ULI JON ROTH ウリ・ジョン・ロート

1954年12月18日、ドイツのハノーバー、ディッセルドルフで生を受けたUlrich Rothウルリッヒ・ロートは、少年時代トランペットを吹き、クラシック音楽を愛聴していたが、13歳の時にバンド仲間に入りたくてギターへ転向。その後TVでジミ・ヘンドリックスがプレイしているのを見て衝撃を受け、クラシック・ギターと併行してエレクトリック・ギターの練習も始めるのだった。このジミ・ヘンドリックスとの出逢いこそ、その後の彼の人生を大きく左右する一大事であったのだろうということは容易に察しが付く。
異常なまでのジミ崇拝は、どんどんエスカレートし、ついにはジミの最後の恋人までも手に入れることになる。しかし、彼女がウリを選んだのは、ギタリストとしてジミの意志を継承するにふさわしい人物であったからに他ならない。
スコーピオンズでの成功を捨て去り、セールスなど無縁のところで自らの音楽とギターを追求しつづける姿に、人々は彼を「ギター仙人」と呼ぶ。

その後、72年〜73頃にDawn roadBlue Infinityというバンドを経て、74年地元の音楽仲間マイケル・シェンカー(ex.スコーピオンズ〜UFOMSG)に薦められスコーピオンズへ加入。ここでいきなり、その持てる才能を見事に開花させ、あっという間に「ウルリッヒ・ロート」と「スコーピオンズ」の名を世界に知らしめた。ところが4枚のスタジオ作と1枚のライヴ盤を残し、あっさりとスコーピオンズを脱退。スコーピオンズは、今まさに世界のビッグ・スターへ仲間入りしようという、その最中にあったのにだ・・・。しかもその後エレクトリック・サンを結成して発表したアルバムは、どうみても、セールスを当て込んだレコード会社を無視した、かなり自己満足的なものであった。彼がスコーピオンズを辞めた理由は、ソロの方が儲かるから的なものではなく、自己の音楽を追求したいという純粋なものであったことを、はっきりと見て取れる行動でもあった。

