The Rolling Stones
ローリング・ストーンズ


Written by JIMMY


 ご存知ローリング・ストーンズとは、ビートルズと並び称され、現在でも活動を続けている怪物バンドだ。全てのメンバーが持ち前のパート以外の楽器をこなせるという多面性も持っている。70年代半ばまでのブルース基盤のロックはストーンズと共に動いていた。褒めすぎの様だが事実である。
62年のデビューから順調にヒット曲を出す。メンバーチェンジを経て黄金期に突入。最高な出来映えのアルバムを連発し、78年にはディスコ音楽を取り入れた「ミス・ユー」が大ヒット。
 時代の音楽を取り入れてバンドはどんどん巨大になる。表面的に見たら、とても順調に成功したバンドの様に見えるが決してそんなことは無い。ドラッグ不法所持でキースの家が捜査されたり、コンサートで死者がでたり、そしてなによりもブライアンが脱退、死亡するなど、何かとトラブルが多いバンドなのだ。それらのトラブルを乗り越えて、成功をつかんだ所が一番このバンドの凄い所だと僕は思う。

Mick Jagger ミック・ジャガー/ボーカル
Keith Richards キース・リチャーズ/ギター、ボーカル
Brian Jones ブライアン・ジョーンズ/ギター、パーカッション etc.
Bill Wyman ビル・ワイマン/ベースギター
Charlie Watts チャーリー・ワッツ/ドラムス


ストーンズ誕生
 
ストーンズの中心はやっぱりミック! オリジナル・メンバーはすべてミックに説得され加入している。ストーンズの前身は「リトル・ボーイ.ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」で、そこに所属していたミックがメンバーを引き込んだのだ。今のストーンズはミックがリーダーだが、初期のリーダーはブライアンで、バンド名をローリング・ストーンズに決めたのもブライアンだった。
 ストーンズはマーキー・クラブをはじめ、ロンドン周辺のクラブで演奏するようになる。その後デッカと契約し、チャック・ベリーの「カモン」のカヴァーでレコードデビュー。ストーンズ自身はあまり気に入っていないがUKチャートで21位まで上がっている。初期のストーンズのスタイルは、ビートルズのように、オリジナル曲にカヴァーが少し混ざるのとは全く逆で、ブルースやR&Bのカヴァーにオリジナル曲が少し混ざるスタイルだった。
 その後、英国3枚目のシングル「ノット・フェイド・アウェイ」が3位の大ヒット! ここでストーンズの名前を世界に知らしめることとなる。
 続くファーストアルバム「ザ・ローリング・ストーンズ」もビートルズの「ウィズ・ザ・ビートルズ」をチャートから蹴落として12週連続1位の大ヒット!
 が、イギリスでの好調さに対し、アメリカへの進出はなかなか難しかったようだ。初のアメリカツアーは観客が入らず大失敗。しかし翌年、「満足できない」という若者の気持ちをわしづかみにした「サティスファクション」をリリースすると、英米両国で1位の大ヒットを記録。見事アメリカ進出をも果たすのだった(最近ローリングストーン誌の最も偉大な500曲でもこの曲は2位を獲得)。続くシングル「独ぼっちの世界」も英米1位の大ヒット! アルバムセールスも好調でヒットを量産し、とうとうストーンズはビートルズに続くビッグバンドとなるのだった。
 しかし67年、ストーンズの評価はさがる。警察がキース邸を調査、ドラッグらしき物を押収したと発表したのだ。さらにミックとキースが麻薬不法所持で逮捕された! またビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を真似して作ったアルバム「サタニック・マジェスティーズ」が大大大失敗。これはコンセプト・アルバムで、いい曲も含まれているが、どれも実験的なもので、ストーンズらしくない曲が多かったからだ。ストーンズには後がなくなってしまう。
 だがその翌年、ストーンズは大傑作アルバム「ベガーズ・バンケット」をリリース。このアルバムは、ほとんどの曲がアコースティック中心で作られていて、前作とは正反対のアルバムだ。同時期に、ビートルズは「ホワイト・アルバム」をリリースしているが、ビートルズが音楽的変化を求めたのに対し、ストーンズは念願だったブルースを基調とした作風で、とうとう大衆にブルースを定着させたのだ。そしてなによりも方向的には違っていても、真似ばかりしていたビートルズとは違う、自分たちの方向性を見いだしたのだった。
 このアルバムには音楽的リーダーだったブライアンがドラッグから抜けられなくなり、ほとんど参加してない。もし参加しても、とても演奏できる状態じゃなかった。それでも大傑作アルバムを作り上げたのだからストーンズにブライアンは不要になってしまったのだ。ついには、ブライアンは自分が育て上げたバンド、ローリング・ストーンズから解雇されてしまう!ブライアンは本当にこのバンドに貢献してくれた。シタールをやマリンバなど本当に多くの楽器を演奏してきた。これはあまりにもかわいそうな事実だったのだ。
 そして69年7月事件は起こった。ブライアンが自宅のプールで変死したのだ。ドラッグとアルコールで死亡したと判断されたが、この事件には不透明な部分が多く、殺害されたという説もある。
 しかしこれがバンド最大の転機となる。ブライアンの後任にはジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに所属していた
Mick Taylor ミック・テイラーが迎えられたが、ストーンズにテイラーの繊細さが加わり、バンドは黄金期を迎えるのだった。

