80年代末期からのラップ・ブームにうんざりして洋楽から遠ざかり、すでに5,6年が経っていたある日の事、車で高速道路を移動中、たまには洋楽でも聞くか・・・と、ラジオのスイッチを入れ、あまり期待もせずにFM局をあちこち回してみた。
だが、やはりどこの局でも相変わらずラップばかり、いつまでこんな状況が続くのだろうとあきらめてスイッチを切ろうとした瞬間、なんとも心安らぐようなピアノの調べが聞こえてきた。
少し耳を傾けてみると、ストリングスが加わりファンキー調のリズムに変化。「う〜ん、なかなかカッコイイ!ブラックでも(まだ白人とは知らなかった)こんなに洗練されたサウンドのアーティストがいたんだ!?」と感心して聞いていた。
そして曲がサビにさしかかると、再び効果的なストリングスと巧いベース・ラインが響き渡り、その後強引ともいえる曲展開でフュージョン風サウンドへと変化する。
「うわっ、すごいセンスだ!!滅茶苦茶カッコイイ!!」思わず運転中にも関わらず感動で目が潤んだ。
これは「バーチャル・インサニティ」という曲で、歌っているのはイギリスの白人だったということは、後になって知りビックリした。
イギリスにはときどき突然変異的にこういう天才アーティストが出現する。幼少期からの音楽との関わり方や環境が日本とはまるで違うからだろうか!?
さっそくこのCDを探しにお店へ行くと、すでにフェラーリのマークにも似た謎めいたジャケット(これも後からJKがフェラーリ好きだとわかった)の本作がズラリと並んでいた。これを見て期待はさらに高まり、久しぶりに心躍らせながらCDを買って帰った。
驚くことに、アルバムを聴いてみると、このバンドはただのホワイト・ファンク・バンドなどではなく、ジャズ、クラシック、ロック、レゲエ、ヒップホップからラテン、ボサノバなどのワールド・ミュージックに至るまで、あらゆる音楽を飲み込み、高次元でバランスをとりながら、それまでのどのジャンルのバンドでもなし得なかったような異次元の世界へ到達している。しかも演奏がまた巧い!ちなみに
ジェイソン・ケイ(JK)は自らのサウンドをエレクトロ・ファンク・ロックと語っていた。
1は冒頭にも触れたように素晴らしい曲で、そのノリを保ったままセカンド・シングルの2へと続く。この2曲目は、70年代ディスコ・サウンドを意識して作られているが、大ヒットしたことで、良くも悪くもその後のジャミロ・サウンドの方向性を決定づけてしまった(個人的には悪い方へ作用したと判断)。
3はラテン・リズムから始まるが、途中にはジャズ・フレーバーが効いて、ジャミロらしさが出ている。
6はロック色の強いナンバー。途中のギターソロも如何にもロック風で、スクラッチやデジタル音、見事なホーンアレンジなどアース・ウインド&ファイアを彷彿とさせる。
アルバム評などでは、酷評が多いディジリドゥー(didgeridoo オーストラリアの先住民族アボリジニの伝統楽器)を大きくフューチャーしたインストゥルメンタル・ナンバー、8,9も個人的にはとても好きだ。プログレッシヴなこういった曲が入っていてこそ、ジャミロ・サウンドだと思えるのだが・・・。
話は逸れるが、実際に見に行ったコンサートでも、ディジリドゥーをフューチャーした曲「スーパーソニック」(次作シンクロナイズドより)を延々10分以上も演奏し、そのカッコ良さに圧倒された。フロントマンのJK自身、この曲こそアルバム中のキー・ソングだと語っている。
10は再びロックをかなり意識したナンバーで、出だしのビートも早い。ここではスチュアート・ゼンダーのベース・ソロも披露され、その巧みなプレイの片鱗を覗かせる。(実際ライヴではもっと巧い)しかし、スチュアートはこの後脱退してしまい。これが聞き納めになってしまった。残念。
全体を通して、本作は実にアナログ感覚にこだわりを感じる。80年代以降、デジタル楽器やデジタルレコーディング技術の急速な発展によって、たいした才能もないミュージシャンが、お手軽なデジ・ポップ・サウンドや、下手な演奏をパンクだのグランジだのと言ってごまかす風潮が蔓延していた。だが本作は、それらを一掃するような、確かな演奏テクニックと高度な音楽性の中から生まれたすばらしいアルバムだ。これを聞いて、時代だからしょうがないと諦めていた自分も、目を覚まされた想いがする。(HINE)
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