DAVID BOWIE デヴィッド・ボウイ


地球に落ちてきた男

60年代後半から現在に至るまで活躍し続ける、天才アーチストBOWIE。・・・そう、ミュージシャンというより、アーチストと呼ぶ方がふさわしい。
ボウイのソロ・デビュー当時、ロック界はサイケデリックだのアート・ロックだのと騒いでいる頃で、当然周りはベルボトム・ジーンズに長髪がお決まりのスタイルであった。
そこへ突然、短髪に眉毛を剃り落とし、今で言うコスプレのような衣装で登場したボウイは、超異色ミュージシャンとして注目を集めた。しかし、彼が放つジャンルを無視した音楽性は高度すぎて、子供であった自分にはまったく理解不能であり、その外観とともに、まったく人間離れしていて宇宙人のようにさえ見えた。
しかし、これは自分だけでなく一般人の目にはみなそう写ったようで、先進ロックの聖地イギリスでさえ、彼を理解するのには少々時間がかかったようだ。

バイオグラフィー

1947年1月8日イギリス、ロンドンのスタンスフィールド・ロード生まれ。本名はDAVID ROBERT JONES。幼年期は両親の離婚問題や母親の連れ子だった兄が精神病院にかつぎ込まれるなど、めぐまれた家庭環境ではなかったようだ。ボウイ自身も喧嘩で左目の視力をほぼ失ったり、ハイスクールを中退してしまうなど、問題児であったらしい。しかし、このハイスクール在学中に父親の影響でジャズに目覚め、サックスをマスターしながらバンドも結成。このメンバーには、なんと後輩ピーター・フランプトン(g)も参加していたという。また、本も片っ端から読みあさり、自ら今の環境に将来性がないことを悟ったボウイは、ハイスクールをやめ、広告会社に就職したが、これも6ヶ月で辞めている。
その後、近所の床屋で知り合ったミュージシャンと意気投合し、デイヴィー・ジョーンズ・ウィズ・ザ・キング・ビーズを結成し、1964年シングル「Liza Jane」でプロ・デビューを果たした。
このバンドの後、いくつかのバンドをさらに結成し、シングルも数曲リリースするも、まったくセールスには結びつかなかったボウイだったが、ある日、ロイヤル・アルバート・ホールで観たボブ・ディランに触発され、ソロ・デビューを決意するのだった。
そして、いよいよ1966年初のソロ・デビュー・シングル「Do Anything You Say」をリリース。翌年にはデビュー・アルバムの「デヴィッド・ボウイ・デビュー・アルバム」もリリースした。
しかし、これも一部のマニアや専門家の間で評判になったものの、一般的にはまったく評価されず、失意のうちにボウイは音楽界から一度姿を消している。
この後、演劇活動に転じたボウイは3人組の演劇集団“フェザーズ”を結成して、各地で歌も取り入れた舞踏を披露した。この途中、68年ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで、マーク・ボラン率いるティラノザウルス・レックス(後のT・レックス)と出逢っている。(後にボウイはボランのことを「本当の意味の友人であり、唯一のライバルだった」と語っていた。)
翌69年、ボウイを音楽界に復活させる異変が起きた。劇団フェザーズでのテレビ用映画のサントラに使うため、以前のデビュー・アルバムから数曲選んだが、足りないと思ったボウイは新たに「スペース・オディティ」という曲を書き上げた。これが突然イギリスで大ヒット(全英5位)し、ロック・スターへの足がかりをつかんだ。同時にこの曲は、後のボウイのイメージをも決定づけた。

グラムロックの立て役者

ボウイは、ほとんどの楽器を演奏できるマルチ・プレイヤーであると共に、衣装のデザインやプロデューサーも1人でこなす才人である。しかも他の有能な人材を発掘する能力にも非常に長けていた。
バック・バンド(後に
スパーダース・フロム・マースというバンド名になる)に、ミック・ロンソン(g)、トレヴァー・ボルダー(後ユーライア・ヒープ/b)、リック・ウェイクマン(後イエス/kb)など、次々と後に有名になるプレイヤーを登用したため、サウンド全体の質はアルバムごとに高まっていったのだった。
だが、当時70年代初頭に他の多くのアーチスト達が目指していた、ハード路線やプログレ路線のサウンドとボウイのそれは明らかに違っていた。ボウイの目指すサウンドとは、彼の空想イメージを音とビジュアルに変えていくようなもので、そこにはそれまで彼が経験してきた全てが盛り込まれていった。
ボウイは70年にマリー・アンジェラ・バーネット(アンジーという愛称で有名)と結婚後、翌年、自らバイセクシュアルであることを公表して大きな話題になった。しかし、音楽的に認められたのは、さらに後の72年になってからのことだ。
演劇時代からの良き友人マーク・ボランがサウンドをポップ路線に変え(ボウイに影響されて変えたらしい・・・)T・レックスとして再スタート。ボウイよりひと足先に大成功おさめると、ボウイも「ジギー・スターダスト」という不朽の名盤をリリースし、シングル「スターマン」と共に大ヒット(全英5位)。一気にスターダムへと躍り出た。
つづく「アラジン・セイン」では、予告シングルでイギー・ポップのことを唄った「ジーン・ジニー」が全英2位となり、アルバムは予約だけで10万枚、発売と同時に全英1位という快挙を成し遂げ、さらに人気を爆発させたのであった。またこの時期はプロデューサーとしても、モット・ザ・フープルを成功させるなどの活躍をしている。
このボウイとボランのめざましい活躍で、元祖ビジュアル系ともいうべきグラムロックは一気に有名となり、その後のアリス・クーパーやルー・リード、ロキシー・ミュージックらへ影響を与えていくことになる。

