ロック成長期に位置する。そんな中、コージー・パウエルは、よりロック的なジャスト・リズムのエイト・ビートを確立し、そのかっこ良さを体現して見せたのだ。彼は、ヘビー・メタル・ドラムの創始者と言っても過言ではないし、彼の作り上げたドラム・スタイルは、その後のロック・ドラマー達に、少なからず影響を与えているはずである。もちろん、彼がそのスタイルを確立するまでには、血の滲むような努力と、気の遠くなるような練習時間が必要だったはずである。また、彼の偉大なるドラム・テクニックと楽器に対する理解力は、ライブにおける大スケールのドラム・ソロでも証明されている。
 かつてはハード・ロックを聴いていたのに、その当時フュージョンにかぶれてしまっていた私の知人は、『虹を翔る覇者』の発売当時、そのアルバムでのコージーのドラミングを聴いて、「彼は、何で全く16ビートを叩かないのかな?なんか、オカズも8分音符の頭打ちばかりだし、リズムがガチガチで、ださい。」と言うような事を、まるで、「俺はロックを卒業した。」と言わんばかりのしたり顔で私に語った。その時、私は彼の言葉に激怒し、彼と大喧嘩をしてしまった記憶があるのだが、今にして思うと、“ださい”と言うフレーズ以外、彼のコメントは、生粋のロック・ドラマーであるコージーに対する称賛に思えてくるのだ。この『虹を翔る覇者』におけるドラミングに関して言うと、
(1)コージーは、他楽器が16ビートっぽくリフを刻んでいても、あえてシンプルなエイトビートをぶっ叩いている。
何故なら彼は、ロック・ドラマーだからである。
(2)コージーは、かつての名ドラマー達が披露していた、マーチング・ドラムまがいのスネアのロール系の細かいオカズはほとんど使わず、ツインバスを駆使した大スケール、かつリスナーが理解しやすく理屈抜きにのる事ができる、鳥肌もののフィル・インを多用している。
何故なら、その方がロックをロックらしく表現できるからである。
(3)体の中にメトロノームを内蔵しているかのように、コージーは、ジャスト・リズムをダイナミックに叩き出している。
何故なら彼は天才ロック・ドラマーだからである。
フュージョン・ドラマーの奏でる、ジャズ的スイング感を残した、16ビート中心の小技のオンパレードのようなドラミングに感動を覚える人達は、勝手にそちらを聴けば良い。(実は私は、そちらも好きだが・・・。) ただ28年前に、私の知人が発した、コージーのドラミングに対する発言は、彼の批判的思考とは裏腹に、スーパー・ロック・ドラマー『コージー・パウエル』のポリシーを証言した事になってしまったのだ。
 実を言うと、コージーもデビュー当時は、ジャズ系のドラムを叩いていた。ジェフ・ベック・グループでのドラムを聴けば一聴瞭然である。スイングしているし、ロール系のオカズも多用しているのだ。
 しかも、そのレベルは並では無い。彼は、ハイレベルなジャズ系のテクニックも持ちながら、ロック・サウンド自体が段々メタリックに変化していく時代の中で、より楽曲に適したドラミングを追究し続け、その結果創り上げたのがレインボーにおいて聴く事が出来る彼のスタイルなのである。コージーが、ヘビーでタイトなドラムを常に叩くから、リッチーはロックのテンションと芸術性を併せ持った多彩なプレイをロック的に表現できたのだろう。
 余談だか、コージーが、脚光を浴び始めた頃、大御所ドラマーが自己のスタイルを変えてしまった例を私は知っている。偉大なるコージー・パウエルは、1998年4月5日の自動車事故で帰らぬ人となってしまったが、彼がロック界に残した功績は計り知れず、彼の作り上げたドラム・スタイルは、ロックが滅びぬ限り継承されるであろう。天国でジョン・ボーナムとコージー・パウエルが壮絶なドラム・バトルを繰り広げ、その戦いが引き分けに終わった後、コージーがボンゾに、「さすが、スイング感があってヘビーなイカしたドラムを叩くね。」と言うと、今度はボンゾが、「お前こそ、よくそこまで正確なリズムでインパクトのあるドラムを叩けるな。」と、言葉を返す。これは、私が見た夢なので、あしからず。この夢をダビングして皆に見せてあげたい。2人とも素晴らしいプレイを披露しているのだ。(笑)
1. Talot Woman タロット・ウーマン