オルタモントの悲劇と時代の終わり
 
69年の11月からスタートした全米ツアーを最後に、大規模なフリーコンサートで締めくくろうと思っていたミックは、ウッドストックの映画が70年に公開されると知り、自分たちのフリーコンサートのドキュメンタリー映画をそれより早く公開しようと考えていた。
 当初、開催地をゴールデン・ゲートパークにしようと考えていたストーンズだったが、許可が下りず、シアーズ・ポイント・レースウェイに変えた。しかし、今度は使用料または映画の配給権を求められたため、開催地を再び変え、最終的にオルタモント・スピードウェイに決めた。だが、これがすでにコンサートの数日前。警察も警備をしてくれないという状況で、とうとうに暴走族のヘルス・エンジェルズを雇いなんとか間に合わせた。
 そしてコンサート当日、観客は50万人集まったと言われている。サンタナやジェファーソン・エアプレインなどが演奏を続けていくが、ヘルス・エンジェルズが観客に暴力を振るうなど、会場の空気は最悪だった。
 その後ストーンズがヘリで会場に登場! しかし、それと同時にミックが観客の一人に殴られてしまう。ストーンズは演奏を開始し、ついに「悪魔を憐れむ歌」が始まった。ミックは「この曲を演奏すると毎回何か起こるんだ」と言うと演奏を始めた。演奏も半ばに差し掛かったときに会場で喧嘩が起こる。何とか演奏を続け次の曲に入ると、今度は黒人少年がステージに銃を向けたのだ。すぐさま警備のヘルス・エンジェルズが少年にナイフを刺し袋だたきにする。結果、その少年を含めてコンサートは4人の死者を出し、幕を閉じた。
 ウッドストック・フェスティバルのコンセプトが『LOVE&PEACE』だったのと同様、60年代そのモノのコンセプトが愛と平和だったが、この事件と同時に60年代も幕を閉じてしまうとは・・・。

黄金期のストーンズ
 70年に入りストーンズはとても好調だった。皮肉なことにビートルズが解散したことによって、ライバルがいなくなったストーンズはナンバーワン・バンドになった。出すアルバム、シングル、すべてが大ヒット。金銭的にも大成功を収めていたように思えるが...英国の高い税金でそうでもなかったらしい。しかたなく、ストーンズはフランスに移住することにした。これはミュージシャンとして初めて税金逃れの為に、他の国に移住したということでもある。
 71年には自らのレコード会社「The Rolling Stones Records」を設立。そして、そこからの第一弾アルバム「スティッキー・フィンガーズ」には、ジャケットにアンディー・ウォーホルを起用し大きな話題を集めた。また、72年には最高傑作と呼び名の高い二枚組アルバム「メインストリートのならず者」をリリースする。この作品はストレートなロックはもちろん!スワンプ・ロックやブルースなども収録している。しかし74年にテイラーが脱退。(このときテイラーはドラッグで適切な判断ができなかったらしい)
 ストーンズはまた新たなメンバーを探す事になる。新メンバー候補の名簿にはジェフ・ベックの名前もあったが、新メンバーはフェイセズに所属していた
Ron Wood ロン・ウッドが正式に決まった。(ジェフ・ベックがストーンズに加わってたらどんなバンドになっただろうか想像がつかない)
 ストーンズは、ロンの陽気なテイストが加わったことで、より多面的なバンドに成長する。78年にはディスコブームに乗って「ミス・ユー」が大ヒット。意外な曲調にファンを驚かせた。
 しかし80年代に入ると時代の影響もあり、第一線からは退いてしまう。それでもアルバムを出し続けるがあまりパッとしない。とうとう80年代後半に入ると、もうほとんどアルバムも出さなくなり、ライブ中心の活動になってしまう。
 90年に入りスタジオ・アルバムも何枚か出すが、従来の若々しさやエネルギーが感じられなくなってしまった。
93年にはオリジナルメンバーのビルも脱退してしまい、ストーンズは4人になってしまう。98年には「ブリッジ・トゥー・バビロン」がビルボード3位の大ヒットを記録するが、昔からのファンを満足させるまでには至らなかった。
 最近はライブアルバムが中心となっているが、ライブアルバムでは若々しさが健在!相変わらずのエンター
テインメントぶりを発揮している。2003年にはミック・ジャガーが英国からナイトの称号をもらうが、ミックだけ?いまさら?とファンは感じている。 はず・・・です。 (JIMMY)
2005.3


