DIRE STRAITS ダイアー・ストレイツ

Written by RICK

メンバー

Mark Knopfler マーク・ノップラー/Vocal,Guitar(1977〜)
David Knopfler 
デヴィッド・ノップラー/Guitar,Vocal(1977〜1979)
John Illsley 
ジョン・イルズリー/Bass Guitar(1977〜)
Pick Withers 
ピック・ウィザーズ/Drums(1977〜1982)

Hal Lindes ハル・リンデス/Guitar(1982〜1984)
Alan Clark 
アラン・クラーク/Keyboards(1982〜)
Terry Williams 
テリー・ウィリアムス/Drums(1982〜)
Guy Fletcher 
ガイ・フレッチャー/Keyboards,vocal(1985〜)

ダイアー・ストレイツとの出逢い

私がダイアーストレイツを知ったのはまだ3歳の頃。父が「ネブワース90」のLDを見ていて、私はそのころ非常に「ソリッド・ロック」という曲を気に入っていたようです。
しかし、当然のことながら、まだ物心もついていなかったため、その後しばらくは彼らから遠ざかっていました。そして、小学校6年生の時、車でアルバム「ブラザーズ・イン・アームス」を聴いて目覚めました。
私は早速「ソリッド・ロック」が入っている「メイキング・ムーヴィーズ」を買い、かなり聴きこんでいたところ、父が私に名曲「マネー・フォー・ナッシング」の入ったベスト盤「マネー・フォー・ナッシング」を聴くように薦めてきました。案の定私はハマってしまい、余っていたお金で二週間に一枚ダイアー・ストレイツのアルバムを買っていきました。これが私のダイアー・ストレイツとの出会いです。

29歳という年齢でデビューしたマーク・ノップラー(以下マーク)は、すぐに「イギリスでは売れない。アメリカへ行ってみよう」と判断し、バンドを引き連れてアメリカへ渡りました。しかし、当時アメリカでも売れ行きは微妙でした。
ところがある時(デビューから約1年後)、いきなり売れ始めたのです。そのころマークは積極的にライヴ活動をしており、そのライヴを聴いた人が口コミでダイアー・ストレイツを薦めていったそうです。そのころイギリスでも、BBC
がアメリカで売れたバンドとして、ラジオでダイアー・ストレイツの曲を流したところ人気が大爆発し、一気にトップ・アーティストへの道を駆け上っていくことになります。

ところが日本では彼らの人気はイマイチでした。理由としては、あまり来日しなかったためライヴを体験できなかったことと、日本人が聴くには渋すぎたということでしょう。しかし、アルバム「ブラザーズ・イン・アームス」だけは、なかなかの売り上げを記録しました。そのころマークはエリック・クラプトン・バンドのサイド・ギターとしてバンドに一時在籍していました。
そのバンドでジョージ・ハリスンとともに来日し、マネー・フォー・ナッシングを演奏したところ売れ始めたそうです。ただし、世界で3,000万枚を売り上げたアルバムにしては、もう1つ日本ではぱっとしなかったと言わざるを得ません。

私の一番好きなアルバムは「オン・エヴリ・ストリート」です。中でもオススメの曲は、アルバムタイトルにもなっている「オン・エヴリ・ストリート」と「バグ」「ティケット・トゥ・ヘヴン」です。
「オン・エヴリ・ストリート」はマークの作曲センスがかなり光っています。前半はおとなしく美しいメロディで渋く作り上げたヴォイス中心の曲で、後半はスティール・ギターをメインにしたドラマチックなナンバーとなっています。
「バグ」は非常にライヴ映えする曲で、彼らには珍しく3コードのロックです。ライヴではいろんな楽器を取り入れ、さらに良い感じの仕上がりになっています。またこの曲では、マークがスーパーストラトを使用しており、楽曲以外の面でも楽しめます。
「ティケット・トゥ・ヘヴン」はカントリーっぽく、どこか日本っぽい曲で、マークはこの曲をヒントにソロ・プロジェクトの道へと進んで行きます。ソロという名の「天国への切符(Ticket to Heaven)」だったのではないでしょうか。

