NIK KERSHAW ニック・カーショウ


脱アイドルを目指して

日本では考えられないことだが、ルックスがよかったり、サウンドがポップであると正当評価されないということが欧米ではよくある。ロック界でも、ピーター・フランプトンやリック・スプリングフィールドなどがそういった問題との葛藤の末、成功を手中にしたのは有名な話だ。
ニック・カーショウもまた、80年代ブリティッシュ・ポップ若手御三家として、ハワード・ジョーンズやポール・ヤングとともにアイドル扱いされた1人だ。だがニックの場合、それを打開しようとするがあまり低迷し、そのまま第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの終結と共に埋没してしまった。
80年代ブリティッシュ・ポップを代表するこの3人は、当時ライバルとして同じように扱われていたが、よく聴けば三者三様、まったく違う音楽性を持っていた。純然たるポップであったのはハワードだけで、ポール・ヤングはR&B、ニックのサウンドはロックやフュージョン色が強い。
というのも、本来のニックはギタリストであり、ロック・バンドやファンク・バンドにいた経歴もあり、エルトン・ジョンのアルバムにはギタリストとして参加しているのだ。しかも彼の生み出すサウンドは独創的であり、今までに聞いたことがないような印象的なフレーズで、ポップス界に新風を巻き起こした。またヒットしたことに甘んじることなく、失敗を恐れず我が道を突き進む姿は、まさにロッカーそのものであった。

