HELLOWEEN ハロウィン

Written by せいいち

ツインリードを擁したドイツ産カボチャはドラマチックに展開され疾走するジャーマン・パワー・メタル味

 〜ドイツのHRシーンでの先駆者に蠍団ことスコーピオンズが挙げられる。また同じくドイツ発の欧州メタルの開祖的な存在に位置するであろう、メタルバンド、アクセプトの存在がある。
 '70年代終わりから登場しつつあった "NWOBHM"、'82年頃から全米を席巻しつつあったLAメタル・シーンとはまた一線が違い、激しい疾走感がその美旋律の中でヨーロッパ出身らしい解釈のもと展開されるサウンド。
これこそがHELLOWEEN(ハロウィン)の真骨頂だ。
 "典型的ジャーマン・メタル" と称されたサウンド・アクション。そこには常にハロウィンがシーンの牽引者として君臨し成功したのをキッカケに、それまでメジャーと呼ぶには遠い感があった北欧や南欧等のメジャー・シーン不毛の地から各レーベルがこぞって開拓して行き、そして若手バンドにもハロウィン・サウンドを参考にしたであろう、多くのフォロワーを生み出す事となる。
 '90年代から現在までに、欧州各地からの高品質なメロディアス・パワーメタル勢の大きな波動がHM/HRシーンを揺るがしているが、その先には初期ハロウィンが提示して魅せた華麗な "らしさ" の影響が明らかにある。
 名盤と絶賛を受けた「守護神伝」シリーズが、その "らしさ" を植え付け、アルバムはハロウィンの代名詞になって語り続けられていることは素晴らしく思う。
最近('05秋)では、そのハロウィンの創設者でもあった、カイ・ハンセン(g)が結成したバンド「ガンマ・レイ」が新作アルバムを発表。さらに本家でもあるハロウィンがいよいよ新作を発表するとのニュースを聞き、しかも「守護神伝〜レジェンド(新章)」の冠が付いている以上、メロディアスHMファンは期待が膨らむのではないだろうか。
 ジャーマン・パワー・メタルというメタル・ジャンルを確立し、一躍ここ日本でもHMキッズを虜(とりこ)にしてから20年近く経つが、激しいメンバーチェンジによる新陳代謝を繰り返しても、なおバンドは進化中のようだ〜

 現在ではジャーマン・メタルシーンのカリスマ、カイ・ハンセン(vo,g)と、旧友のピート・シルーク(g)が、1978年に地元ハンブルグで「GENTRY」というバンドを発足し活動が始まる。
 その後、1980年にインゴ・シュヴィヒテンバーグ(dr)とマーカス・グロスコフ(b)が加入し、バンド名を「SECOND HELL」と改めた。
 その当時、同じくハンブルグを中心に活動していたバンド「POWER FOOL」に在籍していた、マイケル・ヴァイカート(g)が、1982年頃に「SECOND HELL」からさらに改名した「IRON FIST」で活動していた、カイ・ハンセンを自らが在籍しているバンド(POWER〜)に迎え入れようと誘うが、逆にヴァイキー(ヴァイカートの通称)が「IRON FIST」に加入することになった。
 そうした経緯からカイ・ハンセンとマイケル・ヴァイカートの2人が中心になって出来たバンドがハロウィンの前身だ。
 ドイツ国内のHM系インディーズ・レーベル「ノイズ」からのコンピレーション「デス・メタル・サンプラー」に2曲を提供した1982年から、正式に現在の「HELLOWEEN」(ハロウィン)と名乗るようになった。

 初期のオリジナルメンバーは、
Kai Hansen カイ・ハンセン(vo,g)、Michael Weikath マイケル・ヴァイカート(g)、Ingo Schwichtenberg インゴ・シュヴィヒテンバーグ(dr)、Markus Grosskopf マーカス・グロスコフ(b)の4人。
 ハロウィンは1985年4月にミニ・アルバム「HELLOWEEN」でデビューする。同年11月には1stフル・アルバムになる「WALLS OF JERICHO」を発表する。特にセカンドの「ウォールズ〜」には、カイ・ハンセン作の傑作とも云われている「ライド・ザ・スカイ」やヴァイキー作「ハウ・メニー・ティアーズ」というバンド初期にして代表作なる名曲が収録されている。
 流麗なツインリードから放たれる”泣き”なメロディと共に、疾走感溢れるキャッチーな攻撃的HM(ヘヴィーメタル)サウンドが、早くも欧州から日本へと注目されはじめた。

ドイツの英雄から欧州HMの中心的存在へと昇華させた名盤「キーパー・オブ・ザ・セブン・キーズ」の発表!