ROLLING STONES HISTORY (製作:HINE)
1962年
1963年
1964年
1965年
1966年
1968年


1969年



1970年
1971年
1972年
1973年

1974年
1975年
1976年
1978年
1983年
1985年


1986年
1987年
1988年

1989年
1990年
1991年
1992年
1993年

1995年
1996年
1998年
2001年
2003年
ザ・ローリング・ストーンズ結成
英デッカ・レコードと契約。チャック・ベリーのカヴァー「カモン」でシングル・レコード・デビュー
シングル「イッツ・オーヴァー・ナウ」が全英No.1を記録。1st.アルバム「ザ・ローリング・ストーンズ」リリース
シングル「サティスファクション」で初の全米No.1を獲得。つづくシングル「ひとりぼっちの世界」も全米No.1
初の全曲オリジナル・アルバム「アフターマス」リリース
シングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」全英No.1に輝く
「悪魔を憐れむ歌」のレコーディング風景が収録されたジャン・リュック・ゴダール監督の映画「ワン・プラス・ワン」公開
ジョン・レノン、ザ・フー、E.クラプトンらと共にTVスペシャル「ロックン・ロール・サーカス」を収録するがお蔵入りとなる
ブライアン・ジョーンズ脱退。その後プールで溺死
ブライアンの後釜にロイ・ブキャナンを誘うが断られ、最終的にミック・テイラーが加入
シングル「ホンキー・トンク・ウィメン」全英全米ともにNo.1を記録
カリフォルニア州オルタモントでのフルー・コンサートで死者を出し社会問題となる
自らのレーベル「ローリング・ストーンズ・レコード」設立
「ローリング・ストーンズ・レコード」からの第一弾アルバム「スティッキー・フィンガーズ」発表
ストーンズの最高傑作との評判が高い2枚組アルバム「メインストリートのならず者」リリース
ミック・ジャガーの麻薬逮捕歴が問題となり入国拒否され、初の日本ツアーがキャンセルされる
デヴィッド・ボウイの妻アンジーのことを歌ったシングル「悲しみのアンジー」が全米でNo.1を記録
ミック・テイラー脱退。後任にジェフ・ベックを誘うが断られる

「次はオレだろう」と電話の前で待っていたクラプトンには声をかけず、ロン・ウッドに加入要請
ロン・ウッド正式メンバーとなる
シングル「ミス・ユー」全米No.1に輝く
アメリカでのライヴを収めた映画「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」公開
ミック・ジャガー初のソロ・アルバム「シーズ・ザ・ボス」リリース
ミック、キース、ロンがライヴ・エイドに出演
ミックがデヴィッド・ボウイとのデュオでシングル「ダンシング・イン・ザ・ストリート」をリリースし大ヒット
グラミー賞「ロック功労賞」受賞
ミック・ジャガー2枚目のソロ・アルバム「プリミティヴ・クール」リリース
ミック・ジャガー初のソロ来日公演が実現
キース・リチャーズ初のソロ・アルバム「トーク・イズ・チープ」リリース
ロックンロール・ホール・オブ・フェイム殿堂入りを果たす
ストーンズとして初の日本公演が実現
ヴァージン・レコードと契約
キース・リチャーズ2枚目のソロ・アルバム「メイン・オフェンダー〜主犯」リリース
ビル・ワイマン脱退を表明
ミック・ジャガー3枚目のソロ・アルバム「ワンダリング・スピリット」リリース
2度目の来日公演
お蔵入りとなっていた「ロックン・ロール・サーカス」ついにリリース
3度目の来日公演
ミック・ジャガー4枚目のソロ・アルバム「ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ」リリース
4度目の来日公演



England's Newest Hit Makers
ABKCO/ポリドール

Out Of Our Heads
ABKCO/ポリドール

Aftermass
ABKCO/ポリドール

Beggars Banquet
ABKCO/ポリドール

Let It Bleed
ABKCO/ポリドール

Sticky Fingers
Virgin/東芝EMI

Exile On Main St.
Virgin/東芝EMI

DISCOGRAPHY (注・US盤を基準にしています。製作:HINE)

1964年 England's Newest Hit Makers(ザ・ローリング・ストーンズ)*「テル・ミー」収録の記念すべきデビュー作
1964年 12×5(12×5)
*R&BやR&Rのカヴァー曲で構成されたセカンド
1965年 The Rolling Stones, Now !(ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ)

1965年 Out Of Our Heads(アウト・オブ・アワ・ヘッズ)
*初の全米No.1に輝いた大出世作。「サティスファクション」収録
1965年 December's Children(And Everybody's)(ディセンバーズ・チルドレン)

