STEELY DAN スティーリー・ダン


クロスオーヴァー・サウンドの先駆者

Donald Fagen ドナルド・フェイゲン/ヴォーカル、キーボード
Walter Becker ウォルター・ベッカー/ヴォーカル、ベース・ギター
David Palmer デヴィッド・パーマー/リード・ヴォーカル
Jeff Baxter ジェフ・バクスター/ギター
Denny Dias デニー・ディアス/ギター
Jim Hodder ジム・ホッダー/ドラムス

彼らが2000年にロックンロール・オブ・ザ・フェイム(いわゆるロック殿堂入り)を果たしたのを知って、今はもうロックとは呼べないようなサウンドでありながらも、その軌跡は紛れもなくロックの歴史を築いた1グループであったな〜と、改めて認識しなおした。
もともとデビュー当時からジャズっぽいセンスを取り入れていた彼らは、それまでのジャズ・ロックがロックの楽器を使ったジャズ演奏だとすれば、ロック・ビートの中に本物のジャズのエッセンスを入れてしまおうという試みをして、どんどん進化して行き、いつの間にか独自のクロスオーヴァー・サウンドを築きあげていった。
ちょうど同じ頃、ジェフ・ベック(g)も同様にクロスオーヴァー・サウンド(ベックの場合はインストゥルメンタル)で大成功を収めるが、ベックの場合は、ギターという楽器の可能性を追求していった結果たどりついたという感じで、ジャズ界の名プレイヤー達とセッションしてやろうというチャレンジ精神から生まれた偶然の産物と言えなくもない。
しかし、スティーリ・ダンの場合には、多方面のスタジオ・ミュージシャンを起用しながら試行錯誤し、新しい音楽を創造して行こうとした結果、ジャズっぽいフィーリングを持った音楽になったというもので、純粋な音楽的創作欲求が生み出したものであった。
そしてもう1つ言えることは、ベックが比類無き才能を発揮して、1人でサウンドを生み出していたのと違い、スティーリー・ダンの音楽はみんなで創り上げてきたものだったということ。それが証拠に、そこに関わったプレイヤー達は、その後も独特の音楽センスを受け継ぎつつ各方面で次々と成功を収めていったのだ。その中にはマイケル・マクドナルド(後ドゥービー・ブラザーズ/vo,kb)、ジェフ・バクスター(ドゥービー・ブラザーズ/g)、ジェフ・ポーカロ(後TOTO/ds)、デヴィッド・ペイチ(後TOTO/kb)、ラリー・カールトン(g)、リー・リトナー(g)、ポール・ジャクソンJr.(g)、スティーヴ・ガッド(ds)、ジェイ・グレイドン(後エア・プレイ/g)、マーク・ノップラー(後ダイアー・ストレイツ/g)、リック・デリンジャー(g)、アーニー・ワッツ(sax)、デヴィッド・サンボーン(sax)、パティ・オースティン(vo)、ヴァレリー・シンプソン(後アシュフォード&シンプソン)など、そうそうたるメンバーがいる。
スティーリー・ダンを語るとき、よくフェイゲンだけがクローズアップされることが多い。確かにメンバーとして最後まで残ったのはフェイゲンとベッカーの2人だけで、バンド自体フェイゲンのワンマンなものであったらしいが、例えばジェフ・バクスターとマイケル・マクドナルド加入後のドゥービーや、そのマイケルのソロ、ラリー・カールトンのソロ、リー・リトナーのヴォーカル入りのソロ・アルバムなどを聴いてみると、どれもスティーリー・ダンのサウンドを踏襲したものだということが分かる。これは彼らがみなスティーリー・ダンの一部であったことを意味することなのだ。

