LONE STAR ローン・スター


ブリティッシュ・ハード不遇時代に生まれた孤独な星

Kenny Driscoll ケニー・ドリスコール/リード・ヴォーカル
Paul Chapman ポール・チャップマン/ギター
Rick Worsnop リック・ワースノップ/キーボード、ヴォーカル
Pete Hurley ピート・ハーリー/ベース・ギター
Tony Smith トニー・スミス/ギター、ヴォーカル
Dixie Lee ディキシー・リー/ドラムス、ヴォーカル

ローン・スターというバンドは、日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、隠れた名バンドであり、UFOファンの人なら、きっと名前は聞いたことがあるはずだ。
というのもギターのポール・チャップマンは、このローン・スター在籍時代と前後して、UFOを出たり入ったりした、例の失踪癖を持つマイケル・シェンカー(g)の1番の犠牲者であったからだ。
もっともチャップマンのギターは、“上手いが個性がない”ため、代役にはうってつけな存在で、UFO以前にもゲーリー・ムーア(g)が脱退後のスキッド・ロウへ一時加入している。
ローン・スターの始まりは、イギリスのウェールズ出身のチャップマン、ドリスコール、ハーリーが学生時代に結成したバンドだったという。その後、チャップマンがスキッド・ロウに引き抜かれ、アイルランドへ渡ってしまうと、ドリスコールは新たにトニー・スミスとディキシー・リーを誘ってニュー・バンドを結成した。
一方、チャップマンは病気のため短期間のうちにスキッド・ロウ脱退を余儀なくされ、イギリスへ戻ってハーリーと共にまたバンドを組んでいた。
ところが、この頃マイケル・シェンカー加入直後のUFOと出逢い、ツアー・メンバーとしてUFOに誘われ加入することとなった。マイケル・シェンカーは、スコーピオンズ時代にも実兄ルドルフ・シェンカーと息のあったツインリードを披露していたが、UFOでも多重録音という形でそれを再現し、一躍ギター・ヒーローの仲間入りを果たした。そのため、どうしてもライブでもそれを再現する必要があったのだ(フィル・モッグが切望していた)。
だが、マイケルと渡り合うには、並のギターテクではとうてい無理だ。そこで担ぎ出されたのが“上手いが個性がない”チャップマンというわけだったのだろう。
チャップマンは74年6月から6ヶ月間UFOに在籍したが、アルバムのレコーディングには参加させたくないというマイケルと、正式メンバーとしてレコーディングにも参加させるべきだという他のメンバーの論争の中、静かに身を引く形で脱退してしまった。・・・なんと心優しい人なのだろう。
しかし、これは彼にとって災難の序章にしかすぎなかった。これ以降、幾度となくUFOに呼び出され、マイケルの代わりにツアーへ同行させられるのだから・・・。
少し話はそれたが、75年ドリスコールとスミスがそのチャップマンに話を持ちかけ、これに昔の仲間達、ハーリーとディキシー・リーを加え、ローン・スターが誕生した。
しばらくしてキーボードのワースノップも加えた彼らは、デモテープに興味を示したCBSとなんなく契約を交わし、クイーンでお馴染みロイ・トーマス・ベイカーがプロデュースするという強力なサポートを受け、76年「孤独な星」でアルバムデビューした。
大物プロデューサーがアルバムを手がけたということで、彼らはすぐに話題になったが、直後のツアー中、ドリスコールが他のメンバー達との意見の食い違いから脱退してしまう。
これはファースト・アルバムを聞けば分かるのだが、アメリカ志向のドリスコールとブリティッシュ然としたチャップマンらの演奏はどうもかみ合っていない。それがなんとも中途半端なサウンドを醸し出していた。
結果的に見れば、このファーストは話題の割にあまりパッとせず、次のセカンド・アルバムの完成度にはおよびもつかないのだが、少しポール・ロジャース(元フリー、バッド・カンパニー/vo)にも似たドリスコールのヴォーカル自体はけっして悪くはなかった。だが、ローン・スターにとってもこのドリスコールの脱退は正解だった。
翌77年無名ヴォーカリスト
John Slomanジョン・スローマン(vo)を迎えて制作したセカンド・アルバム「炎の銀惑星」は、同じバンドとは思えないほどの素晴らしい出来映えで、評論家達にも絶賛された。
スローマンは、少しロバート・プラント(元ZEP.)似の甘くハイトーンなヴォーカルで、バックの演奏にピッタリとハマっている。また、ファーストではキーボードに押され気味でおとなしかったギターも、このセカンドでは大きくフューチャーされ、ツインリードの魅力がたっぷり味わえる。
曲もすばらしく、特に後半のプログレっぽいメドレーは、これぞブリティッシュ・ハードという仕上がりだ。なぜもっと売れなかったのかと不思議でしょうがない。
このあたりは時代背景的なことが大きく影響し、いたしかたなかったのだろうが、近年もっと再評価されてもいいはずのアルバムには違いない。
ちょうどローン・スターが活躍した頃、イギリスはパンク・ロック・ブームに沸きかえり、ハード・ロック・バンドは過去の遺物でしかなくなっていた。しかし、メロディーメイカー紙のブライテスト・ホープでは、そのパンク・バンド達に混ざって彼らも5位と健闘。アルバム・セールスではかなり伸び悩んだが評価は上々であった。ちなみにこのセカンド・アルバムのプロデュースはジューダス・プリーストも手がけたゲイリー・ライオンズ。
そして、78年いよいよ波に乗ってきた彼らはサード・アルバムのレコーディングに取りかかった。しかし、悲運にもその直後CBSからの契約をうち切られ、レコーディングは中断、彼ら自体も解散に追い込まれてしまった。
まさにこれからという時だったのに、時代の波に押しつぶされ、非常に残念な結果であった。
このサード・アルバムは、チャップマンの手によってチェックされ、99年になってからやっと日の目を見た。だが、明らかにまだデモ・テープ段階のものや、ボツにするはずだったであろう曲も含まれており、正式なアルバムと言うにはいささかお粗末な内容だ。コレクター向けにしかお薦めできない。尚、このサードのレコーディングに取りかかる前にトニー・スミスが脱退しているため、このアルバムでは、ギターはチャップマン1人しかクレジットされていない。

