MOXY モキシー


  モキシーの歴史を語るには、まずその前身バンドとも言えるLeigh Ashfordの歴史から語らねばなるまい。カナダのトロントで1966年に生まれたこのバンドは、1968年までローカルで活動し一時解散。
 しかし、1970年になって再結成。71年にはヴォーカルに元Sherman & Peabodyのバズ・シェアーマンを迎えレコード・デビューを果たした。尚、バズがいたSherman & Peabodyには、後にトライアンフで名をあげるギル・ムーアも在籍していたことでも知られる。
  そしてこのLeigh Ashfordは、モキシーが結成される74年頃までメンバー・チェンジを繰り返しながら活動し、その中にはモキシーのオリジナルメンバーであるアール・ジョンソンやビル・ウェイドらもいた。
 Leigh Ashfordでの活動が軌道に乗り、シングルがアメリカでオンエアされはじめた矢先の72年、バンドのオリジナル・メンバーでもありリード・ギターのGord Waszekが突如別のバンドへ移籍してしまい、バンドは自然消滅状態となってしまった。
  これに落胆したバズは、73年、当時のバンド・メンバーであったアール・ジョンソン(g)とビル・ウェイド(ds)、Kim Frased(b)と共にLeigh Ashfordを名乗りバンドをの立て直しを計った。また74年には脱退したKim Frasedに替わり、ジョンソンの紹介でテリー・ジュリックを加入させ、バンド名もMOXYに変えYorkvilleレコードからシングル「Can't You See I'm A Star」をリリースした。

ここでモキシーのオリジナル・メンバーを整理しておこう。( )内は上の写真での配置
Buzz Shearman バズ・シェアーマン/リード/ヴォーカル(後列中央)
Earl Johnson アール・ジョンソン/ギター
(前列右)
Terry Juric テリー・ジュリク/ベース・ギター
(前列左)
Buddy Cain バディ・ケイン/ギター
(後列左)
Bill Wade ビル・ウェイド/ドラムス
(後列右)

 ファースト・シングルがラジオのオンエアでヘヴィー・ローテーションとなる中、大手レコード会社のポリドールとなんなく契約した彼らは、75年BTOとの仕事で知られるマーク・スミスをプロデューサーにデビュー・アルバムの制作に取りかかる。
 この時、ラッキーにも隣でレコーディングしていたトミー・ボーリン(ジェイムス・ギャング〜ディープ・パープルの間のセッション・ミュージシャン期) が彼らに興味を持ち、ギター・ソロを録音してくれた。(しかし、当時は制作者サイドの都合で正式なクレジットはされず、Special Thanks To : Tommy Bolinの表記があるだけだった)
 それを期にツイン・ギターの必要性を感じた彼らは、 アール・ジョンソンの友人であったバディ・ケイン(g)を加入させた。
 同年中にリリースされたデビュー・アルバムは、カナダ国内ではもちろん、発売されていないアメリカのテキサスでも評判となり、ラジオで「Can' t You See I'm A Star」と「Moon Rider」がヘヴィー・ローテーションでオン・エアーされた。
 これで勢いづく彼らは、新たにマーキュリー・レコードとも契約を交わし、世界デビューも果たすことになる。
 76年にはファースト・アルバムの再発盤をワールド・ワイドにリリース。その直後には、エアロスミスのプロデュースで知られる大物、ジャック・ダグラスをプロデューサーに起用したセカンド・アルバム「II」をリリース。この中から「Take It Or Leave It」がスマッシュヒットした。
 このセカンド・アルバムには、ファースト・アルバムのようなツェッペリン・サウンドを踏襲した重厚さはなくなっていたが、BTO寄りの、カナダのバンドらしいポップさを感じさせる仕上がりになっていた。その結果イギリスでも高評価を得て、ついにワールド・ワイドに知られるバンドとなるに至った。
 翌77年には、再びジャック・ダグラスをプロデューサーに迎え(Ed Leonettiとの共同プロデュース)、サード・アルバム「Ridin' High」をリリース。セカンドのポップさを保ったままファーストのようなハードさを取り戻したこのアルバムは、バズの七変化する特徴的なハスキー・ヴォイスとツイン・ギターによる豪快なドライヴィング・サウンド、そして曲の良さでも彼らのアルバム中群を抜く出来映えで、評論家たちからも絶賛され、この年のジュノー賞(カナダ版グラミー賞)にもノミネートされている。特に疾走感のある「Sweet Reputation」やバラードの「Another Time Another Place」などは名曲。
  まさにバンドとしての絶頂期を迎えようとしていた彼らだったが、実際にはこの頃世界的にニュー・ウェイヴやAORなどソフト系のロックがチャートを席巻し始めたところで、セールス的にはそれほどふるわなかった。おまけにこの後、バンドにとって最大の危機が訪れてしまう。

