ポップさとユーモア・センスにあふれるカンタベリー系の代表格
Pye Hastings パイ・ヘイスティングス/ギター、ヴォーカル David Sinclair デイヴ・シンクレア/キーボード(リチャードの従兄弟)
Richard Sinclair リチャード・シンクレア/ベース・ギター、ヴォーカル
Richard Coughlan リチャード・コフラン/ドラムス
キャラヴァンを語る上では、切っても切れない「カンタベリー・ミュージック」という実体の見えないカテゴリーの話からしなければなるまい。
そもそも、カンタベリー・ミュージックとは、ヴァージン・レコードが、自社で最初に売り出して大成功したアーチスト、マイク・オールドフィールドを利用して、無理やり彼と関わりのある自社所属のゴングやヘンリー・カウ、スラップ・ハッピーなどをいっしょにパッケージ化して売ろうと思いついたことに始まる。
では、どういうアーチストがカンタベリー系だと言っているのかというと、カンタベリー出身バンドのソフト・マシーンと彼らを取り巻くミュージシャンということになるそうだ。マイクは、ソフト・マシーンを脱退したケヴィン・エアーズのアルバムにギターで参加していたことがある。
しかしながら、ヴァージン・レコードの考えたこのパッケージングは、ある意味で的を得ていた。実際、カンタベリーで育ったこれらのミュージシャン達は、互いに交流が活発で、ある種の共通した音楽要素を持っているからだ。それはどういう共通性かというと、ソフト・マシーンが生みだした独特のジャズ・ロック・スタイル、ユーモラスな表現、一見聴きやすくわかりやすそうなのに実はとても難解、といったものだ。
キャラヴァンの話に戻すが、彼らが何故カンタベリー系なのかというと、ソフトマシーンの前身であった、ワイルド・フラワーズにキャラヴァンのメンバーがいたからである。1967年に解散した同バンドのメンバー達は、2つに分かれて活動を開始し、そのうちの1つがソフト・マシーン、もう1つがキャラヴァンとなったわけだ。したがってキャラヴァンは、ソフトマシーンとは血を分けた兄弟みたいなものである。
だが、キャラヴァンとソフト・マシーンの音を聞き比べてみると、まったく違うような印象を受ける。これは、この2つのグループが別々の方向へ進化し、独自のサウンドを確立していったためだ。しかし、よ〜く聴いてみると、上にもあげたカンタベリー・ミュージックの特徴が両者に存在しているのが分かる。
1966年、ワイルド・フラワーズは主要メンバーのロバート・ワイアットとケヴィン・エアーズがソフト・マシーン結成のため脱退し、67年には消滅している。その最後のメンバーであったパイとデイヴィッド(通称デイヴ)、リチャード・コフランは、先に脱退していたワイルド・フラワーズのオリジナル・メンバー、リチャード・シンクレアを加え、68年にキャラヴァンを結成するのである。そして69年、アルバム「キャラヴァン」でデビューを果たす。
このファースト・アルバムは、ワイルド・フラワーズのサウンドを継承するサイケデリック・ポップであったが、まったく売れなかったため、レコード会社からの契約も切られ、早くもレコード会社を移籍することになる。
心機一転して70年にリリースしたセカンド・アルバムでは、プログレ寄りのサウンドへ路線変更。その後の彼らの方向性を決定づけるポップだがテクニカルという面が表れ出した。また、このアルバムには、その後ライヴでは欠かせない重要曲となる「リチャードのために(For
Richard) 」も収められていた。
翌71年には、初期の傑作「グレイとピンクの地」をリリース。ジャケットも一段とプログレっぽくなったこのアルバムでは、前編にわたり、デイヴの印象的な歪んだオルガンの音が響きわたる。このアルバムでもっとも注目すべき点は、前半に入っているユーモアあふれるポップな作品群と、22分にもおよぶ後半すべてを使ったジャズ・ロックの大作というまったく異なるアプローチの対比だ。この2つの要素の融合こそが、キャラヴァンの目指すサウンドの完成型であるのだが、ここではまだ別の雰囲気を持った名曲として、それぞれが独立した輝きを放っている。これは、パイのポップ志向とリチャード・シンクレアのジャズ・ロック志向が顕著に表れた結果である。しかし、この緊張感に耐えられなかったのか?キーボードのデイヴは脱退し、ソフト・マシーンを辞めたロバート・ワイアットと共にマッチング・モールを結成する。
