BOSTON ボストン


驚異の新人バンド

ロック界のオタク系ミュージシャンと言えば、100種類以上の楽器を1人でオーヴァー・ダビングして曲(チューブラー・ベルズ〜映画エクソシストのテーマ曲)を作ったマイク・オールドフィールドと自宅を大手レコーディング・スタジオ並に改造し、ミックスダウンに1年以上かけてしまうこのボストンのトム・ショルツが有名だが、どちらの残した作品にも時代に左右されない不変の素晴らしさがある。
ミュージシャンなら、1度は好きなだけ時間をかけて満足のいく仕事をしてみたいというのが理想であろうが、ボストンのように毎回好きなだけ時間をかけて、26年間でたった4枚のアルバムしかリリースしていないというバンドは、世界広しと言えども皆無であろう。
デビュー当時は“プログレ・ハード”という当時最先端のロックを演っていた彼らだが、今となってはそれも珍しくない。しかし、曲の良さや緻密に計算されたギターとヴォーカルのハーモニーなどは今も尚、輝きを失ってはいない。

Tom Scholz トムショルツ/ギター、キーボード
Brad Delp ブラッド・デルプ/ヴォーカル、ギター
Barry Goudreau バリー・グドロー/ギター
Fran Sheehan フラン・シーハン/ベース・ギター
John "Sib" Hashian ジョン“シブ”ハッシャン/ドラムス

工学系では有名なマサシューセッツ工科大卒のギタリスト、トム・ショルツが機材に興味を持つのは自然の成り行きだが、その入れ込みようは尋常ではなかった。
ポラロイド社の研究員として働いていたシュルツは、あるイベントで知り合ったグドローのいたローカル・バンドにキーボード・プレイヤーとして加入することとなった。その中でショルツはすぐにギターも練習してマスターすると、様々な音楽機材を自在に操りだし、しばらくすると実質バンドのリーダー的存在になっていた。そして、なんとショルツの自宅地下室をスタジオに改造し、いつしかプロでもあまり使えない最新のレコーディング機材を揃えるまでになっていた。
その自宅スタジオでショルツは1人で曲を書き、すべての楽器をこなしつつ、こつこつとデモ・テープを作成した。むろん最新機材に囲まれ、溢れる才能と知識を持ったショルツの手にかかれば、通常の素人が作ったデモ・テープとは次元の違う、完璧なものであったらしい。
同年このデモ・テープはエピック・レコードの目にとまり「現在可能なたいていのレコードより素晴らしい」と絶賛され契約が成立。すぐにメンバーを集め、デモ・テープを忠実に再現するようレコーディングを開始した。その後さらにオーヴァー・ダビングを半年近くに渡って繰り返し、76年になってやっとファースト・アルバム「幻想飛行」としてリリースした。
このアルバムはとてもデビュー作とは思えないような完成度で、たちまち爆発的な人気を呼び、全米3位、1000万枚という驚異的なセールスを記録。またシングルでも「宇宙の彼方へ」が全米5位の大ヒットを記録したのをはじめ、「ロング・タイム」「ピース・オブ・マインド」がスマッシュ・ヒットして、当然日本でも大ブレイクした。
ボストンのサウンドは宇宙的な広がりを感じさせるプログレっぽいメロディアス・ハードロックで、やはり当時注目を集めていたカンサスジャーニーなどと共に、“プログレ・ハード”というジャンルを切り開いた。だが、驚くべきは、ボストンのサウンドにはシンセサイザーは一切使用していないという点だ。それにも関わらず、この音の広がりはいったい何であろう?幾重にも重ねられた分厚い音のハーモニーがシンセサイザーっぽい効果を生んでいるのであろうか・・・。
この売れ行きを見て、セカンド・アルバムのレコーディングはすぐに行われた。通常勢いのあるうちに次のアルバムを出して、人気を不動のものにしようとするのが普通あり、デビュー直後ならなおさらのことだ。彼らもまたそうしようと動きだし、そのニュースは日本へも伝わってきた。
だが、いくらたってもニュー・アルバムはリリースされない。その代わりに届いたのは2度に渡る発売延期の知らせだった。
その間何をやっていたのかというと、ショルツがマスター・テープを持って自宅のスタジオにこもり、延々とオーヴァー・ダビング&ミックス・ダウン作業を繰り返していたらしいのだ。
ファン達はそんなことは知るすべもなく、発売延期が伝えられる度に、ただやきもきし、期待は高まるばかりだったが、78年になってようやくリリースされたセカンド・アルバム「ドント・ルック・バック」は、そういったファン達の期待に応えて余りあるほどの素晴らしい出来であった。
このアルバムは見事全米No.1に輝き、シングルでも「ドント・ルック・バック」(全米4位)「ア・マン・アイル・ネバー・ビー」(全米31位)「フィーリン・サティスファイト」(全米31位)と大ヒットを連発した。
翌79年には来日も果たし、ニュー・アルバムもその後制作にとりかかるとの情報が流れたが、またもや彼らは沈黙に入ってしまう。
「どうせまたすごいアルバムを作っているんだろう!?」・・・と誰もが思っていたはずだが、2年,3年と月日はいくら流れてもいっこうに音沙汰がない。そのうち「解散してしまったのでは?」という噂まで飛び交うようになっていた。
そんな中、83年にはエピック・レコードからボストンへ契約不履行の訴訟が起こされ、ボストンはMCAへ移籍、結局この問題はエピックと関係があるCBSまで巻き込み、前2作はエピック&CBSがベスト盤なども自由に出せる形で解決したようだ。
バンドの方はこの間、グドロー(g)が80年にソロ・アルバムをリリース、84年にはグドローと元ハートのマイケル・ドロージャー(ds)が中心になって結成されたオリオン・ザ・ハンターのアルバム「星空のハンター」にデルプ(vo)もバック・ヴォーカルで参加するといった活動が報じられたぐらいで、目立ったニュースはなかった。
次期アルバムも、もうレコーディングは終わっているとか、ミックスダウンに5年かけているとか(^_^; いろんな憶測が飛び交ったが、真相は、確かにレコーディング自体は3ヶ月ぐらいでとっくに終わっていたらしいのだが、この間にメンバーの脱退などがあり、そのテイクだけを新メンバーで録り直したり、オーヴァー・ダビングを行っているうちに時間が過ぎてしまったという事のようだ。オリジナル・メンバーはショルツとデルプだけになってしまったことを考えれば、ヴォーカル以外ほとんどすべてを何度も録り直したということなのだろうが、それにしてもあまりにも長いインターバルだ。

