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ディスコグラフィー 茶色のタイトルにはアルバム解説があります)

1.BON JOVI(夜明けのランナウェイ)1984年5月21日リリース
 プロデューサー、ランス・クイン&トニー・ボンジォヴィ
 全米43位 全英71位
 夜明けのランナウェイ、シー・ドント・ノー・ミー収録。



2.7800°FAHRENHEIT(7800°ファーレンハイト)1985年4月15日
 プロデューサー、ランス・クイン
 全米37位 全英28位
 イン・アンド・アウト・オブ・ラブ(恋の切り札)、TOKYOロード収録。



3.SLIPPERY WHEN WET(ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)1986年8月25日
 プロデューサー、ブルース・フェアバーン
 全米1位(8週連続) 全英4位 '87年年間チャート1位
 禁じられた愛、リヴィン・オン・ア・プレイヤー、ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ収録。



4.NEW JERSEY(ニュージャージー/ボン・ジョヴィ 4)1988年9月19日
 プロデューサー、ブルース・フェアバーン
 全米1位(4週連続) 全英1位 '89年年間チャート4位
 バッド・メディシン、ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー、アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー収録。



5.KEEP THE FAITH(キープ・ザ・フェイス)1992年10月30日
 プロデューサー、ボブ・ロック
 全米5位 全英2位
 アイ・ビリーヴ、キープ・ザ・フェイス、ベッド・オブ・ローゼズ収録



6.CROSS ROAD(クロス・ロード〜ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ)1994年10月7日
 プロデューサー、ピーター・コリンズ
 全米8位 全英1位
 サムディ・アイル・ビー・サタディ・ナイト、オールウェイズ収録



7.THESE DAYS(ジーズ・デイズ)1995年6月12日
 プロデューサー、ピーター・コリンズ、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ
 全米9位 全英1位
 ジーズ・デイズ、ライ・トゥ・ミー、サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン収録



8.CRUSH(クラッシュ)2000年5月17日
 プロデューサー、ルーク・エビン、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ
 全米9位 全英1位
 イッツ・マイ・ライフ、ジャスト・オールダー、サンキュー収録



9.BOUNCE(バウンス)2002年9月11日
 プロデューサー、ルーク・エビン、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ
 全米− 全英−




メンバー(&サブメンバー) of Bon Jovi


ジョン・ボン・ジョヴィ John Bon Jovi(本名ジョン・フランシス・ボンジォヴィ)
1962年3月2日生まれ
バンド以外にもテレビドラマ、映画出演等の俳優業もこなす。
ライブでは常に観客の反応に気を使い、盛り上がってないと見るや、セット・リストにない曲をバンドに注文し、周囲を驚かす。バンド内でのプロデュース力、アルバム制作における方向性において、ジョンの首がたてに振るか横に振るかで大きく変わってくるはず。しかし、決してジョン一人のワンマン・バンドでないというのは、各アルバムを聴き、ライブを観てもらえればそれは一目瞭然である。
リッチー・サンボラ Richie Sambora(本名リチャード・スティーヴン・サンボラ)
1959年7月11日生まれ。幼い頃から、アコーディオン、サックス、ピアノ等の楽器を経験。エリック・クラプトンに影響されギターを弾き始める。若くしてCMや映画音楽のスタジオ・ミュージシャンとして活躍し、ボン・ジョヴィ加入前は、ジョー・コッカー・バンドのメンバーとしてツアーにも同行する。ジョン&リッチーのソングライティング能力は、某音楽評論家でレノン&マッカートニー、プラント&ペイジに匹敵すると評価されるほど認められている。リッチーが唄う「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(以前ライブで演奏された)は、渋いギターの演奏と共に想いがこもった唄いっぷりに感激させられた。
デヴィッド・ブライアン David Bryan(本名デヴィッド・ラッシュバウム)
(セカンド・アルバムのリリース前に本名のラッシュバウムからブライアンに変えている。本名はブライアンがミドルネーム)
1962年2月7日生まれ
父親(ジャズ・ミュージシャン)の影響のせいもあって7歳の時からピアノを始める。ディープ・パープルのジョン・ロード(key)の影響でロックに興味を持った。
ジョンとはデビュー前から付き合いがあり、「Runaway(夜明けのランナウェイ)」をジョンと共に2人でロサンゼルスに売り込みに行っている。
アレックス・ジョン・サッチ Alec John Such(本名同じ)
1953年11月14日生まれ
オリジナル・ベース・プレーヤーでもあった彼は、15歳でニュー・ヨークからニュー・ジャージーに移り住み、以後数々のローカル・バンドで活躍。リッチーとも“ザ・メッセージ”というバンドで競演したことがある。
ボン・ジョヴィ時代にはライブ中にもかかわらず、実弾入りのピストルを所持していたとの疑いがあったりと、バンド一のワルなイメージがある。
「キープ・ザ・フェイス」リリース後、脱退を表明する。
ティコ・トーレス Tico Torres(本名ヘクター・サミュエル・トーレス)
1954年10月7日生まれ
11歳でギターを始めたが、元々はDJが志望だったらしい。
17歳でプロ・ドラマーになり、主にスタジオミュージシャンとして活躍する。知り合いだったアレック(b)に誘われ、ボン・ジョヴィに加入。
際立ったテクは目立たないが、彼が叩く力強いビートがボン・ジョヴィ・サウンドをより強固なものにしている。
ヒュー・マクドナルド Hugh McDonald(本名等細かいデータは不詳)
A.J.サッチ(b)の後に“助っ人”としてボン・ジョヴィをサポートする。この人もジョンとはデビュー前から親交があり、またボン・ジョヴィのことも知っていたので、すんなりとベースをプレーしている。「夜明けのランナウェイ」のベースはこの人。
彼も堅実(かなり地味目だが)で、他のメンバーの引き立て役に回っている。だからこそ「キープ・ザ・フェイス」の時のプレー(ライブ時)は是非見て頂きたい。(一番ベースが目立つところだ)

≪2004年12月 せいいち