ディスコグラフィー (茶色のタイトルにはアルバム解説があります) ![]() 2.7800°FAHRENHEIT(7800°ファーレンハイト)1985年4月15日 プロデューサー、ランス・クイン 全米37位 全英28位 イン・アンド・アウト・オブ・ラブ(恋の切り札)、TOKYOロード収録。 ![]() 3.SLIPPERY WHEN WET(ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)1986年8月25日 プロデューサー、ブルース・フェアバーン 全米1位(8週連続) 全英4位 '87年年間チャート1位 禁じられた愛、リヴィン・オン・ア・プレイヤー、ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ収録。 ![]() 4.NEW JERSEY(ニュージャージー/ボン・ジョヴィ 4)1988年9月19日 プロデューサー、ブルース・フェアバーン 全米1位(4週連続) 全英1位 '89年年間チャート4位 バッド・メディシン、ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー、アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー収録。 ![]() 5.KEEP THE FAITH(キープ・ザ・フェイス)1992年10月30日 プロデューサー、ボブ・ロック 全米5位 全英2位 アイ・ビリーヴ、キープ・ザ・フェイス、ベッド・オブ・ローゼズ収録 ![]() 6.CROSS ROAD(クロス・ロード〜ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ)1994年10月7日 プロデューサー、ピーター・コリンズ 全米8位 全英1位 サムディ・アイル・ビー・サタディ・ナイト、オールウェイズ収録 ![]() 7.THESE DAYS(ジーズ・デイズ)1995年6月12日 プロデューサー、ピーター・コリンズ、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ 全米9位 全英1位 ジーズ・デイズ、ライ・トゥ・ミー、サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン収録 ![]() 8.CRUSH(クラッシュ)2000年5月17日 プロデューサー、ルーク・エビン、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ 全米9位 全英1位 イッツ・マイ・ライフ、ジャスト・オールダー、サンキュー収録 ![]() 9.BOUNCE(バウンス)2002年9月11日 プロデューサー、ルーク・エビン、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ 全米− 全英−
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ジョン・ボン・ジョヴィ John Bon Jovi(本名ジョン・フランシス・ボンジォヴィ) 1962年3月2日生まれ バンド以外にもテレビドラマ、映画出演等の俳優業もこなす。 ライブでは常に観客の反応に気を使い、盛り上がってないと見るや、セット・リストにない曲をバンドに注文し、周囲を驚かす。バンド内でのプロデュース力、アルバム制作における方向性において、ジョンの首がたてに振るか横に振るかで大きく変わってくるはず。しかし、決してジョン一人のワンマン・バンドでないというのは、各アルバムを聴き、ライブを観てもらえればそれは一目瞭然である。 |
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リッチー・サンボラ Richie Sambora(本名リチャード・スティーヴン・サンボラ) 1959年7月11日生まれ。幼い頃から、アコーディオン、サックス、ピアノ等の楽器を経験。エリック・クラプトンに影響されギターを弾き始める。若くしてCMや映画音楽のスタジオ・ミュージシャンとして活躍し、ボン・ジョヴィ加入前は、ジョー・コッカー・バンドのメンバーとしてツアーにも同行する。ジョン&リッチーのソングライティング能力は、某音楽評論家でレノン&マッカートニー、プラント&ペイジに匹敵すると評価されるほど認められている。リッチーが唄う「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(以前ライブで演奏された)は、渋いギターの演奏と共に想いがこもった唄いっぷりに感激させられた。 |
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デヴィッド・ブライアン David Bryan(本名デヴィッド・ラッシュバウム) (セカンド・アルバムのリリース前に本名のラッシュバウムからブライアンに変えている。本名はブライアンがミドルネーム) 1962年2月7日生まれ 父親(ジャズ・ミュージシャン)の影響のせいもあって7歳の時からピアノを始める。ディープ・パープルのジョン・ロード(key)の影響でロックに興味を持った。 ジョンとはデビュー前から付き合いがあり、「Runaway(夜明けのランナウェイ)」をジョンと共に2人でロサンゼルスに売り込みに行っている。 |
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アレックス・ジョン・サッチ Alec John Such(本名同じ) 1953年11月14日生まれ オリジナル・ベース・プレーヤーでもあった彼は、15歳でニュー・ヨークからニュー・ジャージーに移り住み、以後数々のローカル・バンドで活躍。リッチーとも“ザ・メッセージ”というバンドで競演したことがある。 ボン・ジョヴィ時代にはライブ中にもかかわらず、実弾入りのピストルを所持していたとの疑いがあったりと、バンド一のワルなイメージがある。 「キープ・ザ・フェイス」リリース後、脱退を表明する。 |
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ティコ・トーレス Tico Torres(本名ヘクター・サミュエル・トーレス) 1954年10月7日生まれ 11歳でギターを始めたが、元々はDJが志望だったらしい。 17歳でプロ・ドラマーになり、主にスタジオミュージシャンとして活躍する。知り合いだったアレック(b)に誘われ、ボン・ジョヴィに加入。 際立ったテクは目立たないが、彼が叩く力強いビートがボン・ジョヴィ・サウンドをより強固なものにしている。 |
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ヒュー・マクドナルド Hugh McDonald(本名等細かいデータは不詳) A.J.サッチ(b)の後に“助っ人”としてボン・ジョヴィをサポートする。この人もジョンとはデビュー前から親交があり、またボン・ジョヴィのことも知っていたので、すんなりとベースをプレーしている。「夜明けのランナウェイ」のベースはこの人。 彼も堅実(かなり地味目だが)で、他のメンバーの引き立て役に回っている。だからこそ「キープ・ザ・フェイス」の時のプレー(ライブ時)は是非見て頂きたい。(一番ベースが目立つところだ) |