THE PAUL BUTTERFIELD BLUES BAND ポール・バターフィールド・ブルース・バンド


An Anthology: The Elektra Years
Elektra/

アメリカン・ロック影の功労者

アメリカン・ロックと言えば、フォークの巨匠ボブ・ディランがエレクトリック・ギターに持ち替えたことから始まったというのが定説だが、そのディランが1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルにおいて、初めて観衆の前でフォークとロックを融合させたサウンド・アプローチを聞かせた時、バックに率いていたのがこのポール・バターフィールド・ブルース・バンドだった。
この時以来、アメリカではフォーク・ロックやカントリー・ロックが盛んになり、アメリカが発祥であるはずのブルースを基盤としたロックはどちらかというとイギリス勢のブルース・ブレイカーズクリーム、テン・イヤーズ・アフター等に押されぎみだった。
しかし、ポール・バターフィールドのひたむきなブルースへのこだわりは、その後のサザンロックなどのルーツとしてアメリカ独自のロック誕生に大きな影響を及ぼした。
また、バターフィールド・バンドはイギリスのブルース・ブレイカーズ同様、その歴史上何人もの名プレイヤーを排出していることでも知られている。

バイオグラフィー

1942年シカゴのハイドパークで弁護士の父と画家の母との間に生まれたバターフィールドは、少年期にシカゴ・シンフォニーのフルート奏者の元で専門的に学んだ後、大学生時代にはブルース・クラブを訪れるようになり、マディ・ウォーターズやリトル・ウォルターなどの演奏を間近に見て、彼らから直にブルースを学という音楽的にはかなり恵まれた環境に育った。
そして61年彼の学ぶシカゴの大学で偶然タルサ生え抜きのギタリスト、エルビン・ビショップと出逢い意気投合。2人は“The Buttercups”というバンドを結成し演奏活動を始めるのだった。
その後63年にシカゴのクラブにいたサム・レイ(ds)とジェローム・アーノルド(b)を加え“The Paul Butterfield Blues Band”を結成した。さらに65年にはマーク・ナフタリン(kb)が加わりエレクトラ・レコードと契約、シングル「Born In Chicago」でレコード・デビュー。また同年もう1人の名ギタリスト、マイク・ブルームフィールドも加入させファースト・アルバムをリリースしている。(この時ブルームフィールドの圧倒的なギタ・テクの前にビショップはサイド・ギターに降格するしかなかった)
彼らはデルタ・ブルースとカントリーを取り入れた新しいスタイルのサウンドを作り上げ、フォーク世代の若者とオールド・ブルースを好む大人達双方から評価されるようになっていった。初期のメンバーは、
Paul Butterfield ポール・バターフィールド/ヴォーカル、ハーモニカ
Mike Bloomfield マイク・ブルームフィールド/スライド・ギター
Elvin Bishop エルヴィン・ビショップ/リズム・ギター
Jerome Arnold ジェローム・アーノルド/ベース・ギター
Mark Naftalin マーク・ナフタリン/オルガン
Sam Lay サム・レイ/ヴォーカル、ドラムス
彼らの知名度を一気に高めたのは、やはり65年のボブディランとの共演であろう。そしてそれと共にブルームフィールドのギターも話題となり、アメリカン・ロックでは初のギター・ヒーローとして、イギリスの3大ロック・ギタリスト達にも負けないスターになっていった。しかし、66年にはレイ、67年にはブルームフィールドやアーノルドが相次いで脱退。バターフィールドとビショップは新たなバンド再編成を迫られるのだった。(ブルームフィールドはエレクトリック・フラッグというバンドで1枚アルバムをリリース後68年にはアル・クーパー等と名盤「フィルモアの奇蹟」をリリース、76年にはカーマイン・アピス(ds)らのバンド“KGB”へ参加した後ソロ活動へ81年にドラッグで他界している)
そこで思いついたのは、ホーン・セクションの導入によるジャズとロックのミックス・サウンドへの切り替えであった。
そのメンバーとは、
Paul Butterfield ポール・バターフィールド/ヴォーカル、ハーモニカ
Elvin Bishop エルヴィン・ビショップ/リズム・ギター
Mark Naftalin マーク・ナフタリン/キーボード
David Sanborn デヴィッド・サンボーン/アルト・サックス
Gene Dinwiddie ジーン・ディンウィッディ/テナー・サックス
Keith Johnson キース・ジョンソン/トランペット
Bugsy Mangh バグジー・マング/ベース・ギター、ヴォーカル
Phil Wilson フィル・ウィルソン/ドラムス
特筆すべきは若き日のデヴィット・サンボーンが加わっていたことで、かなり本格的なジャズ・ホーン・セクションを取り入れたことがわかる。バターフィールド・ブルース・バンドとしては、むしろこちらのラインナップの方が成功し、かなりの人気を得た。この後68年に今度は最も古くからパートナーであったビショップも脱退してしまう。彼は脱退後アレサ・フランクリンのバンドや、マーシャル・タッカー・バンドのアルバムへゲスト参加するなどセッションマン的な活動をして今も健在。
バターフィールド・バンドの方は69年に唯一のヒット曲「Love March」を放ち、ウッドストック・フェスティバルへ出演するなど60年代末まで人気を保っていたが、ビショップ脱退後バターフィールドのブルース・ハープを全面に出して失敗し人気が下降。71年にはバンドはついに解散してしまった。
その後、ポール・バターフィールドは“ベターデイズ”というバンドを結成し(Paul Butterfield, Geoff Muldaur, Ronnie Barron, Christopher Parker, Billy Rich, Amos Garrett, Howard Johnson)2枚のアルバムを出すが低迷し、音楽シーンからしばらく遠ざかっていた。そして86年ソロ・アルバムをリリースしカンバックするのだが、翌87年ドラッグと酒の多量摂取のため帰らぬ人となった。
だが、バターフィールドが残したアメリカン・ロックにとっての功績は後になって再評価され、90年代になってからも何枚ものアルバムがリリースされ続けている。ジョン・メイオールがブリティッシュ・ブルースの父だとするならば、バターフィールドこそアメリカン・ブルースロックの父だと言えるのではないだろうか・・・。
(HINE) 2000.11