ジミ・ヘンドリックスの魂に捧ぐ

ジミ・ヘンドリックスの元恋人でイラストレーターのモニカ・ダンネマンと知り合ったのは、スコーピオンズ時代のヴァージン・キラー・ツアー中で、モニカの方から近づいてきたのだという。当時ジミ・ヘンドリックスの再来と騒がれていたのは、フランク・マリノロビン・トロワーなどもいたが、彼らはあくまでジミのプレーの激しさや音色だけを取り入れていたに過ぎず、根本的な要素、つまりジミが持っていた幅広い音楽性や新しい音楽の創造というレベルまでは到達していなかった。ところがウルリッヒはデビュー当時から少し違っていた。ジミのトリッキーな部分だけでなく繊細な部分や壮大な世界観までも官能的なフレーズで再現しようとしていた。「ジミ・ヘンの幻影から逃れられなかったモニカが唯一認めた80年代(未来の意)のジミヘン」と、かの伊藤政則氏もレコード・ライナーで述べている。
モニカと出逢ってからのウルリッヒは、もう何かに取り憑かれたような状態で、とてもいっしょにやっていけるような状況になかったとルドルフ・シェンカー(スコーピオンズのリーダー)も後で語っていた通り、まもなくスコーピオンズを去り、78年にエレクトリック・サンを結成した。当初のメンバーは、オーディションで選出した
Clive Edwardsクライヴ・エドワーズ(ds/元パット・トラヴァース・バンド)とUle Ritgenウレ・リトゲン(b)(当時のライナーにはウル・リッツェンと書かれている)で、ファースト・アルバムのレコーディング終了時には、ドラムがSidhattaGautamaシダッタ・ゴータマに替わっている。
翌79年に発表したファーストアルバム「天地震動〜ジミ・ヘンドリックスの魂に捧ぐ」では、ウルリッヒのクレジットも「ウリ・ロート」に変更され、サブタイトルの通り、全編ジミ・ヘンへのオマージュに近い作品で構成されている。ジャケットはモニカのイラストで、少々宗教っぽいが神秘的でなかなかいい。話は少し逸れるが、このイラストのタイトルは「ライジング・フォース」と言い、後にイングヴェイ・マルムスティーンが付けたバンド名と一致する。このことからもイングヴェイがウリから多大な影響を受けていることは明白だろう(ローカル・バンド時代にスコーピオンズの曲をカヴァーしていた記録もある)。
話は戻るが、このアルバムにはもう1つ、注目すべき点として東洋思想が随所にちりばめられていることがあげられる。ジミヘンが活躍していた当時のサイケデリック期には、よくこういった東洋思想に傾倒するミュージシャンがいた。ウリの場合77年にスコーピオンズの一員として来日した際、「荒城の月」と「君が代」をプレイしているが、その時「日本のステージでは自分のプレイがいつもとは違っていることに気づいた。どういうわけか自分はプレイの中に日本調の旋律を使うようになっていた。」と本人が語っている通り、来日後自分のプレイが東洋調の曲によく合うことを知り、ジミもまたサイケデリック期の中で、直接的にではないにしろ、東洋思想に何らかの影響を受けていたことを感じ取ったのだろう。
いずれにしろ、このエレクトリック・サンの1st.アルバムは、アートワークも含めウリがこの時点で理想としていた音楽に近い、とても完成度の高い作品に仕上がっている。唯一難があるのは、スコーピオンズ時代から時折聞かせていたウリ自身のヴォーカルだ。なんとかならないものか・・・(苦笑)
この後、79年9月にドイツで念願のノエル・レディング(b)、ミッチ・ミッチェル(ds)両氏(元ジミ・ヘンドリックス・エクスペリアンス)と共演。81年エレクトリック・サンのセカンド・アルバムである「ファイヤー・ウインド」をリリースした。基本路線は前作と変わらず、前作でも「天地震動」という10分以上にも及ぶ大作があったが、それに匹敵する「エラノ・ゲイ(ヒロシマ・トゥデイ)」という曲が入っている。しかもこれは組曲になっていて、その後のウリの方向性へと導く大作曲でもあった。
その後しばらく沈黙していたウリは、83年になってマネージメントも新たにイギリスのメジャー・レーベルEMIと契約する。また、この頃からイギリスに移住し、モニカ・ダンネマンとの同棲生活を始めたらしい。