キャラヴァンの方は、看板プレイヤーだったデイヴを欠いて、新たな方向性を模索する必要に迫られた。そんな時期、新たにSteve Millerスティーヴ・ミラー(Key)を迎えて発表されたアルバム「ウォータールー・リリー」(72年)は、ホーン・セクションやストリングスを導入するなど、シンフォニックでかなり実験的なジャズ・ロックを展開していた。
この後なんと、常にパイと共にキャラヴァンの中でサウンド的なイニシアティヴをとってきたリチャード・シンクレアが脱退。これによりキャラヴァンは一気にパイの押し進めるポップ志向へと傾いてゆくと思われた。しかし、パイはそれまで身につけたジャズ・ロック的な要素も切り捨てることなく、うまくバランスをとりながらポップ化を図ってゆく。
次のアルバム「夜ごとに太る女のために」では、早くもスティーヴ・ミラーが脱退し、デイヴ・シンクレアが復帰。新たにGeoff Richardsonジェフリー・リチャードソン(ヴィオラ,g,フルート)とJohn
G. Perryジョン・G・ペリー(b)も迎えていた。ジェフリーの加入は、さらなるシンフォニック傾向を誘発したが、彼は後々のキャラヴァン・サウンドには欠かせない存在となってゆくのだ。また、このアルバムでは初めてパイが全曲を手がけ、アルバムとしての統一感もそれまで以上に表れた。そしてこのアルバムのリリースと同じ73年、プロデューサーの勧めでついに彼らはオーケストラとの共演ライヴまで行い、かなりの好評を博すことになる。この模様は翌年アルバム化もされた。
75年、ベーシストを元カーヴド・エアのMike
Wedgwoodマイク・ウェッジウッドに替え、彼ら最大のヒット作「ロッキン・コンチェルト(Cunning
Stunts)」を発表。このアルバムでは、複数のメンバーが曲を書いているため、全体的にはやや散漫な印象を受けるところもあるが、1曲1曲はすばらしく、特に18分に及ぶ大作「ロッキン・コンチェルト(The
Dabsong Conshirtoe)」では、初期のジャズ・ロック的アプローチとジェフリー加入によるクラシック的アプローチ、それにポップさが加わった見事なまでのキャラヴァン・オリジナル・サウンドを完成させている。個人的にもこの曲はキャラヴァンの中で最も好きな名曲中の名曲だ。このアルバムは初めてUKとUSのメジャー・チャートにも顔を出し、全英50位/全米124位を記録した。尚、このアルバムのジャケットはヒプノシス(ピンク・フロイドやUFOのジャケットで有名なデザイン・オフィス)によるユーモアたっぷりの透明人間(?)が合成写真により描かれている。良いアルバムというのは、ジャケットもまた良い例が多い。このジャケットもキャラヴァンの音楽性にピッタリの歴史に残る名作だろう。
すべてが軌道に乗りだした、この重要な時期に、またもやデイヴ・シンクレアが脱退という危機が訪れる。ところが、もはやパイが牽引するキャラヴァンの勢いは止まることがなかった。76年にはJan Schelhaasヤン・シェルハース(key)を迎え、さらにポップ色を強めたアルバム「聖ダンスタンス通りの盲犬」を発表する。このアルバムも全英53位のスマッシュ・ヒットを記録し、広くキャラヴァンの名を一般にも知らしめる結果となった。また、このアルバムでは、全曲の内容からジャケットの外&内に至るまで、すべてがトータル・コンセプトのもとに作られており、それまでの大作志向が、ついに究極の大作アルバムへと進化を遂げたと言えるだろう。
その後ロンドン・パンクのあおりを受けて、オールド・ウェイヴの刻印を押されると、彼らはアメリカへ活路を見いだそうとしたのか、アリスタ・レコードに移籍する。77年にはベースをDeg Messecarデグ・メセカーに替え、前作と同路線と思われる(未聴)「ベター・バイ・ファー」を発表するが、あまり成功することなく、次のアルバムのレコーディング途中(この音源は後に「Cool
