メンバー(左から)
クリス・ノヴォセリック Krist Novoselic ベース
デイヴ・グロール Dave Grohl ドラムス
カート・コバーン Kurt Cobain ギター、ヴォーカル
「徐々に色褪せていくより
一気に燃え尽きた方がいい」
(カート・コバーン)
今や音楽シーンを語るうえでは外せない存在となったニルヴァーナだが、それはヴォーカリスト、カート・コバーンの神格化によるところが大きい。
カートは滅茶苦茶なようでいて、その実、ひどく人間的だった。弱かった。だから薬に走った。そして袋小路に迷い込み、自ら命を絶った。
しかしそれが、かえって彼を神格化させてしまった。悲劇のヒーローとして祭り上げられ、歌詞も読まずにパンク衝動を突き動かすノイズまみれの音楽だけで判断する人が多くなった。カートの精神性よりも、暴虐な曲が「恰好いい」とされてしまった。
そして、その人気を利用したリリースなどが現在も続いている。
カートを理解するのではなく、利用する風潮に乗って。
ニルヴァーナの母体は、カート・コバーン(ギター、ヴォーカル)とクリス・ノヴォセリック(ベース)を中心にしたバンドとして幾つかの名前で活動し、1987年に「ニルヴァーナ」を名乗った。それからドラマーを次々と変え、時にはサブ・ギターも入れてライヴを中心に活動を続け、89年にサブ・ポップより『ブリーチ』でデビューした。
アルバムはまだ荒削りな感は拭えないが、虚無の時代に突入していたティーンエイジャーに僅かながら支持された。パンクの再来とも言われた過激なステージ・パフォーマンス、重く鋭い旋律、虚無感に満ちた歌詞。
「この時代、どうせもういいことなんかないさ」と思っていたシリアスなティーンエイジャーは、それらに過剰なまで反応した。自分達のやりきれなさ、「唯ぼんやりとした不安」を、叫んでいるバンドがいる。
しかし売り上げはさっぱりで、一部で熱狂的に盛り上がっているに過ぎなかった。
やがて落ち着かなかったドラムも、デイヴ・グロールを迎えたことで安定。それまでのドラマーより数段闊達で迫力あるドラミングによって、暴力的なベースとすべてを覆うノイズ・ギターにより、スタイルが確立された。
3人とも育ちに問題があり、一般的な環境には育っていなかった。
カートは幼い頃に両親が離婚、高校の頃はマリファナ三昧になり、共産主義の思想を押し付けられていた。仲間外れを恐れて似合わない運動部に入り、親戚の家を転々とし、編入先の学校では友達を作らず、家でギターを弾きながらウィリアム・バロウズを読む。
クリスは幼い頃から周囲に馴染めず、弟と一緒に公共物の破壊にいそしむ。その度に父親から鞭で打たれる。2メートルの高身長を馬鹿にされ、同年代の連中とはまるで馬が合わない。やがて精神衰弱し、親戚のもとで療養する。そのうちに両親が離婚する。
そうした環境下で彼らが好んだのが、セックス・ピストルズを代表とするパンク・ロックだった。メルヴィンズのメンバーとも親しくなり、彼らを通じてふたりはバンドを組む決意をした。
のちに加入したデイヴも、幼い頃に両親が離婚していた。ドラム・キットを持つのは遅かったが、その前から何度も叩いていた。そして例外なくパンクの洗礼を受けていた。躁病的に活動的だったデイヴはパンクにはまり、様々なバンドを転々とした。そのうちにメルヴィンズのメンバーの導きによってニルヴァーナに加入することになる。
全員が両親の離婚を経験し、パンクに影響され、メルヴィンズによって結び付いている。
そうした「欠如」を背負った3人が集まるのは、偶然ではなくまるで必然だった。だからこそ、心の闇を抱いていないメンバーはことごとく解雇されたのだろう。
その心の闇こそが、ニルヴァーナの表現する詞とサウンド、パフォーマンスによる自暴自棄寸前の自己表現だった。
91年、メジャー契約したゲフィンよりリリースされた『ネヴァーマインド』がニルヴァーナを取り巻く環境を変えた。
初期衝動を絵に描いたような『ブリーチ』と違い、この作品は練りに練られていた。基本スタイルこそ変わっておらず、野太いベースにシンバル多様のドラム、そして轟音ギターはそのままなのだが、どの曲も構造が考えられており、ニルヴァーナに足りなかった「ポップさ」を意図的に加えている。そのため耳障りにはならず、すっと入れてしまう。激しさと穏やかさが内在しながら、重く憂鬱な雰囲気が通底している。
その先駆を切ったのが、アルバムからの第1弾シングルであり1曲目に配置された不滅の代表曲、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」だった。この曲はニルヴァーナの音楽性をポップに仕立てて抽出したような出来で、ラジオで流れてから瞬く間に大ヒット、MTVにより数時間置きにテレビにPVが流れるほどになる。そしてマイケル・ジャクソンのアルバムさえ蹴落として、『ネヴァーマインド』はとうとう全米1位にまでのぼり詰めた。単なるガレージ・ロックにおさまってしまった『ブリーチ』よりも、若者の不満と不安を駆り立てて具現化する歌詞とサウンドに、キッズは熱中した。