連続7曲をチャートのトップ20に送り込んだ天才アーチスト

1958年3月1日イギリスのブルストル生まれ、本名ニコラス・デイヴィット・カーショウ。
10代でギターを始めたニックは、学生時代16歳でHalf Pint Hoggというバンドにギタリストとして加入し、ディープ・パープルのコピーなどを弾いていた。その後学校を卒業すると、Fusionというジャズ・ファンク・バンドへ加入し、本格的にプロとして活動を始める。ここで1枚のアルバムを残すが、70年代の終わりにはバンドが解散。
その後ソロへ転向したニックはマネージャーの働きもあり大手のMCAレコードとの契約に成功。1983年にシングル「アイ・ウォント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン」でデビューした。
このファースト・シングルは全英47位とあまりふるわなかったが、つづく84年のセカンド・シングル「恋はせつなく」(Wouldn't It Be Good)が突如全英4位、全米47位の大ヒットとなる。
これで一躍有名になったニックは、既に当時結婚していたにも関わらず、そのクールなルックスからアイドル的な人気が高まり、イギリスでは熱狂的な支持を受けるようになっていった。この年ファースト・アルバム「ヒューマン・レーシング」を発表し、この中に収められた先のファースト・シングル「アイ・ウォント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン」を再リリースすると、これも全英2位の大ヒットを記録。さらにこのアルバムからは「ヒューマン・レーシング」19位、「ダンシング・ガールズ」13位とヒットを連発。ハワード・ジョーンズらと共に若手のホープとして押しも押されぬ大スターへと上り詰めていった。
勢いにのるニックは、同年末セカンド・アルバム「ザ・リドル」も発表し、そこからのファースト・シングル「ザ・リドル」を全英3位に送り込む。小泉今日子が唄ってヒットした「木枯らしに抱かれて」は、この曲をパクッていることでも有名だ。余談だが、この「ザ・リドル」という曲はアルバム・リリース直前になって、レコード会社側からシングルになるような曲がないと言われ、その場で適当にすぐ書き上げた曲だそうだ。全英3位の曲をそんな即興で書き上げてしまうニックの才能には驚嘆するしかない。
さらに勢いは止まらず、85年には「ワイルド・ボーイ」9位、「ドン・キホーテ」10位とヒットを飛ばし、気が付いてみれば連続7曲もトップ20ヒットを放っていた。また、この年はライブ・エイドに参加し、初来日も果たしている。
しかし、この異常な人気に疲れ切ったニックは、自ら不当に付けられたアイドル・イメージからの脱皮を計ろうと試行錯誤を始める。
86年、満を持して自らプロデュースしたアルバム「ラジオ・ミュージコーラ」を発表。このアルバムはヒット曲よりもアルバム全体の雰囲気を大切に作られており、フュージョンぽい曲や今までにない明るい曲など、それまでよりサウンドの幅を広げた、かなりの名作であった。だが、大ヒット・シングルに恵まれなかったこともありセールス的には不振。ここからニックの苦難の日々が始まる。(本人はそう感じてはいなかったようだが)
一方、ニックの天才的な資質に早くから気づき、支援する人物もいた。大物プレイヤー&シンガー、エルトン・ジョンだ。
エルトンは、自分のアルバムへニックをギター・プレイヤーとして迎えたり、ツアー・サポートを頼んだりと、事あるごとにニックを起用して、ニックの素晴らしさを多くの人たちに知ってもらおうとした。85年にエルトンが放ったヒット曲「悲しみのニキータ」でギターを弾いているのもニックだ。
しかし、80年代後半に入ると、ユーロビートを取り入れたブリティッシュ・ポップが、本物のブラック・ファンク勢に取って代わられるようになり、それまで活躍してきたイギリスのアーチスト達は次々に姿を消した。低迷してしまったニックの話題はなおさらのこと、まったく日本へ伝わってこなくなった。
それでも、ニックの才能を高く評価し、熱烈なラヴ・コールを送る人がアメリカにもいた。60年代から活躍するキーボード・プレーヤー&プロデューサーのピーター・ウルフだ。(J・ガイルズ・バンドの同名ヴォーカリストとは別人、トップ・ガンのサントラやスターシップのプロデューサーとして知られ、フランクザッパのアルバムではキーボード・プレイヤーとしても活躍)
89年には、そのピーター・ウルフがプロデュースしたアルバム「ザ・ワークス」が発表された。ニックは、髪型もオールバックにし、明らかにイメージ・チェンジをはかろうという意気込みが感じられたが、結果的にはプロデュースの失敗だろうか!?ニック独自の個性が弱まって、より“普通のポップス”的な音になってしまった。おそらく、無駄な効果音や時流にのったリズムなどを廃し、ニックが創り出す独創的メロディーを大切にしようとしたのだろうが、逆にそれがニックの個性を殺す結果になってしまっている。このアルバムはセールス的にもまったくのびず、シングル「ワン・ステップ・アヘッド」も55位と低迷したままだった。
これ以降ニックは自らプレイヤー&シンガーとして活動することをやめ、ソング・ライターとして活躍することになる。
中でも91年には、イギリスのアイドル・グループ、チェズニー・ホークスのために作った曲「ザ・ワン・アンド・オンリー」が全英5週連続No.1に輝き、アメリカでも映画「ドク・ハリウッド」(マイケル・J・フォックス主演)の主題歌に起用され、トップ10ヒットを記録するなど大成功を収めた。この後もアイドルなどを中心に曲を提供したりプロデュースを手がけたりと、活躍はするものの表舞台に立つことはなかった。
だが98年、久しぶりにニックがオリジナル・アルバムを引っさげ、我々の前に戻ってきた。99年になって日本でも発売されたこのアルバム「フィフティーン・ミニッツ」には、あの懐かしい独特のニック・サウンドがいっぱい詰まっていた。曲の良さもあいかわらずで、太って髪の毛が薄くなったという外観を除けば、相変わらずの歌声だ。80年代のニックと違うところは、よりソフトで優しい印象も受けることだろう。これはかなりの名盤なので、ファンなら必聴だ!特に1曲目の「サムバディ・ラヴズ・ユー」と、自身の子供のためにかいたという2曲目「ハヴ・ア・ナイス・ライフ」は名曲で、日本のTVコマーシャルにもさりげなく使われていた。
そして2001年にも「to be Frank」というニュー・アルバムをリリース。この「to be Frank」では、さらに自由な音作りがなされており、1曲目からそれまでの彼からは想像できないようなラテンの明るい曲調に驚かされる。各曲とも前アルバム同様、非常に丁寧に作られており、シンプルだがメロディーの良さが心に染み入るような仕上がりだ。
きっと、以前ピーター・ウルフが目指していたイメージも、本当はこんな感じだったのではないだろうか。ニックはそれを自らの手で完成させたと言える。
これでいよいよ本格的に復帰するのかと思われたが、突然9月に活動停止の宣言をした。
この近年2枚のアルバムは、元々セールスを期待してのリリースではなく、遊びでレコーディングしているうちに、アルバム1枚分の曲がたまり、周囲から進めらたらしいのだが、それにしてもプロモーションも何もしていないため、まったく売れなかったらしい。レコード会社としては、いくら良いアルバムを作っても売れないと困るわけで、ついには契約する会社もなくなってしまったというのが活動停止の真相らしい。再度の活動停止は非常に残念なことではあるが、この近年の2枚の作品で、ニックの生み出す曲が時を越え普遍的にすばらしいということが実証された。現在ニックはインターネットを通じて、本当のファンだけに向け、新曲を配信することを模索している。
どういう形にしろ、ニックが音楽活動をしてゆける環境が整い、再び1人のアーチストとして精力的な活動をしてくれることを期待しないわけにはいかない。
(HINE)
 2004.5更新

