BECK BOGERT APPICE ベック・ボガート&アピス

執念で実現させた時代遅れのスーパー・トリオ

Jeff Beck ジェフ・ベック/ギター、ヴォーカル
Tim Bogert ティム・ボガート/ベース・ギター、ヴォーカル
Carmine Appice カーマイン・アピス/ドラムス、ヴォーカル

BBA(ベック・ボガート&アピス)はクリームジミ・ヘンドリックス&エクスペリアンスと並ぶスーパー・トリオであったにも関わらず、大きな成功は収められなかった。
しかし、そうなることは最初からジェフ・ベック自身が一番よく分かっていたはずだ。
なぜなら、このバンド構想は60年代にベック自身が思い描いていた理想のものであり、自分の欲求を満たすためだけに実現させただけのバンドであったからだ。
このBBAが結成されたのは1972年、時代はグラム・ロックやプログレが主流で、既存のビッグ・スター達も他のジャンルの音やシンセサイザーを積極的に取り入れ、すごい勢いでロックが複雑化・多様化している時であった。それと同時期にこういうシンプルで新しくもないサウンドを演っていたのでは売れるはずもない。ベック自身さえ、第二期ジェフベック・グループ(JBG)においては、もっと先進的なサウンドを披露していたのだから・・・。
ともかくBBAは約2年間だけの活動で、当時音楽評論家の水上はる子氏が詠んだ川柳 <アルバムを 2枚作って やめる人> の例に漏れず、またもやスタジオとライブ各1作づつの2枚を残して解散してしまった。だが、その短期間に彼らは燃え尽きたといってもいいほどのパフォーマンスを見せてくれた。
そもそもロッド・スチュワート(vo)に惚れ込んでいたジェフ・ベックは、1969年第一期JBG解散時にロッドだけ残してニュー・バンドを作る構想を練っていた。
そんなある日、友人でもあるツェッペリン(Zep.)ジミー・ペイジ(g)とジョン・ボーナム(ds)といっしょにレコードを聴いて談笑していたベックは、ヴァニラファッジの曲「ショットガン」がかかると、リズム・セクションの素晴らしさにとても衝撃を受けたという。
「このリズム・セクションといつかいっしょに仕事をしたいと思ったんだ。そのあと、セルヴィル・シアターでヴァニラのコンサートを観て、絶対実現してみせると決心した。」とはベック自身の回想の弁である。
たまたまその後ヴァニラファッジとZep.がツアーでいっしょになった時、ジョン・ボーナムからそのことを聞いたボガートとアピスの2人は、すぐさまその場でベックへ電話した。なにしろ天下の大ギタリストからのラブ・コールだ、2人は狂喜したらしい。彼らはニューヨークで集まり、ちょうどヴァニラファッジが依頼されていたコカコーラのCM用音楽録りを、怪我で参加できなかったヴィンス・マーテル(g)の代わりにベックが参加するという形で初セッションをしている。それからロッド・スチュワートやZep.の面々と共にセッションを行った後、2人はヴァニラファッジも脱退してしまい、ベックとのバンド結成へ向け動き出した。
ところが結成直前になって、ロッド・スチュワートがロン・ウッド(元)と共にスモール・フェイセズへ加入するため、このバンドから降りることになってしまった。しかたなく取り合えず3人でバンドをスタートしようとしたが、直後ベックはあの悪夢の自動車事故を起こしてしまう。
このあたりの事はJBGのところへも載せたので省略するが、その後彼らが再び出逢うのは1972年、ベックが自分のバンドを解散させ、「こっちはもう準備できてるぞ」と2人を誘った。それを聞いたボガートとアピスは、そのあと結成し活動中だったカクタスを脱退し、ついに念願のバンド結成へとこぎつけるのだった。
当初このバンドにはJBGからのマックス・ミドルトン(key)とミュージカル出身のヴォーカリスト、キム・ミルフォードが参加していたが、ベックは数ステージのみでミルフォードをクビにし、JBGからボブ・テンチを呼び戻す。しかし、相変わらずの傍若無人ぶりに愛想を尽かしたのか、テンチとミドルトンは第一期JBGのメンバーだったクライヴ・シャーマンと共にハミングバードを結成するためツアー終了後にさっさと脱退してしまった。
そして、残ったのはBBAの3人だけだったというわけだ。