 次作の準備をするが、当時のバンドの弱点はギターと兼任であったカイ・ハンセンのボーカルにあった上に、カイ本人もギタリストに専任したいとの意向から、1986年に当時若干18歳で、まだ無名であった
Michael Kiske マイケル・キスク(vo)が選任される。
 当初、「TYRAN'PACE」なるバンドのラルフ・シーパーズ(vo)に要請したものの断られ、ヴァイキーがマイケル・キスクに連絡したが、当のキスクも音楽性の違いから加入するかどうかを一度は悩んだらしい。
 だが、この加入こそが、バンドに新たな息吹を入れただけでなく、サウンドをより強固なモノにし、バンドの代表作でもあり、ジャーマン・メタル・シーンでも重要と位置付けされる名盤「KEEPER OF THE SEVEN KEYS」(守護神伝〜第1章)(1987年発表)を完成させたのだ。
 脅威的な高音域と歌唱力、申し分のない表現力を持つマイケル・キスク(vo)の活躍が、このアルバム「キーパー〜」とバンドをメジャー・レベルに押し上げ、本格的に世界市場を主戦場と睨んだ快進撃が始まる。"ジャーマン・パワー・メタル" としての唯一無二なスタイルが、この「キーパー〜?」にて集約・完成されたと言えよう。また、本作は日本、アメリカでのデビュー・アルバムでもある。
 この頃から、マネージメントに「アイアン・メイデン」と同じ「Sanctuary」と契約を結び、ヨーロッパでの地盤を固めつつ、初のアメリカ・ツアーを敢行。その後、初来日公演も成功させ、多くのHMキッズに迎えいれられたのだ。

 翌'88年に「キーパー〜?」に続くアルバム「KEEPER OF THE SEVEN KEYS」(守護神伝〜第2章)を発表する。
 元々は第1章と2章とが、同じコンセプトを持つスケールの大きい1つのアルバムになる構想であったが、プロデューサーや所属レーベルからの進言、反対もあり、2つの章からなるシリーズ作として別々に発表された。
 マイケル・キスクという専任シンガーを得たことで、カイとヴァイキーの流麗なツイン・リードが、より一層ヘヴィーにメロディアスにと磨きかかり、プレスやファンからも絶大な支持を得ることに成功したのだ。
 しかし、来日中にも内臓疾患で体調を崩していたと伝えられていたカイ・ハンセン(g)は、帰国後1ヶ月間の入院生活を強いられ、'88年の暮れにカイ・ハンセンは脱退を決意したようだ。病気に加えて、厳しいツアーによる日程に不満があったそうで、結果的には'89年正式に脱退が発表になり、後任にはその後約10年間もバンドを支える事となる、
Roland Grapow ローランド・グラポウ(g)(元RAMPGE)が加入する。
 また、カイ・ハンセンはラルフ・シーパース(vo)と共に、GAMMA RAY(ガンマ・レイ)を立ち上げ早々にシーンにカンバックし、'90年にアルバム・デビューを果たしている。

 1990年前後はバンドにとっては多難な時期で、バンド創始者でもあるカイ・ハンセンの脱退とともにレーベルを「ノイズ・インターナショナル」から大手の「EMI」へと移籍を図るが、契約問題で裁判沙汰になってしまうこともあって、アルバム「PINK BUBBLES GO APE」(1992年発表)は当初の予定より大幅に遅れてしまう。(バンドは1年間の活動停止を余儀なくされた)
 本作では、それまでバンドと共に歩んできたプロデューサー/トミー・ハンセンと訣別し、アルバムの方向性を新境地へと向かわせることになる。
 メンバー全員が曲作りに参加し、非常にヴァラエティに富んだ作風ではあるが、逆に整合感に欠ける一面もあるようだ。

 '93年には、再びトミー・ハンセンを呼び戻しアルバム「CHAMELEON」を発表。
 ヴァイキー(g)、キスク(vo),ローランド(g)の3人で4曲ずつ提供された楽曲は、各々のセンスが色濃く出ているものの、その実験的サウンド(ジャーマンHMらしさのない)が、それまでのファンまたはプレスからの賛否両論を巻き起こす問題作となった。
 本作発表前後辺りから、マイケル・キスク(vo)とバンド側との音楽性の違和感からくる確執が語られる様になり、結局は本作を最後にマイケルが脱退(解雇!)
 またさらに、本作に伴うツアーではキスク(vo)の喉の不調でキャンセルされるライブもあり、オリジナル・メンバーでもあるインゴ・シュヴィヒテンバーグ(dr)は病気で体調に問題を抱えており、バンド活動が出来る状態では無かったと聞く。ライブ・ツアー中は、代理ドラマーにリッチー・アビデル・ナビ(dr)が起用されていた。
 その後インゴは残念ながら帰らぬカタチになってしまっている。人の良い性格だったらしく、精神的にも障害(ストレス)があったとも聞くが・・・。