1966年 Big Hits(High Tide and Green Grass) *初のベスト盤
1966年 Aftermass(アフターマス)
*初の全曲オリジナル・アルバム。「黒くぬれ!」が大ヒット
1966年 Got Live If You Want It !(ゴット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット)
*ストーンズ初のライヴ盤
1967年 Between The Buttons(ビトウィーン・ザ・バトンズ)
*いよいよポップ・センスも全快!「夜をぶっとばせ」「ルビー・チューズデイ」収録
1967年 Flowers 
*UK盤には上の2曲が未収録だったため、US盤では2つのアルバムにダブって入っている。
1967年 Their Satanic Majesties Request(サタニック・マジェスティーズ)*ビートルズと比較され賛否両論を巻き起こした作品。「シーズ・ア・レインボー」収録
1968年 Beggars Banquet(ベガーズ・バンケット)*初期の大名盤と名高きブルース臭の強いアルバム。「ストリート・ファイティング・マン」収録
1969年 Through The Past, Darkly(Big Hits Vol.2) *「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を収録したブライアン時代のまさにベスト
1969年 Let It Bleed(レット・イット・ブリード)*「ギミー・シェルター」収録。「ベガーズ・バンケット」「メイン・ストリートのならず者」と並ぶ名作
1970年 Get Yer Ya-Ya's Out(ゲット・ヤー・ヤー・ヤズ・アウト)*初期の決定版的ライヴ。
1970年 Metamorphosis-UK Version(メタモルフォシス)*60年代ストーンズの未発表曲と未発表テイクを集めた編集盤
1971年 Sticky Fingers(スティッキー・フィンガーズ)*アンディ・ウォーホル作のファスナー付きジャケットで有名な名盤。「ブラウン・シュガー」収録
1972年 Exile On Main St.(メインストリートのならず者)*ストーンズの最高傑作という声も多い2枚組の力作。珍しくキースがヴォーカルをとった「ハッピー」も収録
1973年 Goats Head Soup(山羊の頭のスープ)*音楽的な広がりをみせ、その後の方向性を示唆した作品。名バラード「悲しみのアンジー」収録
1974年 It's Only Rock'n Roll(イッツ・オンリー・ロックンロール)*ミック・テイラー最後の作品にして、ストーンズらしさの最後を飾る作品でもある
1975年 Made in the Shade(メイド・イン・ザ・シェイド)*ミック・テイラー時代のベスト
1976年 Black And Blue(ブラック・アンド・ブルー)*ロン・ウッド加入後初の作品。
1977年 Love You Live(ラヴ・ユー・ライヴ)*76〜77年ヨーロッパとカナダのライヴを収めた2枚組。ジャケットはアンディー・ウォーホル作
1978年 Some Girls(女たち)*ディスコ調のシングル曲「ミス・ユー」が賛否両論を巻き起こすが、結果全米No.1となる
1980年 Emotional Rescue(エモーショナル・レスキュー)*「ブラック・アンド・ブルー」以降のファンキーなストーンズの集大成的作品
1981年 Tatoo You(刺青の男)*ゴスペル調の曲やブルージーなナンバーが並ぶ、昔ながらのファンをも喜ばせた作品
1982年 Still Life(スティル・ライフ)*81年の全米ツアーを収めたライヴ盤
1983年 Undercover(アンダーカヴァー)*「ヒップホップに接近」という悪評にもめげず、ひたすら黒人音楽を追求
1986年 Dirty Work(ダーティー・ワーク)*ミックとキースの確執が表面化。「ハーレム・シャッフル」が大ヒット
1989年 Steel Wheels(スティール・ホイールズ)
1991年 Flashpoint(フラッシュポイント)*90年の初来日公演の興奮醒めやらぬ翌年発売されたライヴ・アルバム
1994年 Voodoo Lounge(ヴードゥー・ラウンジ)*ビル・ワイマン(b)が脱退し、そのままメンバーを補給せずに発表
1995年 Stripped(ストリップド)*アンプラグド・ブームにのって、アコースティック・アルバムも発表
1997年 Bridges To Babylon(ブリッジズ・トゥ・バビロン)
1998年 No Security(ノー・セキュリティー)*90年代の発表曲を中心にしたライヴ盤
2002年 Forty Licks(フォーティー・リックス)*活動40年間の集大成を2枚組CDに詰め込んだベスト
2004年 Live Licks



Goats Head Soup
Virgin/東芝EMI

It's Only Rock'n Roll
Virgin/東芝EMI

Black And Blue
Virgin/東芝EMI

Some Girls
Virgin/東芝EMI

Tatoo You
Virgin/東芝EMI

Dirty Work
Virgin/東芝EMI

Bridges To Babylon
Virgin/東芝EMI