ROUGH DIAMOND ラフ・ダイアモンド




Damon Butcher デモン・バッチャー(ブッチ)/キーボード-------(クレムスンの友人)
Dave "Clem" Clempson デイヴ・クレム・クレムスン/ギター-----
(元コラシアム〜ハンブルパイ)
David Byron デヴィッド・バイロン/ヴォーカル-------------
(元ユーライア・ヒープ)
Geoff Britton ジェフ・ブリットン/ドラムス---------------
(元ウイングス)
Willie Bath ウィリー・バス/ベース・ギター---------------
(ブリットンの友人)
(上写真左から右)

70年代後半、いくらユーライア・ヒープの人気が下降線をたどっていたとはいえ、バイロンの解雇には正直ビックリした。バイロンはリーダーのミック・ボックス(g)とは、ヒープ結成以前からのバンド・メイトであったし、ヒープの魅力と言えば、ミックには悪いが、はっきり言ってバイロンのヴォーカルとケン・ヘンズレー(key)のミステリアスな曲がほとんどの部分を占めていたのだから・・・。もし、音楽的な対立があったとしたら、辞めるべきは他のメンバーの方であったはずだ。バイロン脱退劇の真相は当時はっきりとは表明されなかったが、噂によると、ひどいアルコール中毒で素行が極めて悪かったとか、中途加入したジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン〜ロキシー・ミュージック、後UK〜エイジア/b,vo)との折り合いが悪く、彼を気に入っていた他のメンバー達との間に深い溝ができていたとか・・・。
ともかく、このラフ・ダイアモンドの主役でもあるバイロンの解雇というニュースは、リスナーのみならず、多くの同じミュージシャン仲間達にも衝撃を与えた。
そんな中の1人、元ウイングス('75〜'76「ヴィーナス&マース」期)のドラマーであったブリットンも、このニュースに大きなショックを受け、すぐにバイロンへ連絡して、ニュー・バンド結成の話を持ちかけた。実は、ブリットンは70年にユーライア・ヒープのオーディションを受けたことがあり、その後のヒープの活躍ぶりに、自分がもしヒープに入っていたなら・・・という想いも強かったのではないだろうか。
ともかく、このブリットンからの連絡を受けて、バイロンはラフ・ダイアモンド結成へ向け、準備を進めることになる。2人は、ニュー・バンド構想についてミーティングを重ねた後、スティーブ・マリオット(元スモール・フェイセズ〜ハンブル・パイ/vo,g)の米ツアーに同行していたクレムスンとブッチがイギリスへ戻ってきたところを捕まえ、バンドへ引き入れた。クレムスンは、エリック・クラプトンに刺激されてブルースに目覚め、ベイカルー・ブルース・ラインでプレイした後、ジャズ・ロックのテクニカル集団コラシアムへ参加、その後ピーター・フランプトンの後釜としてハンブル・パイで名を上げた腕利きギタリスト。ブッチは7歳からピアノを習いクラシックの勉強をしていたというクレムスンの友人。
そして最後に、ブリットンの紹介で、彼の古くからの友人であるバスをメンバーに迎え、ラフ・ダイアモンドは活動を開始した。
76年〜77年にレコーディングされた彼ら唯一のアルバム「ラフ・ダイアモンド」は、順調に仕上がり77年中にリリースされた。しかし、これだけのスーパー・グループにも関わらず、期待に反してほとんど話題にはならなかった。77年と言えばイギリスはちょうどパンク&ニューウェイヴ旋風が吹き荒れ、おそらくヒープやハンブル・パイ同様、オールド・ウェイヴとして扱われたことは容易に察しが付く。