前代未聞のスローペース・バンド

実に8年ぶりという長い年月の末にやっと完成したアルバム「サード・ステージ」は86年にようやくリリースされた。
80年代半ばと言えば、プログレ・ハードの全盛時代などはとっくに過ぎ去り、パンク〜ニュー・ウェイヴ〜ニュー・ロマンティック、そして音楽全体の流れがロックからダンス・ミュージックへと移行しつつあった頃である。いったいボストンがどう変化しているのか注目が集まった。
しかし、流れてきた彼らはサウンドはデビュー当時とまったく変わらない、紛れもない70年代のボストン・サウンドだった。なつかしさのあまり、自分などは涙で目が潤んだものだ。
このアルバムからのシングル「アマンダ」は見事全米No.1、アルバム自体も1.600万枚を売り全米1位と、8年のブランクをモノともしない素晴らしい作品で、ほとんどの曲は7,8年前に作られているにも関わらず、まったく違和感がなく、「いつの時代もいいモノはいい」という時代を超えた不変のすばらしさを実証してみせる結果となった。
尚、このサード・アルバム時点でのメンバーにはショルツとデルプの他、ファースト・アルバムにもゲスト参加していたJim Masdeaジム・マスデア(b)とGary Pihlギャリー・ピール(g)が新たに加えられていた。
この後デルプも脱退し、実質トム・ショルツのソロとなったボストンは、再び長い沈黙に入った。
アルバム毎にこんなに長いインターバルが許されるのも、過去の実績があってからこそだが、そんなことはお構いなしに、シュルツはマイペースでさらにニューアルバム制作のためのスタジオを2年がかりで移転させ、90年頃からレコーディングに取りかかった。
もちろん、いくらアルバムが売れたからといって、無限にこういったレコーディングための資金があるわけでもない。そこで、ショルツは81年に「Scholz Research & Design」という会社を設立し、自分の趣味と実益を兼ねたような音楽設備の最先端技術開発に着手していた。
こうしてまた前アルバムから8年後の1994年、4枚目のアルバム「ウォーク・オン」が発表された。
メンバーはギャリー・ピールの他はすべて入れ代わり、Doug Huffmanダグ・ハフマン(ds)、David Sikesデヴィッド・サイクス(vo,g)、Fran Cosmoフラン・コスモ(vo)、それにあのカヴァーデイル・ペイジでもバック・ヴォーカルとして活躍したTommy Funderburkトミー・ファンダバーク(元エア・プレイ/vo)が新たに加入した。ちなみに脱退したデルプはボストンのオリジナル・メンバーだったグドローとRTZ(リターン・トゥ・ゼロ)を結成し、91年と2000年にアルバムをリリースしている。
シングル「アイ・ニード・ユア・ラヴ」と共にこの4th.アルバムもベストセラーにはなったが、ヴォーカリストが代わってしまったことと、完全なCD(コンパクト・ディスク)時代になったことで収録時間が増えたため、8年かかっても作曲面や全体のコンセプトが以前のアルバム達ほど完成されていない印象を受ける。(実際の作業は3年と言われるが)

