AC/DC(エー・シー・ディー・シー)


オーストラリアから世界へ

オーストラリアと言えば、80年代にはリック・スプリングフィールド、メン・アット・ワーク、ミッドナイト・オイルなど世界規模で活躍するロック・スターが次々現れ、世界へ通用する音楽の土壌ができあがったが、それまでは英語圏であるにも関わらず、拠点をアメリカかイギリスに移さない限り世界的ヒットの道はまずなかった。
そんな中、オーストラリア発世界へと孤軍奮闘していたバンドがあった。それがこのAC/DC。
しかも彼らが世界へと進出した70年代半ばと言えば、パンクロック〜ニューウェイヴに世界中が沸いていた頃だ。彼らのストレートなハード・ロックが世界で認められたのは、やはりあの強烈なライブ・パフォーマンスによるところが大きい。

1973年アンガスとマルコム兄弟によってシドニーで結成されたAC/DCは、メルボルンに拠点を移し、他のメンバーを加えて本格的なバンドとしてスタートした。オリジナル・メンバーは、
Angus Young アンガス・ヤング/リード・ギター
Malcolm Young マルコム・ヤング/ギター
Bon Scott ボン・スコット/ヴォーカル
Mark Evans マーク・エヴァンス/ベース・ギター
Phil Rudd フィル・ラッド/ドラムス

デビュー当時、リード・ギターのアンガスはなんと若干15歳であった。これをヒントに彼の姉の発案で彼に学校の制服を着させてステージへ上げたところ好評で、以来この半ズボンにランドセルを背負ったスタイルがバンドのトレード・マークとして定着した。
75年には、その頃ちょうどプロデューサー業に転身したアンガス&マルコムの兄ジョージの協力もあり、すんなりとデビュー・アルバム「High Voltage」をリリースすることができた。
このアルバムはオーストラリアでは見事1位に輝き、つづく同年発表のセカンドアルバム「TNT」も1位といきなりオーストラリアのトップ・グループに躍り出た。
しかし、この2枚のアルバムはいずれも国内販売しかしておらず、76年に2枚を編集したアルバム「ハイ・ヴォルテージ」が、イギリスとアメリカでのデビュー・アルバムとなる。
この後イギリスで初のツアーを行った結果、予想を上回る支持を得て、イギリスでも人気・バンドの仲間入りを果たした。
その証拠に77年アルバム「ロック魂」をリリースすると、たちまちイギリスや他のヨーロッパでチャート1位を記録した。
AC/DCはこの後もツアーをするたびに、その場所で人気を獲得していき、アメリカを含むワールド・ツアー後に放った79年のアルバム「地獄のハイウェイ」では、ついにビルボード17位とプラチナ・ディスクに輝き、アメリカをも制覇したのだった。
尚、77〜78年のワールド・ツアー中にベースが
Cliff Williamsクリフ・ウィリアムズに代わっている。

しかし、この絶頂期の80年にヴォーカルのボン・スコットが酒による嘔吐物を喉に詰まらせて死亡するという、バンド最大の危機を迎える。一時は解散説も噂されたが、すぐに彼らはオーディションで後任のヴォーカリストBrian Johnsonブライアン・ジョンソンを探し出し、悲しみを乗り越えて、追悼アルバム「バック・イン・ブラック」を完成させた。
これが、全米4位、ツェッペリンの「IV」のセールス記録(全米ロック・アルバム・セールス1位)1600万枚に次ぐ、1200万枚を売るモンスター・アルバムとなった。
つづく81年リリースのアルバム「悪魔の招待状」も初の全米No.1となり、彼らは名実共に世界No.1のハード・ロック・バンドへのし上がった。
尚、ブライアンの声質はボンに似ており、良いことか悪い事かは別にしてボンの声を少し洗練させてパワフルにした感じだ。最近ではジャーニーがやはりスティーブ・ペリーそっくりな声質のヴォーカリストに代えることでジャーニーサウンドを維持することに成功している。
その後もライブでは、ステージに大砲を持ち込んだり、アンガスのそっくりさんを何人も登場させるなど、常にファンを驚かせて人気を保っている。
83年にはオリジナル・メンバーのフィルが脱退し、
Simon Wrightサイモン・ライト(ds)が加入。90年にはそのサイモンも去り、Chris Sladeクリス・スレイド(ds)が新たに加わった。
そして、92年のライブ・アルバムを最後に一時沈黙するが、95年オリジナル・メンバーであるフィル・ラッド(ds)がまた復帰して、ニュー・アルバム・リリースとツアーを敢行し、元気な姿を見せた。
また2000年には5年ぶりとなるニューアルバムをリリース。19年ぶりの来日も決定している。