だが、実際にそういった偏見を抜きにして今聞いてみても、発展途上な部分が多く感じられ、サウンド全体とバイロンの声がうまくマッチしていない。それでは全然ダメかというと、そうでもない。ジャズ・シンガーの母を持ち、5〜6歳の頃からTV出演していたバイロンの実力や、名バンドを渡り歩いたクレムスンのギターの腕前を今更持ち出すまでもなく、彼らの唄や演奏は上手いし曲も悪くない。しかし、ほとんどの曲がクレムスンのペンによるせいか、全体的にハンブル・パイ寄りのストレートでピュア・ロックっぽいものが多く、バイロンの声が浮いてしまっているのだ。こういったサウンドには、やはりスティーヴ・マリオットやロッド・スチュワートのような、少々荒々しい感じのヴォーカルの方がよく似合うはずだ。天(地獄?)まで突き抜けるようなバイロンのクリアな声には、もう少し壮大でドラマティックなサウンドの方がイメージが合う。
だが、このアルバムのラスト3曲では、バンドの持つ潜在能力や器の大きさを垣間みせる、スケールの大きな曲が並ぶ。後半フュージョンっぽい展開に変化する「ホーボウ」から、静かに流れ込むようにブッチのピアノが大きくフューチャーされた「ザ・リンク」へとメドレーでつながる。このあたりはクレムスンとブッチのプレイヤーとしての高い資質が光る。そして最後の「エンド・オブ・ザ・ライン」こそ、ヒープやハンブル・パイでもみられなかった、ラフ・ダイアモンドのオリジナル・サウンドと言うべき曲で、プログレとブルースを融合させたような新鮮なサウンドだ。さすがにこの曲では、バイロンのヴォーカルもバッチリと合っている。過去にもブラインド・フェイスなどが、プログレとブルースの融合サウンドを試みていたが、このラフ・ダイアモンドの曲の方が数段完成度は高い。もっとも、ブラインド・フェイスがやっていたのは69年で、まだプログレさえもはっきりとは認知されていなかった時期、チャレンジしていたこと自体がすごかったのだが・・・。
これらラスト3曲が、ラフ・ダイアモンド・サウンドの完成型だとしたら、きっと次に発表されるべきアルバムは素晴らしかったに違いない。もう1枚アルバムを残してくれていれば・・・と惜しまずにはいられない。
このたった1枚のアルバムを残して、バイロンはソロ・アルバムを製作するためにバンドを脱退。同年中に自身2枚目のソロ・アルバム「Baby faced killer
をリリースしている。しかし、それを最後にバイロンはすっかりロック界の表舞台からは姿を消し、アルコール漬けになってしまったようだ。その後81年、元キング・クリムゾンのメル・コリンズ(sax)らとザ・バイロン・バンドを結成しアルバムも1枚リリースして再起を図ったが失敗。次にバイロンのニュースが入ってきたのは85年、アルコール中毒が原因で他界したという悲しい知らせであった。
ラフ・ダイアモンドの方は、バイロン脱退後、Garry Bellというヴォーカリストを迎え、バンド名もChampionに変更して再スタートした。その後、ブリットンも脱退し、替わりにJeff Rich(後ステイタス・クォー/ds)が入り79年にアルバム「Champion」をEpicから1枚だけ 発表している。
クレムスンは、この後は主にジャック・ブルース・バンドで活躍し、再結成コラシアムへも参加。最近では2001年に異色の弦楽四重奏ポップで話題になった女性4人組、ボンドのアルバムへセッション参加している。
その他のメンバーでは、ブリットンは、マンフレッド・マンのアルバムへ参加した以外、その後特に目立った活動はみられない。ブッチはセッション・プレイヤーとしてポップ・グループのアルバムなどで今でも活躍中。バスについてはまったく消息がつかめていない。(HINE)
2002.6

音源&資料提供協力:大国さん、「Rock Avenue」Shinさん  情報提供協力:フィニルさん


ラフ・ダイアモンド
Rough Diamond


1977年 Island/東芝EMI

SIDE-A

1.ロックンロール
 
Rock'N' Roll

2.ルッキン・フォー・ユー
 
Lookin' For You

3.ロック&キー
 
Lock+Key

4.シーソング
 
Seasong

SIDE-B

1.バイ・ザ・ホーン
 
By The Horn

2.スケアード
 
Scared

3.ホーボウ
 
Hobo

4.ザ・リンク
 
The Link

5.エンド・オブ・ザ・ライン
 
End Of The Line