しかしこの大ヒットは、売れなくても落ち着いていたバンドの精神性を根底から覆すことになる。
カートは神経衰弱気味になり、鬱状態に陥った。ヘロインをはじめとするドラッグにも走るようになった。『ネヴァーマインド』の「プールの中で釣り針に仕掛けられた金を追う赤ん坊」のジャケットが、いやに染みた。
のちに結婚する交際相手のコートニー・ラヴが、唯一の緩和剤になった。
ライヴで全世界を回り、来日公演もしたことのあるニルヴァーナだが、彼らにはきらびやかな衣装を着飾るおとなしい「コンサート」をする気は毛頭なく、よれよれのシャツや穴空きジーンズで出演していた。それを周囲は「汚い」「ゴミ」などの意味を持つアメリカのスラング、「グランジ」という言葉を使い、彼らに当て嵌めた。以来、ニルヴァーナの音楽性は「グランジ」といういちジャンルとして定着した。ファンもそれを真似るようになり、ボロボロのジーンズや擦り切れたカーディガンなどを着こなす若者が増え、にわかに古着屋が流行った。
この頃のライヴでカートは、「やあ、俺達はメジャー・レーベルに魂を売った、ロックの裏切り者だ」と皮肉なMCをしたことがある。カートは、ロックにまつわるビジネスが大嫌いで、ましてやロック史に名を残すような真似はしたくなかった。しかし結果的に売れてしまった。
ライヴの度に、必ずプロモーターから「スメルズ〜」を演奏するように指示された。演奏しなければギャラも払わない、という姿勢だった。これにバンドが応じているうちに、結局は「ニルヴァーナ=スメルズ〜」という公式ができあがり、観客はそれだけを聴きにくるような連中ばかりになり、バンド(特にカート)はそれを嫌っていった。そのため演奏はするが、次第に演奏や歌を壊していくようになった。わざとギターの音を外したり、音程をずらしたり棒読みのように歌ったり。その模様はリリースされたライヴ映像でも確認できる。ステージでは楽器やアンプの破壊行為もしきりに繰り返すようになった。
MTVの「ビデオ・ミュージック・アワード」に出演した際も、MTV関係者とステージでどの曲を歌うかで口論となり、「言うことを聞かなければ所属レーベルのバンドのビデオを流さない」と脅された。ニルヴァーナは現在の状況を皮肉った新曲「レイプ・ミー」を歌おうとしていたが、結局は「リチウム」を歌うことになった。しかしその曲はカートが幼少の頃に受けた精神療法の療法をモティーフにしたものだったので、単純に屈したわけではなかったようだ。そのうえ、打ち合わせを無視して「レイプ・ミー」を演奏してしまい、大顰蹙を買った。だがそれが、うわべだけのくだらない賞に対するニルヴァーナの回答だった。
そうしたメジャーに対するニルヴァーナからの返答が、93年発表のサード・アルバム『イン・ユーテロ』だった。
このアルバムはサウンド的にもリリック的にも、ニルヴァーナが結成当初から目指していたものを体現していた。サウンドはメロディを残しながら実にノイジーで、売れ線を拒否している。歌詞はそれ以上に痛烈で、自分達を取り巻くビジネス優先の現状、それに起因する心情、私的な暴露と権威や常識の批判に満ちていた。粗暴な凶悪性を満ち溢れさせる、スティーヴ・アルビニのプロデュースもニルヴァーナの音楽ビジネスへの反旗に加担した。
本作の仮タイトルは“I HATE MYSELF AND I WANT TO DIE(僕は自分自身が大嫌いで、死んでしまいたい)”というものだった。同名曲も作成され、当初はアルバムの最終曲として収録予定だったが、直前になってオミットされた。しかしその言葉通り、アルバムは陰惨で鬱屈した雰囲気に満ちていた。
きわめて私的な世界ではあったが、不満をブチまけただけのマスターベーションで終わっていない。ギリギリまで作品性を保ちながら、極限まで不実を歌いあげる。それは音楽表現というものに対して真摯な姿勢だからこそ許され、また作品として成り立つものだ。表層的な批判ではなく、本質を突きながら多くの共感を得る。ジョン・レノンの『ジョンの魂』を代表とする偉大な社会批判音楽は、そうした精神とクオリティに満ちている。
しかし、表面的な理解者ばかりが迎え入れる大盛況のツアーは続いた。
過去にない大掛かりなスケールで、ニルヴァーナは各地で大きな賞賛を受けた。
しかし事務的にこなさなければならないライヴに、カートは疲弊していた。
咽喉を休めるべきだと提言する医師にも反発し、パンク精神を貫いた。
ますます薬に走り、ツアー先のホテルで自殺未遂をはかることもあった。
そして、忘れもしない94年4月5日、
『イン・ユーテロ』の仮タイトルが、実現してしまった。
病院から脱走したカートは、シアトルの自宅で猟銃自殺していたところを発見された。
ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン(Doors/vo.)と同じ27歳だった。
「オール・アポロジーズ」は、あらかじめ決められたカートの遺書になった。
「こんな人間じゃなくて
どんな人間になればよかったんだ
すべてに謝罪したい
他に何を言えばいい?」
「日の光の中
俺は結婚し
埋葬される」
「何もかも俺のあやまちだった
すべての咎めを受け入れよう」
「俺達はみんな
何ものにも勝るかけがえのない存在なんだよ」
(「オール・アポロジーズ」より)
バンド名の「ニルヴァーナ(涅槃)」に、カートは旅立ってしまった。
まるで最初から計画されていたかのように。
妻となっていたコートニーは、それを予期していたのか意外なほど冷静に対応し、カートの亡骸に「疲れたでしょう。もう悩むことはないのよ」と囁いた。
それから、自然的な流れとして、ニルヴァーナは解散した。
虚無感を否定することで武器にしていたカートの死は、熱烈なファンを決定的な虚無に陥れた。
結局、現実には勝てないのだと。
精神の弱かった反発児は、子宮に還った。
残された信奉者は、帰る場所もなく、不安な社会に適合できずにさまようことになった。
ニルヴァーナの解散後も、クリスとデイヴは音楽活動を続けた。
クリスはスウィート75などのバンドを結成したが、ニルヴァーナのサウンドを求めたファンから不評を買い、やがて音楽から引退して政治活動にのめり込むようになった。
デイヴはフー・ファイターズを結成し、オルタナやグランジを継承しながら大衆に近付いたサウンドで好評を博した。やがてドラムとヴォーカルを兼任するようになり、ニルヴァーナの幻想を後継するバンドとして活躍中である。
ニルヴァーナのブレイクと伝説化により、評価が低かった様々なバンドが脚光を浴びた。
きっかけとなったメルヴィンズ、カヴァーを繰り返したヴァセリンズ、ソニック・ユースやR.E.M.のような初期オルタナ・バンド……それらが遅ればせながら売れるようになり、ヴァセリンズなど再結成もするほどになった。
と同時に、カートが嫌っていた80年代的商業ハード・ロックも改めて批判されるようになった。ボン・ジョヴィやヴァン・ヘイレン、そして何より、生涯通じて最も嫌っていたガンズ・アンド・ローゼズ。
筆者は、それらが好きな人を否定はしない。
しかし、カートは徹底して嫌っていた。
音楽性や訴えたい現状を押し殺してまで、大衆に身を捧げてロックなのかと。
それがカートの、ロック・ミュージックの現状に対して最も訴えたかったことなのかも知れない。
カートの死後、ニルヴァーナは神格化され、相次ぐリリースでメーカーの金儲けの手段になっている。
やれ限定、紙ジャケ、高音質CDなどと、ニルヴァーナの音楽性をまるで無視した製品が溢れている。
この現状をカートが見たら、どう思うだろうか。
自分が嫌っていた音楽ビジネスに、最も利用されているのを。
ひょっとしたら、
「俺を犯してくれ」
「俺は大馬鹿だ」
「すべてに謝ろう」
という、『イン・ユーテロ』が、遺書のようにあらかじめ想定されていたのかも知れない。
カートにとって「ニルヴァーナ」とは、出発点であると同時に、最終的な目標だったのだ。
近年、ニルヴァーナに興味を持つ若者が増えている。
それはそれで嬉しい。彼らが、カートが時代を超えて評価されている証だから。
しかし彼らは、ニルヴァーナに陶酔し、あげくカートの自殺を知ったリアル・タイムの衝撃と言い尽くせない虚無感は解らないだろう。
自分を包んでいた虚無の代弁者が、自らいっさいの虚無に帰してしまったのだ。
そういう意味で、経験論は基本的に好まない筆者にとっても、絶対的な「死」という現象を体験しては、それをナマで味わえたのかが重大になってしまう。
今のニルヴァーナ信奉者は、カートの亡霊を崇めるか、神格化したバンドを恰好付けで聴こうとしているきらいが強い。
結局、カートの大嫌いなビジネスに利用されている。
しかしそれでも、成功したのは事実だ。
ニルヴァーナ、いやカートは、世紀末最高のロック・スターとなった。
懊悩の末に選んだ自死が、それを決定的にした。
カートに、ひとことだけ、言ってやりたい。
「お疲れ様。
もう悩む必要はないんだよ」
と。
コートニーのように。
それがせめてものはなむけだ。
カートの歌詞は、同世代でなければ深く味わえないものが多い。
しかしその実、現代社会でも適応するぐらいの批判と憐憫、皮肉に満ちている。
もしも君が、ニルヴァーナに興味を抱いたのなら……
サウンドだけに翻弄されず、歌詞を味わってみてほしい。
哀しい人は、
本質的に哀しいからこそ、
見ている人まで、哀しくなる。
「重要な思想を誰にでもわからせるように表現するほど難しいことはない」
(ショーペンハウエル)
さあ
あらかじめ定められていた
涅槃への迷路に旅立とう。
(KEN) 2009.12 「KENの生悟り」