 カナダやアメリカの一部ではライヴでヘッドライナーまで務めるほどの人気となっていた彼らだったが、看板ヴォーカリストのバズは、ハードなツアーに耐えられず声帯を患い、たびたび代行でBrian Maximブライアン・マキシムにヴォーカルを任せるようになっていた。  そしてついに同77年の暮れ、実質バンド・リーダーでもあったバズが、声帯の問題とアルコール中毒の治療に専念するためバンド離脱を余儀なくされることになる。
 このバンド始まって以来の危機を乗り切るため、すぐさま専任のヴォーカリストを立てる必要があったが、どこからかバズにも負けない有望な新人を見つけ出してきた。それが後にラヴァーボーイで大成功するMike Renoマイク・レノ(写真中央手前)だ。
 当時は本名のMichael Rynoskiと名乗っていたレノは、ギターやドラムもプレイし曲も作れる才人で、バンドと合流後初のアルバム「Under The Lights」でも、いきなり全曲の曲作りに参加している(1曲は単独)。
 また78年、バズと同じく前身バンドからのオリジナル・メンバーであったビル・ウェイドまでもが脱退してしまうが、新しいドラマーにDanny Bilanダニー・ビランを迎え、4作目のアルバム「Under The Lights」をなんとか完成させる。
  マイク・レノはヴォーカリストとして素晴らしく、バズの抜けた穴もきっちり埋めてはいたが、全体的にこのアルバムの曲はスローで脱力した印象を受け、あまりパッとしなかった。何より時代が彼らのようなオールド・ウェイヴ・サウンドを求めていなかったのだろう。カナダ本国でこそ、多少ヒットしたものの、欧米ではまったく反応が無く、ライヴでの反響もさんざんだった。
 この年の夏には、Leigh Ashford時代からの唯一の生き残りアール・ジョンソンまでもが脱退してしまい、替わりにWoody Westウッディ・ウエスト(g)を加えるが、もはやバンドは崩壊寸前の状態となっていた。
 
 79年、そんなバンドの窮状を救うべく、自己のバンドを結成し細々と活動していたバズシェアーマンがモキシーへ戻ってきた。 ギターのウッディもDoug MacAskillダグ・マックアスキルに替わりモキシーは最出発することになる。
 追い払われる格好となってしまったマイク・レノの方は、皮肉にも翌80年になってラヴァーボーイの結成に加わり大成功を収める。そのファースト・アルバムはいきなり全米13位の大ヒット。その後もソロでハートのアン・ウィルソンとデュエットした映画フット・ルースのテーマ「愛のパラダイス」が全米7位の大ヒットに輝くなど、ヴォーカリストとしての力量を世界中に示す結果となった。
 一方モキシーの方は、相変わらずツアーを中心にマイペースな活動をつづけていた。80年、AC/DCのボン・スコット(vo)が急逝し、その代役にバズが誘われるというビッグ・チャンスもあったが、バズはまだ声帯の問題を抱えていたため断ってしまった。ついに81年にはレコード会社との契約も切られ、カナダ国内やアメリカ南部をサーキットしながら、新たな契約を求めて彷徨うことになる。そしてもう誰もがモキシーの存在さえ忘れかけていた83年、バズ・シェアーマンがバイク事故により33歳の若さで亡くなったというニュースがひっそりと報じられていた。
 その年、バズの妻と息子のために残りのメンバーたちでベネフィット・コンサートを開き、翌84年にはインディ・レーベルから未発表曲3曲を含む、バズ時代のベスト・アルバムを発表しモキシーはひとまずその歴史を閉じた。