変幻自在なカメレオン・アーチスト

ボウイはグラムロックの雄として人気絶頂だったにも関わらず、70年代半ばになると、突然ソウルフルなアメリカ志向のサウンドに一変させ「ヤング・アメリカン」を発表。アメリカでもこのアルバムは大ヒットし、ジョン・レノンと共作したシングル「フェーム」は全米No.1に輝いた。それまで、どちらかというとイギリスのみで売れていたボウイは、このアルバムでアメリカ進出を狙ったと思われるが、まさにドンピシャという感じだった。さらに、次の「ステイション・トゥ・ステイション」では、英・米両方のファンを満足させる素晴らしいサウンドに仕上げ、全英5位/全米3位と、まさに世界のビッグスターと化したのであった。
また、役者としても映画「地球に落ちてきた男」でゴールデン・グローブ主演男優賞を受賞するなど、自ら持つ才能をこの時期すべて出し切った。
ところが、自らの限界を悟ったのか、はたまた全てをやりつくして満足してしまったのか、今度は他の才能を借りてのアルバム製作を行いだした。
ブライアン・イーノ(元ロキシー・ミュージック)やロバート・フィリップ(元キング・クリムゾン)等の奇才を迎えた、この時期のアルバムもすべて大好評で、大ヒットを連発している。

宇宙人が地球人になった日

80年代に入り、パンク以降のニューウェイヴ達よって、それまでのロックの勢いが衰えると、ポップ界ではユーロビートとディスコ旋風が吹き荒れ、既存のロッカー達もこぞって、禁断のファンキー・ビートに手を染めていった。
その頃ボウイは、ブロードウェイのエレファントマンで主役を努めたり、映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)やBBCのドラマ出演に忙しく、クイーンとの共作シングル「アンダー・プレッシャー」をリリースしたぐらいで、しばらく音楽界を遠ざかっていた。
だが、83年に満を持してやっとニュー・アルバムをリリース。“シック”のナイル・ロジャースやイギー・ポップを迎えたこのアルバム「レッツ・ダンス」は空前の大ヒットを記録し、タイトル曲は全英・全米とも1位と、大物の貫禄を見せつけた。
しかし、それまで常に先進的であったボウイが、売れ筋サウンドを後追いしたことで、昔からのファンや評論家の間では「これでボウイも普通の人になってしまった・・・」と囁かれた。
だがボウイは、そんな噂もよそに、マイペースで「ブルー・ジーン」、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(ミック・ジャガーとデュエット)、「ジス・イズ・ノット・アメリカ」(パット・メセニーと共演)、「ビギナーズ」「ネヴァー・レット・ミー・ダウン」などのヒットを次々と放ち、常に第一線で80年代を駆け抜けた。
ところが、1990年突然「もう歌うことはない」と宣言し、ソロでの最後の世界ツアーを敢行し、過去のヒット・ナンバーの歌い納めをした。それは、89年に結成したバンド、ティン・マシーンでの活動に専念することにしたためだ。
この
Tin Machineトニー・セールス(b)、ハント・セルース(ds)、リーヴス・ガヴレルス(g)、ケヴィン・アームストロング(kb)とボウイからなるバンドで、シンプルなアート・ロックかパンクといったようなサウンドが特徴。新鮮さがなく、3枚のアルバムをリリースするが、まったく評判にならなかった。
そして、93年になってやっと「再生」という言葉と共に、ボウイはソロとして戻ってきた。6年ぶりとなるソロ・アルバム「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」はその言葉通り見事に生まれ変わり、全英No.1に輝いた。
その後もジャングル・ビート(小室哲也もやっていた)を取り入れたアルバム「アースリング」などを発表し、あいかわらず前進しようという意欲に満ちている。
また、1999年にはシングル「Thursday's Child」を久しぶりにチャート上位(3位)にランクインさせている。余談だが、この時ちょうどエリック・クラプトンとペット・ショップ・ボーイズが1位と2位にチャートインしていて、ベテラン勢が上位を独占するという、ベテラン・リスナーにとってもなんともうれしい光景を見ることが出来た。
2002年、Virginレーベルは経営悪化のため、ボウイとの契約を破棄することを決定した。これまでボウイのCDは、値下げしない3大アーチスト(ビートルズ、ピンク・フロイド、ボウイ)として有名であっただけに、もしかしたらこれで少し値が下がるのではと期待したが、またまたデラックス・エディションなどを出し、値下げしないつもりらしい・・・。いつまでたってもボウイへのカリスマ性は少しも衰えることはない。(HINE) 
2002.6更新