 1994年に入ると、インゴに変わるドラムに元(HOLYMOSES〜GAMMA RAY)の
Uli Kusch ウリ・カッシュ(dr)が、そしてマイケル・キスクの脱退にともない、後任には元(PINK CREAM69)のAndi Deris アンディ・デリス(vo)がそれぞれ選出された。
 この時点のメンバーは、
アンディ・デリス(vo) マイケル・ヴァイカート(g) ローランド・グラポウ(g) マーカス・グロスコフ(b) ウリ・カッシュ(dr) の5人編成。

 脱退したマイケル・キスクの主張から、ここ2作で本来のハロウィン・スタイルから離れていってしまっていたが、このメンバーで、原点回帰を意図したアルバム「MASTER OF THE RINGS」を'94年に発表。
 早くもバンドに解け込んでいるアンディ・デリスが描く、彼独特なメロディ感からくるソングライティングと、バンド側(特にヴァイキー)のアグレッシヴなスタイルに戻そうとの意志が合致した、ポジィティヴな作風が印象的な復活作だ。
 しかし、それでもアンディ・デリスとマイケル・キスクの歌唱法と存在感の違いに戸惑うファンもいたようだ。
 さらに同じ頃、軌道に乗ってきたカイ・ハンセンのリーダーバンドである「ガンマ・レイ」こそが真のハロウィン(ジャーマン・メタルの)継承者だとして観る(聴く)ファン同士の意見の相違などもあり、USでもUKでもない、いわゆる欧州メタル・シーンがさらに熱い時期でもあったのではないだろうか。


 1996年には、前作と同メンバー、同方向性でより楽曲は安定感のあるアルバム「THE TIME OF THE OATH」を発表。
 バンドアンサンブルも強固なモノになり、アレンジ質もよく、メタルでメロディアスでキャッ
チー感もある傑作なのだ。
 このアルバムで一番の存在感を発揮しているのがウリ・カッシュ(dr)で、そのプレースタイルも含め、楽曲提供面での活躍も見逃せない。
 本作に伴う来日ツアーでは10都市13公演もおこない、ハロウィンの日本での新たな人気を決定付けた印象を持つ。

 新たな黄金メンバーと云うべき(vo)アンディ・デリス期での3作目のアルバム「BETTER THAN RAW」(1998年発表)は、前2作よりもアグレッシヴでキャッチーなHM然とした作風。「キーパー〜」色を望むファンからしてみれば、新たな挑戦からであろうハロウィンらしからぬ楽曲群のアプローチに戸惑いがあるものの、いちHMアルバムとしては、充実した素晴らしい出来だと思う。ドラムのウリがやはり本作でも質の高いプレーにソングライティングにと大活躍。しかもマーカス・グロスコフ(b)もソングライティングに参加し、これでメンバー全員が楽曲を提供することになって、バンド内だけでの創作力量の高さと云う意味では好感が持てる。
 本作に伴うライブ・ツアーやフェスティヴァル等をこなしたあと、バンドは各メンバーがソロ活動を行い、1999年には、往年のバンドの名曲たちをカヴァーしたアルバム「METAL JUKEBOX」を発表する。いわゆる企画盤だが、ビートルズデヴィッド・ボウイフォーカスジェスロ・タル、アバ等の意外なバンド名や楽曲で、お遊び心は面白い。

