日本のファンが見つけだしたメロディアス・ハードの秀作
あるヘヴィメタ好きの友人に、以前ミニディスク(MD)2枚分にビっちり、ヘヴィメタの曲ばかりを録音して貰ったことがある。
と言うのも、ちょうど80年代の終わり頃から90年代の半ば頃までの間、洋楽自体から遠ざかり、この時期のロック界の事情をまったく知らなかったからだ。ロックの歴史全体を把握するには少しでも聴いておこうと思い、お願いしたものだ。
しかし、何故その空白期間の代表的ロックがヘヴィ・メタルだと思ったかというと、聴かなくなる前に流行していたのが、ヘヴィ・メタルだったからで、ようするにそこで時が止まっていて、80年代末期〜90年代に登場したミクスチャー・ロックやオルタナティブは存在すら知らなかったからだ。
もともとはヘヴィメタル自体も、あの甲高い声と新鮮みのないギター・リフのイメージがあまり好きになれず敬遠していたため、録ってもらったMDも、こういっては相手に失礼だが、あまり期待はしていなかった。
だが、ひととおり聴いているうちに、ひときわ個性的な低音ヴォイスとドラマティックに展開するすばらしい曲に出逢った。なんと良い曲なんだろう〜!いっぺんで気に入り、その曲だけ繰り返し何度も何度も聴いた。
それが、TENの「ザ・ネーム・オブ・ローズ」だと知ったのは、後からその友人に曲名リストを送ってもらってからのことだ。
(今では、その他フェア・ウォーニングやテラ・ノヴァなども素晴らしいと気づいたが・・・)
その後、アメリカやイギリスのサイトをインターネットで調べてみたが、TENの情報は驚くほど少ない。しかもアルバムはファーストからサードまですべて廃盤になっているではないか・・・。
なぜこんなにクオリティの高い曲を作るバンドが、世界では受け入れられないのだろうと思いつつ、日本のサイトも期待せずに検索してみると、あるある・・・ロック関係で「TEN」と入れ検索すると膨大な数のサイトが引っかかる。
それもそのはず、後で分かったことだが、TENは日本のロック・ファンが見つけだし、デビュー当初欧米では無名同然で、最近やっと注目されるようになってきたばかりなのだ。
Gary Hughes ゲイリー・ヒューズ/リード・ヴォーカル
Vinny Burns ヴィニー・バーンズ/リード・ギター(元DARE)
Greg morgan グレッグ・モーガン/ドラムス(元DARE)
John Halliwell ジョン・ハリーウェル/ギター(元CAGE)
Shelley シェリー(マーティン・シェルトン)/ベース・ギター(元DARE)
Ged Rylands ジェド・ライアンズ/キーボード(元タイガース・オブ・パンタン)
1989年にプロ・デビューし、すでに2枚のソロ・アルバムを発表した実績を持つ、イギリスのマンチェスター出身のマルチ・プレイヤーであったゲイリーが、3枚目のソロ・アルバムを制作すべく、以前から知り合いだった腕利きのギタリスト、ヴィニー(元DARE、エイジアやウルトラヴォックスにもセッション参加)に声をかけたことからTENの歴史は始まった。
レコーディング中、ゲイリーとヴィニーはすっかり意気投合し、ヴィニーと昔DAREでいっしょだったグレッグも誘って1995年にバンドを結成することにした。それがTENとなるわけだが、もともとはゲイリーのソロとして録音が進行していたことから、ファースト・アルバムにはオリジナル・メンバーはこの3人しか参加していない。
96年にリリースされたこのデビュー・アルバムは、本国イギリスではほとんど注目されなかったが、日本ではロック専門雑誌「Burrn!」に取り上げられるや大きな反響を呼び、ヘヴィ・メタル・チャートの3位、洋楽チャートでも11位のヒットを記録した。
これに気をよくした彼らは、すかさず5ヶ月後という素早いタイミングでセカンド・アルバム「ザ・ネーム・オブ・ローズ」を日本先行発売する。
実はこのアルバムの曲は前作と同じ時期に作られており(おそらくはボツになった曲)、それがこの素早さを可能にしたのだが、まったく前作と見劣りしないクオリティで、コンポーザーとしてのゲイリーのすばらしさを改めて認識させるものであった。ボツにした曲でもこんなによい曲ばかりなのだから・・・。
