SILVERHEAD シルヴァーヘッド


開花しなかった恐るべき潜在能力

Michael Des Barres マイケル・デ・バレス/ヴォーカル
Steve Forest スティーヴ・フォレスト/ギター
Rod Davies ロッド・デヴィース/ギター
Nigel Harrison ナイジェル・ハリスン/ベース・ギター
Pete Thompson ピート・トンプソン/ドラムス

グラム・ロックの典型バンド、シルヴァーヘッドの代表曲とも言える名曲「ジョニー」。この曲を聞いただけで、デ・バレスの歌唱力の高さは伺い知れる。
デ・バレスはデヴィッド・ボウイ同様俳優としても活躍するかたわら、“表現”ということに関して、シンガーとしてだけではなく、服装やメーク、発言にいたるまで徹底的だった。
ボウイと違っていたのは、彼を強力にバック・アップしたミック・ロンソンやイギーポップ、ブライアン・イーノ、リック・ウェイクマンなどのような有能ミュージシャンに出逢えなかったことと、曲がストレートなロックンロール過ぎたということだろうか・・・。
そのため話題にはなったが、セールス的には大きな成功を収めずられずにシルヴァーヘッドは解体してしまう。
しかし、デ・バレスの潜在能力は誰もが認めるものであり、何よりこのバンドのアルバムがディープ・パープルの設立したパープル・レコードからリリースされていることと、デ・バレスが後に結成するDetectiveディテクティブZEP.のスワンソング・レーベルからデビューしていることが、それを証明している。

母親が歌手で子供の頃からブラック・ミュージックを聞いて育ったというデ・バレスは、当初EMIとソロ・シンガーとして契約したが、会社からバンドを作るよう勧められたという。
こうして即席で作られたバンドは1972年アルバム「恐るべきシルヴァーヘッド」でデビュー。
デビュー当時の広告コピーは、「我が兄弟の悪魔の栄光をシルヴァーヘッドの輝ける頭上に!」というフレーズであったらしいから笑える。
サウンドの方は上のコピーから連想されるブラック・サバスユーライア・ヒープのようなおどろおどろしさがあるわけでもなく、かといって同じグラム系のT・レックスボウイのようにポップでもない。
デ・バレスのソウルフルな声とR&Bや他の様々な音楽を基調とした曲作りのセンスはなかなかのものだが、素人を思わせる、音がスカスカでリズム感の悪いバックの演奏は、彼の足を引っ張り、結果的にバンドとしての評価を落としてしまった。
73年にはギターの1人がフォレストから
Robbie Bluntロビー・ブラントに代わり、ゲストにイアン・マクドナルド(sax/元キング・クリムゾン、後フォリナー)を迎えてセカンド・アルバム「凶暴の美学」をリリース。
このアルバムは、「ハロー・ニューヨーク」がマイナー・ヒットするが、ギタリストがブラントに代わって上手くなった分、ギターを前面に押し出したストレートなロックンロール色が強くなり、かえってデ・バレスの魅力を減衰させてしまうことになってしまった。
イアン・マクドナルドは、彼のことを知っている方ならご存じのように、肩書きは凄いがサウンド面にはまったく影響を与えない(^_^;
この後、74年には来日も果たすが、その直後にシルヴァーヘッドは解散してしまう。
尚、73年にロンドンのレインボー・シアターで行ったライブの音源が75年になって、アルバム「電撃のライヴ」として発売されている。日本のみで74年来日した時のライブ盤も出されているらしいが、これは公式なものなのかどうか定かでない。

シルヴァーヘッドの残したもの

解散後、デ・バレスはしばらく沈黙した後、77年元イエスのトニー・ケイ(kb)らとディテクティブというバンドを結成し、3枚のアルバムをリリースしている。その後元セックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズやシルヴァーヘッドのメンバーだったハリスンとともにCHEQUERED PASTを結成するが、これも1枚アルバムを残しただけで解散。そして、85年あのスーパー・プロジェクト“パワーステーション”の米ツアーにロバート・パーマー(vo)の代役で起用され話題になったのが、ロック界では最後の消息となっている。・・・ところが89年クリント・イーストウッド主演の映画「ピンク・キャデラック」にはマイケル・デ・バレスの名前がある。
ハリスン(b)は元ドアーズのレイ・マンザリックとジョイントしてナイト・シティを結成した後、ブロンディーへ中途加入。
ブラント(g)はチッキン・シャックの再結成に参加した後はロバート・プラントのソロ・ヒット・シングル「BIG LOG」のバック・ミュージシャンに名前を連ねていた。
デ・バレスの奇抜なファッションとメイク、ストレートでシンプルなサウンド、それにちょうどデヴィッド・ボウイやT・レックスが活躍していた時代背景もあり、グラム・ロックとカテゴライズされたシルヴァーヘッドであったが、それは偶然的なものであり、デ・バレスが本来目指していたものではないように思う。むしろその後のディテクティブにこそ彼の構想の一端が伺える。だが、それとは裏腹にハードで緻密なサウンドではデ・バレスのヴォーカルの本当の魅力が伝わらないのも事実なのだ。
シルヴァーヘッドの少々下手くそな演奏と言動は、ストレートで破壊的にロックンロールのパワーを伝えるものだ。これは後々のパンク・ロッカー達が目指すサウンドに通じるものがあり、少なからず影響を与えたようだ。インタビューでの言葉を少し紹介しておこう。
「僕から見ればね、T・レックスもデヴィッド・ボウイも、スレイドも、ビンにつめて売られているワインみたいなものなんだ。それは商品であって、買って飲めばそれでおしまいだ。僕たちはそれ以上のものだ。僕たちは単なる商品じゃない。」? デ・バレス
「僕はストーンズビートルズ以上のヴァイヴレーションを感じた。ジャガーは最高だよ。でも今はもうミック・ジャガーが最高のロック・スターだとは言えないね。今は僕だよ、ハハハ」? デ・バレス
「僕たちは政治家だと思っている。僕たちは大使なんだよ。もし僕たちが日本に行って公演できたら、僕たちはイギリス政府の代表団よりも僕たちイギリス人の心を日本人に伝えることができる」
また彼らのファッションやレコード・ジャケットなどは独特でユニーク、今見てもとても新鮮だ。

シルヴァーヘッド、彼らの名前を聞くと今でも「ジョニー」のあのデ・バレスの歌声が頭の中で繰り返し流れる。それは、やはりがヴォーカリストとして素晴らしい資質を彼が持っていたからに他ならない。・・・そう、上手いヴォーカリストにはギター1本あればよいのだ。(HINE) 2001.5




Silverhead
Purple Records/Repertoire/東芝EMI

16 and Savaged
Purple Records/Repertoire/東芝EMI

Live At The Rainbow London
Purple Records/東芝EMI

ディスコ・グラフィー

1972年 Silverhead(恐るべきシルヴァーヘッド)*奇抜な衣装とメイクで日本でも話題になった彼らのデビュー作
1973年 16 and Savaged(凶暴の美学)*シングル「ハロー・ニューヨーク」がマイナー・ヒット。ジャケットのセンスが光る
1974年 Rock And Roll Circus *日本の東京厚生年金会館で74年に行ったライブ音源
1975年 Live At The Rainbow London(電撃のライヴ!)*73年にレインボウ・シアターで行われたライブを収めた作品