 世紀末と云うわけでは無いだろうが、20世紀最後の2000年にモダンでヘヴィネスな作風を意識したという、アルバム「DARK RIDA」を発表。
 ジャケの黒いダークなイメージ通りで、メンバー不動なアンディ期では、モダンな作風ながらも一番ダークな空気が漂う楽曲たち。
 暗い印象は楽曲だけでなく、このアルバムの制作を機に、それまで不動で強固であったメンバー間に、ただならぬ暗雲が立ち込めたと聞く。
 マネージネントから推薦を受けたプロデューサーにロイ・Zが選ばれる。彼はロブ・ハルフォード(ジューダス・プリースト)の復活劇を演出した立役者の一人だ。
 また、バンド側の意向で用意したプロデューサー、チャーリー・バウアファイントが存在し、異例とも云えるプロデューサー2人体制でのレコーディングが行われる。
 さらなるアメリカ市場を意識したマネージネント・プロデューサー側とバンド・メンバー側との対立があり、さらに、そのメンバー間でも、楽曲の選出や制作過程において不満を特に感じていたヴァイキー(g)とローランド(g)が対立し始めてしまうこともあったようだ。
 ツアー終了後には、やはり音楽的相違ということであろうか、結果最悪なウリ・カッシュ(dr)と、ローランド・グラポウが相次いでバンドを脱退してしまう。(なかば解雇にて)
その後ウリとローランドの2人は、プロジェクトから発展した、同HM系バンド「MASTERPLAN (マスター・プラン)」を立ち上げ活動中だ。

 結局2000年代初めは、新メンバー探しが急務になる。その間に出されるのはやはりベスト盤だ。2002年に「TREASURE CHESE」と題された豪華2枚組で間を繋ぐ中、新ギタリストに
Henjo Richter ヘニュ・リヒター(GAMMA RAY)、ドラムにMark Cross マーク・クロス(元METALIUM)がそれぞれ選出され、新アルバムの準備に取り掛かる。
 だが、リハーサル途中にマーク・クロスは身体の機能が正常に働かなくなってしまう難病になり、ヘニュ・リヒター(g)はバンド活動としての意識、意見の相違(!?)からリハにも参加すること無く、やむなく分解。
 レコーディングに入る中、プロデューサー/チャーリー・バウアファイントから
Sascha Gerstner サシャ・ゲルストナー(g.)を紹介されそのままバンドへ迎え入れる。彼はFREEDOM CALLと云うバンドに在籍していたが、どうやらヴァイキー(g)とウマが合ったようで、サシャはソングライティングもギター・プレーも自分に似ているとベタ惚れの様だった。
 バンドとプロデューサーは難病に陥ってしまったマーク・クロス(dr)の助っ人にミッキー・ディ(現モーターヘッド)を要請する。
彼は数曲新録するが、スケジュールの都合が合わないために残りの数曲とPV収録に、
Stefan Schwarzmann ステファン・シュワルツマン(dr)(元アクセプト〜U.D.O)を起用し、そのまま、ステファンは新メンバーとして迎え入れられた。
 困難が続いたレコーディングは程なく完成し、新作は2003年にタイトル「RABBIT DON'T COME EASY」として発表された。
 先行シングルでもある "ジャスト・ア・リトル・サイン" は、新加入のサシャ・ゲルストナー(g.)が、ギター・ソロを弾き彼の存在感が威感無く発揮され、バンドに貢献しているのだ。
また10年振りとなるアメリカ・ツアーも敢行。HMシーンでのハロウィン節健在を高らかに示したハズであったが、またまた(!)ステファン・シュワルツマン(dr)は、脱退してしまう。何とメンバー・チェンジの多いバンドなんでしょう〜

 そして、この'05年秋に新作が発表されるとのニュースを聞くことになる。
 新ドラマーに
Dani Loeble ダニー・ルブレ(元RAWHEAD REXX)を迎え、新たなメンバーは・・・
アンディ・デリス(vo)、マイケル・ヴァイカート(g)、サシャ・ゲルストナー(g.)、マーカス・グロスコフ(b)、ダニー・ルブレ(dr)

 この5人でなんとあの「守護神伝」の新章を新たに啓示するそうである。
 またこの "新章" には、別ジャンルと云ってよいであろうキャンデス・ナイト嬢が参加(ゲスト)しているとも聞く。先行EPを聴く限りでは、あまりのキャッチーさに戸惑いも感じるのだが、期待と不安が混ざるのもロックだしHMなのだ。これまでのメンバーの入替わりが激しければ、また違った解釈な”守護神伝”になるであろう。
 現在の混沌としグランジ、ミクスチャー、ガレージ・パンク系などと、より細分化されたロック・シーンにHMの王道が意地な一石を投じてもらいたいものだ。
 そして、あの見事に3拍子の揃った、スピード、パワー、メロディからなるハロウィン "らしい良質な" HM(ヘヴィー・メタル)をこれからも音楽ファンに提供して欲しいと願っている。 (せいいち)
2005.10