しかもこの中には、先の名曲「ザ・ネーム・オブ・ローズ」が収録されており、またまた日本では大ヒット。これを受けて、さすがにイギリスでも注目され始めた。
97年には日本のZERO Corporationとも契約し、さらに波に乗った彼らは、ドイツ、イギリス、日本をツアーして廻り大成功を収める。来日後にはBurrn!誌において、Brightest
Hope Of 1996、Songwriter Of The Year-「Gary Hughes」、Song Of The
Year-「The Name Of The Rose」の3賞を受賞している。尚この来日直前にはベースのシェリーが突然脱退。アンドリューに代わっている。
この年の暮れ、早くもサード・アルバム「ザ・ローブ」をリリース。ここからのファースト・シングル「ザ・ローブ」は日本の洋楽チャートで7位のヒットを記録するが、このアルバムはヒット曲よりもむしろ全体で聴かせる内容であった。演奏は格段にスケール・アップして、曲もまずまずだが、ファースト・アルバムに収められていた「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」やセカンドの「ザ・ネーム・オブ・ローズ」ほどの名曲はないと言わざるを得ない。年末にベース・ギターをSteve Mckenna スティーブ・マッケンナに代え、再び来日を果たした彼らはまたも大成功を収め、ライブでのすばらしさも評判になっていた。
そして翌98年にはその待望のライブ・アルバム(欧州ツアーの音源だが)も発表。その時、日本のファンにお礼が言いたいと、ゲイリーとヴィニーが2人で来日し、アコースティック・ライブとサイン会を行った。
この後、ついにメジャー・レーベルのマーキュリーと契約。さっそく同年内にアルバム「スペルバウンド」をリリースしてきた。このアルバムは伝説や神話がテーマになっていて、メル・ギブソンとソフィー・マルソーが主演した映画「ブレイブ・ハート」に感銘を受けて作られた曲も収録されているらしい(どの曲がそうなのかは不明)。今までよりさらにスケール・アップしたこのアルバムの内容は、個人的にも最高傑作ではないかと思うほどの出来の良さで、前作より曲が格段に良くなり、ヴォーカルと演奏も一体感がある。そして、さらにアルバム全体を重視した傾向が強まった。
この後、99年にはベスト盤やコンピレーション盤のみのリリースで一休みし、2000年になって力作アルバムをリリースしてきた。この「バビロン」は初のコンセプト・アルバムとして、曲間にナレーションを入れるなど、これまでよりいっそう壮大なアルバムに仕上がっている。また、この作品より、キーボードにはライアンズに代えDon Airey ドン・エイリー(元レインボー、ホワイトスネイク、ジェスロ・タル)が加わっている。
しかし、次の新作のニュースと共にヴィニー脱退という寂しいニュースも届けられた。これまでゲイリーを支える良きパートナーとして、ギターはもちろんのこと、コンポーザーとしても手腕を発揮してきたヴィニーの脱退は、バンドにとってかなりの痛手だったことだろう。だが、このヴィニー最後となったこのアルバムを聞くと、失礼ながら辞めてくれて良かった気もする。
ヴィニーのギターはデビュー以来ずっと単調で、それが個性といえば個性なのだが、それが今ひとつTENのサウンドに幅を持たせない原因にもつながっていたからだ。
その後ゲイリーはソロで3部作の大作アルバムをリリースし、TENを解散したのでは?と心配もさせたが、クリス・フランシスというギタリストを新メンバーに迎え、2004年にTENとしてのニュー・アルバムも発表した。このアルバムは「スペルバウンド」時のような柔軟な作風の曲が多く、なかなか良い出来に仕上がっている。(HINE) 2005.6更新
音源提供協力:MSG
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