彼らを夢見たミュージシャン達

デビュー以来、オーストラリアはもとより、世界中で絶大な人気を誇ってきた彼らを尊敬するミュージシャン達は数多い。
ガンズ・アンド・ローゼズが「ホール・ホッター・ロージー」をカヴァーしているのをはじめ、モトリー・クルー、シンデレラ、アンスラックス、ポイズンなども尊敬するミュージシャンとして、AC/DCを挙げている。
故カート・コバーン(ニルヴァーナ)もAC/DCの代表作「バック・イン・ブラック」のことを、「欠点が一つもない偉大なロック・アルバム」と絶賛していた。
ストレートなブルース・ベースのロックンロールにブギーのエッセンスを加えた彼らのサウンドは、今も尚ハード・ロッカー達の熱い魂を揺がす。(HINE) 
2001.1




High Voltage
Atlantic/EastWest

Dirty Deeds Done Dirt Cheap
Atlantic/EastWest

Let There Be Rock
Atlantic/EastWest

Power Age
Atlantic/EastWest

Highway To Hell
Atlantic/EastWest

Back In Black
Atlantic/EastWest

For Those About To Rock
Atlantic/EastWest

ディスコ・グラフィー

1976年 High Voltage (ハイ・ヴォルテージ)*オーストラリアのみで発売された1stと2ndアルバムを編集した世界デビューアルバム
1976年 Dirty Deeds Done Dirt Cheap(悪事と地獄)*「悪事と地獄」「素敵な問題児」収録。ヨーロッパ進出の足がかりとなった作品
1977年 Let There Be Rock(ロック魂)*イギリスやヨーロッパ各地でNo.1に輝いた出世作
1978年 Power Age(パワー・エイジ)*ベースがクリフに代わって初めてのスタジオ・アルバム
1978年 If You Want Blood(ギター殺人事件AC/DC熱血ライブ)*大規模なワールド・ツアーを収録した初期の集大成的ライブ・アルバム
1979年 Highway To Hell(地獄のハイウェイ)*全米でも人気が爆発し、世界に名前をとどろかせた名作
1980年 Back In Black(バック・イン・ブラック)*ボン・スコット他界直後、悲しみを乗り越えて放った彼らの最高傑作
1981年 For Those About To Rock(悪魔の招待状)*初の全米制覇を成し遂げた記念すべき作品
1983年 Flick Of The Swich(征服者)*初めてバンド自らがプロデュースを手がけた秀作
1985年 Fly On The Wall(フライ・オン・ザ・ウォール)*ドラムに「ソナー・ドラムの鬼」といわれるサイモン・ライトを迎えての作品
1986年 Who Made Who(フー・メイド・フー)*映画「マキシマム・オーバードライヴ」のサントラ曲3曲を含むコンピレーション・アルバム
1988年 Blow Up Your Video(ブロウ・アップ・ユア・ビデオ)*初期の作品を手がけたヴァンダ&ヤングがプロデュースし原点回帰を狙った
1990年 The Razor's Edge(ザ・レイザーズ・エッジ)*ドラムに元ゲーリー・ムーア・バンドのクリス・スレイドを迎えて新たなサウンドを模索
1992年 Live(LIVE)*90〜91年に行われたワールド・ツアーを収録した2枚組
1995年 Ballbreaker(ボールブレイカー)*オリジナル・メンバーのフィル・ラッド(ds)を再び迎え全盛時のサウンドが蘇った
2000年 Stiff Upper Lip(スティッフ・アッパー・リップ)*5年ぶりとなるアルバム発表に合わせ日本も含むワールド・ツアーが決定!



Flick Of The Swich
Atlantic/EastWest

Fly On The Wall
Atlantic/EastWest

Who Made Who
Atlantic/EastWest

Blow Up Your Video
Atlantic/EastWest

The Razor's Edge
Atlantic/EastWest

Ballbreaker
Atlantic/EastWest

Stiff Upper Lip
Elektra/Warner