新たなる領域への挑戦〜スカイギターと共に

EMI移籍後初のアルバム「アストラル・スカイズ〜天空よりの使者」は、豪華な参加メンバーもさることながら、宇宙や太陽信仰をテーマにしたそれまで以上に壮大な内容だった。特に終盤の「エレイゾン」〜「サン・オブ・スカイ」では、オペラチックな曲構成とコーラス、それに全身全霊をかけたようなギター・プレイを絡ませ、そのスケールの大きさは、それまでとは格段に違っていた。ちなみに主な参加メンバーも記しておくと、ウレ・リトゲン(b)、クライヴ・バンカー(元ジェスロ・タル/ds)、マイケル・フレクシグ(後ZENO/vo)の他、ジーノ・ロート(ウリの弟)、ニッキー・ムーア(元SAMSON)など数名のバック・ヴォーカルで構成されている。また、特筆すべきは、このアルバムからウリが独自開発した例の「スカイ・ギター」を使い出したということだろう。このオリジナル開発ギターは、通常のギターが21〜24フレットであるのに対し、なんと30フレットもある(現在はもっと進化している)。これにより超高音までギターの音域を広げることが可能になり、フレーズの幅も格段に広がって表現力も増した。まさにこのアルバムは今日のウリ・サウンドの原型であったといえるだろう。
ところが、このアルバム発表後のツアーを最後に、ウリの消息はパッタリと途絶え、日本へもまったく情報が入ってこなくなった。
ベーシストであったウレ・リトゲンは、エレクトリック・サン在籍中の83年には、すでにウリの弟ジーノ・ロートと共に新しいバンド(ZENO)用のデモテープ作りに励んでいたが、84年には正式にZENO(ジーノ)の一員として再スタートを切っている。リトゲンは、その後フェア・ウォーニングを結成し、日本でも大きな人気を得ることになるのは、ファンならよくご存じであろう。
一方ウリの方だが、90年代に入りやっと「クラシック音楽とロックを融合した」とか、「スカイギターをさらに改良して7弦になった」といった噂が聞かれるようになってきた。また91年には、ドイツでジャック・ブルース(ex.クリーム/b)やジョン・ウェットン(ex.キング・クリムゾンユーライア・ヒープUK〜エイジア/b,vo)、サイモン・フィリップス(TOTO/ds)らとの共に「ジミ・ヘンドリックス・コンサート」に出演していたらしい。ウリに「ギター仙人」というニックネームが付いたのはこの頃だろうか・・・。
実際にウリは、93年頃からニュー・アルバムの準備をするために活動を再開していたが、構想はどんどん膨らむばかりで、いつまで経ってもリリースには至らなかった。そのうちに、ウリの壮大な構想は「The Legend Of Avalon」という3部作へと発展し、96年になってやっと、その序章である「プロローグ・天空伝説」が完成した。
このアルバムは、ウリ自らがディレクターを務めるスカイ・オーケストラをバックに、マイケル・フレクシグ、トミー・ハート(フェア・ウォーニング/vo)というリード級のヴォーカリストを2人も据えて、オペラ風の掛け合いをさせる豪華でスケール感のある内容だった。ウリの弾くスカイ・ギターの音色は、まるでヴァイオリンなど弓で弾く弦楽器を想わせる。
このアルバムの発表で、やっと本格的に活動が軌道に乗るかと思われたが、その続編となる3部作の計画は、ウリにとって最も衝撃的な事件によって崩壊してしまう。最愛の恋人モニカがこの世を去ってしまったのだ。しかも死因は自殺らしい・・・・。ウリにとって心の支えに等しい存在を失ってしまったというショックは計り知れないものだ。スカイ・オブ・アヴァロンの続編も、モニカに捧げる「REQUIEM FOR AN ANGEL」とタイトル変更することが発表され、現在も製作中とのことだ。
しかし、悲しみをパワーに変え、ウリは再び積極的にライヴ活動を再開。まず98年にジョー・サトリアーニ、マイケル・シェンカーと共にヨーロッパG3ツアーを敢行した。(G3ツアーとは、もともとはサトリアーニが中心となり、アメリカを代表するスーパー・ギタリストの3人、サトリアーニ、エリック・ジョンソン、スティーヴ・ヴァイが集まってジョイント・ツアーをしたもので、そのヨーロッパ版ということで、欧を代表するマイケルとウリが選ばれたのだろう。)
その後も精力的にコンサートや次作のための準備も兼ねたセッションを行い、2000年にはヨーロッパG3ツアーを含むそれら近年のライヴやセッションなどをまとめ、2枚組のアルバム「天上の至楽」として発表した。またこのアルバムでは、クラシック音楽の名曲の主旋律をスカイギターで弾いてしまうという神がかり的なパフォーマンスや、故ジミ・ヘンドリックスの曲をカヴァーするなど、内容的には少々散漫だが、ウリの健在ぶりを示すには十二分な力作だった。
さらに2002年にも2枚組のライヴ盤「ライヴ・アット・キャッスル・ドニントン」をリリース。こちらはマイケル・シェンカーを含むUFOの3人との共演や飛び入りしたジャック・ブルースとの即興ライヴなど聞きどころ満載。この(ほとんど)UFOとの共演は、G3ツアーの際、例によって途中で失踪してしまったマイケルがお詫びとして出演したため実現したという話だ。特にUFOの曲では、ウリがマイケルのフレーズを完全コピーしていて、2人で多重録音のツインリードを生で演ってしまうという感動ものの演奏が聞ける。普通ならこんなに有名なギタリストが、他人の曲をここまで正確にコピーしてくることは考えられないのだが・・・ウリの真面目さや完璧主義がそうさせたのだろうか!?それとも「ちゃんとやれよ!」というマイケルへの無言の忠告なのか!?本家UFOのライヴでも、こんなに完璧なツインリードは聞いたことがない。
そしていよいよ2003年、待ちに待った18年ぶりのスタジオアルバムが完成。「メタモルフォシス-天界の旅-」と題されたこのアルバムでは、クラシックの名曲中の名曲、ヴィヴァルディの「四季」の主旋律であるヴァイオリンのフレーズを1音残らず8弦31フレットに進化したスカイギターで完全再現。それにオリジナルにはない第5楽章をウリ独自の解釈で付け加えるといった凄い内容。このアルバムを聞いたすべての人は「ギター仙人」というニック・ネームが決してオーバーではないことを知るだろう。