音源提供協力:pop!さん(80's Man)




The Riddle
MCA/Victor

Radio Musicola
MCA/Victor

The Works
MCA

15 minutes
Rhino/Rock Records

To Be Frank
Eagle

ディスコ・グラフィー

1984年 Human Racing(ヒューマン・レーシング)*デビュー・アルバムにしてヒット曲のオン・パレード。「恋はせつなく」収録
1984年 The Riddle(ザ・リドル)*タイトル曲が全英3位の大ヒット。小泉今日子の「木枯らしに抱かれて」の元曲としても有名
1986年 Radio Musicola(ラジオ・ミュージコーラ)*アルバム全体を重視した結果、セールスはのびなかったが、かなりの名作
1989年 The Works(ザ・ワークス)*スターシップなどでお馴染みのピーター・ウルフがプロデュースを買って出たというポップな作品
1991年 The Collection(ザ・コレクション)*日本でも発売された4作目までのベスト
1994年 Wouldn't It Be Good 
*ドイツでリリースされたベスト
1998年 Greatest Hits 
*MCAからリリースされたベスト
1998年 15 minutes(フィフティーン・ミニッツ)*日本でも99年に発売になった9年ぶりのアルバム。外観は変わったがあのサウンドは健在
2001年 To Be Frank *これも前作同様心に染み入る名曲がいっぱい。ボーナス・トラックの「恋はせつなく」アコースティック・ヴァージョンもGood!



◆◆◆名盤PICK UP◆◆◆

ヒューマン・レーシング
Human Racing

ニック・カーショウ
Nik Kershaw

MCA/Victor

Nik Kershaw: Bass, Guitar, Percussion, Arranger, Composer, Keyboards, Vocals

Produced by Peter Collins

1.ダンシング・ガールズ
 Dancing Girls

2.恋はせつなく
 Wouldn't It Be Good

3.ドラム・トーク
 Drum Talk

4.ボガード
 Bogart

5.ゴーン・トゥ・ピーセス
 Gone To Pieces

6.シェイム・オン・ユー
 Shame On You

7.クローク・アンド・ダガー
 Cloak And Dagger

8.フェイセズ
 Faces

9.アイ・ウォント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン
 I Won't Let The Sun Go Down On Me