BB&Aの魅力

1973年発表した彼らのデビュー・アルバムのサウンドは、期待するほどの新鮮さもなく、肩透かしを食らった。ヴァニラファッジのサウンドにギターが少し上手くなった程度の感じだろうか・・・。
しかし、その後発売されたライヴ盤を聞いて度肝を抜かされた。凄い!!スタジオ盤とは比較にならないほどエキサイティングなプレイで、ベックのギタリストとしての溢れる才能がいかんなく発揮されている。しかも、ベックの期待に応えるように、ボガートとアピスも最高のプレイで答える。3人の息もピッタリだ。クリームもスタジオとライヴではまったく別バンドといっていいほど違っていたが、BBAもまた同様で、ライヴで実力を発揮するバンドだったのだ。
もし、これがあと2年早く実現していれば、きっとクリームやジミヘンドリックス&エクスペリアンスと並ぶ評価を受けていたことだろう。
ベックの凄さについて、知らない人またはギターを弾いたことがない人のために少しだけ触れておこう。
一言で説明するのは難しいが、同じフレーズを同じようには二度と弾かない人と言えば理解してもらえるだろうか?つまり、同じフレーズがつづく場面でも1番と2番を違う弾き方でニュアンス変えながら弾いているということだ。
また、ベックの足下を見てもらえばわかるのだが、ほとんどエフェクター類が無い。それなのにいったいどうやって、あの多彩な音を出しているのだろう。それは、あらゆるテクニックを駆使しながら、ピッキング(ピックという道具で弦をはじくこと)する位置や角度までも音を変化させるために利用して弾いているからだ。どうやって弾いているのかさえ不明な弾き方のものも多く、彼のギターをコピーするのは至難の業だ。
話は少しそれたが、BB&Aでもうひとつ驚いたのは、ほとんどの曲でヴォーカルを取っているのはドラムのアピスだということだ。けして上手いヴォーカルとは言えないが、あのエキサイティングなドラミング中にどうやって息も切らさず唄えたのだろう・・・。ドラムの腕前については、ライブ盤の「モーニング・デュー」におけるドラム・ソロを聞いてもらえば一聴瞭然だ。
ボガートも、ライブ盤2曲目の「君に首ったけ」でベース・ソロを披露し、プレイヤーとしての非凡さを見せつけている。

燃え尽きた3人

こんな素晴らしいステージを日本でも披露してくれた3人であったが、翌74年には2作目のスタジオ・レコーディングに入ったという知らせの後、すぐに解散してしまった。
原因は定かではないが、もめたという話もなかったので、おそらく3人共がプレイヤーとして、その時持っていた己の全てを出し尽くし、燃え尽きてしまったということではないだろうか。
解散後、ボガートは77年にボクサーというバンドへ加入、78年にはマーカスに参加。その後2枚のソロ・アルバムを出したあと、83年アピスと共にヴァニラファッジを再結成させた。
アピスはアストロポートKGBを経て76年ロッド・スチュワート・バンドへ加入。その後エリック・カルメンテッド・ニュージェントリック・デリンジャーらと仕事をし、83年ヴァニラファッジを再結成した。その後、再び表舞台にたったのは、1989年ジョン・サイクス(g)のブルーマーダーへ参加した時ぐらいだろう。
この2人は99年日本のギタリスト、竹中CharCBA(チャー・ボガート&アピス)というトリオでジャパンツアーを敢行したのも記憶に新しい。
ベックの方は、この後ジャズ傾向が強まり、あの傑作アルバム「Blow By Blow(ギター殺人者の凱旋)」を生むことになる。
(HINE)
 2002.3更新