The Paul Butterfield Blues Band
Elektra/WEA

East-West
Elektra/WEA

The Resurrection Of Pigboy Crabshow
Elektra/

It All Comes Back
Rhino/

The Original Lost Elektra Sessions
Elektra/

Strawberry Jam
Winner/

East-West Live
Winner/

ディスコ・グラフィー
<The Paul Butterfield Blues Band>

1965年 The Paul Butterfield Blues Band *ブルームフィールドが加入し、ビショップはサイド・ギターに降格したデビュー盤
1966年 East-West *より幅広いサウンドになった彼らの最高傑作。2人のギターが聞けるのも最後になってしまったが・・・。
1968年 The Resurrection Of Pigboy Crabshow *1人になったビショップが頑張っている
1968年 In My Own Dream *デヴィット・サンボーンを含むホーンセクションを大胆に取り入れたジャズ・ロック・アルバム
1969年 Keep On Moving *バターフィールド唯一のヒット曲「Love March」を収録
1969年 Fathers And Son
1971年 Sometimes I Feel Like Smilin'
 *ポール・バターフィールド・ブルース・バンドとしてのラスト・アルバム
1995年 The Original Lost Elektra Sessions *64年〜66年のセッション
1995年 Strawberry Jam
1996年 East-West Live
 *ブルームフィールド在籍時のライブ
1998年 An Anthology *ポール・バターフィールド・ブルース・バンドとしてのベスト盤

<The Paul Butterfield's Better Days>

1973年 It All Comes Back
1973年 Better Days

<Paul Butterfieldソロ>

1975年 Put It In Your Ear *バターフィールド初のソロ・アルバム
1986年 The Legendary Paul Butterfield Rides Again *カンバック作だったが彼のラストアルバムにもなってしまった。
1999年 An Offer You Can't Refuse