おそらく次期アルバムのリリースは当分先と思われるが、いくら時間をかけてもいい、また時空を越えた素晴らしいアルバムで感動させて欲しいと、ボストンの1ファンとして切に願う。(HINE) 2001.6


幻想飛行
Boston

1976年Epic/エピック

新人らしからぬ完成度をもったデビュー・アルバム。
今聞いても新鮮

サード・ステージ
Third Stage

1986年MCA/ビクター

名曲「アマンダ」を含む全米No.1ヒット・アルバム。トータル・コンセプトも素晴らしいかった

ウォーク・オン
Walk On

1994年MCA/ビクター

実質リード・ヴォーカル不在状態で演奏がメインになった感がある。



★★★名盤PICK UP★★★

ドント・ルック・バック
Don't Look Back

BOSTON


1978年Epic/エピック
Produced, Engineered and Arranged
By TOM SCHOLZ
No Synthesizers Used
No Computers Used

1.ドント・ルック・バック
 Don't Look Back

2.ザ・ジャーニー
 The Journey

3.イッツ・イージー
 It's Easy

4.ア・マン・アイル・ネバー・ビー
 A Man I'll Never Be

5.フィーリン・サティスファイト
 Feelin' Satisfied

6.パーティー
 Party

7.ユースト・トゥ・バッド・ニューズ
 Used To Bad News

8.ドント・ビー・アフレイド
 Don't Be Afraid

新人としては異例の2年というインターバル後に出されたセカンド。その分完成度が高く、曲、構成、アレンジ、各楽器の演奏状態に至るまですべて完璧で申し分ない。このアルバムからは「ドント・ルック・バック」「ア・マン・アイル・ネバー・ビー」「フィーリン・サティスファイト」の大ヒット・シングルが出ているが、アルバム全体でもファースト・アルバムよりコンセプトが明確で統一感があり、全米No.1になったのもうなずける。当時はプログレチックなサウンドでありながら、シンセサイザーやコンピューターを一切使用していないということで、かなり話題になったが、トム・ショルツは元はキーボード奏者である。普通のキーボード奏者であれば時代背景からして、ギンギンにシンセ&コンピューターを使いこなしそうなものだが、そこはさすが奇才トム・ショルツ、そういったもの一切使用しないことで、音に温かみやぬくもりといった魂を宿らせることに成功している。このアナログ感が今となっては、たいへん耳あたりがよく、いつまでも聞き続けられるやさしいナチュラルな音を創り出している。
それにしても、この自宅の“シュルツ・ハイダウェイ・スタジオ”でレコーディングされたという、このアルバムの音質は、ちょっと有名なバンドのアルバムより断然いいのには驚かされる。(HINE)