ベック、ボガート&アピス
Beck Bogert Appice


1973年 Epic/Sony

1. 黒猫の叫び/Black Cat Moan
2. レディー/Lady
3. オール・トゥ・ラヴ・ユー/Oh To Love You
4. 迷信/Superstition
5. スウィート・スウィート・サレンダー/Sweet Sweet Surrender
6. ホワイ・シュッド・アイ・ケアー/Why Should I Care
7. 君に首ったけ/Lose Myself With You
8. リヴィン・アローン/Livin' Alone
9. アイム・ソー・プラウド/I'm So Proud



ベック・ボガート・&アピス
Beck,Bogert & Appice Live

ライヴ・イン・ジャパン1973



1973年 Epic/Sony
1. 迷信
 Superstition
2. 君に首ったけ
 Lose Myself With You
3. ジェフズ・ブギー
 Jeff's Boogie
4. ゴーイング・ダウン
 Going Down
5. ブギー
 Boogie
6. モーニング・デュー
 Morning Dew
7.スウィート・スウィート・サレンダー
 Sweet Sweet Surrender
8. リヴィン・アローン
 Livin' Alone
9. アイム・ソー・プラウド
 I'm So Proud
10.レディー
 Lady
11.黒猫の叫び
 Black Cat Moan
12.ホワイ・シュッド・アイ・ケアー
 Why Should I Care
13.プリンス/ショットガン(メドレー)
 Plynth/Shotgun(Medley)
1973年大阪厚生年金会館でのライヴが収められたこのアルバムは、当時は2枚組のLPで、日本でのみ発売された貴重盤だ。その後廃盤になっていたが、1989年にCD化され復刻した。しかし、オリジナルに忠実に再現されたため、CD2枚組(録音時間的には2枚組にする必要はないのだが…)として外ケースもダブルサイズ、値段も4,000円と、輸入盤がないことを考えれば、熱狂的なファンしか買わない価格設定だ(^_^;
だが、それだけの価値がこのアルバムにはある!
現在のジェフ・ベックは未だ世界一のギタリストの称号は譲らないにしても、普通のロック・ファンには音楽的にもギタリストとしても少々分かりづらく、縁遠くなった感がある。
純粋にロック・ギタリストとして見た場合、このアルバムがハード・ロック・ギタリストとしてのベックの最後の勇姿なのだ。このライブは内容的にも素晴らしく、3人というシンプルなメンバー構成のおかげで、ベックの上手さがよりいっそう引き立ち、世界最高のギタリストの呼び名に相応しいプレイを随所に聞かせてくれる。特にここでの「ジェフズ・ブギー」はライヴならではのアドリヴがいっぱい飛び出し、スケール弾き
(注1)ばかりして“速弾き”だと得意になっているギタリスト達には絶対にマネのできない、ギターを知り尽くした男の驚愕プレイをみせつける。
また、アルバム上でベックの声が聞けるのもこれが最後。「黒猫の叫び」ではトーキング・モジュレーターを併用しながらのベックの下手くそなヴォーカルも飛び出す。
ティム・ボガートとカーマイン・アピスについては、今更言うまでもなく、ヴァニラ・ファッジ出身で、ベックに見込まれた凄腕プレイヤー達なのだが、このライブでも各々ベース・ソロとドラム・ソロをやっていて、その実力をいかんなく発揮している。(HINE)
(注1)その曲のキーに合う音階をスケールと言い、そのスケールの中をただ行ったり来たりしているだけな弾き方。たとえば、ド(C)・レ(D)・ミ(E)・ファ(F)・ソ(G)・ラ(A)・シ(B)・ド(C)・シ(B)・ラ(A)・ソ(G)・ファ(F)・ミ(E)・レ(D)のような弾き方で、これに途中#や♭が付くだけ。これを速く連続で弾くと流れるような旋律になり、いかにも速弾きな感じがするが、実際はそう難しいことではない。練習すれば、ある程度は誰にもできることなのだ。