各メンバーと楽器について

マークの弟デヴィッド・ノップラーは、主にフェンダーストラトキャスターとテレキャスターを使用していて、彼のストラトはピックアップが変則的に配置してある面白いギターでした。デヴィッドは2nd.アルバムのあと脱退しています。
ダイアー・ストレイツの方は、それからはしばらくトリオバンドとしてやってゆきますが、さすがにアルケミィ・ライヴでは、「悲しきサルタン」を演奏するにあたって厳しかったのか、サイドギターのハル・リンダスを加入させました。彼はごく普通の60年代ストラトを使用して、サイドギターとして優秀な働きをしました。
アルバム「ブラザーズ・イン・アームス」では、様々な楽器を取り入れ、より厚みみのあるサウンドになっています。
アルバム「オン・エヴリ・ストリート」ではサイドギターにフィル・ホーマー(元エリック・クラプトンバンド)が加入しました。彼の使用ギターはエリックから譲り受けたプロトタイプのシグネチャーモデルで、これがまた面白い効果を出していました。
またフィルは、ライヴアルバム「オン・ザ・ナイト」でタッピングを披露するなど最も意欲的に活躍したサイドギターでした。
ベースのジョン・イルズリーは主にフェンダージャズ・マスターを使用しており、ベースを膝の位置まで落として弾きます。まるでベース版ジミー・ペイジ奏法のようで非常にカッコイイです。
また彼のバック・コーラスはいつも強力にバンドをサポートしていて、絶対に欠かすことの出来ないメンバーでもあります。
ドラムスのピック・ウィザースは一時バンドを外れていましたが、クリアでシンプルなドラミングをするプレイヤーです。マークは、何回も取り直しをして完璧なドラムサウンドを作るのを嫌い、いつもほぼ一発取りに近いレコーディングをしてきましたが、ピックはそれに対応できるかなりの実力者でした。
バンドの柱マークは、初めのうちはストラトキャスターを使用していました。赤いマーク・ノップラー・レッドといわれるカラーで、先日山野楽器でも売っていました。音としては固く、かなり太い音が出るギターです。84年頃には、スタインバーガーを購入し、「プリンシズ・トラスト1986」で披露していましたが、音があまり気に入らなかったらしく、すぐに使わなくなりました。同年にシェクターテレキャスタータイプも購入し、「ウォーク・オブ・ライフ」で使用しました。87年にはペン・ザ・サーのフロイト・ローズ付きのギターを購入。フロイト・ローズが付いている割にはかなりいい音がしてたと思います。このギターは解散までメイン・ギターとして活躍し、ソロになってもからも使用しています。また、84年頃にはスーパーストラトキャスターも購入してピンポイントで使用していました。
ソロになってからはメインギターをギブソンレス・ポールに変更して素晴らしい音質を披露しています。おそらく50年代の物で、1,000万以上はするでしょう。
彼は薬指と小指をリア・ピック・アップ付近に置いてスリーフィンガーピッキングをしています。また、膝を曲げ、ギターを傾けて弾くというのが彼独自のスタイルです。間奏が終わったときには後ろを振り向いてキメルというクセもあります(笑)。彼のフィンガーピッキングのトーンはどこか変わっており、コピー困難なギタリストの1人でもあります。

メンバーたちの近況

マークは2004年現在、エミルー・ハリスとデュエットでCDを制作中とのことですが、2003年にバイク事故で負傷したというニュースも伝わっています。またニューアルバムをリリース後、カナダでツアーをすることが予定されています。
ジョンは、只今セッションミュージシャンをしたり、映画音楽を制作したりしていますが、その他ではあまり目立った活躍をしていません。
ピックもジョンと同じようにセッションミュージシャンをやっているようです。

各メンバーの味が出ている曲の紹介

 マークは「ウォーク・オブ・ライフ」(ブラザーズ・イン・アームス収録)でカントリー風バッキングをしていますが、これがとってもすごいのです。かなりの早弾きをしながら歌うという大技を披露しています。また「シンク・アイ・ラヴ・ユー・トゥ・マッチ」(ネブワース90収録)では、
彼とエリック・クラプトンのツイン・リードギターを聴くことができ、かなり楽しめます。
 ジョンは「マネー・フォー・ナッシング」(ブラザーズ・イン・アームス収録)で彼の持ち味である力強いベースを聴くことができます。さらにスティングとのバックコーラスも素晴らしく、スティングにも引けを取らない歌声です。さらに「トゥイスティング・バイ・ザ・プール」ではもっと彼のコーラスのすごさを体感できます。
 ピックはあまりライヴなどには出ていないのですが、「悲しきサルタン」(悲しきサルタン収録)では彼の持ち味が出ていると思います。目立たなくてもしっかりリズムを刻んでバンドの音楽にまとまりを付けています。