 トニーが創り出す、シンセサイザーによる幻想的で荘厳な世界が、これから始まるヘビーなサウンドワールドを予告する。その魅惑的な空間を切り裂く様に、リッチーの歯切れの良いギターのリフが姿を現す。そして、コージーのツインバスを駆使した、迫力ある手足のコンビネーション・プレイが、「俺が、コージー・パウエルだ!よろしく!」と言わんばかりの、大いなるインパクトをリスナーに与える。この最初の数秒間のドラムのオカズを聴いただけで、コージーが物凄いプレイヤーである事が確信できてしまう。そして彼が、その得意のずっしりとした大地を揺るがすようなビートを叩き始めると、偉大なるレインボー・サウンドは、靄の中からそのシルエットを徐々に浮かび上がらせてくる。
 そして、待ってましたとばかりにロニーの鋼のボーカルが登場し、華麗なるショーが幕を開けるのだ。
このファースト・チューンは、実にしっかりした構成力を持った曲で、途中のリッチーのギターソロも素晴らしい。付け加えの様で申し訳ないが、ジミーのベースはかなり控え目だが、曲に対して堅実でよろしい。

2. Run With The Wolf ラン・ウィズ・ザ・ウルフ

 私の周りには、「この曲は好きではない。」と言う人が多いのだが、私は大好きなナンバーである。
ノリの良いミディアム・テンポのリズムと、良くできた印象的なリフを聴くと、自然に体が曲に合わせて動き出してしまう。コージー・パウエルは、楽曲コンセプトを良く理解し、常にその曲にマッチした適切なリズム・パターンとオカズを叩き出している。バンド一体となってのユニゾン風のキメが実に心地良いのも、彼のドラミング・センスの功績による所が大きい。

3. Starstruck スターストラック

 コージーのスイングしない、メタリック・シャッフル(私が命名)が堪能できる比較的ポップなナンバー。ロニーのボーカルが、メロディアスで気持ち良い。「よくこんな素晴らしいフレーズを作れるものだ。」と感心してしまう。リッチーのソロも実にワイルドでかっこいい。

4. Do You Close Your Eyes ドゥー・ユー・クローズ・ユア・アイズ

 実にノリノリで、このアルバム中最もポップなナンバー。演奏もボーカルラインもポップなのに、それをロニーが唄うと、ミステリアスでやや陰気なイメージになってしまう。その独特のロニー・ワールドが私は大好きなのだが、この雰囲気が(ルックスも含め)、アメリカで受けなかった理由の一つなのかもしれない。

5. Stargazer スターゲイザー

 1976年のリリース時の、アナログLPのB面にあたる2曲は、いずれも8分を越える大作である。
 レッド・ツェッペリンの『カシミール』を意識したという噂があるこの曲は、ヘビーで、エキゾチックで、SF的でもある。イントロでのコージーのドラミングは、アルバム発売当時、ドラム小僧の間で語り草になっていた。とてつもなく壮大なこの曲を聴くと、良く言われていた、リッチー、ロニー、コージーによる三頭政治という表現が正しかった事を実感する。リッチーが創り出す、クラッシック・シンフォニーにも匹敵するサウンドの洪水は、大いなるスケールで聴く者を飲み込んでしまう。ロニーのメロディアスで迫力のあるボーカルは、このアルバムにおいて、彼等の音楽スタイルが完成したことを高らかと宣言している様にも聞こえる。そして、コージーの叩き出すメロディー楽器のごとき解釈のドラム・サウンドは、曲の構成の上で骨組みという役割を越えた重要ポイントとなっている。この3人以外のメンバーは、ある程度の水準に達していれば誰でも良いような気がしてしまうのは、私の大きな間違いであろうか?

6. A Light In Black ア・ライト・イン・ザ・ブラック

 このアルバムのラストを飾るのは、ライブ感溢れる極上のロックン・ロールナンバーである。メンバー全員のハイテンションなプレイは一糸乱れる事無く8分11秒間持続している。スピード感と重量感がこうも上手く共存できるとは脱帽ものである。このアルバムを全曲通して聴き終わると、その重厚さに心地良い疲労感さえ伴う、充実感と満足感を覚えてしまう。この感覚は、初めてディープ・パープルの『ライブ・イン・ジャパン』を聴き終えた時のそれに近い。
 この時点でレインボーは、ディープ・パープルの水準に達したのだろう。そして、1976年7月24日のパープル解散と同時に、彼等は実力的には、HR/HM界の最高峰に君臨する事となるのだ。

(ぴー) 2004.12