ロック界の中には、セッション・プレイヤーでもないのに、いろんなバンドを渡り歩く一匹狼がいます。渡り歩くには、それなりに理由もあるのでしょうが、自分の腕試しのためであったり、喧嘩っ早かったり、優柔不断だったり、はたまた素行が悪くすぐ追放されるなど理由はさまざまです。このコーナーでは、メジャー、マイナーを問わず、そんなLonly Wolfたちにスポットを当て、なぜ彼らは渡り歩くのかを探ってゆきます。
*注・タイトル見出しはこちらで勝手に作ったもので、本人の弁ではありません(^_^;




FILE No.1

 AYNSLEY DUNBAR エインズレー・ダンバー
「軟弱な奴らはお断りだぜ!」硬派一直線、生涯現役の鉄人ドラマー

渡り歴
デリー・ウィルキー&ザ・プレスメン(1962)→ザ・フラミンゴス(1964)→ザ・エクスチェッカーズ(1964)→Stu James & The Mojos(1966)→
ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ(1967)→エディ・ボイド&ヒズ・ブルース・バンド(1967)→ジェフ・ベック・グループ(1968)→エインズレー・ダンバー・リタリエイションズ(1969)→ブルー・ホエール(1969)→フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンション(1970)→フロー&エディ(1972)→スパイダース・フロム・マース(1973)→ジャーニー(1975)→ジェファーソン・スターシップ(1979)→ホワイトスネイク(1987)→パット・トラヴァース・バンド(1993)→エリック・バードンズ・アイ・バンド(1996)→モグ/ウェイ(1997)→マザーズ・アーミー(1997)→エリック・バードン&ニュー・アニマルズ(1999)→UFO(2000〜2002)

Birth/英 リパプール 1946年
Part/ドラムス
Type/徹底した職人気質タイプ。バンドが売れようが売れまいがおかまい無し、とにかく自分の腕を発揮できる場所を追い求める。そのため、バンドがコマーシャリズムに走ることを極端に嫌っている。
Episode/エリック・クラプトンが抜けたブルース・ブレイカーズに加入後頭角を現し、以降敏腕ドラマーとして名を馳せる。プレイヤーとしての高い資質はジェフ・ベック、フランク・ザッパ、デヴィッド・ボウイらに起用されたことでも明らかだ。しかし、その頑固一徹な性格から「売れ線」に走る事を拒み、大きな成功のチャンスを幾度も逃している。最大のチャンスであったジャーニー初期では、スティーヴ・ペリー(vo)加入後ポップなサウンドになったことを不服としてブレイク直後に脱退。そして、すでに人気が下降期にあっジェファーソン・スターシップへ途中加入した。一時的とはいえ、ホワイトスネイクへの加入が彼一番のビッグ・ヒット作となった。近年では54歳にしてマイケル失踪問題に揺れる再結成UFOへ加入し、まだまだ元気な姿を見せていた。



FILE No.2

 JOHN WETTON ジョン・ウェットン
「君も僕の経歴は知っているだろ?」元クリムゾンの肩書きを最大限に利用するロック界の貴公子

渡り歴
モーグル・スラッシュ(1969)→
ファミリー(1971)→キング・クリムゾン(1972)→ロキシー・ミュージック(1974)→ユーライア・ヒープ(1975)→ブライアン・フェリー・バンド(1976)→ウェイクマン・ウェットン&ブラッドフォード(1977)→UK(1977)→ジャック・ナイフ(1978兼任)→ウイッシュボーン・アッシュ(1980)→エイジア(1981)→ウェットン/マンザネラ(1986)→クァンゴ(2000)→ヘンズレー・ウェットン(2003)

Birth/英 ダ−ビー 1949年
Part/ベース・ギター、ヴォーカル、メロトロン
Type/やるときはやるが、手抜きプレイも目立つ。例えばキング・クリムゾンでの緩急自在な好プレイとユーライア・ヒープでの平凡プレイは別人のよう。もっとも、ライヴとなると話は別で、ヒープ時代にも華麗な手さばきを見せていたようだ。ようするに気分屋。
Episode/元キング・クリムゾンという肩書きから、70〜80年代はビッグ・ネームからもひっぱりだこだったが、ロキシー・ミュージックやユーライア・ヒープ、ウイッシュボーン・アッシュなどでは、ほとんど曲も書かず唄わずプレイにも精彩を欠き、抜け殻状態のようであった。それにも関わらず、ユーライア・ヒープでは、特にリーダー格であったケン・ヘンズレー(key)に気に入られ、ウェットンとそりが悪かったデヴィッド・バイロン(オリジナル・メンバーでありバンドの顔的存在でもあったヴォーカリスト)を辞めさせてしまうほどの待遇を受けていたが、ウェットン本人はそっけなく、その直後すぐに脱退してしまった。しかし、その後自己の理想とするバンド「UK」を結成すると、俄然またやる気を起こし、クリムゾン時代のようなスーパー・プレイを披露していた。80年代以降はポップ志向が強まり、エイジアでの成功を始め、セッションワークやソロ・ワークでも主にヴォーカリストとして活躍するようになった。近年では、カール・パーマー(EL&P/ds)と共に久しぶりのバンド結成を果たしたが、ライヴ・アルバム1枚のみの短命に終わっている。
本音では後期クリムゾンのようなインタープレイをするのが大好きなのだが、売れるためには逆にポップで分かりやすい音楽をやらざるを得ない。その狭間で揺れる心境の変化が、彼をまた違う環境へと導くのだろう。