 その後、メンバー達はちりぢりになり活動していたが、1999年アール・ジョンソン、バディ・ケイン、ビル・ウェイドの3人が再び集結し、モキシーを再結成することにする。ヴォーカルには元ツアーメンバーで、時々バズの代役でヴォーカルをこなしていたブライアン・マキシムが迎えられた。翌2000年には、これにJim Samsonジム・サムソン(b)を加えたメンバーでアルバム「V」をレコーディング。ところがこの時既にドラムのビルの体は癌に冒され、アルバムがリリースされた直後に53歳で亡くなってしまった。初期のようなハード・サウンドに戻った再結成モキシーは、再び精力的にアメリカやヨーロッパ・ツアーをこなしてゆく。
 亡くなったビルの代わりに補充されたメンバーは、Kim Huntキム・ハント(ds)。この時のメンバーをもう1度整理しておくと
Earl Johnson アール・ジョンソン/ギター
Buddy Cain バディ・ケイン/ギター
Brian Maxim ブライアン・マキシム/ヴォーカル
Jim Samson ジム・サムソン/ベース・ギター
Kim Hunt キム・ハント/ドラムス


 2002年には、このメンバーでの2000〜2001年にかけてのライヴの模様を収めたアルバム「RAW」もリリース。しかし、2003年のスエーデン・ロック・フェスティバルへ出演した後、ヴォーカルのブライアンが脱退してしまう。それでもバンドは続行し、60年代にA Foot in Coldwaterというプログレ・バンドで活躍したAlex Machiを新しいヴォーカリストに、今も地道に活動を行っている。

 トミー・ボーリンがギターで参加した時、ジュノー賞にノミネートされた時、マイク・レノが加入した時、バズ・シェアーマンがAC/DCに誘われた時・・・これまで何度も有名になるチャンスはあった。しかし、不運とクラシックなハード・ロックをベースとした自分たちのサウンドを頑なに守り続けるが故に、そのチャンスをことごとく潰してきた。それでも尚、そのスタイルが好きだからこそ、彼らは変わることを拒み続けるのだろう。ファンもまたそれを期待し、変わらぬサウンドを聞いて安心する。そんなバンドがモキシーだ。(HINE) 2007.10



Moxy
Mercury/Unidisc


II
Mercury/Unidisc

Ridin' High
Mercury/Unidisc

Under The Lights
Mercury/Unidisc

ディスコグラフィー

1975年 Moxy *故トミー・ボーリンの力を借りて製作されたMoxyのデビューアルバム。米で未発表ながら話題になった
1976年 II *ジャック・ダグラスをプロデューサーに向かえメジャー・デビュー。「Take It or Leave It」がスマッシュヒット
1977年 Ridin' High *セカンドのポップさとファーストのハードさを併せ持つ彼らの最高傑作
1978年 Under The Lights *Bozzの脱退を受け、後にラヴァー・ボーイで名をあげるマイク・レノ(vo)を迎えたラスト・アルバム
1984年 Tribute to Buzz Shearman *脱退後83年にバイク事故で亡くなったBuzzに捧げるBuzz時代Moxyのベスト
1994年 Self-Destruction *未発表曲2曲を含むBuzz時代のベスト
1994年 Out Of The Darkness *上記アルバムのUK盤
1997年 Greatest Hits
1999年 The Best Of Moxy : Self-Destruction *Self-Destructionにさらに1曲ボーナストラック(既発表曲)を加えたもの
2000年 V *ヴォーカルにBrian Maximを加えた再結成Moxyのデビュー盤だがBill Wadeの遺作となってしまった。翌年リリースのUK盤にはボーナストラックが付く
2002年 Raw *再結成Moxyの2000〜2001年のライヴ



Tribute to Buzz Searman
Unidisc

Self-Destruction
Pacemaker

V
Perris/Record Heaven Music

Raw
Bullseye Canada