10.ヒューマン・レーシング
 Human Racing

 ニックのアルバムは、「ザ・ワークス」を除いてすべてが名盤。その中から1枚をピックアップするというのは至難の業だが、あえてロックファンのために究極の選択をすれば、このファーストアルバムをお薦めしたい。何故かと言うと、このアルバムではコンポーザー、シンガーとしてだけでなく、プレイヤーとしてのニックも優秀であることが一番表われているからだ。復帰前のニックは、その後業界に振り回され、むりやりヒット曲をかかされるなど、思うような活動ができていない。その点でも本作は、比較的邪念のないありのままのニックを表現できていたのではないだろうか。
 また、驚く事に本作ではデビュー・アルバムであるにも関わらず、すでにニックの強烈な個性が隅々まで行き渡り、どこから切り取っても「ニック・カーショウ」を強烈に感じさせる。それはむしろ後のアルバム以上と言っても良いくらいだ。
 1曲目は、リズムマシンによる軽快なビートとシンセサイザーを全面に出した、いかにも80年代っぽい音。これが悪い意味で多くの人々が持つニック・カーショウへのイメージだろう。ハワード・ジョーンズと共にエレポップなどと呼ばれ当時はもてはやされたが、ニックの場合、その音楽的コア(核)の部分はまったく違う。それは装飾的な音を極力排除した近年の2作品を聞けば明らかになるはずだ。一聴しただけではまったく違うように聞こえるこのファーストと近年のアルバムの曲たちは、よく聞くと精神状態の違いはあれ、本質部分(個性)はほとんど変わっていない。
 このファースト・アルバムでニックが本領を発揮しているのは2曲目以降。まずは大ヒットした「恋はせつなく」でのイントロのギター・リフ。このまま行けばハードロックにしてもおかしくないが、突然シンセの印象的なメロディー・ラインが入り、ポップな曲調に変化。さらにキーが変わりつぶやくようなニックの寂しげでけだるい感じのヴォーカル。すごいバランス感覚だ!普通では考えつかないような珍しい曲調とメロディー。こんなへんてこな曲をヒットさせるのは、デヴィッド・ボウイとニックぐらいなものだろう。曲の中間部にニックのギターとホーンが同じフレーズを奏でるのも印象的だ。3曲目は「ドラム・トーク」というタイトル通り、主役はドラム。アフリカン・ビートをうまく取り入れ、EW&F(アース・ウインド&ファイア)のようなホーンの使い方とR&B風のニックのギターにデジタル・ビートが絡む。4.はニックにしては比較的普通の曲だが、ギターソロでは、ジェフ・ベック風なフュージョンぽいフレーズを聞かせる。そのままメドレーのようになだれ込む5曲目は、打って変わってハイテンポ。ルイス・ジョンソンばりのファンキーなチョッパーベースは、ニック自身によるもの。ちなみにニックはギター、ベース、キーボード、パーカッション、を1人でこなしてしまうマルチプレイヤーだが、特にギターとベースの腕前はかなり上手い。
6曲目、こちらはミドルテンポのファンキーな曲。アフリカの民族音楽を思わせる自らのヴォーカル・アレンジも絶妙。7.は出だしがテクノっぽいが、ギターソロは完全にフュージョンそのもの。こういったサウンドは確実に後続のティアーズ・フォー・フィアーズやa〜haなどもに影響を与えている。8.は少し重苦しい雰囲気に包まれたバラード。ニックの曲は歌詞もまた重要。英語の歌詞カードしかないためよくは分からないが、背後にあるもう1つの世界(別の顔)のことを歌っているようで、歌詞とピッタリの曲調だ。次は一転して、レゲエを取り入れた「エレポップ」という言葉がピッタリくる、少し軽薄なサウンド(わざとやっているのだろうが)
の「アイ・ウォント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン」。この曲だけベースもセッション・プレイヤーが弾いていて、おそらくシングル用に無理やり作らされたのではないだろうか!?レコード会社の思惑通り、シングルで再リリース後に全英2位を記録しているが、アルバム中でも一際浮いている。そしてアルバム・ラストを飾るのはニックのバラードの中でも屈指の名作「ヒューマン・レーシング」。シンプルな曲だが、ヴォーカルにおける独特なニック節に、どんどん引き込まれてゆく。
 アルバム全体として感じられるのは、もちろんニックがそれまでに経験したハードロック、フュージョンなどのバンド経験を生かした並々ならぬセンスもあるが、それとはまったく次元が違う天性の何かだ。それは身につけたのものではなく、おそらく最初から身に付いていたのだろう。ほとんどのミュージシャンは何かを引用または参考にして曲を作るというが、ニックの曲は過去のどれにも似ていない、まったくのニック・オリジナル・サウンドだ。次作収録の「ワイルドボーイ」という曲で、ニックは自らのことを「センスはなくとも一夜にして大成功。うまく行き過ぎもいいとこだ」と唄っているが、そんなことはない。貴方こそまさに天才的センスの固まりだ!(HINE)