ジャンルを越えた名プレイヤーが結集したサウンド

スティーリー・ダンの前身は大学時代に知り合ったフェイゲンとベッカーが、卒業後ジェイ・&アメリカンズというバンドのツアーメンバーとなり、そこでバックバンドにいたデニー・ディアスと出逢い、3人で71年に結成したバンドだという。
当初は映画のサントラなどを手がけていた彼らであったが、プロデューサーのゲーリー・カッツの勧めでウエスト・コーストへ向かうことになり、そこで、ジミ・ヘンドリックスとバンドを組んでいたこともあるジェフ・バクスターデヴィッド・パーマージム・ホッダーらと出逢い、スティーリー・ダンを結成した。
そして彼らは72年、ファースト・アルバム「キャント・バイ・ア・スリル」でデビュー。すると、そのジャズ・センスを取り入れたお洒落なサウンドが評判となり、いきなりここからのシングル「ドゥ・イット・アゲイン」が全米6位の大ヒットを記録。アルバムも17位となり、瞬く間に大スターとなっていた。
しかしすぐにパーマーが脱退してしまったため、リード・ヴォーカルは以降フェイゲンがあたることとなる。
翌73年にはセカンド・アルバム「エクスタシー」をリリース。ここでは1曲目の「Bodhisattva」からいきなりロックンロール調のナンバーで始まり、彼らのアルバム中もっともロック色の強い内容だったが、セールス的にはいまひとつであった。ちなみにライブではこのシングルにもなった「Bodhisattva」はノリがよく好評だったようだ。
また、この頃からツアー・メンバーには
Jeff Poraroジェフ・ポーカロ(ds)とMichael McDonaldマイケル・マクドナルド(kb,vo)が加わるようになっている。
そして、74年にリリースされた次のアルバム「プリッツェル・ロジック」では、前アルバムの反省からか、サウンドもファースト・アルバムに近いものに戻り、ここからのシングル「リキの電話番号」が全米4位の大ヒット、アルバムも8位と、ファースト以上のセールスを記録し、その後のサウンド方向をも決定づける結果となった。
しかし、このアルバム・レコーディング途中、バクスターとホッダーは脱退してしまい、ジェフ・ポーカロが正式メンバーとなっていた。バクスターはこの後、ドゥービー・ブラザーズへ加入し成功するのだが、その後期のドゥービーのサウンドを聴くと、同じジャズ・テイストをロックに持ち込みながらも、フェイゲン達よりもう少しロック寄りの音が好みだったことが解かり興味深い。
この「プリッツェル・ロジック」でもう1つ目に付くのは、ゲスト・プレイヤーをたくさん迎えるようになったことで、そのクレジットの中には、デヴィッド・ペイチ(kb)やジム・ゴードン(元デレク&ドミノス/ds)、アーニー・ワッツ(フュージョン界ではひっぱりだこのサックス奏者)の名前もある。
つづいて75年発表のアルバム「うそつきケティ」では、前作で自信を深めたジャズ志向をさらに押し進め、ついにはラリー・カールトンという本物のセッション・ジャズ・ギタリストまで引っ張り出し、ほぼロックとジャズのクロスオーヴァー・サウンドを確立させた。またこのアルバムではマイケル・マクドナルドもメンバーとして参加し、ゲストにはリック・デリンジャー(g)の姿もある。尚アルバムは全米13位を記録し、これまた成功に終わっている。
すべて順調に見えた彼らであったが、この後マイケル・マクドナルドは、ジェフ・バクスターから誘われ、ドゥービー・ブラザーズへ助っ人として呼ばれたまま戻らず、ドゥービーへ加入してしまった。さらにジェフ・ポーカロもデヴィット・ペイチらとTOTO結成のため脱退してしまい、正式メンバーはフェイゲン、ベッカー、ディアスの3人になってしまった。
76年この3人体制のもと、完全なスタジオ・バンドと化した彼らは、さらに多くのゲストを迎えて、今まで以上にレコーディングに力を入れ、「幻想の摩天楼」という完成度の高いアルバムをリリースしてきた。このアルバムは、曲、演奏、音楽性など、どれをとっても文句のつけようが無いほどすばらしく、彼らの最高傑作と呼べる名作だ。
しかし、さらにゲスト・プレイヤーが多くなり、出る幕がなくなったディアスも結果的に追い出してしまうような形になってしまう。
結局フェイゲンとベッカー2人になってしまったスティーリー・ダンだが、もともと曲を書ていたのは、ほとんどこの2人であったし、ヴォーカルもフェイゲンであったことから、イメージをほとんど変えることなく、次のアルバム「彩(エイジャ)」を77年に完成させることができた。
自らと、ジェフ・ベックの活躍などによってつくられたクロスオーヴァー・ブームにのって、このアルバムも全米3位の大ヒットとなり、初のプラチナ・ディスクに輝くが、ラリーカールトンに加え、リー・リトナー(g)、ジョー・サンプル(piano)、トム・スコット(sax)、エド・グリーン(ds)以下多くのジャズ・メン達を迎えたサウンドは、少々ジャズへの比重が重くなり、もうロックと呼べるようなものではなくなっていた。
この後彼らはしばらく沈黙に入り、80年になってやっとアルバム「ガウチョ」をリリース。
膨大な費用と多彩なゲスト・ミュージシャンを用いて制作されたこのアルバムは、レコーディングに2年も費やしているが、その間ベッカーが交通事故に遭い重傷を負ったり、多すぎるゲスト・プレイヤーの日程がなかなか調整できなかったりで、これほど遅れてしまったようだ。
しかし、出来上がった内容は、一部にはこちらが最高傑作と囁かれるほどの内容で、全米9位とプラチナディスクを獲得。グラミー賞ベスト・エンジニア賞(ロジャー・ニコルズ)にも輝いている。
これで燃え尽きたのか、このアルバムの発表以降彼らの活動はぱったり止まり、再び動き出すことはなかった。
翌81年には2人のコンビ解消も正式に発表され、ついにスティーリー・ダンも消滅したが、彼らの築き上げてきたクロスオーヴァー・サウンドはいつしか、フュージョンと呼ばれるようになり、1ジャンルとして独立するまでに市場を広げていった。
その後ソロとして、フェイゲンは82年に1枚、93年にも1枚アルバムをリリースしているが、いずれもスティーリー・ダン時代と変わらぬサウンドで大ヒットを記録し、10年たってもそのサウンド・センスが衰えず、少しも古さを感じさせないことを実証してみせた。
そして、この2枚目のソロ・アルバムをベッカーがプロデュースしていたことから、再結成の噂がにわかに盛り上がる中、12年ぶりにスティーリー・ダンが2人によって再結成され、リユニオンツアーを行った。94年になって日本公演も行なわれたこの模様は、95年ライブ・アルバム「アライヴ・イン・アメリカ」として発表された。
その後もツアーにあけくれていた彼らだったが、2000年ついに待望の新作「トゥ・アゲインスト・ネイチャー」が発表され、再結成が本気なことを示した。だが、厳しい見方で言うと、このアルバムからは懐かしさは感じられるものの、あまり進化の跡はみられない。この結果が意味するものは、やはり往年のスティーリー・ダンのようなサウンドはフェイゲンとベッカーの力だけでは、なし得なかったということだ。曲の良さの他に、有能なプレイヤー達の演奏、優れたエンジニアなどが全て揃い、それらが奇跡的にかみ合ったとき生まれるのだ。
いつになるのかは分からないが、次のアルバムこそ、そういった奇跡が再現されることを期待しよう。(HINE)
 2001.9