Space Oddity
Ryko/東芝EMI

The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars
Ryko/東芝EMI

Aladdin Sane
Ryko/東芝EMI

Diamond Dogs
Ryko/東芝EMI

Young Americans
Ryko/東芝EMI

Low
RCA/東芝EMI

Heroes
Ryko/東芝EMI

ディスコ・グラフィー

1967年 Love You Till Tuesday(デビット・ボウイ・デビュー)*まったく評価されなかったソロ・デビューアルバム
1969年 Space Oddity(スペース・オディティ)*映画「2001年宇宙の旅」に感銘を受けて作ったタイトル曲が全英5位のヒットとなり、一躍注目を浴びる。
1971年 The Man Who Sold The World (世界を売った男)*ミック・ロンソン(g)が初参加したアルバム
1971年 Hunky Dory(ハンキー・ドリー)*バイ・セクシャルであることを自ら告白し、話題騒然の中リリースされた話題作。トレヴァー・ボルダー(b)初参加
1972年 The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars(ジギー・スターダスト)*言わずと知れたグラムロック期の最高傑作。
1973年 Aladdin Sane(アラジン・セイン)*予約だけで10万枚、リリースと同時に全英1位に輝いた初期のビッグ・セラー・アルバム。
1973年 Pinups(ピンナップス)*妻アンジー選曲による64〜67年イギリスの代表曲カヴァー集。シド・バレット時代のピンクフロイドの曲まである。
1974年 Diamond Dogs(ダイアモンドの犬)*ジョージ・オーウェルの小説“1984”をモチーフにしたアルバム。
1974年 David Live(デビット・ボウイ・ライブ*ボウイ初のライブ・アルバム。
1975年 Young Americans(ヤング・アメリカン)*ソウル・テイストを盛り込みアメリカでも人気爆発。ジョン・レノンがゲスト参加した「フェーム」は全米1位に。
1976年 Station To Station(ステイション・トゥ・ステイション)*全米3位を記録し、ゴールデン・イヤーズも大ヒット。個人的には最高傑作
1976年 Changesonebowie(魅せられし変容〜ベスト・オブ・デビット・ボウイ)*初期のベスト盤
1977年 Low(ロウ)*ブライアン・イーノを迎え、かなりテクノでポップな仕上がり。サウンド変化を恐れない絶好調ぶりで全英チャートも2位の名盤
1977年 Heroes(英雄夢語り/ヒーローズ)*ロバート・フィリップを迎え、全英3位に輝いた中期の傑作の呼び声も高いアルバム
1978年 Stage(ステージ〜'78アメリカン・ツアー)*2枚組のライブ・アルバム
1979年 Lodger(ロジャー/間借人)*シンプル&ストレートなポップス回帰的アルバム
1980年 Scary Monsters(スケアリー・モンスターズ)*大ヒット曲「ファッション」を含む全英1位に輝くアルバム。
1980年 Changestwobowie(美しき魂の告白)*中期のべスト盤
1983年 Ziggy Stardust The Motion Picture(ジギー・スターダスト・ライブ)
1983年 Let's Dance(レッツ・ダンス)
*タイトル曲が全米・全英共に1位の大ヒットを記録。売れすぎたためか"普通の人になってしまった"との批判も囁かれた。
1984年 Tonight(トゥナイト)*「ブルー・ジーン」が大ヒット。
1986年 Labyrinth(ラビリンス〜魔王の迷宮)*俳優として出演した同タイトル映画のサウンド・トラック。
1987年 Never Let Me Down(ネバー・レット・ミー・ダウン)*タイトル曲と「デイ・イン・デイ・アウト」がスマッシュ・ヒット。
1989年 Tin Machine(ティン・マシーン)/ティン・マシーン *何を思ったのか、バンドを結成しサウンド路線もまったく変えてしまった。
1990年 ChangesBowie(チェンジスポウイ)*ソロのベスト盤
1991年 Tin Machine II(ティン・マシーンII)/ティン・マシーン *ますますマイナー路線になり、もう復活はないのかと正直心配した。
1992年 Oy Vey, Baby(ティン・マシーン・ライブ)/ティン・マシーン
1993年 The Singles Collection(ザ・シングルズ・コレクション)
*デビュー当時からこれまでのシングルを集めたベスト2枚組
1993年 Black Tie White Noise(ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ)*ナイル・ロジャースやミック・ロンソンを迎えたソロ復活作。全英1位に輝く
1994年 Live 1972(サンタモニカ1972)*ミック・ロンソン追悼盤。スパイダース・フロム・マースと共演時代のライブ・テイク。
1994年 The Gospel According To David Bowie(ゴスペル・アコーディング・トゥ・デヴィッド)*デッカ時代の貴重音源集。マニアの方はどうぞ
1995年 Outside(アウトサイド)*久しぶりにブライアン・イーノと組んだ話題作。日本盤ではペット・ショップ・ボーイズがリミックスした曲も収録
1997年 Earthling(アースリング)*ジャングル・ビートに挑戦。ジャケットは派手だったが、中身はちょっと地味だった・・・。
1999年 Hours(アワーズ)*ひさびさ日本でも大ヒットの「Thursday's Child」を含む秀作。ボウイが若返る(?)プロモーション・ビデオも良かった。
2000年 The Best Of BBC Sessions 68-72(ベスト・オブ・BBCセッション)*68年〜72年TV用に録音されたライブ音源集の2枚組
2001年 All Saints Collected Instrumentals 1977-1999 *93年に家族と友人へのX'masプレゼントとして製作された未発表曲&テイク集
2002年 Heathen(ヒーザン)*Sonyへ移籍しての第1弾。第2黄金期へ戻ったようなサウンド