Walls Of Jericho
Noise/ビクター

Keeper Of The Seven Keys, Pt.1
Noise/RCA/ビクター

Keeper Of The Seven Keys, Pt.2
Noise/RCA/ビクター

Keepers Live
EMI/ビクター

Pink Bubbles Go Ape
Never/ビクター

Chameleon
Never/ビクター

DISCOGRAPHY

1985年 HELLOWEEN(ハロウィン)*デビュー・ミニアルバム。のちに今作+ウォールズ・オブ・ジェリコに名曲ジューダスをプラスしたワン・パッケージ盤もリリース
1985年  WALLS OF JERICHO(ウォールズ・オブ・ジェリコ)*ミニ・アルバム「ハロウィン」に続くフルレンスの1st名曲"ハウ・メニー・ティアーズ"収録
1987年 KEEPER OF THE SEVEN KEYS(PART1)(守護神伝 第1章)*驚異のハイトーンvoマイケル・キスク若干18歳加入。日本デビュー盤
1988年 KEEPER OF THE SEVEN KEYS(PART2) (守護神伝 第2章)*ハロウィンの人気を決定付けさせた傑作、ジャーマンメタルファン必聴
1989年 KEEPERS LIVE(キーパー・ライブ)*キーパー〜2発表後の英国ツアー時を収録した、ミニ・アルバム(英国盤明記、LIVE IN THE UK)
1989年 PUMPKIN TRACKS(パンプキン・トラックス)*当時所属していた"ノイズ" レーベルからのリリースされたベスト盤
1991年 THE BEST,THE REST,THE RARE(ザ・ベスト、ザ・レスト、ザ・レア)*移籍・契約問題の活動停止中に出された初期のベスト選曲盤
1992年 PINK BUBBLES GO APE(ピンク・バブルズ・ゴー・エイプ)*活動が暗礁に乗り上げ、発表も大幅に遅れた。本作から(g)にローランド・グラポウ加入
1993年 CHAMELEON(カメレオン)*キスク、ヴァイキー、グラポウの3人が創作した楽曲は新境地を魅せるが、異質感覚なサウンドが賛否両論で問題作
1994年 KEEPER OF THE SEVEN KEYS I&II(守護神伝 完全版)*元々の構想が2枚組であったが、本作で本来の姿が表現された完全盤
1994年 MASTER OF THE RINGS(マスター・オブ・ザ・リングス)*アンディ・デリス、ウリ・カッシュが加入、ハロウィン様式美を取り戻した復活意欲作
1996年 THE TIME OF THE OATH(タイム・オブ・ジ・オウス)*前作との同路線ながらさらに飛躍、充実した楽曲群でデリス期での最高盤
1996年 HIGH LIVE(ハイ・ライヴ)*アンディ加入後のマスター〜、タイム〜の2作品で人気を取り戻した後に行われた'96年スペインでのライブを収録
1998年 BETTER THEN RAW(ベター・ザン・ロウ)*アンディ期3枚目、ドラマーのウリが提供した楽曲がポイント。よりヘヴイにアグレッシヴなサウンドに
1998年 PUMPKIN BOX(パンプキン・ボックス)*デビュー10周年記念による4枚組ボックス・ベスト。ディスク4では歴代メンバーのインタヴュー収録
1999年 METAL JUKEBOX(ジュークボックス)*メンバー達のルーツ的にある音楽、クリームやフェイス・ノー・モア、スコーピオンズ等の楽曲をカヴァーした企画もの
2000年 DARK RIDE(ダーク・ライド)*タイトル、ジャケ通りのダークさとヘヴィー・メロディアスだが、往年のハロウィン色が薄れた感もあり、どこか物足りぬ
2002年 TREASURE CHESE(トレジャー・チェスト〜ベスト・オブ・ハロウィン)*デビュー時からのコンプリート・ベスト、初期の曲でリメイクも
2003年 RABBIT DON'T COME EASY(ラビット・ドント・カム・イージー)*ローランド、ウリが相次いで脱退。先行EPジャスト・ア・リトル・サインはハロウィン節健在
2005年 KEEPER OF THE SEVEN KEYS(THE LEGACY)(守護神伝〜新章)*新たなメンバーチェンジを図り、新生ハロウィンは扉を開くのか


Master Of The Rings
Raw Power/ビクター

The Time Of The Oath
Raw Power/ビクター

Better Then Raw
Raw Power/ビクター

Metal Jukebox
Raw Power/ビクター

Dark Ride
Sanctuary/ビクター

Rabbit Don't Come Easy
Nuclear Blast America/ビクター