FRANK MARINO & MAHOGANY RUSH フランク・マリノ&マホガニー・ラッシュ


カナダのジミ・ヘンドリックス

カナダのモントリオールで1954年に生を受けたフランク・マリノ(本名Francesco Antonio Marino)は、ちょうど学生の頃、サイケデリックの洗礼を受け、ジミ・ヘンドリックスクイックシルバー・メッセンジャー・サービス、ドアーズ、ビートルズなどを聞いて育った。
13歳からドラマーとして活動していた彼は、その頃サイケ・ヒーロー達に憧れて初めてドラッグに手を出し、病院に担ぎ込まれている。その後も幾度かドラッグを服用し入院を繰り返したが、3度目の入院のときに母親が持ってきたギターとの出逢いが、彼の運命を変えた。
彼は病院内でそのギターを鬼のように弾きまくり、すごい勢いでマスターした。そしてまたドラッグが自分の体には合わないことを悟り、このギターで幾度かのドラッグによるヴィヴィッドな体験を表現しようと心に誓うのであった。
さっそく彼は1970年にモントリオールでマホガニー・ラッシュを結成し、ギタリストとしての活動を始める。メンバーは、

Frank Marino/ギター、ヴォーカル、キーボード
Paul Harwood/ベース・ギター
Jim Ayoub/ドラムス

最初は、地道にライブ活動を続けていた彼らだったが、マリノのエフェクター(音質を変えるためにギターとアンプの間につける機器)を多用したジミヘンばりのギターが徐々に評判となり人気を獲得していった。
72年にはデビュー・アルバムである「Maxoom」をリリース。「このアルバムは故ジミ・ヘンドリックスに捧ぐ」とあり、これがもとで彼にまつわるジミヘン神話が始まるのである。
その後日本にも伝わってきた当時の噂はこうだ・・・
もともとギターなどまったく弾けなかったフランク・マリノは、70年にジミ・ヘンドリックスが亡くなった後、急に体が軽くなり、ギターを持ってみると、勝手に指が動き出して稲妻のようなフレーズを次々と弾きだした。これはまさにジミ・ヘンドリックスが彼にのり移ったとしか言いようがない・・・というようなものだ。
こんなバカげた話は、誰も本気にはしていないだろうが、けっこう面白がって当時はかなりの噂となって広まった。
ちょうど70年というと、彼は入院をしていて、退院したとたんにギターが急に上手くなっていたのだから、確かに周りの人から見れば不自然であっただろう。加えて、彼は大のジミヘン・フリークだったため、その演奏スタイルも似ているところもあった。
しかし、やはり同じようにジミヘンの再来と騒がれた、ロビン・トロワーやウルリッヒ・ロート(一時はジョー・ウォルシュも言われていた)に比べると、さほどジミヘンの音を意識しているようには思えない。このへんの話は本人も後日語っている通り、むしろクイックシルバーやビートルズから多くの影響を受けているようだ。
そんな噂の影響もあって一躍有名になったマホガニ・ラッシュはほぼ1年おきにリリースしているアルバムでも、マルチ・プレイヤーであるマリノのおかげで、トリオとは思えぬ音の広がりを見せ、サイケデリックとプログレの中間的な独自のサウンドを築いていった。
日本では4枚目の「鋼鉄の爪」がデビュー・アルバムとなるが、ライブで本領を発揮する彼らを実際に見ることも叶わず、あまり評判にはならなかった。
だが、78年にリリースしたライブ盤では、彼らの魅力が存分に味わえる。このアルバムこそ間違いなく彼らの最高傑作であろう。
80年に入るとマリノは実弟である
Vince Marinoをリズム・ギターとしてバンドに加えた。このことはマリノにヴォーカルとリード・ギターに専念させる結果となり、サウンド的には好評を得たのだが、ジミ・ヘンドリックス&エクスペリアンス(3人組)の亡霊を追うファン達はしだいに離れていってしまうのであった。
81年にはバンドのメンバーはそのままに、マホガニー・ラッシュという名前をやめ、フランク・マリノ名義でアルバム「The Power Of Rock And Roll」をリリース。これもさらにファンを減らす結果となった。
そして、このアルバムを最期にドラムのジムは脱退。代わって
Timm Bieryが加入した。
その後、一枚アルバムをリリースしたあと、マリノはしばらく休養に入ってしまう。
再び姿を現すのは87年のこと。サウンドもマリノ自身の外観もすっかりイメージチェンジしていた。この年と90年にも1枚づつアルバムをリリースしている。
そして、2000年やっとまた、マホガニー・ラッシュとしてマリノは帰ってきた!まだ中身は聞いていないが、ジャケットは以前のイメージに戻っていることから、マリノのやる気が感じられる。