Can't By A Thrill
MCA/MCA

Count To Ecstasy
MCA/MCA

Pretzel Logic
MCA/MCA

Katy Lied
MCA/MCA

Aja
MCA/MCA

ディスコ・グラフィー

1972年 Can't By A Thrill(キャント・バイ・ア・スリル)*いきなりシングル大ヒットした「ド・ゥ・イット・アゲイン」はまさにその後のスティーリー・ダン・サウンドそのもの
1973年 Count To Ecstasy(エクスタシー)*ライブで映えるノリの良いロック・サウンドがたくさん詰まったアルバム
1974年 Pretzel Logic(プリッツェル・ロジック〜さわやか革命)*ジェフ・ポーカロ(ds)、デヴィット・ペイチ(kb)のTOTOコンビが参加を開始
1975年 Katy Lied(うそつきケティ)*彼らの名曲には不可欠なラリー・カールトン(g)が初参加。自らのオリジナリティを確立したアルバム。マイケル・マクドナルド(kb,vo)も参加
1976年 The Royal Scam(幻想の摩天楼)*曲よし、演奏よし、プロデュースよし、ついでにジャケットまで良いときている。文句無く個人的最高傑作
1977年 Aja(彩〜エイジャ)*2人になったスティーリー・ダンが、ものすごい数のミュージシャンを従えて制作した1大傑作。これもかなりの名作
1978年 Greatest Hits(グレイテスト・ヒッツ)*文字通りのベスト盤
1980年 Gaucho(ガウチョ)*昔のメンバーやジャズ界の大物勢揃い。約1億円の制作費をかけたという最後の超大作。ハズしたらどうするつもりだったんでしょう〜(^_^; 
1982年 Gold(ゴールド)
1985年 A Decade Of Steely Dan(ザ・ベスト・オブ・スティーリー・ダン)