Water」として発表)の78年に一端活動を停止してしまう。しかし、79年デイヴ・シンクレアが復帰したことにより、彼らは再び活動を再開。彼らのマネージャーが設立したKingdomレーベルより80年「ジ・アルバム」をリリースした。ポップな中にもデイヴが戻ったことによる、初期サウンドへの回帰現象も多少みられ、ファンの間ではかなりの好評を得た。またレゲエを取り入れるなど、なかなかの意欲作でもある。
ところが、初期以降のキャラヴァンをマルチな活躍で支えつづけてきたジェフリーがここで脱退、いっしょにメセカーも辞め、代わりには、なんとリチャード・シンクレアが再加入するのだ。これでオリジナル・メンバーに戻ったキャラヴァンは、82年「バック・トゥ・フロント」をリリースする。このアルバムも入手困難で未聴だが、さらに初期サウンドへ戻ったような感じらしい。しかし、すでに時代はイギリスのみならず、世界中でパンク&ニューウェイヴ旋風が吹き荒れていて、彼らは行き場を失い、とうとう解散に追い込まれた。
解散後、パイは音楽とは無関係の機械エンジニア、デイヴはピアノ店主、コフランはパブの経営と、リチャード・シンクレア以外はミュージシャンを辞め、それぞれ第二の人生を歩むかに見えた。実際パイなどは、その道でセールス・マネージャーにまで昇進していたのだ。
ところが90年、突然オリジナル・メンバーにJimmy
Hastingsジミー・ヘイスティングス(パイの兄/フルート,sax)を加え再結成コンサートを行った。これは単発的なものであったようなのだが、リチャード・シンクレアは、これを機にキャラヴァンを復活させようと画策する。しかし、リーダーであるはずのパイが参加を断ったため、92年苦し紛れに「キャラヴァン・オブ・ドリームス」というバンド名でアルバムを発表する。
これをただ静観していたパイは、94年いよいよ本格的に活動を再開。手始めにアリスタ時代の未発表音源をリミックスしたアルバム「クール・ウォーター」をリリース。つづいて、MIRAGEというキャラヴァンとキャメルの合同プロジェクトでコンサートを行い、95年には正式にキャラヴァンを再結成させ、アルバム「ヘイスティングスの戦い」をリリースした。再結成メンバーは、
Pye Hastings パイ・ヘイスティングス/ギター、ヴォーカル David Sinclair デイヴ・シンクレア/キーボード
Geoff Richardson ジェフリー・リチャードソン/ヴィオラ、ギター、トロンボーン、マンドリン、パーカッション
Jimmy Hastings ジミー・ヘイスティングス/フルート、サックス、クラリネット
Jim Leverton ジム・レヴァートン/ベース・ギター
その後は、セルフ・カヴァー集など、企画編集ものやライヴ盤は毎年リリースされているが、完全なニュー・アルバムはなかなかリリースされないでいた。なかなか良い条件で契約するレコード会社が現れなかったようだ。しかし、2002年早々には、初の来日公演でファンを驚喜させ、セールスとは無縁の彼らの音楽への情熱が、まだまだ衰えを知らぬことをアピールした。
そしてついに2003年、心待ちにしていたニューアルバム「アンオウソライズド・ブレックファースト」がリリースされた。デイヴ・シンクレアがレコーディング途中で脱退したため、2曲にしか参加していなのが残念だが、キャラヴァンの持ち味であるポップでひねりの効いたサウンドは健在。全体的にはギターを前面に出した、キャラヴァン史上最もハードなサウンドかもしれない。(HINE) 2004.2更新
参考サイト:Captain
Ahab's Long Distance Journey 音源・資料提供協力:fumi_tan's
WEBSITEfumiさん
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