彼らの全盛期、ツアーなどでエアロスミスやクイーンなどといっしょになる機会がよくあったそうだが、みなマリノとは話したがらなかったそうだ。それは、「いつもドラッグでトリップしながら演奏し、正気ではない」と思われていたからだという。
エアロスミスの連中は後で仲良くなったそうだが、クイーンなどはまったくしゃべったことがなく、ブライアン・メイに至っては挨拶すらしてくれなかったらしい・・・。
しかし、実際のマリノはギタリストとして再デビューしてからは、まったくドラッグなどやったことがないし、極めて健康的な生活を送っているということだ。
ジミ・ヘンドリックスという天才アーチストは未だ忘れ去られずに、多くのファンやミュージシャン達に崇拝されてつづけている。いったいマリノにとりついた亡霊が消える日は来るのだろうか? (HINE)
 2001.2




Maxoom
20TH CENTURY

Child Of The Novelty
20TH CENTURY

Strange Universe
20TH CENTURY

Mahogany Rush IV
COLUMBIA

World Anthem
COLUMBIA

Frank Marino & Mahogany Rush Live
COLUMBIA

Tales Of The Unexpected
COLUMBIA

ディスコ・グラフィー

FRANK MARINO & MAHOGANY RUSH

1972年 Maxoom *亡きジミ・ヘンドリックスに捧げられた彼らのデビュー・アルバム
1974年 Child Of The Novelty *彼らのサウンドを確立したセカンド
1975年 Strange Universe 
*スタジオ録音の中では最高傑作との呼び声が高いアルバム
1976年 Mahogany Rush IV(鋼鉄の爪)
*日本でのデビュー・アルバム。メロトロンを駆使したプログレとサイケの中間的サウンド
1977年 World Anthem(ワールド・アンセム〜世界の賛美歌)
*マリノ自らシンセも操りプロデュースも手がけた力作
1978年 Frank Marino & Mahogany Rush Live(ライブ)
*ジミヘンのパープル・ヘイズもやっているライブ盤にして彼らの最高傑作
1979年 Tales Of The Unexpected(幻影伝説)
*スタジオとライブ半々の内容。ジミヘンもやっていたボブ・ディランの「ウォッチ・タワー」収録
1980年 What's Next 
*マリノの弟ヴィンスがリズム・ギターで加入した
1981年 The Power Of Rock And Roll *フランク・マリノ名義になったが、バンドの形態はそのまま
1982年 Juggernaut 
*これも、フランク・マリノ名義。ドラムがTimm Bieryに代わっている
1988年 Frank Marino & Mahogany Rush Double Live *後に発表された全盛期のライブ盤
1995年 Maxoom/Child Of The Novelty/Strange Universe 
*初期のLP3枚を2枚組CDにしたもの
1996年 Dragonfly : The Best Of Frank Marino & Mahogany Rush 
*スタジオとライブが混在したベスト盤
2000年 Eye Of The Storm 
*マホガニー・ラッシュとしては実に12年ぶりのオリジナル・アルバム。カナダ盤のみリリース

FRANK MARINO

1987年 Full Circle *5年間のブランク後、かなり洗練された音になったソロ・アルバム
1990年 From The Hip 
*過去のマホガニー・サウンドから一変して都会的な仕上がり



What's Next
COLUMBIA
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Juggernaut
COLUMBIA

Frank Marino & Mahogany Rush Double Live
MAZE MUSIC

Maxoom/Child Of The Novelty/Strange Universe
BIG BEAT

Full Circle
GRUDGE

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Justin Time