THE POWER STATION ザ・パワー・ステーション


 ジャンルの壁を越えたスーパー・グループ

 Robert Palmer ロバート・パーマー/ヴォーカル
 John Taylor ジョン・テイラー/ベース・ギター
 Tony Thompson トニー・トンプソン/ドラムス
 Andy Taylor アンディ・テイラー/ギター

1984年頃、デュラン・デュランに在籍していたジョン・テイラーの呼びかけにより、このとてつもなく素晴らしいプロジェクトは誕生した。
もともとジョンはデュラン・デュラン結成当時、“シック*とセックス・ピストルズとハード・ロックの融合”という理想のコンセプトを持っていた。しかしメンバー達のルックスが良すぎたせいか、レコード会社の方針でアイドル・グループとしての道を歩まされることになるのだった。(*注・シックは70年代半ばのディスコ・ブームで活躍したブラック・ファンク・バンド)
そして、レコード会社の思惑通り、デュラン・デュランはたちまち世界のトップ・アイドル・グループへと成長した。
だが、ジョンはこの夢のプロジェクトをあきらめていなかったのだ。
1985年ちょうど第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンも終焉を迎えようとしていた頃、「サム・ライク・イット・ホット」のシングルを引っさげ、彗星のごとく彼らは現れた。
何ともこの曲には度肝を抜かされた。“シックとセックス・ピストルズとハード・ロックの融合”まさにそれである。
元シックのシンプソンを加えることで、この頃、他のイギリスのアーチスト達が盛んに取り入れていた、ユーロビートとは一線を画す本物のファンキー・ビートを手に入れ、ロバート・パーマーのヴォーカルとアンディのヘヴィなギターによって、ハードロックの血も輸血された。これに、もともとデュラン・デュランでもパンクロックの影響をかなり受けていたのジョンが絶妙なバランスで組み合わさった。さらにはプロデューサーに元シックのベーシストであったBERNARD EDWARDSバーナード・エドワーズを迎えることでこの奇跡のサウンドが生まれたのだ。
この曲を聞いた直後、即座にCDショップへ駆け込んでいたのは言うまでもない。
彼らのデビュー・アルバム「ザ・パワーステーション」からは、さらにT・レックス往年のヒット曲「ゲット・イット・オン」のカヴァー曲もシングル・カットされ大ヒットを記録した。
彼らはこの後、そのままライブ・エイドに出演し、1回だけの全米ツアーも行う予定であったが、直前にロバートが抜けたため、急遽マイケル・デバレス(元シルヴァーヘッドディテクティヴ/vo)が代行したが、それきりで消滅。
しかし、当初から1枚アルバムをリリースするだけの予定であったこのプロジェクトは、予想を上回る大成功で、その後のメンバー達の進路までも変えてしまう結果となった。
それまで地味に活動していたロバートは、これがきっかけで一気に名を売りソロでも大ヒットを連発、グラミー賞2回を獲得する成功を収める。
ジョンは古巣デュラン・デュランへ戻るが、これがきっかけで、それまでアイドル視されていたデュラン・デュランまでもが再評価され、翌年アルバム「ノートリアス」を大ヒットさせる。おそらく、パワーステーションを聞いて、デュラン・デュランにも興味を持った人は多いはずだ。
このプロジェクトの中、新境地とも思えるハードなギター・プレイで一番目立っていたアンディは、86年デュラン・デュランを脱退し、ロバート・パーマーのソロ・アルバムやロッド・スチュワートのアルバムに参加したが、その後大きな成功は収められなかった。
トニーはそれまで通り、セッション・ワークなどをマイペースにつづけていった。
そのまま10年が過ぎ去り、誰もがこのプロジェクトを80年代の良き思い出として心にしまい、再びこの奇跡のバンドが始動することはないだろうと感じていた。
しかし96年、突然彼らが戻ってくる(ジョンを除き)というニュースが舞い込んだ。
このニュースは過去のパワーステーションの衝撃を知っているファン達の心を躍らせ、かなり話題になった。
ところが、いつまでたっても肝心の新曲をヒットチャート上に捜すことはできなかった。しばらくして聞こえてきたのは、プロデューサーであり、今回ベーシストとしても参加したバーナード・エドワードの訃報であった。
彼はこのプロジェクトのセカンドアルバム収録直後、シック時代のメンバー、ナイル・ロジャースと共に日本公演を果たすため来日していた。その宿泊先での突然の出来事であった。
しばらくして、このセカンド・アルバムを聞いてみたが、あの85年の衝撃はもう感じられなかった・・・。
時代が変わってしまったというのではなく、やはりジョン・テイラーがいないことが、サウンドのバランスを“普通”にさせてしまい、もう1つ魅力が感じられないのだ。あのギリギリの緊張感の中でバランスをとっていたサウンドは1人欠けても生まれない。
バーナードもいなくなってしまった今となっては、もう再びあの奇跡が起きることはないだろう。彼らがまた再び始動しようとも・・・。
(HINE) 
2001.2


ザ・パワー・ステーション
The Power Station


1985年 EMI/東芝EMI
リビング・イン・フィア
Living In Fear


1996年 Crysalis/東芝EMI