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Bobby "Boris" Pickett ボビー"ボリス"
ピケット/ベース・ギター 1977年彼らは何の前触れもなく突然現れたが、元シルヴァーヘッドのマイケル・デ・バレスと元イエスのトニー・ケイが在籍しているということでかなり話題になった。当時の人気評論家渋谷氏も自分が熱狂的なファンであるレッド・ツェッペリンが設立したスワン・ソング・レーベルから、プリティ・シングス、バッド・カンパニーにつづいて送り出されたバンドであったため、かなり宣伝していた。そのため日本でもけっこう有名である。
そして、彼らが米ロサンゼルスのクラブに出演しているのをジミー・ペイジ(当時レッド・ツェッペリン/g)が見つけ、特にジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン/ds)ばりにパワフルなハイドのドラムをとても気に入って、その場で自ら設立したスワンソング・レーベルへ誘ったという。 その後すぐにアルバム収録のためスタジオ入りさせ、ペイジ自ら匿名“ジミー・ロビンソン”という名前でプロデュース参加するという力の入れようだった。 そして出来上がったデビュー・アルバム「直撃波」はバッド・カンパニーを彷彿とさせる(オーバーか!?サウンドで、彼らの代表曲でもある「Recognition」はデ・バレスのソウルフルなヴォーカルと確かなテクニックを感じさせる演奏で、今後ビッグになるだろうことを予感させた。 また、他の曲ではジェフ・ベック風のモナークのギター、ジョン・ボーナムと同じ音の処理を施され、よりそっくりになったハイドのドラムなど、オリジナリティーに少々欠ける面はあるにしても、かなりの力量は感じさせてくれた。 しかしながら、ちょうどこの頃アメリカでもイギリスのパンク・ブームが飛び火し、こういった正当派ハード・ロック・バンドは相当な大物以外見向きもされなくなってしまった。 翌78年にはセカンド・アルバム「衝撃の共同体」のリリースもするが、今度はツェッペリンっぽいサウンドになり、Zep.のクローン・バンドとして酷評を浴びる。こちらは日本ではかなり人気があったが、往年の正当ハードロックを思わせるそのサウンドは時代に逆行するものとして欧米ではまったく受け入れられなかった。 これがあと5,6年、早いか遅いかしていれば、もしかしたら大成功を収めていたのかも知れない。この後80年代半ばにはツェッペリンを教科書としたヘヴィメタル・バンドが続々と登場するのだから・・・。 このセカンド・アルバム録音後すぐにバンドは解散。デ・バレスは同年キッスのジーン・シモンズ(b,vo)のソロ・アルバムへ参加したあと、80年に自身のソロ・アルバムをリリースし長い沈黙に入る。再び現れるのは85年あのスーパープロジェクト“パワーステーション”でロバート・パーマー(vo)の代役として全米ツアーを共にした時だ。しかし、その後は映画やTV俳優として活動。有名なところでは「ロック・フォードの事件メモ」がある。 |
ディスコ・グラフィー 1977年 Detective(直撃波)*彼らの代表曲「Recognition」を含む、ブルース、ジャズなどをベースにしたアメリカっぽい音の作品 |