|
“ジャズとロックの融合”を完成させたテクニカル・バンド、コロシアムII ジョン・ハイズマンは'60年代から一貫して“ジャズとロックの融合”を目指してきたミュージシャンである。彼は'69〜'71にコロシアム*、'72〜'74にはテンペストを結成し常にジャズを意識したサウンドの構築を模索してきた。 '60年代後半のイギリスの状況 コロシアムII結成より10年遡った'60年代後半のロンドンでは、ジャック・ブルース(b)、ジンジャー・ベイカー(ds)、グラハム・ボンド (as)、ジョン・マクラフリン(g)等の先鋭的ミュージシャンはジャズに注目し、独自の解釈でこの高度な理論と演奏技術を持つ黒人音楽に接近していた。その中にコロシアムIIのリーダーである若き日のジョン・ハイズマンもいた。皆それぞれジャズの巨匠プレイヤーの影響を受けつつも実験的ジャズの演奏を繰り広げていた。 コロシアムIIの結成 ハイズマンは自らのサウンドを目指し'74にコロシアムIIを結成する。無名だが自身のサウンドを理解し、高度な演奏技術でそれを具現化できる若者を向かえ、'76に1stアルバム「STRANGE NEW FLESH」をリリース。メンバーは、 ジョン・ハイズマン Jon Hiseman (ds) である。今でこそブリティッシュ・ロック界の名プレイヤー達であるが、結成当時J.ハイズマン以外はほとんど無名のプレイヤー達であった。 即興演奏主体のテクニカル集団に変貌した新生コロシアムII 1stアルバム発表後の全英ツアー終了後、N.マレイとM.スターが脱退。N.マレイの後任としてジョン・モールを加えるが、ヴォーカリストを入れず4人編成のインストゥルメンタル・グループとして再スタートを切る。メンバーは以下の通りである。 ジョン・ハイズマン Jon Hiseman (ds) このときヴォーカルはG.ムーアに兼任させる判断もあっただろうが、何よりハイズマンが考える“ジャズとロックの融合”したサウンドを試行するのに敢えてヴォーカルは不要と判断のだろう。ハイズマンが考える“ジャズとロックの融合”とは、マハビシュヌ・オーケストラ(ジョン・マクラフリン(g)リーダー)やリターン・トゥ・フォーエヴァー(以下RTF、チック・コリア(key)リーダー)のフュージョンサウンドをロック側からアプローチしたサウンドである。つまりこれらのグループが示した高度な技術を伴うサウンドと即興演奏のスリルをロックで表現したものである。1stアルバムでは唯一D.エイリーだけこの手法を理解し実践していたが、2ndアルバム以降は他のメンバーも急速に成長し技術とアイディアを身に付けていった。特にG.ムーアは成長著しく、それまでのブルース・プレイ(すなわちクラプトン奏法)だけに留まらず、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン等のフュージョンギターリストから学び取ったと思われるコード・カッティングやアコースティック・ギター奏法を身に付けた。また即興演奏の表現幅を広げる為、テンペストのギターリストだったアラン・ホールズワース、一足先にクロスオーヴァーサウンドを取り入れたジェフ・ベックから学び、フレーズを拡大する。特に後年彼の代名詞となる“ピッキング主体の超高速早弾き”を体得し、驚異的な演奏を披露することとなった。 “ジャズとロックの融合”に成功した新たなサウンド コロシアムIIのサウンドを分析してみよう。ハイズマンのドラムはジャズ/フュージョンのテクニックを駆使して変幻自在にビートを提供する。これにモールのベースがグルーヴ感を強調したリフを乗せる。2人のリズムにコード楽器が重なるが、エイリーのキーボードは基本的にロングトーンのコードを奏で、ムーアのギターはコード高音部(テンションノート主体) をリズミックにカッティングする。これはRTFやマハビシュヌ ・オーケストラ等フュージョンサウンドから得た手法である。4者が重なっても決して同じ音がぶつかり合うことがなく、各楽器の音がはっきり聴き取れるアンサンブル、奥行き深いサウンド空間が出来上がる。この広いサウンド空間を4者のアドリブが縦横無尽に駆け回るのである。アドリブ演奏はリード奏者だけに止まらず、バッキングを担当する者も絶えずリード奏者の音を聴き取りアドリブでリアクションする。ドラムはリズムフィギャーやシンバルの音色を曲の展開やリード奏者の演奏に合わせて変化させ、そしてリード奏者の演奏に呼応してフィルインする。ベースもパターン化したリフに捕らわれず、メロディラインに変化を付けたり、小節間にオブリガードを入れたりして曲にアクセントをつける。更にフロント2人もバッキングに回ったときは多彩なヴォイシングとリズムパターンで盛り上げる。メンバーが互いに刺激され演奏に熱気を帯び、瞬間の創造のスリルに酔う。正に即興演奏の醍醐味を聴き手に与えてくれる。 コロシアムIIの功績 バンドとしてのサウンドを完成させたコロシアムIIではあるが、バンドの顔であるG.ムーアは予てより親交のあったフィル・ライノット率いるシン・リジィに加入する為、コロシアムIIを'78に退団した。ムーア自身、コロシアムIIで体得できたものを、本来のロックサウンドに反映してみたい欲求もあったと推測される。またJ.ハイズマン自身も次のステップ(フリー・ジャズ)を思考し始めていた。元々ヴォーカル抜きの実験的サウンドゆえに商業的成功にも無縁であった為、結局バンドは解散してしまった。 |
コロシアムII年表 | ||
1968年 |
ジョン.メイオール&ブルース・ブレーカーズ、グラハム・ボンド・オーガニゼーションに参加したジョン・ハイズマン、ジャズ・ロック・グループのコロシアムを結成。同年ゲイリー・ムーアはスキッド・ロウに加入。 |
|
1969年 | 2月 8月 |
マイルス・デイビス、ジョン・マクラフリンを起用し「In A Silent Way」を録音。フュージョンの先駆けとなるサウンドを提示する。 |
1971年 | 12月 |
コロシアム解散。 |
1972年 |
ジョン・ハイズマン、アラン・ホールズワースを迎えてテンペストを結成。 |
|
1974年 | 7月 |
ドン・エイリー、コージー・パウエルズ・ハマーに参加。 |
1975年 | 7月 |
ジェフ・ベック、フュージョン・サウンドを導入したインストゥルメンタル・アルバム「Blow By Blow」を発表。全米チャート最高位4位を獲得。 |
1976年 | 9月 3月 4月 8月 |
スウェーデンでライブ・デビュー。 |
1977年 | 12月 1〜3月 6月 10月 |
ブロンズ・レーベル→MCAレーベルに移籍し、2ndアルバム「Electric Savage」をわずか1週間で録音。 |
1978年 | 8月 | G.ムーア(g)、シン・リジィに加入する為コロシアムII脱退。これを機にバンドは解散(自然消滅)。 |
ALBUM GUIDE 「Electric Savage」と「War Dance」にはアルバム紹介ページもあります。ジャケットをクリック! | ||
|
||
Strange New Fresh
1976年 One Way |
Electric Savage
1977年 One Way |
War Dance
1977年 One Way |