Scary Monsters
Ryko/東芝EMI

Let's Dance
EMI/東芝EMI

Tonight
EMI/東芝EMI

Tin Machine
Victory/ビクター

Black Tie White Noise
Arista/ビクター

Earthling
Virgin/ビクター

Hours
Virgin/ビクター


◆◆◆名盤PICK UP◆◆◆

ステイション・トゥ・ステイション
Station To Station

デヴィッド・ボウイ
David Bowie




1976年 RCA/東芝EMI

SIDE-A

1.ステイション・トゥ・ステイション
 Station To Station

2.ゴールデン・イヤーズ
 Golden Years

3.ワード・オン・ア・ウイング
 Word On A Wing

SIDE-B

1.TVC 15(ワン・ファイブ)
 TVC15

2.ステイ
 Stay

3.野性の息吹き
 Wild Is The Wind

なかなかつかみ所のないボウイ・サウンドの中で、あえて大きく分けるとすれば、1.初期のグラム・ロック時代、2.70年代後期のソウルフル時代、3.70年代末期〜80年代初期のニュー・ウェイヴ時代、4.80年代半ばのファンキー&ポップ時代、そして5.現在のある意味オルタナティブ的な総合形がある。もちろん、それぞれに名盤が存在するわけだが、12は自らの感性から生まれた音楽性を開花させた結果、3以降は他の優秀な才能をを借りての素晴らしいサウンド創りであった。
1の時期の「ジギー・スターダスト」や「アラジン・セイン」、3の時期の「ロウ」や4の時期の「レッツ・ダンス」も確かに素晴らしい。しかしながら、ボウイが自分自身の感性を研ぎ澄まし、それがピークに達したアルバムが、この「ステイション・トゥ・ステイション」だ。またヴォーカリストとしても最高の状態にあったように思う。前のアルバム「ヤング・アメリカン」でソウルフルなアプローチをみせたボウイであったが、このアルバムでは、少しブリティッシュ寄りのサウンドに戻しながらも、ソウルっぽさを自分流に消化し、誰にもマネのできない、いい意味での"不気味なサウンド"を創り上げている。また、この軽快感とシンプルさはすでにニュー・ウェイヴの先駆けと言っても過言ではない。特にタイトル曲では、2部構成で機械的なサウンドからソウルあふれるファンキー・サウンドへと流れ込むように聴かせる演出が最高にかっこいい。シングルとなった「ゴールデン・イヤーズ」もボウイでなければヒットしないような不気味な曲。この曲は最近、映画「ロック・ユー」の挿入歌としても使われていた。レコードではSide-Bの1曲目に収められた「TVC15」はライブではお馴染みのノリの良いファンキー・ナンバー。そして最後は魂を揺さぶるようなボウイのヴォーカルが大きくフューチャーされた「野性の息吹き」。シンガーとしての大きな成長を感じさせる。
次なるアルバム「ロウ」では、ブライアン・イーノという奇才を迎え、まったく違うサウンド・アプローチへと向かってゆく。そういった意味でも、このアルバムはグラム・ロック時代以降のボウイ・サウンドの集大成とも言えるものではないだろうか。この時代の基礎があるからこそ、80年代のファンキー・ブームの中ではいとも簡単に大ヒットを連発できたのであろう。 (HINE)