ローン・スター解散後、チャップマンはマイケル・シェンカーが失踪するたびにUFOへ呼ばれ、79年にはついに脱退したマイケルの代わりに正式メンバーとして加入。UFOの一員として来日も果たし、80年代半ばまでそのまま活躍した。
トニー・スミスはアメリカへ渡り、LIONを結成するが、まもなく脱退している。
スローマンはユーライア・ヒープへ加入し、1枚のアルバムを残した後、ゲーリー・ムーア・バンドの一員となり、この時来日も果たしている。
ピート・ハーレーは不確かな情報ながら85年Extreme Noise Terrorの結成にギター&ヴォーカルとして加わり、現在も活動中のようだ。

ロン・スターのファースト・アルバムは1度CD化され日本盤も出回っていたことを確認したが、セカンド・アルバムに関しては単独でCD化された形跡はない。だが、2004年に1st.&2nd.のカップリング盤がUKで発売になり現在購入可能だ。95年にライブ盤もリリースされたはずだが、これは日本盤があるかどうかは未確認、輸入盤でも現在は廃盤になっている。サード・アルバムは現在も輸入盤で簡単に手に入り中古屋でもときどき見かけるが、これは上にもかいた通り、内容的にあまりお薦めできない。
(HINE)
 2005.5更新

Special Thanks to Mr.さとう(資料提供)



LONE STAR
孤独な星


1976年 Epic/Sony
FIRING ON ALL SIX
炎の銀惑星


1977年 Epic/Sony
RIDING HIGH
The Unreleased Third Alubum


1999年 Zoom Club Records

ディスコグラフィー

1976年 Lone Star(孤独な星)*92年にCD化され、日本盤も出ていたが、現在は廃盤。ドリスコール(vo)唯一のスタジオ音源
1977年 Firing On All Six(炎の銀惑星)
*スローマン(vo)を迎え、すばらしい成長を遂げた名作。CD化が望まれるところだ
1995年 BBC.Radio 1 Live In Concert 
*ドリスコールとスローマン両方のヴォーカルが聞けるライブ音源
1999年 Riding High 
*78年に録音されていた音源を寄せ集めた幻のサードアルバム。現在も販売中!