ジミ・ヘンドリックスは、生前ほとんどのサウンド・アプローチをやりつくし、もし次にやっていたとしたらオーケストラとの何らかのコラボレーションであっただろうと、以前ジミの側近にいた関係者が語っていた。ウリがそのことを意識してオーケストレーションに取り組みだしたのかは定かでないが、その意思を継いだとしても、すでにジミの領域を遙かに超え、ウリ独自の世界を完成させたと言っても過言ではあるまい。だが、ギター仙人ウリ・ジョン・ロートの修行の旅は、まだまだ果てしなく続きそうである。(HINE)2003.10



EarthQuake
RCA/BMGビクター

Fire Wind
RCA/BMGビクター

Beyond the Astral Skies
EMI/東芝EMI

From Here to Eternity
Dressed to kill

ディスコグラフィ

(Uli Jon Roth & The Electric Sun)
1979年 Earthquake(天地震動〜ジミ・ヘンドリックスの魂に捧ぐ)
*ジミ崇拝をモロに出した初期ウリ・サウンドの総決算
1981年 Fire Wind(ファイヤー・ウインド)
*壮大な組曲を作るなど、その後のサウンドへの橋渡し的作品
1984年 Beyond The Astral Skies(アストラル・スカイズ〜天空よりの使者)
*オペラティックなコーラスを導入しはじめた
1985年 Electric Sun
*エレクトリック・サン時代の3枚をカップリング
1998年 From Here to Eternity
*1st.と2nd. にSky of Avalonのアルバムを加え、さらにウリ作曲のピアノ曲(自動演奏)が12曲も入っている

(Sky Of Avalon)
1996年 Prologue To The Symphonic Legends(プロローグ・天空伝説)*3部作の序章らしいが、残りははいつ・・・

(Uli Jon Roth)
2000年 Transcendental Sky Guitar(天上の至楽)*ヨーロッパG3ツアーやドン・エイリー(key)とのライヴセッションも含む2枚組アルバム
2002年 Legends of Rock: Live at Castle Donnington(レジェンド・オブ・ロック ライヴ・アット・ザ・キャッスル・ドニントン)
*マイケル・シェンカー(g)やジャック・ブルース(b)との共演を含む熱演ライヴ。
2003年 Metamorphosis(メタモルフォシス-天界の旅-)*ヴィヴァルディの「四季」をギターで完全再現。オリジナル第5楽章も追加



Prologue To The Symphonic Legends
Snapper/Zero Co.

Transcendental Sky Guitar
Steamhammer/日本クラウン

Legends of Rock: Live at Castle Donnington
SPV/日本クラウン

Metamorphosis
SPV/日本クラウン