以上 
RICK 2004.4


BIOGRAPHY

1977年 ロンドンの同じアパートで共同生活をしていたノップラー兄弟とジョン・イズリーがバンドを結成。すぐにピック・ウィザーズも加える
1978年 トーキング・ヘッズの全英ツアーをサポートする。「悲しきサンタン」で英デビューするが国内では不振、オランダで人気が出る
1979年 アメリカ・デビューを果たし、「悲しきサルタン」はアルバムが全米2位、シングルが全米4位を記録。デヴィッド脱退。
1980年 3人となったバンドのツアー・メンバーにハル・リンデスとアラン・クラークが参加
1982年 ハルとアランを正式メンバーとして迎える。4th.アルバムが初の全英No.1に輝く。ピックが脱退し、代わりにテリー・ウィリアムスが加入
1983年 初来日公演。マークが初ソロ・アルバム発表
1984年 初のライヴ・アルバム「アルケミィ」(全英3位)リリース。ジョンも初ソロ・アルバムを発表
1985年 6th.アルバム「ブラザース・イン・アームス」が全英・全米ともにNo.1大ヒット。英米で2,000万枚を売りつくす
1986年 英のプリンシズ・トラスト・コンサートに初出演
1988年 マークがエリック・クラプトンの来日公演にゲスト参加。初のベスト・アルバムが全英1位を記録
1990年 マークが別プロジェクトのノッティング・ヒルビリーズでもアルバム「ミッシング」を発表(全英2位)
1991年 6年ぶりのアルバム「オン・エヴリ・ストリート」が全英・全米共に1位を獲得
1995年 未発表ライヴを収めた「ライヴ・アットBBC」がリリースされる
1996年 マーク・ノップラー、ソロ・アルバム「ゴールデン・ハート」リリース




Dire Straits
Vertigo/Warner

Communiqu
Vertigo/Warner

Making Movies
Vertigo/Warner

Love over Gold
Vertigo/Warner

Alchemy
Polygram

DISCOGRAPHY

1978年 Dire Straits(悲しきサルタン)*オランダから火がつきドイツ、オーストラリア、米で大ヒット(2位)。最終的に英でも5位を記録した1st.
1979年 Communique(コミュニケ)
*全英5位/全米11位のヒットを記録したが発表後にデヴィッドが脱退
1980年 Making Movies(メイキング・ムービーズ)
*コアなファンの間では最高傑作と囁かれるサード。地味だが粒ぞろいの楽曲だ
1982年 Love Over Gold(ラヴ・オーバー・ゴールド)
*5人体制となり初の全英制覇を成し遂げたアルバム。全英1位/全米19位
1984年 Alchemy: Dire Straits Live(アルケミィ)
*彼ら初のライヴ・アルバムでLP2枚組だった。ロンドン・ハマースミス83年の録音
1985年 Brothers In Arms(ブラザーズ・イン・アームス)
*全世界で2,000万枚を売ったモンスター・アルバム。全英・全米ともに1位
1988年 Money For Nothing(マネー・フォー・ナッシング)
*全英1位を記録した彼ら初のベスト・アルバム
1991年 On Every Street(オン・エヴリー・ストリート)
*6年ぶりのアルバムだったが、人気は健在、全英1位/全米12位
1993年 On The Night(オン・ザ・ナイト)
*ゲスト・プレイヤーを迎え9人編成で行ったワールド・ツアーからのライヴ音源。全英4位
1995年 Live At The BBC(ライヴ・アット・ザ・BBC)
*まだ彼らがブレイク前の78年に収録されていた未発表ライヴ音源集



Brothers in Arms
Vertigo/Warner

Money For Nothing
Vertigo/Warner

On Every Street
Vertigo/Warner

On The Night
Polygram

Live At The BBC
Polygram