1994年 Then And Now *再結成を記念して作られたデジタル・リマスターによるベスト盤
1995年 Alive In America(アライヴ・イン・アメリカ)*リユニオン・ツアーのアメリカでの公演をCD化
2000年 Two Against Nature(トゥ・アゲインスト・ネイチャー)*なんと20年ぶりというオリジナル・アルバムがついに完成。

<Donald Fagen>

1982年 Nightfly(ナイトフライ)*ほぼスティーリー・ダンの黄金期を想わせる内容
1991年 The New York Rock And Soul Revue(ザ・ニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビュー)*91年に行われたライブ。ボズ・スキャッグス(vo)も出演
1993年 Kamakiriad(KAMAKIRIAD)*ウォルター・ベッカーがプロデュース、ロジャー・ニコルズがエンジニアリングとくればもう・・・

<Walter Becker>

1994年 11 Tracks Of Whack(11の心象)*ベッカー初のソロ・アルバム。フェイゲンもキーボードとプロデュースで参加



Gaucho
MCA/MCA

Alive In America
Giant/アリスタ

Two Against Nature
Giant/アリスタ

Nightfly(Donald Fagen)
Warner/MCA

Kamakiriad(Donald Fagen)
Reprise/WEA


◆◆◆名盤PIC UP◆◆◆

幻想の摩天楼
The Royal Scam

スティーリー・ダン
Steely Dan



1976年 MCA/MCA

SIDE-A

1.滅びゆく英雄(キッド・シャールメイン)
 
Kid Charlemagne

2.アルタミラ洞窟の警告
 
The Caves of Altamira

3.最後の無法者
 
Don't Take Me Alive

4.狂った町
 
Sign in Stranger

5.トルコ帽もないのに
 
The Fez

SIDE-B

1.緑のイヤリング
 
Green Earrings

2.ハイチ式離婚
 
Haitian Divorce

3.裏切りの売女
 
Everything You Did

4.幻想の摩天楼
 
The Royal Scam

才能が才能を呼ぶとは、まさにこのアルバムでのフェイゲン&ベッカーと参加ミュージシャン達のことを言うのではないだろうか。これまでも、スティーリー・ダンと言えば、2人の強力なソング・ライティング・コンビを中心に、優秀なプレイヤーからなるメンバーで構成されてきたが、ついに正式メンバーは3人となり、辞めていったメンバーの代わりに一流のセッション・プレイヤーで穴埋めをしている。ところが、その代役であるプレイヤー達は、穴埋めどころか、音楽の歴史を変えるであろう、その現場に居合わせたことに喜びを感じながら、一丸となって彼らをバックアップしている。その結束力は、かつてのメンバー以上といってもよい。
中でも名演が光っているのは、ギターのラリー・カールトン。彼は前作より参加しているのだが、このアルバムでの働きは前作を遙かにしのぎ、すでにスティーリー・ダン・サウンドの一部分と化している。ここで、彼自身も、その後のギタリスト人生を方向づける、1つのスタイルを築き上げたと言ってもよいのではないだろうか。それまでのジャズ・ロック・バンドのギタリスト達と比べてみて欲しい。例えばテンペスト時代のアラン・ホールズワース(元ジャズ・ギタリスト)などは、一生懸命ロックっぽく弾こうと、わざと思い切りディストーションのかかった音色で、フレーズもブルース寄りのものを多用していたが、カールトンはとても自然体で、ロック・ビートの中でも、少しマイルドなディストーションをかけロックっぽくチョーキングを使うぐらいで、流れるようなフレーズはジャズのままだ。ようするに、無理に合わせようとはしていないのだ。それが結果的に、ジャズ寄りのロックでも、ロック寄りのジャズでもない、ロックとジャズが共存する世界「クロス・オーヴァー」サウンドとなって、まったく新しい形態を生みだしたのだ。
それにしても、このアルバムの曲はどれもすばらしい。レゲエ、ファンク、ラテンなどのリズムも取り入れながら、どれもがそのものズバリにはならず、何らかのクロス・オーヴァーがなされている。まるで彼らのこれ以前のアルバムは、このアルバムを出すための実験だったと思えるほど完成度は高い。また、これ以降は逆にジャズ色が強すぎ新鮮度もないため、このアルバムこそが、彼らがロック界に残した最大の功績であったとも言えるだろう。(HINE)